気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

わたしは・・私を含む全てのこと

2011-08-05 08:38:57 | 直感真知

わたしは、個人としての「私」であるが、それが全てではない。

 

私の肉体は、私が観察するところの1つのユニット、フィールドであるが、

 

それは「わたし」ではない。

 

肉体に備わる両目は、外の景色を見ているとされているが、

 

「わたし」は肉体の私の中にいるのではない。

 

わたしが見ている全てが、すなわち「わたし」のいわばフィールド、身体である。

 

1つの個別の肉体機能が、別個の外界の一部を見ているのではなく、

 

見ているその物、その景色全てが、対象すべてが、

 

実は「わたし」なのである。

 

観察者と観察対象は不可分である。

 

すなわち、

観察者と観察対象、その双方はシステムとしての「1つの系」を作っているとも言えるだろう。

 

その両方が1つ(ユニティ)となって観測され、それをそれとして観察しているものこそが、二元性を超えている系であり、一段と高い次元の有り方である。

 

あなたの観ているもの全ては、すなわち大いなる「あなた」なのだという事が理解できるだろうか。

 

あなたはそれなのだ。

 

それが意識の中心で理解できるならば、あなたは個々別々の、あるいは分離された観念の世界、この3次元世界を超えているという事が出来るだろう。

・・・

真実は、どこか遠くや、他の次元や優良惑星等にあるのではなく、

 

いつでも、「今・・ここ」 にあるのだ。

 

すなわち、見る聞く感じるこの世界は、貴方の肉体の外にあるのではなく、

 

大いなる「あなた」の中にあるのだ。

 

・・・・

 

すなわち、私は・・・・「わたし」を観察している。

 

卑小な肉体であると信じ込んできた、あるいは思いこまされてきた

 

個人の私とは、本当の「わたし」ではないのだ。

 

今はもう、しっかりと気づける人々は多いはずだ。

 

 

あなたの、見る・聞く・感じる・すべてのことが、

 

実は「あなた」自身を観察していることなのだ。

 

遠い青い空に浮かぶ雲、 野原の草花、 街並み、 アスファルト、

 

 家並み、 そびえるビルの群れ、 散歩する人と子犬・・・、

 

満点に輝く夜空の星、闇夜に映える三日月、そして毎日昇る太陽も、

 

見はるかすかぎりの全て、聞こえる限りの全ては、

 

「あなた」自身なのである。

 

五感という媒介で映ずる世界は、

 

実は私という内と、・・世界という外で切り離されてはいない。

 

外と見ゆるもの全ては「あなた」なのだ。

 

道行く見知らぬ人々、親しい家族達、それらも全て「あなた」なのである。

 

個別の肉体としての1個のあなたの事ではない。

 

全ては兄妹姉妹だというのは当たり前の事実なのである。

 

愛と慈しみ以外に、憎しみや恐怖など本来あるはずもないのだ。

 

 ・・・・

色(しき) 即(すなわち) 是(これ)  空(くう)なり、

 

そして

空(くう) 即(すなわち) 是(これ)  色(しき)なり

 

わたしは、本来全て、また空(くう)であり、

様々な個別の色に顕れるのだ。

 

今、あなたも私たちも、その1つの色として、人として顕れている。 

・・・・  

今まで、「わたし」は、肉体である私のことを「わたし」と思いこんできた。

見える物、聞くもの、触るもの、全てが「外」にあると想いこんできたのは、

 

わたしが、私・肉体であると想いこんできたからなのだ。

 

「 I am that ・・・・ 」

 

ここには、あなたを 「あなた」自身で開放する「鍵」がある。

 

既に、開けることは容易なのだ。

 

「あなた」は貴方という肉体ではなく、それを含む「全て」なのだということが解ればいい。

 

 

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 本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。