気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

物性から霊性へ(1)物質文明終焉の匂い

2011-01-16 12:58:36 | 新地球文明論

現代文明は物質文明ともいっていいだろう。

 

近代以降に進展した科学・技術は、もっぱら功利主義と結びついて、刹那の便利さを追求する手段となった。

 

人類の追及するものは、主に生活の便利さであり、更なる安楽さであったことは否定できない。

 

衣食住を始め、生活に必要な移動や連絡、運搬までが機械化され、快適さと安楽さを満たすことが人類の主たる目標とされてきた。

 

その安楽さの成果のバロメーターとして、GDPというものが信仰の対象になってきた。

 

あなたもわたし達も、そのGDP信仰という経済宗教のお祭り騒ぎの渦中にいたようだ。

 

しかしながら、早晩お祭り騒ぎは終わりを告げる。

 

なぜなら、欲得の想念の氾濫と、代償としての地球の破壊が、これ以上は不可能なレベルを超えてしまったのだ。

 

我々の居る時空舞台が、立替えの為のように次第に揺らぎ始めているのだ。

 

これは大勢の人々の潜在意識では気づいていることではないだろうか。

 

100年に1度といわれることばかりになった異常気象や地殻の動き、限度の来たやけくそ的な国家予算や社会悪の暴露の情報等にも、その一大変化の兆候を嗅ぎ取ることは極めて容易になってきているはずだ。

 

我々は良くも悪くも、ある意味で宴の後の淋しさを通過しなければならないだろう。

 

次には、いよいよアジアの国々に覇権や富の栄華が移る等とはやし立てるのは、単に人為的な見地からだけの期待でしかない。

 

これ以上、住むべき環境の破壊、汚染を続けることはできない相談である。

 

それは地球という船の上で、船の材料を剥ぎ取りながら、焚き火を続けているようなものだからだ。

 

存在諸世界は、火遊びが行きすぎてすべてを台無しにして、はい終わり・・のようには出来ていない。

 

自然には自己治癒、あるいはフィードバックの機能があると言われている。

 

確かに、

 

そうでなければ、何百万年、何万年、何千年という時間軸の間に、あるがままの自然、何億種とも言える生命の営み自体が一瞬たりとも維持できなかっただろう。

 

何も変哲もない、あるがままの自然がそこにあるのは、それが実は極めてダイナミックで英知に満ち満ちているからこそなのだ。

 

母なる地球、大自然は極めて優しく、厳しく、そして強靭な愛という仕組みの具現なのだ。 

 

自らを生かす親のようなこの地球に一時戦いを挑み続けてきた刹那的な思考回路はすでに焼き切れたのだ。

 

わがまま放題し放題のいわば放蕩息子は家に還る時間であろう。

 

人類はGDP信仰、物質信仰という、いわば狂奔宗教から抜ける時がきたのだ。

 

旧態以前たる古いこころを入れ替える、あるいは自らで洗い清めなければならない時期にいると思われる。

 

早晩、大自然は再び別のサイクルを通ってでも、自らの調和を取り戻さざるを得ないだろうし、また、

  

この地球体験フィールドは、現在地表にいて学んでいる魂達だけのためにあるのでもないからだ。

 

今後も、さらにある種のカタストロフィー的自然変化が様々起きるだろうが、それに絡んで今後たとえ社会の多くの物質や富が失われたとしても、それは、その他に大切なものがあるということに気づく為のプロセスなのだと肝に銘じようではないか。

 

こと・ここに及んで、物や地位や名誉などに執着し、それに追いすがってはいけない。

 

社会の無知という「揺りかご」の中に眠っていてはいけない時期なのだ。

 

お金さえ出せば揺らしてくれる狭い常識観念という「揺りかご」は、もうじき無くなることだろう。

 

過去・現在・未来を通じて綿々と続く、個々人の生と死という人生のプロセスを、小さなプロセスだと言うならば、今の地球規模の様々な変化は、大きな人類という括りのなかの一大成長時期とも言えるだろう。

 

地球という内と、宇宙という外の一大変化がピッタリとシンクロしているようではないか。

 

それは各人の内と、世界という外の関係と同じようである。

 

魂である自分を思い出し、そしてしっかりと眼を見張りながら、この愛すべき学び舎である地球の進化を観察しよう。

 

それは、今ここにいる「あなた」の内なる進化とまたシンクロしているはずなのだ。

それぞれの意識がちょうど気が付く範囲だけ、あらゆるものすべてが有意味で繋がっているということなのだ。

 

  

我々の体験フィールドを与え続けてくれたこの地球、

 

人類の苦楽にもいつもじっと黙って共感してくれた地球、

 

何億という生命の種を育み続けてきた地球、

 

狭い生活範囲の了見でしか生きていない我々人間達の、

 

極めて大きなバックボーンであるこの地球に、

 

心から感謝しないではおれない。

 

我々こそ、そろそろ地球規模、宇宙規模でものを考える時期にきている。

  

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本日も拙い記事をご覧頂きまして、誠に有難うございました。