気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

意識の大海(3)マインド・意識・気付き

2010-12-12 11:24:39 | 覚醒意識

マハラジの言葉を集めた書である、「 I AM THAT 」(わたしは在る)は、

何度読んでもその深さに驚くばかりであり、

身体から、こころへ、そして魂へ、そして本来の真我である、大いなる全体へと、

勇敢に旅した者だけの雄々しさと神々しさを感じないではいられない。

間違いなく、

彼はそれを身をもって示す為に、19世紀にこの世界に現れ、20世紀に去っていった、偉大なる魂の教師の1人なのだ。

 

 

 I AM THAT 

このフレーズの中にすべてが含まれていることを感じるのは決してわたしだけではないだろう。

 

あなたや私たち、あるいはすべての宇宙、すべての存在の根底にあるものが、

 

「I AM THAT 」なのだと感じないだろうか。

 

わたしは・・・それであり、これであり、あれである。

 

多くの人は、今そう思っている。

 

あるとき、ある場所、どこかの誰か、それを演じている。

 

生まれ変わっても、そう思ってきたはずだ。

 

しかしながら、あれやこれやに自己同一化することが、

 

他生の人生でも行われていただけだと気づけば、

    

わたしはそのどれでもないということにもなる。

 

即ち「すべて」であるともいえるが、

 

「すべて」というカテゴリーでもない。

 

永遠なる真実は、

  

わたしは・・・わたしであること、そのもの。

 

I AM THAT     

 

それは、「神なる根源」 の目覚めを表そうとして、表しきれない、

 

「無限」さえも超えたものを、敢えて指し示す言葉

 

そんな気がするのだ。

 

そして、

 

それは、実のところ、あなたや私たち自身のことなのだ。

 

我々は無限に広がる意識の大海をも越えている、

 

ある意味で、創造者、航海者であると言う表現も、

  

卑近な例示でしかないのだろう。

 

・・・・

 

「I AM THAT  」 わたしは在る・・・ナチュラルスピリット刊 P238より抜粋

  

マハラジ

身体は物質的なものであり、変えるには時間がかかる。

マインド(こころ)は考え方と感じ方という精神的習慣の集合だ。

変えるためには、それらは表層に引き出され、調べられなければならない。

これもまた時間がかかる。

ただ決心し、たゆまずやり通すことだ。

あとはそれ自身が面倒を見るだろう。

 

質問者

どうやらわたしは何をすべきか、という明確な計画をもったようです。

しかし私は疲れ、ふさぎこんで友人たちを求め、そうして孤独と瞑想に与えられるべき時間を浪費してしまうのです。

 

マハラジ

あなたの感じるようにするがいい。

自分を責めるのはやめなさい。

暴力はあなたを固く、厳しくしてしまう。

道の上の障害と闘ってはならない。

ただそれらに関心をもちなさい。

それらを見て、観察し、調べなさい。

良いこと悪いことなんであれあるがままに起こらせるがいい。

だが、あなた自身を起こることのなかに沈み込ませてはならない。

  

質問者

自分が観照者だとつねに思い起こさせる目的は何なのでしょうか?

 

マハラジ

動きまわるマインド(こころ)の彼方には、不変なる気づきという背景が存在する。

マインドは本来の自己を知り、それを敬い、

月食で月が太陽を覆い隠すことをやめなければならない。

ただ観察可能なもの、体験可能なものは何ひとつあなたではなく、

またあなたを束縛することはできないということを自覚しなさい。

あなた自身ではないものに、注意を払いなさい。

 

質問者

あなたが言ったことをするには、私は絶え間なく気づいていなければなりません。

 

マハラジ

気づくことは目覚めることだ。

気づかないことは、眠っていることだ。

いずれにせよ、あなたは気づいている。

そうあろうと試みる必要はない。

あなたに必要なのは、気づいていることに気づくことだ。

意図的に、そして意識的に気づいていなさい。

気づきの領域を広げ、そして深めなさい。

あなたはつねにマインドを意識している。だが、

あなた自身が意識していることに、気づいてはいないのだ。

 

質問者

私が理解するには、あなたは「マインド」「意識」「気づき」という言葉に、明確に区別された意味を与えています。

 

マハラジ

こういうふうに考えてみなさい。

マインドは、たとえあなたが見ていないときでも、想いを絶え間なく生み出している。

「マインド」のなかで何が起こっているかを知っているとき、

あなたはそれを「意識」とよぶ。

あなたの意識は感覚から感覚へ、知覚から知覚へ、観念から観念へと

果てしない連続のなかで移行している。

これがあなたの目覚めの状態だ。

そして、・・

マインドの全体性、意識全体への直接的洞察である「気づき」が現れる。

マインドは川のように、身体の川床のなかを絶えず流れている。

あなたはあなた自身を一瞬ある特定の波と同一化し、

それを 「私の想い」 と呼ぶのだ。

あなたが「意識」するすべてはあなたの「マインド」(こころ)であり、

「気づき」とは、「意識」の全体性の認識だ。

 

質問者

誰もが意識しています。しかし、誰もが気づいているわけではありません。

 

マハラジ

「誰もが意識している」と言ってはならない。

「意識がそこには在る」と言いなさい。

そのなかですべては現われ消えて行く。

わたし達のマインドは、意識の大海の波にすぎない。

海としてのそれは無限で永遠だ。

あなた自身を・・、

生命の大海、すべての存在の子宮として知りなさい。

もちろん、これらはすべて隠喩だ。実在は描写を超えている。

あなたはそれで在ることによってのみ、それを知ることができるのだ。

 

質問者

それを探求することに苦労するだけの価値があるのでしょうか?

 

マハラジ

それがなければ、すべてが苦労だ。もしあなたが正気で、創造的に、幸福に、

そして分かちあえる無限の豊かさをもって生きたいと願うならば、

あなたであるものを探求しなさい。

 

マインドは身体の中心にあり、

意識はマインドの中心にあるが、気づきは自由だ。

身体はその衝動をもち、マインドはその苦痛と喜びをもっている。

気づきは無執着で、不動だ。

それは透明で、静かで、穏やかで、油断なく、怖れがなく、

欲望も恐怖もない。

あなたの真の存在として、それに瞑想しなさい。

そして日々の生活のなかでそれで在ろうと試みなさい。

そうすれば、あなたはその豊かさを実現するだろう。

 

マインドは起こっていることに関心をもつが、

気づきはマインド自体に関心をもつのだ。

子供はおもちゃを追い求めるが、母親はおもちゃではなく子供を見ている。

 

 Img_new(2010.10 by NAOTO)

 

 

本日も拙い記事をご覧頂きまして、誠に有難うございました。