・・・P18よりの続き(デビッド・R・ホーキンス博士の回想)
・・・・・・・・・・・・・・
わたしはこの主観的体験について口にすることはありませんでした。というのも、その体験を描写する手がかりとなるようなものは何もありませんでしたし、聖人たちの生涯を記した文書以外、ほとんど霊的経験について耳にすることはなかったからです。
しかし、その体験以後、現実として認識される世の中の出来事は、仮のものでしかないと感じるようになりました。伝統的な宗教の教えは重要性を失いました。存在するものすべてを輝かせる「神性の光」に比べると、伝統的な宗教の神は鈍くくすぶっているだけでした。こうして、霊性(スピリチュアリティ)が宗教にとって代わったのです。
それから第二次世界大戦中、掃海艇での危険な任務に就いたとき、しばしば死の危険に瀕しましたが、死ぬことに恐怖を感じることはありませんでした。あたかも死そのものが信憑性を失ってしまったかのようでした。戦後は、心の複雑さに興味を抱いていたことから精神医学を学び、・・・・・中略・・・
けれども専門家としてのストレスが多い生活から徐々に致命的な病が進行し、どんな治療法も効果を示すことはありませんでした。38歳にしてわたしは極限状態に追いつめられ、死期が迫っていることを悟ったのです。肉体に関心はなかったのですが、霊(スピリット)がひどい苦悶と絶望感にさいなまれていました。そして最後の瞬間が近づいたとき、次の言葉がふと頭によぎったのです。
「もし神が本当に存在するのだとしたら?」
それからわたしは声に出して祈りました。「神よ、あなたがいらっしゃるのなら、どうかわたしを助けてください。」と。神がなんであれ、すべて明け渡すと、意識は忘却の淵に沈んでいきました。再び意識が回復したとき、何か途方もなく大きな変容が起こり、ただ沈黙と畏怖の念が広がっていました。
もはや個人は存在していませんでした。個人的な”わたし”も自己も自我もなく、ただ”わたし"にとって代わった限りないパワーの「無限なる臨在」があったのです。
身体とその行動は、完全にぞの「臨在の無限なる意志」によって統制されていました。世界は、「無限なるワンネス(一体性)」の明晰さによって光り輝いていました。
万物は、「神性」の表現としてのその無限の美と完璧さをあらわにしたのです。
・・・・p19以降 次回へつづく
人生とは偶然の出来事ではない。
それは無意識に過ごすのはあまりにも潜在的に神々しすぎるのだ。
しかし、その神々しさは、外から何かを獲得し、付加して創られるものではない。
無限の慈愛や理解は付加したり、差し引いたり、加えたりするようなものではない。それは元々在る無限性のことだ。
ただ必要なことは、あなたやわたしたちが生れ落ちた、この発展途上の世界のなかで、知らず知らず身に着けた、本来は存在しない架空の価値観念に気づきながらそれをすこしづつ取捨択一し、不浄なものを自らでそぎ落としてゆくことなのだ。
人生においては、人に勝った負けたのお祭り競争に巻き込まれたり、本来あるべき姿から逃げ隠れしたり、不特定の他者を恨んで嘆き、拳を振り上げることもあるだろう。そうしてその行為の虚しさを知ったならば、それを繰り返さない程度の知性も出てくるものだ。そうして何が大切なのか、気づいてゆくのだ。
まずもって、問題なのは他人でも世界の悪でもなく、後天的な各人の人生で色付けられた、それを観るあなたやわたしの「こころの癖」である。
皆、何も問題などなかった、幼き頃の素の意識を取り戻すための長い人生の意味にも気づくべきだろう。
赤ん坊のような素の意識、輝かしく可愛く、嬉しく、ありがたいようなその在り方と、悠久の繰り返しの人生で培った大いなる叡智をあわせ持った存在、それが本来のあなたなのだ。
我々は皆ここを通ってきた者ばかりであり、あるがまま、素の在り方が何たるかすでに体現している者たちなのだ。
それは何かに依存した、いたいけな存在ではなく、
まさに「そのまま」で輝かしく、力強いあるがまま、素のあり方を示しているのだ。
ただ、ただ、自己の「こころ」を浄化すべきなのだ。こころは生きるための大切なツールであるが、それ自らが主人公の仮面をつけているところが不幸の元なのだ。
あなたたちやわたしという根源意識の表れにしかすぎない「こころ」という知覚のレンズがさび付き、汚れているために、外に周りに不浄を観ることになる。
こころの浄化は自己のこころを、逃げ隠れせずに正面から「観る」ことで行なわれる。
なまっちょろい依存心をそぎ落とせ!
己だけは・・のエゴ自我をなつかしい記憶の中にしまい込め!
人生は自己研鑽の場と肝に銘ぜよ!
皆々発展途上である仲間達を批難中傷するな!
すべての体験も想いも、存在していること自体の奇跡の証拠なのだ。
感謝なしで人生を感じることなど出来ようはずもないではないか。
綺麗になったこころで観えるその輝かしい世界は、まことにあなたやわたしたちの住まう世界である。それはいつかどこかの時代でも、どこかの星系にあるわけでもなく、高い次元の天国にあるわけでもない。
あなたがいつもいつも今在るところが、常にあなたの理想の世界なのだ。
つねに自らを顕し続ける根源たる意識・それがあなたである。
本日も拙い記事をご覧頂きまして、まことに有難うございました。