気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

地球生命圏の仕組み(2)

2009-06-08 07:43:14 | 宇宙的気付き

<地球という生命圏>

●波動に満ちた世界

 地球生命圏での諸現象は、今は未知なる様々な相の波動をも含め、電磁波・音波・振動波などの様々な既知なる外的・物質的波動と、それを生み出す因とも言うべき、意識・精神活動による潜在的・内的な波動で構成されており、地、空、火、水、植物・鉱物・動物・人間で構成される巨大な地球波動交響楽?ともいえる一大シンフォニーを構成しているのです。

 

●こころは物質を超えていると思えるか

 例えば、音楽に傾聴することは科学的に言えば単なる空気分子の振動を感じることと言えるでしょうが、それを聞いて鑑賞するのは各人の「こころ」の働きです。空気分子の振動は、我々が信じている?ところの物質レベルのものですが、それを聞いて感情の変化を感じたり、風景をイメージしたり、各人各様の様々な感動を覚えることが出来るのは、我々の・・「内面・こころ」の働きです。

 この世界では物質がきっかけとなって様々なこころ模様を自在に描き出し、更にはそれを調律することを学んでいるといえるでしょう。様々な存在たちの意識・こころで発する音楽、それが無限宇宙の一大シンフォニーなのです。

 この内面の精神の働きというべきものを、ことさらに物質科学的に分析しようとする事自体、大きな誤りがあるのです。数値で表わすべく?その心を分解し、またその働きの起因を、肉体物質レベルでの化学作用に「求める」事自体が、「こころ」「意識作用」から逸脱していることに気がつくでしょうか。あくまでも物質形態に己を特化しようとする試み以外のことはありません。なるほど、確かに、本来自由自在な「魂」であればこそ、そのような奇跡も演じることが出来るのも、まさにこの地球という次元のおかげなのでしょう。

 我々の想念・感情は物資レベルから起因しているものではありません。こころ・すなわち、その時々のレベルでの意識作用が、素材・物質表現をすることで、その因たる己の意識作用をフィードバックして見ることが出来る、観察することができるのです。

 しかしながら、世間の常識的反論として?そのような事も、肉体があればこその「感動」ではないか・・と言いたいものですが、気をつけるべきは、そのこと自体の中に、もう既に三次元的観念、物質偏重の「観念が先行」してあることなのです。

 

●内面という領域の「こころ」の振動波

 精神活動に伴う、想念という我々の「こころの発する波動」も、しっかりと内面で知覚されています。例えば、1つのりんごのイメージを頭に描くのはそう難しくありません。その内面といわれる領域で見える明らかなりんごのイメージは、通常は肉眼で見える物質レベルにダイレクトに現われてはいないように見えます。それは、イメージの世界だけのものと考えるでしょう。しかしながら、テレパシー現象では、その内面のイメージが他の人の内面のステージにそのまま転送されるのです。不慣れな人では不明確な伝わりかたとなるのは当然です。自転車にしても車の運転にしても、慣れていなければどうしようもないのは全く同じことです。

 思ったことが現実化している世界にまさにいるのですが、そのこと自体に無意識であるために、気付いていない人々が多いようです。例えば、今日は出かけよう・・という想念がなければ、出かけることもないし、腹が減ったので飯を食おう・・という気がなければ、飯を食う事もないでしょう。・・そんなことは当たり前じゃないか・・これは上っ面でしか見ていない無意識の状態を示しています。

 我々は意図がなければ何事も生まれない世界に生きているのです。単に肉体を動かして行動しているだけの事なのに、何を言っているのか?・・とも思うことでしょう。我々は、いつもいつも変わり映えのしない思考や感情を繰り返している為に、それに気付けないのです。

 我々は物質の1つであり?、この巨大な宇宙の中の一片である?・・という漠然とした信念体系に自らの意識を投入していたということなのです。こころの牢獄は自らの信念で創るものです。世界や世間や他人のせいにすることは出来ません。縛りは「観念」の中にあります。

●三次元レベルの波動に同調している意識:顕在意識

 我々の存在するのは波動を元にした世界であることは大方の感じているところでもあります。この地球という時空圏を構成する世界は、波動の干渉、同調等の特性から生じるところの「周波数帯域という、飛び飛びの階層」があることに気付いている人も多い事でしょう。

 波動帯の「階層」構造の有り方は、電磁波での通信においても、間接的ながらも説明可能でしょう。この周波数帯域という存在形態は、実に腑に落ちる使い方ともいえるでしょう。TVなどの周波数帯は、電磁波の30~300MHZの振動域にあります。その振動域は周波数の違いによって、全く異なる各チャンネルの番組共存が可能なのはお分かりでしょう。周波数がほんの少し違うだけで、他チャンネルとは一切相互関係の無い独立した映像・音声・振動などを表わすことが出来るのです。

 我々のボディの一番の外皮であるこの肉体は、そのような三次元立体ホログラムの世界と接する窓口のようなものなのです。肉体という「窓口」には五感という刺激、波動情報が毎瞬飛び込んできているということです。我々の毎日はこのように行なわれています。

 繰り返しになりますが、「階層」構造は、住み分けであり、「同時に、かつ、一切所に存在する」ことの出来るあり方です。また、それらの階層の違いの根本要素は、その世界の究極素材というものの「振動数」「周波数」「振動密度」で規定されうるものでしょうか。振動数が違う帯域は、まったく違う世界と認識し知覚されるものなのです。我々の経験則で言えば、当然ながら1つのチャンネルだけを見ていれば、マルチ画面でもない限り?他のチャンネルは見えるわけもありません。

 突き詰めて言わせてもらえば、同じ「空」(くう)の中に現われるものでも、その波動の密度、周波数?の違いだけがその多層世界を分かつ境界ということになります。

 

●地球の存在周波数帯

 我々を取り巻く地球時空圏は大雑把に分けて、物質世界、霊界、天界という階層があるとも云われています。それらの3界のあり方は、隣接するが干渉しあわない「周波数帯域」どうしと言う事が出来るのではないでしょうか。それらは、我々の意識の拡大度、理解度に応じて同調が出来る世界と考えられます。発現意識の周波数に同調する世界ともいえるかもしれません。

 今生きている・・という意味は、我々の意識が単にこの物資世界に大枠で同調しているということです。また、死という状態では、我々の外側の肉体が外れることで、当然ながらその物質世界からの同調が外れることになりますが、いわゆる死んだ後は、通常はまず、隣接する世界、霊界といわれる世界に行く(同調する)ことになるものです。例えば、NHKチャンネルばかりを長年見ていた人が、番組終了と同時に、いつの間にかNHK教育チャンネル?に同調する時期が来るようなものでしょう。泣き叫んで執着したり、逆に忌み嫌ったりするようなものは、実のところどこにもないのです。変化を怖れるこころ自体が、いつのまにか執着というものに「変化」しているだけかもしれません。

 話は逸れますが、黒澤明の「夢」という映画も、その世界で本来あるべき素の生のあり方を表現したものではないかと思います。我々の世界、一見しっかりしたような世界こそが、実は実体の希薄な、刹那の「夢の世界」ということのようです。

 

●R・モンローによる意識階層の説明

 隣接する多層世界に関しての説明は、今の時期では、前世紀のR・モンローが発見・体験したフォーカスレベルが、最も適宜ではないかと思います。ヘミシングを編み出したモンローが繰り返し行なったのは、「体外離脱」とも言われていますが、彼の偉業は、物質的に生きている状態の中で、その「肉体観念を外した状態」を作り出し、この地球圏の諸階層を探検したものとも言えるでしょう。地球を取り巻く多層世界の情報は、スエーデンボルグも含め、その他の多くの覚者等の記録も数多く伝えられているものです。しかしながら、最も偏狭な科学万能という信仰世界にあって、誰でも再現可能な方法をもって、現代人にもわかりすく提示しえたその偉業は賞賛されてしかるべきでしょう。

 フォーカスレベルを移行する意識状態になると言うことは、例えていえば、TVの前に座っている人が、1つのチャンネル映像に完全に没入していた状態から、その他の各チャンネルをある程度も自在に切り替えて楽しめる段階に至ることであるということです。そこには、TVドラマの中に完全没入している自我でなく、それを観ているところの、より高次の自己が、TV映像の「前にいる」ことに気付いた段階であるといえるでしょう。

 

●睡眠は肉体意識が外れている状態

 もっともヘミシング等に因らずとも、霊界・天界など、実は我々は睡眠中等に頻繁に訪れているのですが、あまりにも現実界に意識が集中している為にそれを憶えていないものです。 まさに、心、ここにあらざれば?何を見ようと視野に入らないような状態は、誰しも経験していることでしょう。

 睡眠中の脳波測定では、レム睡眠・ノンレム睡眠などの分類があります。また脳波の周波数等に応じて、α、β、θ波なども測定されています。ただ、それらの脳波情報はそれ以上の解析は行なわれていないようであい、そこがいわば物質世界と内面世界との臨界を示しているものでしょう。あくまでも物質世界でのデータは、肉眼で見える電位の観測データでしかありません。今の所その波動の中身の意味は、うかがい知ることが出来ないようです。

 多層世界・多次元世界への同調に、我々の脳が介在していることは、へミシンクでの左右脳の共鳴方式でも十分理解出来るのですが、実は、脳自体がそれを作り出しているのではなく、脳は、共鳴箱のような働きを通しての、多層、多次元世界に同調しながら、今我々がフォーカス(意識集中)しているこの三次元世界への「翻訳」を行なう機能をもっているといえるでしょう。我々の使える高度な「共鳴・翻訳装置」と言ってもいいかもしれません。

 

●夢には多層界の情報がある

 超常的な意識経験のようなものがある人や、意識的に注意深い人等は、夢にも各階層の意識状態があることがわかると思います。睡眠中に得られる色々な情報は、顕在意識の知識をベースに組み立てられ、あくまでも起きている意識状態による知識に基づいて翻訳されているのですが、顕在意識の知識や理解度があやふやである程度に応じて、夢の内容もあやふやなものになるようです。

 我々が思っているようには、夢体験自体はあやふやではなく、その不明確さは、それを解釈する顕在意識のフィルターに原因があるものです。対象が自体があやふやでなく、それを知覚する我々の意識状態の方ががあやふやであるのが事実でしょう。

 確かに、万事、何事においても、我々が意識を集中しそれを知覚しようとしなければそれは現われようがありません。例えば、催眠術をかけられて、ある特定の人が見えませんよ・・などという暗示を受け入れた場合に、実際にある特定の人が目の前にいたとしても、どういう具合か、暗示どおりに、その人がいたとしても眼に入らない・・というような催眠実験の話なども良くあるものです。

 自ら、意識的にそれが「有る」と思わなければ、そのとおり現われ出でない有様は、まさに宇宙創造と同じ雛形を有する人間存在ならではの業(わざ)ということも出来るでしょう。

 

●肉体を持ちながらもそれを客観視するレベルへ

 肉体を持ちながら、肉体観念を外す・という行為は、我々の本来有する多次元的な広大な意識の視座からこの物質世界を眺めると言う行為であり、より客観的な観察行為であるともいえるでしょう。これは古来からの悟りや解脱という意識段階に酷似しています。世界にあっても、世界に属してはいけない・・という古(いにしえ)の先達の自覚も同じ意識段階と言えるかもしれません。

 

●現界・いわゆる三次元世界

 物質界は、我々がそうと信じているとおりの物質偏重の世界、いわゆる縦・横・高さで計量される世界であり、三次元といわれる世界であり、いまのこの地球表面に現われている文明世界と、それを取り巻く自然界を観ている我々の観念世界のことです。

 そう、いまあなたや私たちが毎日起居し生活しているこの世界のことです。外側の肉体はちょうど我々が知覚し、認識しているとおり、まず肉体をベースにした世界であり、その肉体は、物質レベルの原子・分子・細胞で構成されており、五感という物質レベルのある一定の振動波を感受することが出来るのです。我々人類の集合意識的な総合観念がまさにそう思っているとおりでしょう。

 この現実世界・三次元世界に関しては、十分に理解されている人も多いと思いますが、今大切なことは、この次元世界の有り様とその意味付けを、自分の内面で理解し納得することが出来るかどうかなのではないかと思われます。納得できないならば、まだ十分な体験学習がされていない?と自分自身で思っているかもしれませんし、あるいは、単に執着や恐怖がまとわりついており、それを達観することが出来ないだけかも知れません。

 

●霊界・いわゆる四次元世界?

  三次元世界は、その現われた物質を主に観念の中心としている世界と言っても良いかも知れません。やはり物質偏重を特徴とする世界です。

 物理学等でいう「縦・横・高さ+時間」の四次元とは概念が多少異なるものです。相対性理論等で説明される四次元とは、XYZ座標で表わす「空間」と、それが歪んだ形態である「物質」原子も、元は「エネルギー」であり、またそれは「時間」とも相互変換されると言うことでしょう。 絶対空間・時間などは存在せず、物質・空間・時間も、全てエネルギーを経由して相互に転換するものであるということです。我々の物質世界を、あくまでも五感で観測可能な四元要素にまとめたものといえるでしょう。前回の記事のように、この物質世界には光の壁があるのです。またエネルギー自体も眼には見えない概念として残されています。

 翻って、霊界といわれる世界は、我々のボディのうち、肉体という最も外側の「スーツ」を着ていない状態の世界です。単にこの物質偏重観念が外れた世界であり、眼に見えないエネルギー?及び意識体(高次ボディ)が主体となる世界ともいってもいいでしょう。エネルギーは意識によって生じているという事が、まのあたりになる世界であり、そうであればこそスピリットの世界や、「霊界」といわれるようです。所謂「こころ」が主体となる世界であると言ってもいいものです。物質世界はその意識の創り上げる世界の内、一番外側・表皮にあたる世界ともいえるでしょう。

 三次元世界での肉体・物質レベルの振動波を感受するように、肉体以外の高次のボディによって同調する振動波を感受する世界とも言えです。物質レベルよりもさらに精妙であり、こころ・意識の内容が極めて容易にフィードバックできる世界とも言えます。一層分、根源に近い領域かもしれません。

 この霊界では、こころの状態が極めて柔軟かつ直接に現われる傾向をもつ世界、より意識的な世界ですが、やはり意識作用たる「こころ」を投影する為の「素材」がしっかりと存在しています。決してフワフワでなく、三次元よりも極めて緻密でリアルな世界ともいえるでしょう。

 実のところ、物質世界においてこそ、「こころ」の鍛錬をするようになっています。それにも係わらず、今の物質文明の心のなさは異様であり、それは、鍛えるべき「こころ」を観測対象外と称して外した故のことでしょう。本末転倒が局限まで行けば、そのあり方の意味が失われてしまうのは、自明の理なのではないかと思います。

今の三次元世界は、まさに、こころ、ここにあらざる観念の刹那の世界と言って良いのではないでしょうか。

 勝手ながら、霊界なるものの一つの側面として、例として下記のサイトにある記事を引用したいと思います。「ブルーアイランド」という物語ですが、ご存知のない方がおられれば、ご覧になっていただくのもよいと思います。(なわふみとさんのサイト)

 http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/blue-island.html

●天界・いわゆる五次元世界?

 一般通念で天界といえば?・・神さまがいて・御殿があって?・・・・云々のイメージがあるかも知れませんし、ギリシャ神話や、様々な宗教などでかもし出される神々や仏達のイメージを彷彿とされる人もいるでしょう。

 ここで言う天界といわれる世界は、この地球圏に属してはいるものの、物質の質量観念によって生じる重い領域からすれば、遥かに「外淵」にある世界といえます。階層で言えば地球圏で最も周波数の高い意識レベルの振動波で構成された階層とも言えるでしょうか。 この世界はこの地球の重力圏や、意識的な観念の束縛から自由なレベルの振動波で構成されているようです。

 顕在意識において、意識的にこの世界の振動に共振することが出来る存在は、それが究極の有り方ではないとしても、少なくとも物質レベルからは自由自在であり、その意味でより高次の意識レベルにあるとも言えるでしょう。

 この天界は、さらに広大な世界や宇宙との自由な行き来が出来るプラットフォームともいえるのものです。スピリチュアルでいわれる5次元の世界といってもいいでしょうか。

 モンローの書や坂本政道さんの本等によれば、ここには様々な宇宙存在達の集合 (ギャザリングと言われている) もあるようです。

 

●天界は多次元世界の出入り口

 この階層は、地球圏という、いわば「すり鉢状の階層」の、遥か上の階層であり、地球時空圏以外の諸世界とあるレベルにおいてフラットな関係の階層であり、例えば銀河系やその他の次元世界との行き来等もより容易になっているようです。モンロー研のいうフォーカスレベルで言えば27-35あたりでしょうか。

 また、ここではこの地球圏の維持運営をする意識存在達?大勢いるようであり、我々への影ながらの指導や助言、ケア等も行なわれています。もっともある意味で、我々というのは、彼らにとって見れば親の心子知らずみたいな存在でしょうか。また、言葉を変えて言えば、我々は、管理人の苦労をあずかり知らぬここ地球というテーマパークの観客であり、その体験に熱狂しているようなものかもかもしれません。

 また、世間で言う「宇宙人」などという概念にも、しっかりと手垢がついており、おどろおどろしい恐怖や不安を持つ人もいるかも知れません。あるいは、そんなことにも気付けない人々すらも多いと思われますが、 実は、この地球生命圏に入ってきた (同調した)我々の多くが、この上位の階層から各自の「魂」を投影し、ここ地球での体験を希望して「すり鉢」の中に降下してきたもののようです。また更に上位の階層は、歴史上の偉大な教師が現われてきたところとも考えられます。

 これは次元降下といえるでしょう。また、次元降下は忘却の約束をともなうものです。そうでなければ、降下の意味がないことも理解出来るでしょう。そこでの体験を有意義にする為に、身ぐるみ全てをロッカーにしまって?入るようなものかも知れません。どのような偉大な教師も、かつては忘却の淵から目覚めてきたのです。これが地球という三次元劇場の共通のルールでもあります。

 

●地球の特異な体験学習システム

 地球時空圏という、すり鉢構造体の中において、転生というドラマを、現実界と霊界の間で行き来しながら演じているのが現状でしょう。もっとも、そのような様々な体験をしている事すらも忘れているのが今のあなたや私たちの現状でしょう。また、自己自身を思い出すまでの経験と認識を再び得ること自体が、この地球時空圏での1つの得がたいテーマでもあるです。なにか思い当たるふしはないでしょうか?

 模擬的に一から体験することが出来るのが、この地球生命学園のテーマの1つでしょう。一から得られた体験を叡智として、すり鉢を再び自力で上昇する約束の元、今の我々がここにいるのが真実と思われます。これが1つ、いわば宿題といえばそのようなものでしょうか。

 物理世界で地球「重力」として現われている引力は、別側面から見れば、この多次元の地球という世界を、1つの時空圏として維持している親和の法則の顕現でもあります。すり鉢を這い上がるといっても、この物理的な重力を、ロケットを使って克服しただけでは、三次元での近傍を探査することだけのことであり、本来の次元克服にはならないでしょう。我々は魂であり、多次元的でありまた無限の可能性を秘めた意識体そのものであるからです。

●我々は意識的世界にある事実に気づくこと

 この三次元といわれる世界において、意識が先で物質素材はその後に来ることが理解出来るならば、我々はその作用を生じさせる「こころ」をまず第一に考えるはずなのです。想念が時間空間を越えた働きをすることが理解出来れば、また一切所に偏在する波動であるという直覚知を得るならば、まず何をおいても我々にある「こころ」の調律を行い、そこから出でる想念を無限の可能性の方向に開花させる楽しい創造努力を行う事になるはずです。

  昨今のスピリチュアル情報や物理的異変情報も含めて、この地球自体の変容と思しき変化が数多く現われているようですが、当然ながら、進化や変化が行なわれるのがこの森羅万象・多次元宇宙の1つの法則です。地球自体も巨大な意識であることを考慮すれば当然のことのように思われます。

 この地球生命圏に参加しているところの多くの意識存在が、こころ・想念の浄化と発展の方向性に気付けば、現実世界、霊界、天界などというカテゴリーの枠はそれほどの意味がなくなることでしょう。またそのような周波数帯域は統合され、新たな1つの広い意識帯域として出現するに違いありません。

 (つづく)

0042

本日も拙い記事をご覧頂きましてまことにありがとうございました。