『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

老人本

2022-05-22 09:01:00 | 
今年の12月で
いよいよ
"公式"高齢者入りするので、
贔屓にしてる三婆
(曽野綾子/佐藤愛子/瀬戸内寂聴)
の著書を読んでいる。

寂聴さんは
百の齢(よわい)に達せず
鬼界の人となったが、
残った二人は
まだまだ快気炎を吐いている。





曽野綾子の新刊書が
アマゾンから届いたが、
数社に並行して
エッセイを連載しているからか、
他社から出た別本の内容と
全く同じで、また、ボケて
同じもん買っちまったか・・・と、
書棚を見たほどである。

考えてみりゃ、
90歳にもなる老人の生活に
そんな変わりがあろうはずもなく、
考え方も同様に
似たようなものである。

それでも、
自称・駄々羅なクリスチャン
という
曽野さんの箴言めいた
フレーズが好きで、
今回も、どこかで
見た記憶のあるような言葉が
目を惹いた。

【人生は解かっていて
 生きるものじゃない。
 解らない答えを見つけようとして
 生きているものだ】

【天下の秀才ほど
 人生が不可解である事と
 自分の不明に耐えられない】

【ネコは眠って起きて食べて、
 アクビをして背伸びして、
 また眠って起きて
 アクビと背伸びをして、
 みごとに生きている】
 







公式高齢者に近づき、
二日続きの勤務日の
翌日のオフは、
外出もせんと
駄々羅に寝床をカウチにして
日がな一日、読書したり
足元のテレビでYouTubeを見て
過ごしている。

その際、
左オシリ痛の対策として、
クッションを右側に寄せて
左側を宙に浮かせている。

それでも、
痛くなる時はあり、
ストレッチをしながら
やり過ごしている。








郊外に車で散策に出ると、
ついつい「書」の手本用に
石碑を撮影しては、
プリントして書室に貯めている。

松平知事の
行書による『慰霊碑』は
なかなかに達筆で、
臨書してみたくなった。











しばしば訪れる
「板倉神社」の
寺号も立派な楷書である。







保育園の
親子イベントで、
京都太秦の「映画村」に
行ってきた時の写真を
ミカちゃんが送ってくれた。

時代劇セットの中での
リク坊の生き生きとした表情が
京都生まれのフミパパの姿と
ダブッて見えた。



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