『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

心穏やかに…

2020-04-24 04:35:00 | 風景

岡江 久美子が
亡くなった。

カミさんと同い歳なので、
カミさんもショックだったようだ。

乳がん手術後で
免疫力が低下していたのでは
と言われている。

いつまでも
若々しく美しかったので、
コロナは人を選ばず…
という思いがした。




名優の久米 明も
亡くなられたが
96歳のご高齢であり
大往生のようだ。

最近まで『鶴瓶の家族に乾杯』の
ナレーションをされていたので、
まだ、その素晴らしい声が
耳に残っている。

氏の朗読は天下一品で、
夏目漱石の『門』や
国木田独歩の『武蔵野』など
何枚かのCDがあり
折々に聴いている。





家のご神前に
玄関の室礼用道具類を
揃えてある。

在京中から35年ほど、
毎月、玄関の室礼を変えるのを
「茶人」としての
修行の一つとしている。

また、
京都、吉倉、清水町、
現住まい…と、
どの家でも茶室があり、
その室礼もやってきたので、
35年×12月×2ケ所だと
840回もやってきた。

されど、
9歳から始めたギターの
365日×53年の
19.345回に比べたら
大したことではない。

「継続は力なり」で、
室礼は道具組と空間配置の
センスが養われるから、
自宅を含めて24ケ所もの
カウンセリング室の整備にも
自ずとその感性が生かされてきたと
思っている。

こう言っては何だが…
新任校に着任するたびに、
前任者の室内センスのなさに
呆れ驚くことが多い。

こんな部屋で
カウンセリングようせんし、
よう受けんわ…と、
思うことがしばしばである。

ただ単に小奇麗なのと、
居心地がいい、
センスがいい…のとは、
雲泥の差がある。

寂しすぎても難だし、
過剰すぎても野暮っちい。

ことに、
カレンダーやポスター類が貼ってあったり、
ホコリだらけの造花があるような処は
ぞっとしない。

それだけで、
主(あるじ)のセンスが疑われる。

ならば、
ミニマリズムに徹して
何もない部屋に
肉筆の絵が
一枚あっただけのほうが
100倍も“本物”らしい。

室礼の学習には、
洋画や外国ドラマを観るたびに、
部屋の素敵なレイアウトを
よっくと観察することにしている。





きのうは
家の不要本を100冊ほど搬入して
T中のカウンセリング室整備が
ほぼ完了した。

心理学の専門書以外にも
読了した小説類や
各ジャンルのを一緒くたにして
書棚に並べて置いたら、
国語科の先生がそれを見られて
「いろんなジャンルを
読んでおられるんですね」
と驚かれていた。

それから、
坂口安吾を卒論に書かれたというので、
『堕落論』や『白痴』の話から
いろんな文学談義ができて
楽しかった。

時折、本を読まないという
国語科の先生もおられて
驚くことがあるが、
どうやって文学の面白さを
生徒に教えることが出来るんだろう…と、
首をひねりたくなる。

もっと驚くのは、
音大でピアノばっかやってきたという
音楽科の先生が、
ギターが弾けないのはいいとして、
マーラーやブルックナーを聞いたことない、
というのにはマジびっくりした。

このシト(人)、
ドビュッシーの
『牧神の午後への前奏曲』も
知らなかった。

往々にして、
声楽・合唱派は器楽を知らず、
その逆も多い。

たしかに、
自分も合唱・声楽は
詳しくない分野ではある。

でも、音楽史全般の
常識的な名曲は
当たり前のように知ってるが
音楽の教師がそれを知らないというのは
不思議を通り越して
「ダッふんだぁ~ッ!!」である(笑)。

ヾノ・д・´) ァリェナィ



家の子ども部屋を
大掃除したときに、
彼らの小学生時代の物も
ごっそりあったので、
写真類は捨てられず、
「懐かしのメモリー」として
職場のデスク周りに飾っている。

保育園で字を覚えたばかりの
ナッちゃんには、
端渓硯で銘墨を擦り
「これでいいのだ」
と書かせ額装した。

きのうは、
この下にバカボンパパの
セル面を飾った。



カウンセリング室には
小黒板があるので、
さっそく心理・病理を説明するのに
活用している。

悩みや症状を傾聴している時よりも、
やっぱり、「心理教育」の
レクチャーをしている時のほうが
気が楽でいい(笑)。


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