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やることがないとか、面白くないとか言っていませんか?
世の中が面白くないですか?
でも世の中簡単に変わらないですよ。
じゃあ、どうすれば面白くなるのか。
自分が変わることです。
自分が変われば世の中が面白くなる。
養老 孟司
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棋士の対局姿勢は美しい。
盤を挟んで、互いに背筋をシャンとして駒をパチリと打つ。
ただそれだけの所作なのだが、そこに日本的技芸に通ずる美しさがある。
それは、茶の湯の手前にも似ていて、ただ釜から湯を汲んで茶を立てる、という簡素な所作が、熟達者になるほど円滑で無駄がなく、そして美しくなる。
カナリが驚いたのは、師匠のルーティンに、朝の体幹トレーニングがあることだった。
それも、早朝5時から数分の狂いもなく365日行われていた。
そのために六畳の一室にトレーニング・マシンも一揃いある。
棋戦は長くなると十四時間を超える。
日にちを跨ぎ深夜に及ぶことも珍しくない。
なので、体力作りはプロとして、アスリート並みに必須なのである。
そして、師匠はデヴュー来、常に全ての棋戦がテレビ中継されてきたので、観られる事、魅せる事、を普段から意識しているのだった。
なにせ、全国の少年少女の憧れの神的存在なので、背中を丸めて爺(じじ)むさい恰好は見せられないのである。
そのプロ精神に感化され、起居を共にするカナリも、師匠に追従するべく肉体改造のトレーニングに共に加えていただいた。
さらに驚くべきルーティンがあり、なんと、トレーニング室の隣には、畳敷きの何もない四畳半があり、そこで奥様がお香を焚かれ、師匠が半時ほど結跏趺坐の姿で瞑想されるのである。
カナリも勧められて真似してみると、対局の正座とは違った足組をするので、五分もしないうちから痛みを覚えるようだった。
しかし、これもまた、メンタルトレーニングには間違いなくなる、と納得して座禅スタイルを体得せんと、日々、師匠に従った。
将棋以外に、体幹も心幹も、365日鍛えている師匠が、何ゆえ「絶対王者」と呼ばれるのか、また、「棋神」とも崇められるのか、カナリはその秘密を垣間見たような気がした。
師匠は、中二のデヴュー当時から、足が速く運動も得意、というのが知られたプロフィールだった。
また、進学校の附属中高生でもあったので、勉強も出来たに違いない。
その天才ぶりを取材した本によれば、幼稚園の頃、小学生の兄がやっていた掛け算の「九九」を、自分独自の法則性を見出してマスターしたという。
(・・・・・・)
カナリはその一文を読んで、どんだけ神童なの・・・と、呆れもした。
かつて、レジェンドと言われたヒフミンは、プロ・デヴュー後29連勝した師匠を評して「努力する天才」と言った。
それを聞いて、並み居る棋士たちは、天才に努力されちゃカナワナイ・・・と、思ったはずである。
カナリも、それらの棋士たちの気持ちがよく解かる気がした。
しかも、同居していればこそ、さらにその事を再認識させられた。
最先端のAIをも撃ち破る「異星人」とのネット評もあり、師匠が登場してから「AI越え」「神手」という造語まで飛び出し、それは他の棋士に使われることはなかった。
自作パソコンのバージョン・アップも然りで、世間でモンスター級マシンを創ったと騒がれても、更にその上を目指してまた創る、というのは並みのアタマの持ち主には出てこない。
自分は、トンデモナイ「将棋星人」に拾われ、教えを乞うているのだ・・・と、単に、僥倖とばかり浮かれていられないと自分を日々追い詰める何かがあった。
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