新しく生まれる

 「ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎にはいって生まれることができましょうか。」
 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。
 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
 あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。
 風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」(ヨハネ3:4-8)

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 イエスとニコデモとのやりとり。

 新しく生まれる、という概念が全くの初耳であるニコデモは、「老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。」と切り返す。

 アダムの違反以来の罪の肉から人間が救われるためには、人はどうしても新しく生まれなくてはならない。
 だがそれは、もう一度子宮の中に入って生まれ直すといった、いわば肉による生まれ変わりによってではない。第一、そんなことはできない。
 キリスト・イエスを媒介として、神によって生まれ変わるのである。

 神はあたかも風のようなもので、どこにでもあるのだが、どこから来てどこへ行くかがわからず、つかみようがない。
 その神をつかまえるのではなく(そんなことはできない)、その神の恵みに捕らえられて初めて新生を果たすのである。
 人間はどこまでも受け身でしかない。

 すべての人は、肉として生まれる。
 そのまま肉であり続ける人が大多数である中でも、御霊に捕らえられることによって罪赦され、神の国に入ることができるのである。
 「神の国に入る」というのは、人間の肉が持つ最も根源的な恐怖、「死んだらどこへ行くのだろう」ということからの完全な解放なのである。

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