イエス・キリストの十字架、復活、そして「いのち」にあずかるということについて
平成隠れキリシタン
本当のくに
「この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。
この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。
しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」(ヨハネ1:10-13)
---
世はイエスを知らなかったし、イエスがいらしてからも、世はイエスを知ろうともしなかった。
だがそれでも、イエスの御名を信じることのできる人はいる。
信じようとしてそうなる類のものではない。
イエスによっていやが上にも信じさせられるのである。
例えばサウロ(パウロ)がそうであるように。
このような人が、神によって生まれた人だ。
もとは血に基づいた、肉の欲求や人の意欲による出自なのであるが、神によって新生したのである。
イエスが創った世は、アダムの違反を通してイエスを十字架にはりつけてしまった。
(逆に、イエスが来られたのはそのためである。)
イエスの本当の御国、第二のエルサレムこそ、新生した人が胸に抱く希望なのである。
---
よろしければクリック下さい。
ブログランキングへ
この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。
しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」(ヨハネ1:10-13)
---
世はイエスを知らなかったし、イエスがいらしてからも、世はイエスを知ろうともしなかった。
だがそれでも、イエスの御名を信じることのできる人はいる。
信じようとしてそうなる類のものではない。
イエスによっていやが上にも信じさせられるのである。
例えばサウロ(パウロ)がそうであるように。
このような人が、神によって生まれた人だ。
もとは血に基づいた、肉の欲求や人の意欲による出自なのであるが、神によって新生したのである。
イエスが創った世は、アダムの違反を通してイエスを十字架にはりつけてしまった。
(逆に、イエスが来られたのはそのためである。)
イエスの本当の御国、第二のエルサレムこそ、新生した人が胸に抱く希望なのである。
---
よろしければクリック下さい。
ブログランキングへ
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )