何を求めているのですか

 「その翌日、またヨハネは、ふたりの弟子とともに立っていたが、
 イエスが歩いて行かれるのを見て、「見よ、神の小羊。」と言った。
 ふたりの弟子は、彼がそう言うのを聞いて、イエスについて行った。
 イエスは振り向いて、彼らがついて来るのを見て、言われた。「あなたがたは何を求めているのですか。」彼らは言った。「ラビ(訳して言えば、先生)。今どこにお泊まりですか。」(ヨハネ1:35-38)

---

 バステスマのヨハネがイエスについて「見よ、神の小羊。」と言うと、二人の弟子(うち一人はアンデレ)がイエスについて行く。
 この二人の弟子は、もともとはヨハネについていた。
 そのヨハネの言によりヨハネのもとを去って、どこの馬の骨とも知らない全く無名のイエスの下に来た。
 イエスは言う。「あなたがたは何を求めているのですか」。

 二人の弟子が求めていたものは、ひとことにしてしまうと救いであろう。
 ただ、救いとは何か、というのは、分かっていなかった。
 そしてヨハネのもとでは、自分の欲しいものは得られそうにないという予感があったのかも知れない。
 この二人は本物を求めていたとも言える。

 イエスの与える救いは、極刑の十字架に死んでアダムの肉を断罪し、神の恵みによりよみがえっていのちを得る、そういうことである。
 この本物のいのちを多くの人に与えるために、イエスは来られた。

 二人の弟子は当時、そのようなことは思いもせずに気楽に宗旨替えをして「あなたがたは何を求めているのですか」と言われてしまうのだが、結果的にはより正解に近かった。
 アンデレを含む二人は、イエスの与えるいのちをいただいただろうか。

---

 よろしければクリック下さい。
にほんブログ村 哲学ブログ キリスト教・クリスチャンへ ブログランキングへ

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )