神殿

 「そこで、ユダヤ人たちが答えて言った。「あなたがこのようなことをするからには、どんなしるしを私たちに見せてくれるのですか。」
 イエスは彼らに答えて言われた。「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。」
 そこで、ユダヤ人たちは言った。「この神殿は建てるのに四十六年かかりました。あなたはそれを、三日で建てるのですか。」
 しかし、イエスはご自分のからだの神殿のことを言われたのである。
 それで、イエスが死人の中からよみがえられたとき、弟子たちは、イエスがこのように言われたことを思い起こして、聖書とイエスが言われたことばとを信じた。」(ヨハネ2:18-22)

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 ユダヤ人が言う「このようなこと」とは、イエスの宮清めのこと。

 神殿とは、そもそもどのようなものであろう。
 神を礼拝する場所だろう。
 単に礼拝する、というよりも、神に各種捧げもの(罪のためのいけにえ等)をささげる場である。
 ヘロデ大王が四十六年掛けて建立した神殿は、しかし、神を礼拝する場所としてふさわしくなかった。
 捧げものを売る商人や両替商が、おそらくはサドカイ人のような宗教支配階層と癒着して、宮中で堂々とコンビニエントな商いを営んでいたのだ。
 そこまで腐敗した世にイエスが来られたことにもまた、意味がある。

 腐敗の象徴のようなこの神殿は、神の礼拝のためには壊してしまって一向に差し支えない。
 その代わりに、イエスは「自分のからだの神殿」というものを三日で築き上げた。
 この三日とは、十字架に死んでから復活するまでの三日のことである。
 イエスの十字架と復活を受け入れることのできる人にとって、このことは神からの罪の赦しによる解放である。
 解放されたので、もはや毎年ことある事に捧げる必要のある捧げものをコンビニエントに入手して捧げる必要はない。

 「わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」(エレミヤ31:33)

 このエレミヤ書の預言はイエスによって成就され、これからは内住なされる神を宿す人間がそのまま神殿なのである。
 そして、その人は「霊とまことによって」、その神殿で絶えず礼拝する(ヨハネ4:24)存在となる。
 神と人との間の垣根が、イエスによって取り外されたのだ。

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