裏切りのあいさつ

 「イエスがまだ話しておられるうちに、見よ、十二弟子のひとりであるユダがやって来た。剣や棒を手にした大ぜいの群衆もいっしょであった。群衆はみな、祭司長、民の長老たちから差し向けられたものであった。
 イエスを裏切る者は、彼らと合図を決めて、「私が口づけをするのが、その人だ。その人をつかまえるのだ。」と言っておいた。
 それで、彼はすぐにイエスに近づき、「先生。お元気で。」と言って、口づけした。」(マタイ26:47-49)

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 ユダはイエスに「先生。お元気で。」と言って口づけする。
 この人がイエスだ、という合図を仲間に送るために、口づけが採られた。
 口づけというのは多分、ごく一般的なあいさつのしぐさ。

 それならユダは、黙って口づけさえすればよかったはずだ。
 だが、ユダはイエスにことばを掛ける。
 「お元気で」(新改訳聖書)は、口語訳では「いかがですか」、新共同訳では「こんばんは」、英語の各聖書も様々だ。古代ギリシャ語原文では "chaire " だそうで、これは最も一般的な挨拶語なのだそうだ(岩波の新約聖書より)。

 黙って口づけをしさえすれば裏切り行為は完結する。
 だが、イエスを前にして何か言いたくて、しかし言葉がみつからず、結局ごくありふれたあいさつの言葉しか出なかったのだろう。
 イエスを前にしたユダがほんとうは何を言いたかったのかは、全くの謎だ。

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