イエス・キリストの十字架、復活、そして「いのち」にあずかるということについて
平成隠れキリシタン
礼服
「そのとき、王はしもべたちに言った。『宴会の用意はできているが、招待しておいた人たちは、それにふさわしくなかった。
だから、大通りに行って、出会った者をみな宴会に招きなさい。』
それで、しもべたちは、通りに出て行って、良い人でも悪い人でも出会った者をみな集めたので、宴会場は客でいっぱいになった。
ところで、王が客を見ようとしてはいって来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない者がひとりいた。
そこで、王は言った。『あなたは、どうして礼服を着ないで、ここにはいって来たのですか。』しかし、彼は黙っていた。
そこで、王はしもべたちに、『あれの手足を縛って、外の暗やみに放り出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ。』と言った。
招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。」(マタイ22:8-14)
---
イエスのたとえ話。長いので途中から。
宴会に招待していた人たちは、どうにもそれにふさわしくなかった。
それで、「良い人でも悪い人でも」誰かれ構わず宴会に招待した。
ところがいっぱいの宴会場の中、「婚礼の礼服を着ていない者がひとりいた」。
婚礼の宴席といえば、礼服である。
礼服が、婚礼にはどうしても欠かせない。
王の問いかけはこの人にとっては拷問のようで、ひとり暗やみに投げ出される。
「招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです」。
この宴会は天の御国のことであり、もとから招待されていた人々も含めて、良い人も悪い人も実にたくさんの人々が招待されている。
だが、どうしても欠かせないものがないために漏れ出てしまう人もいる。
イエスが仰るには、選ばれる方が少ないという。
天の御国にどうしても欠かせないもの、それは十字架の信仰だろう。
---
よろしければクリック下さい。
ブログランキングへ
だから、大通りに行って、出会った者をみな宴会に招きなさい。』
それで、しもべたちは、通りに出て行って、良い人でも悪い人でも出会った者をみな集めたので、宴会場は客でいっぱいになった。
ところで、王が客を見ようとしてはいって来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない者がひとりいた。
そこで、王は言った。『あなたは、どうして礼服を着ないで、ここにはいって来たのですか。』しかし、彼は黙っていた。
そこで、王はしもべたちに、『あれの手足を縛って、外の暗やみに放り出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ。』と言った。
招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。」(マタイ22:8-14)
---
イエスのたとえ話。長いので途中から。
宴会に招待していた人たちは、どうにもそれにふさわしくなかった。
それで、「良い人でも悪い人でも」誰かれ構わず宴会に招待した。
ところがいっぱいの宴会場の中、「婚礼の礼服を着ていない者がひとりいた」。
婚礼の宴席といえば、礼服である。
礼服が、婚礼にはどうしても欠かせない。
王の問いかけはこの人にとっては拷問のようで、ひとり暗やみに投げ出される。
「招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです」。
この宴会は天の御国のことであり、もとから招待されていた人々も含めて、良い人も悪い人も実にたくさんの人々が招待されている。
だが、どうしても欠かせないものがないために漏れ出てしまう人もいる。
イエスが仰るには、選ばれる方が少ないという。
天の御国にどうしても欠かせないもの、それは十字架の信仰だろう。
---
よろしければクリック下さい。
ブログランキングへ
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )