人を汚す

 「そこで、ペテロは、イエスに答えて言った。「私たちに、そのたとえを説明してください。」
 イエスは言われた。「あなたがたも、まだわからないのですか。
 口にはいる物はみな、腹にはいり、かわやに捨てられることを知らないのですか。
 しかし、口から出るものは、心から出て来ます。それは人を汚します。
 悪い考え、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、ののしりは心から出て来るからです。
 これらは、人を汚すものです。しかし、洗わない手で食べることは人を汚しません。」(マタイ15:15-20)

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 「人を汚す」とは、その人がどうなることだろうか。
 イエスはここで、「悪い考え、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、ののしり」と挙げている。
 これらは要するに、律法の規定により違反とされたことがらである。
 人間の心からそういったものが出てくると、イエスは仰る。

 「口から出るものは人を汚す」というのは、人間の言葉はそれを聞く人を律法から遠ざける、つまり神から遠ざけるということだろう。
 だから「人を汚す」というのは、不潔になるとかけがれるという意味とも、また違う。

 そんな人間の言葉とは異なって、イエスのお言葉はひとつひとつが人を洗い清めるいのちの水である。

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