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北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

機械化・効率化が経済成長を妨げる~?

2014-07-27 21:03:47 | Weblog

 先週の7月23日付日経新聞の「経済教室」という紙面で、東京大学の柳川範之教授が、『供給能力の天井 克服を』というタイトルの記事を書かれていました。

 これからの経済の方向について書かれた記事ですが、内容のポイントは、
①日本は供給能力の限界が成長抑制する懸念
②IT普及で労働者が雇用の場を失う可能性
③新たな能力開発の仕組みと女性支援が重要、の三つでした。

 「景気」が「景気回復」と言われるのは、「景気は循環するもの」という捉え方があり、波のようなサイクルを描き谷になり底を打てばまた再び伸び始めるという考え方が背景にあるといいます。

 しかし現実には経済は単なるサイクルではなく、時代とともに一定の方向に変化しています。特に近年の先進国経済は、大きな構造変化に直面していて、回復しても元の場所には戻れない、と著者(柳川先生)は言います。

 日本でいうと、財政支出と金融緩和によって需要不足が回復し(物が売れ、モノが不足し)ているように見えますが、最近見えてきたのはどうやら供給能力の限界(=潜在成長率)が近づいているのではないか、ということ。

 政府はデフレ脱却を目指した経済運営を行い、どうやらインフレになりつつあるようですが、これが経済成長の結果なら良いけれど、経済成長を伴わない物価高にとどまるとなればこれは問題だ。

 そして経済成長を抑制させる要因が供給力不足なのだ、と著者はいいます。 

 
 では何が先進国の潜在的な成長を妨げているか、という問いに著者は、(1)機械との競争と(2)新興国との競争の二つの要因を挙げました。

 (2)の新興国との競争を先に例にとると、東アジアを中心とした新興国は成長率が高く、技術獲得のスピードが早く、生産力も製品の品質も向上し続けています。これが先進国の所得や労働環境に影響を与え、経済成長を妨げる要因となっているのです。

 そして私が気になったのは、(1)の機械との競争という単語。

 この意味は、社会構造の変化の中で効率化の名のもとに様々な労働が機械化され、労働者が不必要になっている側面のこと。

 つまり『人口減少への備え』→『効率化の必要性』→『機械化』→『労働者が不必要』→『雇用のミスマッチ』→『経済浮上せず』→『さらなる効率化』→…、というループに入り込んでいる可能性があります。

 つまり単純な労働は次々に機会に取って代わられて、それまでその仕事をしていた労働者は市場にあぶれます。

 あぶれた労働者が、社会が求める必要な労働に着いてくれれば雇用のミスマッチは解消されますが、社会が求める労働力とは語学だったり高度な専門知識だったりすると、それらを取得して移動できる労働者は限られてしまいます。

 より少人数でものが生産されるということは生産性の向上ということですが、それは余剰の労働者が他の労働に着けることを前提とした物言いであり、現実にはそれは困難で、労働者が人材として新しい活躍の場を見つけられる能力開発ということがもっとまじめに語られなければいけないだろう、と著者は言うのです。

 そのためには女性、高齢者の活躍が期待される、と著者は言いますが、どうしても女性や高齢者が担えない職種や場面と言うのは多いはずで、若者でなくてはならないところと、若者でなくてもよいところをうまく峻別するような社会システムはできあがるのでしょうか。

 またさらに「年齢や性別によって差別すべきではない」という「平等の概念」は適切な労働力の配分を阻害する要因になりはしないか、ということも心配されます。

 逆に、「女性にもっと活躍の場を」というスローガンが、敢えて女性でない方が良いところにまで女性を置かなくてはならないような不都合を生じたりはしないでしょうか。


 適切で正しい価値判断が政治家や社会のリーダーの中で行われないと、スローガンや教条主義が蔓延しかねない心配があります。

 日経の記事を読んで、老若男女にかかわらず、労働者が生き生きと仕事をしてお金を稼ぎ、日々を安定して暮らせるために何が必要なのか、もっと考えなくてはいけないと思いました。

 
 

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