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北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

炭鉱(ヤマ)の記憶は残せるか

2014-02-05 23:46:55 | Weblog

 今日開かれた都市地域セミナーに出席してきました。

 テーマは「産業遺産を生かした地域づくりを考える」というもので、基調報告としてお二人からお話を聞きました。

 一人目は都市景観大賞優秀賞を受賞した「炭鉱の記憶推進財団」の酒井裕司事務局長で、お題は『現状と空知地域における炭鉱遺産の課題、可能性』です。

 もう一人は北大観光学高等研究センターの西山徳明先生。先々週のふゆトピアでも講演をお聞きしましたが、今日もお会いできました。

 
 さて、1990年半ばに国の石炭産業は終了し、それにともなって、石炭で地域づくりをしていた空知地域は地域経営が難しくなりました。

 崩壊後、夕張赤平美唄、三笠などの地域住民が地域活動を始めましたが、当時はいくら頑張っても空回りだったり、大きなうねりにはなりませんでした。

 そこで2003年頃に道庁が中心となって、札幌の有識者の力を借りて隘路を抜けようとしたのですが、その有識者たちが1995年前後にエムシャーパークの資料を手に入れました。

 エムシャーパークとは、ドイツのルール工業地帯が石炭の衰退とともに地域が崩壊していたのを、国際建築博覧会を引っ張ってくるなど民間の力を結び付けて再生に成功した好事例と言われています。

 そうしたことがバックグラウンドとなって、空知地域に、「炭鉱(やま)の記憶推進事業団」が誕生したのです。


     ◆   

 酒井裕司さんの基調講演です。

 まず空知地域ではこれまでに7億トンの石炭が掘り出されたのですが、今でも年間1.8億トンの石炭が輸入されている実態。

 実は石炭はまだ日本にとって発電などの主要な資源なのですが、国内での採炭は役割をほぼ終えました。

 最盛期に空知地域には人口が80万人ほどいましたが、炭鉱の閉山とともに人口が減少。炭鉱関連ではない人口は減りませんでしたが、炭鉱関連はどんどん減少しました。当然ですね。


 
     ◆  

 

 さて、炭鉱産業は何を残したでしょうか。

 一般にいう炭鉱遺産としては、マチがあった時代に寺や神社、炭住、電気、橋や鉄道遺跡などのインフラを残しました。

 しかし「炭鉱(ヤマ)の記憶」とは、実は有形のものだけではなくて、祭り、食文化、風習なども含めたものと言えるでしょう。

 炭鉱が盛んだった時代には、炭鉱夫さんたちが三交代で坑内に入ったので、夜上がってくる人たちのためにオールナイトロードショウが行われていたなど、眠らない街でした。封切り映画は炭鉱町が一番に見られる時代でした。

 食の文化では焼き鳥、なんこ(=馬のホルモン)鍋なんてのが残っています。

 昔の時代は坑内で石炭を運ぶのは馬の役目。働いて死んだ馬は最後まで利用させていただく、そういう文化だったのです。

 
 炭鉱技術で培われたものを挙げてみましょう。

 まずは高速エレベーターの技術。炭鉱によくある高い立て坑からは、1000m以上も地下の坑道と地上を高速で移動する技術が培われました。

 ちなみに津軽海峡は水面からー240mのところを走っていますが、北炭幌内炭鉱の坑道はー1210mでした。

 ものすごく深い立て坑ですし、そこから地下に延長200km以上の坑道のなかで石炭を掘っていましたが、それに比べると、青函トンネルは58キロに過ぎません。

 深い坑道のために空調の技術も進化しましたし、何よりも北海道の開拓時代黎明期においては石炭を運ぶための鉄道網が日本でも指折りの速い時代に整備されました。

 岩見沢は当時東北以北最大の操車場だった時代があるのです。


     ◆  


 さていよいよ空知での活動ですが、実は炭鉱遺産は「保存することだけが目的ではない」と酒井さんは言います。

 炭鉱の記憶は資源ですが、それは技術・歴史・物語の知識・体験
といったような、見えない世界、時を伝えるということだと考えます。

 酒井さんは、エムシャーパークにも深くかかわったあるドイツ人から、「鉄もコンクリートもいつかは崩れてなくなる。モノがなくなっても、そこに活動、思いが残り、つながることが大切なんだよ」と言われたことを強く覚えているそうです。

 
     ◆   


 また酒井さんは、いろいろな計画を立ててゆくときに、残された遺産にランクを付けていて、ここの場所のこれは残したい、これはしかたがない、これは人が見られるようにという評価軸を作っていると言います。

 そうした拠点になっている所は、地域の人たちも見守りながら残すようにしている。

 結局資源が少ない中では「選択と集中」でしかやれないし、無理なところは記録だったり記憶だったりという違う形で残してゆきたいと思っている。

 

    ◆     ◆     ◆ 


 お話を聞いていて、やはりこういう志をどのような経済がサポートできるのか、というところが大きな課題だろうと思いました。

 しかもそれは単に大きなお金を獲得するということではなく、より多くの道民の共感を得た結果として資金が得られるという形でなくてはなりません。

 石炭と炭鉱は、それによって鉄道が引かれたり人口が移動して来たり、それによるマチの恩恵を子孫である我々が享受しているということ。

 もっとその恩返しを石炭にしても良いように思います。

 WAONで買い物をすると、その利用金額の一部が北海道遺産の保全活動に活用されるというシステムがあるそうです。

 私たちは持ち歩いているクレジットカードなどで多額のポイントがつきますが、例えばその一部を自動的にこうした活動に移動させるようなシステムができないものでしょうか。

 現金で100円を払ってもらおうと思うととても大変ですが、カードのポイントから100ポイントが引かれたところで、あまり痛くもかゆくもないでしょう。

 道民の共感を得て、そんな経済システムが導入されて資金が潤沢になるように祈りたいところです。

 酒井さんも事務局長を続けていて、とても山に関する背景知識が豊富でした。

 またいろいろ教えてほしいものです。

 炭鉱と山で培われた北海道の歴史を忘れるべきではありませんね。

 

コメント
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