北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

浅田真央ちゃんに日本人的生き方を見る

2014-02-21 22:57:40 | Weblog

 注目の女子フィギュアが終わりました。

 期待された浅田真央さんはSPでのミスで前半16位と出遅れましたが、今日のフリーではトリプルアクセル(3A)を見事に決め、会心の自己ベストを記録。演技を見ていて私も涙ぐんでしまいました。

 総合順位では6位に終わりましたが、6種類の異なるジャンプに挑戦。ジャッジではいくつかで回転不足を取られたようですが、オリンピックでの金メダルという「記録に残らなくても記憶に残る選手」となりました。

 今のフィギュアスケートの採点では、3Aという難度の高い技の成功時の点数が低く、逆に失敗すると原点になり元も子もなくなるという傾向があるといいます。

 それゆえ勝ちに行く選手は、それほど難しくなくて点の高いい技を完璧に決めて、とにかく失敗せずに終わることで高い点数を取りにゆくという戦略を取っています。

 そしてそのことがフィギュアをスポーツなのか芸術なのかを曖昧にしている原因の一つだと思います。


    ◆    


 今回もロシア代表として団体戦に登場しながら個人戦の練習中に腰を痛めて棄権した「皇帝」ことプルシェンコ選手はかねてより、「ジャンプの進化を止めることはフィギュアスケートの進化を止めることだ」という趣旨のことを言っています。

 そして前回のバンクーバーオリンピックでは、四回転を回避したライサチェク選手が四回転に挑戦して成功させたプルシェンコ選手をほんのわずかながら点数で上回り金メダルを獲得、プルシェンコ選手は銀メダルとなりました。(ちなみにこのときは高橋大輔選手が四回転に挑戦して回転不足を取られ3点の減点を受けていますが銅メダルに輝きました)

 プルシェンコ選手はジャンプを無難にまとめることを連盟が推奨するならば、競技としての発展は妨げられると考えており、そんな彼だからこそ、得点になりにくいにもかかわらず、女子で3Aに果敢にチャレンジする浅田選手をひときわ高く評価しているのです。

 見る人は見ています。


    ◆    ◆    ◆


 「ローマ人の物語」を書かれた作家の塩野七生さんは「日本人へ~リーダー編」という本(文春新書)の中でこう書かれています。


 …激動する世界情勢下では主導権を握るしか勝つ道はないが、安保理の常任理事国でもなく核も持たず、軍事力も満足な状態では海外に送れない日本が、大国と思い込んでいたこと自体が妄想だったのだ。
 もはや大国らしい外交をすべきとか、フランスを見習えなどという迷い言を吐くマスメディアもなくなるであろうから、それだけでも良しとすべきだろう。

 主導権を握れなければ握っている国の後に従う、というのもバカ気たやり方で、それで得るのはさらなるカネを吸い上げられることでしかなく、こうなれば大人しい日本人も、株主代表訴訟に似た行為を国に対して起こすかもしれない。

 (中略)そして、大国でないがゆえに問題を討議するグループからもはじき出されている日本は、実行力のあるアイデアを主張しても他国が乗ってこないという場合に、これからはしばしば出合うようになると思う。だからと言って、手をこまねいていては影が薄くなる一方だ。

 それで、というわけで提案なのだが、こうなっては腰を落ち着けて、日本人だけで解決できる問題に、われわれのエネルギーをしゅうちゅうしてはどうであろうか。他国をないがしろにすることまではできないが、優先的に、ということならばできる。

 そしてそれは、経済力のさらなる向上、意外にはない。国家にとっての体力は経済力であるからで、経済と技術の向上となれば、日本人にとっては、「自分たちでやれること」になるからである。

 (中略)

 それに、諸行は無常なのである。いつ、日本に出番がめぐってくるかわからないし、反対に当分の間は出番はめぐってこないかもしれない。

 ならばその間は腰を落ち着けて意志があり努力する気さえあれば他国と相談しなくてもできること、つまり自分の国の経済力の向上、に専念してはどうだろう…(以下略)


  
    ◆    ◆    ◆


 どうやら今の日本のスケート連盟の力では、ルールを変える力はないようです。

 今朝の日経新聞は、「いま女子は三回転-三回転の連続ジャンプで高得点を稼ぐのが時代の潮流。今回はSPに19人が組み入れ、上位5選手はいずれも成功させている。浅田は『自分の強み』というトリプルアクセルにこだわり続け、世界の流れに一人あらがったが結果には結びつかなかった」と書きました。

 しかし、フィギュアスケートを進化しうるスポーツだとして果敢に技の難度に挑戦した浅田選手の競技への姿勢はいつかきっと再評価される時代がくると思います。

 不遇な時も腐らずに自分のできることを誠実にやり続けるという生き方は日本らしいと思います。

 真央ちゃんよくやった!あなたは大和撫子の誇りです。
 

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地域の活性化と鉄道~致知3月号より

2014-02-21 00:09:39 | Weblog

 一念発起。人間は心底やると決めたらものすごい力を発揮するものです。

 今月号の「致知」に百年の歴史があるわたらせ渓谷鐡道を敗戦ムードから払拭した、わたらせ渓谷鐡道社長の樺沢豊さんのお話が載っていました。
 
 類まれなアイデアを武器に組織と地域活性化を図ってきた取り組みについてご紹介します。


ーーわたらせ渓谷鐡道(以下、わ鐡)は一時廃線も噂されましたが、最近ではメディアなどでかなり取り上げられているようですね。

樺沢 社長就任以来、情報発信にはかなり力を入れてきたので、2012年度には新聞、テレビや雑誌などで年間六百回以上取り上げていただきました。

 おかげさまで東京にいる友人から、わ鐡っていつの間にこんなにゆうめいになったんだと言われるようになりました(笑)

 今年はわ鐡の前身で、足尾の道を運んでいた足尾鉄道が全線開通してから、ちょうど百年目で、平成元年にJRからわ鐡という名称で第三セクターとして再出発してからは四半世紀目に当たります。

ーーわだいづくりとしてはもってこいですね。

樺沢 こういうのはまず逃さないですよ。今年は周年行事に関連したものを含めて、できるだけ列車を使ったイベントを八十回以上企画しているんです。

ーー乗客数の推移はどのようになっていますか?

樺沢 1994年に年間輸送人員106万人を記録したのをピークに、沿線住民の減少や少子高齢化の波でどんどん減って、私が社長に就任した2009年には50万人を割り込むまでになっていました。

 2012年には前年の東日本大震災と福島第一原発の風評被害の影響で相当厳し可奈と思っていたのですが、前年比1万7千人増に転じています。2013年には再び前年を割ってしまい、年間50万人にもなかなか届きませんが、それでもなんとか良い方向に転じる兆しが見えています。

ーーわ鐡の魅力というのはどこにあるのでしょうか。

 樺沢一番の魅力は歴史があるということですね。古いものは二度とつくることはできませんから宝物です。実際、わ鐡の施設のうち、五カ所の駅舎や鉄橋、トンネルなど三十八施設が国の登録有形文化財に指定されています。

 道路が線路のわきに並行して走っていないカ所が半分近くあるので、列車に乗らなければ見ることのできない素晴らしい景色があるというのも宝ですね。

 ただし、施設でも挂冠にしても、道路が走っていない付近はそれらを維持管理していくのがものすごく大変なんです。


 (…中略…)

【点から面の観光へ】

ーーわ鐡の経営にはどのような方針で取り組まれたのでしょうか。

樺沢 まず考えたのは、何がこの鉄道の役割なのか、ということでした。

 第三セクターとして再出発した当時は地元と一緒に「乗って残そうわたらせ渓谷鐡道」をキャッチフレーズにやっていたわけですが、肝心の沿線住民が減少の一途を辿って行き、地元の熱意もだんだん薄れていく状況では、そうも言っていられなくなりました。

 では交通弱者のために何によって鉄道を残せばいいかと考えて、沿線の観光にもっと力を入れようということになりました。これはわ鐡に限らず、赤字を抱えた鐡道の多くが取り組んでいます。

 わ鐡は1998年からトロッコ列車を走らせています。連休や行楽シーズンになると駅前は観光客でごった返すほどの盛況ぶりでした。

 私はわ鐡に来て初めてトロッコ列車の発車駅でその光景を目の当たりにしたのですが、「これはおかしいぞ」と思ったものです。

ーー観光客が多く集まっているのに、ですか。

樺沢 人だかりができているのは駅前だけで、そこからマチを見渡したら人が全然いません。駅周辺には古い芝居小屋とか、二百年以上続く醤油屋や歴史のある日本酒の醸造蔵があるのに人影がない。

 なぜ狭いホームで列をなしているのかといえば、皆さん少しでもいい席を取りたいからなんですよ。指定席化すればいいだけの話なのに、社員に訊いたらそれはできないと言う。

 確かに第三セクターゆねの障害もありましたけど、一番の原因は目の前の減少に対して、「いままでもそうだから、これはこういうものだ」と思うだけでなんの疑問も持たない社員の意識ですね。

ーー現状に対してなんの疑問も持っていなかったと。

樺沢 こうした現状を目の当たりにする中で、だんだんとこの鉄道はなんのためにあるかということが明確になってきました。それは「地域の活性化に寄与するような鉄道にする」ということです。

 ですから観光バスみたいにお客さんを点から点へと運ぶような観光ではダメなんですね。いかに地域に長く滞在してもらうかを考えなければいけないのに、ホームにお客さんを並ばせるというのはとんでもない話ですよ。

 指定席化を実現すると、出発までの時間を使って乗客が街を歩くようになりました。線路の幅は1067ミリあるんですけど、それを何十倍何百倍にも広げていくことで一つの街ができていくという視点を持つことが大切なんですね。


【地産地消のグッズ製作】
ーーグッズの製作にも力を入れられていますが、これも地域の活性化と関係があるのでしょうか。

樺沢 ありますね。それに情報発信にも一役買ってくれています。

 社長就任当時には二十五種類だったグッズを、この四年間で百六十種類まで増やしました。売り上げも約270万円から1000万円強に押し上げることができました。

 ポイントは「地産地消」と「こだわり」です。例えばお守りの生地は地元桐生のものを使うことにし、デザインは列車の正面を図面に忠実に表現することにしました。

ーー桐生は織物の町として有名ですね。

樺沢 地産地消によって、地元の方々にわ鐡があってよかったと思っていただけることが大事ですね。

 全国で唯一鉄道会社が直接作っていると言われている駅弁「やまと豚弁当」というのもあります。これは主にわ鐡沿線の牧場で育った豚肉を使っているんですよ。

 これがヒットしましてね、累計一万個売れた時点でさらに話題にしようとメディアに働きかけたんです。ただし、一万百一個目の記念をします、と謳いました。

ーー 一万個ではなくて、一万百一個目なんですね。
 
樺沢 思った通りで、いろいろなところから電話が来て、なぜそんな中途半端な数なのかと聞かれましたよ。ここで新しい会話が生まれることが大事なんです。

 理由は簡単で、一個よりも百個、百個よりも一万個という具合でトントン拍子でもう一個というゴロ合わせです。おかげさまで「トントン拍子で一万百一個」というキャッチフレーズで新聞にも載せてもらいました。

 観光ってダジャレの世界だと思っていますし、このほうが分かりやすいからメディアの人も取り上げやすいんですよ。


【社長兼部長兼課長兼営業】
ーー社長就任以来、社員の方々にはどう接してこられたのでしょうか。

樺沢 例えば、いまこの部屋に来られる途中で社員が挨拶をしたでしょうか?前はしない社員が多かったんですよ。お客さんをおもてなしするということの第一は声を出すことから始まる、という話はそれこそ何度もしました。もちろん社員同士の挨拶もしっかりとしなさいと。
 
「当たり前のことを当たり前にやる」ということでは、運転士の指差し確認などの運転の基本ができているかも再確認しました。基本ができていないといずれ安全面でも弊害が出てくるものですから、それを未然に防ぐうえでもしつこく指摘しましたね。

ーー基本の徹底ですね。

樺沢 それから誰々の仕事と割り振れないけれど、誰かがしなければいけない空白地帯に当たる仕事を、誰がやるかということでは随分苦労しました。

 以前は会議を開いても誰も自分がやるとは言いだしませんでした。それどころか、何か言うと自分のところに押し付けられると思って、発言すらしないような雰囲気でした。

 そこを無理やり押し付けてもダメなんです。いくら口で言っても変わらないので、やってみせるしかありませんでした。

「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」という山本五十六の言葉のとおりですよ。

 率先垂範で、社長がこれだけ頑張っているんだから、自分もやらないわけには行かないな、と言われるくらいになってようやく社員が変わってきました。

 もちろん小さい組織なので、社長の仕事もあれとこれというように割り切れません。だからある時は社長の仕事をして、またある時は営業をする。

 そんなことまで社長がやるんですか、と聞かれたら、私は社長兼部長兼課長兼営業だと答えているんです(笑)


ーー樺沢社長の率先垂範が組織を大きく変えたわけですね。

樺沢 いまは本当に社員が積極的に意見を言ってくれるし、どんどん動いてくれるようになりました。

 例えば運転士は空いている時間があれば駅前の駐車場の交通整理をしたり、駅弁を列車に積み込むために運んでくれたりしているんですよ。

 社員の坑道が変わったというのは本当に嬉しい効果です。人が変わるというところを見るのが一番心強いですね

 (…中略…)

 わ鐡の「わ」にはいろんな意味が込められていると私は考えています。人の「和」、話題づくりと発信の「話」、鉄道と環境、地域を大切にする心を表す「環」、そして沿線地域のネットワークとエンドレスを表す「輪」です。

 よく温泉地のホテルなどでお客さんの囲い込みのようなことをやっているところがあるでしょう。自分の建物内にテナントを入れて、飲食店など必要な店が全部そろえてある。

 しかし自分たちを守ろうとするだけで、地域とのことを全然考えていませんから、長期的に見たらマイナスなんですよね。

「自分の城は自分で守る」というテーマをいただいていますが、自分の城を守るにも垣根を作って囲い込むのではなく、外に向かって広げていくという考え方もあると思います。

 第三セクターは公共性を重視するために制約も多く、業績を黒字化させるには非常に厳しい状況にありますが、地域をもり立てて、共に栄えることはできます。「地域全体の黒字化」を目指すのです。

 貢献度を数字ではなかなか表せませんが、わ鐡が積極的に地域に働きかけていくことが、自分の城を守る道に繋がっていくと信じて実践あるのみです。


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 いかがでしょうか。

 社長の樺沢さんは、もともとは群馬県庁の職員だったそうですが、平成21年に県庁を退職後、わ鐡に入社されたそうです。

 団塊の世代に育ったせいか、仕事は奪い合ってもするものだと思っており、現状維持ではいけない、変えていかなければいけないという思いが常にあったそうです。

 そのうえ、県庁でいろいろな役職に就くと調整みたいな仕事が多くなってどんどん窮屈になっていったと感じ、「わ鐡に来て一番楽しめたことは、自分で決めたことをすぐ実行に移せることでした」とおっしゃっているそうです。普通の県庁マンではありませんね。

 自分たちの財産は地域に貢献することで生き延びられるということは何かのヒントになりそうです。

 あきらめずに様々なことにチャレンジしていきましょう。         

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