東京で三年間単身赴任で過ごしていた時は、毎週のように自転車で都内を巡り、神社仏閣はもとより江戸時代から明治大正、昭和そして現代にいたる東京の都市づくりを歩いて回りました。
そのときに江戸時代についても様々な本を読み、江戸時代の人づくりや封建制の下での三百諸侯による地域経営の切磋琢磨など、案外良い政治をしたものだ、と思いました。
御維新という政権交代を正当化するために、明治維新後にやたら江戸時代を悪くいう風が起こったのか、と江戸時代を懐かしみながら思ったものです。
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さて、先日何度か読んではいた福沢諭吉先生の「学問のススメ」を改めて読む機会がありました。
「天は人の上に人を造らず天は人の下に人を造らずと言えり」という一節は、生まれながらの身分制度を否定し、平等の世を表した一節としてあまりにも有名ですが、文章のその後には人としてのしっかりした生き方を求める厳父の言が続いているのです。
「されども今広くこの人間世界を見渡すと、賢い人もあれば愚かな人もいる。貧しい者もいれば、富める者もいる。人を使う人も使われる人もいる。その有様は雲と泥ほどの違いがあるのはなぜだろう」
「その理由というのは明らかで、実語教に、『人学ばざれば智なし、智なきものは愚人なり』とある。つまり賢人と愚人との違いは、学ぶのと学ばないのとによってできるものなのだ。また世の中には難しい仕事もあれば簡単な仕事もある。その難しい仕事をする者を身分の重い人と呼び、簡単な仕事をする者を身分の軽い人という…」
つまり、人に上下はないけれど、学ぶか学ばないかによって貴賤は生じる、と言っているのです。
この後には学問とはただ難しい字を知ったり難しい古文を読むことではなくて、読み書き算盤の実学だったり、地理、物理学、歴史学、経済学などだよ、と続きます。
そして何よりも、「学問をするには分限を知ることが大切だ」と言います。
「生まれついての人は、繋がれず縛られもせず、男とは男、女は女として自由な身だ。しかしただ自由だから何でもありと言って分限というものを知らなければ我がままで放蕩に陥ってしまう。
すなわちその分限とは、天の道理に基づいて人の情けに従い、他人の邪魔をせずにわが身の自由を得ることだ。自由と我がままの境目は、他人の邪魔をするかしないか、ということにこそある」
こうした生き方を進めている「学問のススメ」、当時の日本の人口三千万人の一割に当たる三百万冊が売れたと言いますから、空前のベストセラーであったわけですねえ。
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そして、この中に、どうして江戸時代がダメだったか、ということが書かれています。
それはこう。
旧幕府の時代、東海道を御茶壺(が仰々しく)通行したことは、皆人の知っているところだろう。そのほか御用の鷹は人よりも貴く、御用の馬には往来の旅人も路を避けるなど、全て御用の二字をつければ石でも瓦でも恐ろしく貴いもののように見えた。
…これらは別に法が貴いのでも、その物が貴いのでもなく、ただ単に政府が威光を張り人を脅かしてその自由を妨げようとする卑怯なやり方で、実のない虚ろな威光というものにすぎない。
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福沢先生が言いたかったことは、江戸時代よりも明治になって良くなったことは、こうした空威張りの威光がなくなって人は自由な身分として暮らすことができるようになったことだ。
だがその中でも学問を身に着けることが肝心で、国民が皆学問を身に着けて物事の理を知るようならば、政府の行政は寛大なものになるだろうし、逆に国民の徳が衰えたりするようならば政府の行政は厳しいものになるだろう、と言うのです。
だから学問をススメるのだよ、というのが福沢先生の意味するところ。
私たちは生れ落ちての自由をちゃんと使い切っていいるでしょうか。
古典はたまに読み返すと味わいが増しますね。