妻方の叔父が亡くなりました。
別に入院をしていたわけでもなく、健康で詩吟を楽しんだりしていたのが夜半に突然倒れて病院にかつぎこまれたところ、その日の午後には帰らぬ人となりました。
数え八十八歳は大往生とはいえ、生前はいろいろと可愛がってもらった思い出も多く寂しい限りです。
私も妻とともに親族一同として通夜に出席し、結婚式以来というご無沙汰をしていた親戚の多くに会うことが出来ました。
妻方は親類が多いのでなかなか名前と顔が一致せず、しかも誰の子供が誰かといった関係性もなかなか覚えきれません。
それでもこうして多くの人たちが集い、故人を偲びながら思い出を語る。
葬式は死者へ冥福を祈る弔いでもありますが、同時に生きている者たちがより良い関係を築くための時間なのだと思います。
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今回の通夜は、いわゆる最近増えてきた葬祭が専門のセレモニーホールで行いました。
ホールは会葬者の人数規模に応じて間仕切りで区切られるようになっていて、今日は三組のお通夜が入っていました。
親類縁者の食事のための食堂にはお弁当が用意され、運営はテキパキ。
曹洞宗の住職は故人と生前親交が厚く、長く思い出を語ってくださいました。生前のお坊さんとの親交があると良いですね。
葬儀委員長はおらず、遺族の言葉は司会の女性が「ご遺族からは…とこのようなメッセージをお預かりしております」と紹介してくれました。
通夜の儀が終了したところでホールの椅子を片付けて、そこで丸テーブルが用意され近親者のみによる語り合いの席が用意され、親類一同が叔父さんの思い出を語ります。
まあ話は段々脱線していって、身の回りの笑い話になってゆくのですが、ノリが良すぎたようで、
「小松さんってあんがいお笑いなんだね」
「そうですよ、滅多に会わないからお互いに気心がなかなか知られないだけですよね」なんて会話も。
暗い話よりも明るい話を好んだ叔父さんだからまあいいか。
最近、東京の知人でも親御さんが無くなったという連絡がくることがありますが、多いのが『香典は固くご辞退申し上げます』という添え書きです。
今やお葬式だからといってあまり縁の深くなかった方までが義理で香典を持ってくる時代ではなくなりました。
それはそれで気楽なもので、本当に故人を偲ぶセレモニーに近づいてきたということかもしれません。
現代のお葬式はかなりシステマチックになっていき、全体としてそつのない運営で進みました。
こういうことも勉強しておかなくてはいけませんね。 叔父さんの冥福をお祈りします。 合掌