ある研修会に講師として招かれて、地方自治についてお話をしてきました。
受講生は約50名ほどで、職務上のマネジメントスキルを学ぶなかで、地方自治体とは何か、首長とは何か、地方自治体に住むということはどういうことか、というような話をするには、地方自治体を二度経験している私が良いだろうということで依頼があったものです。
講義の前に担当者に、「今日はクールビズで上着は着なくても良い、と言ってあるのですか?」と訊いてみると、「ええ、講師も気楽になさってください」という返事。
その会話で昔受けたある講義を思い出しました。それはやはり夏の盛りに受けた研修での一コマで、当時の建設省の幹部の方が講話をしてくれるというものでした。
当時はまだクールビズなどという言葉もありませんでしたが、暑い日だったので、何人かは講師が部屋に入る前に上着を脱いでいました。
講師は司会から紹介されて壇上に立つと、会場を見渡すと「君、それはなんだ!」と強い言葉で何人かを指さしました。
それはまさに上着を脱いでいる何人かに対して発せられた言葉でした。
「私はまだ『上着を脱いでよい』と言っていないよ。そういうことは講師から言われて初めてやってもよいことだ。先にくつろいでいるとは何事だ!」
私は幸い考えもせず上着を脱がずにいたので、叱責を受けることがなくホッとしたのが半分で、もう半分は「そういう叱り方もあるんだな」という驚きが半分でした。
ただ不機嫌な上司というのはときどき見かけますが、その方は受講者が慌てて服を着るのを見て、「よし、暑いから上着をみな脱ごう」と言って、それ以上の怒りはみせませんでした。
講話の時間がピンと張り詰めた空気になったのは言うまでもありませんが、"叱る"ということを私の中で最も感じた忘れられない記憶なのです。
◆
思うに、今日の主催者の「講師も楽になさってください」という言い方は、単に『ためになる話を聞かせてくれればそれで良いのです』と言っているようなもので、全ての時間においてより高いものを求める姿勢とは言えないと感じました。
そこで、かつて講話の前に上着を着ていないと叱られた思い出を話し、「最近はそういうことをいう上司もいなくなったでしょう」と言うと、返ってきたのは「皆、部下に嫌われたくないのじゃないでしょうか」という反応。
私が「私はそうは思いません。何を言わなくてはいけないか、ということが分かっていてそれを実践できる上司がいなくなったか少なくなったのだ、と思いますよ」と言うと相手は考え込んでしまいました。
研修を通じた一瞬一瞬を通じて、受講者には講師の発する一言一言から何かを得てほしい、という気持ちを主催者自身も持っていないのではないか、と思ってしまいます。
受講者は今日の時間から何かを得ることができたでしょうか。それは魂と魂、気合と気合のぶつかり合いであるべき。何かを得ることができなければそれを与えられなかった講師の負けであり、何一つ見いだせなかったとすれば受講者も負けです。
仕事は"ミッション"と言われますが、それを遂行するには"パッション(情熱)"がなければだめなのです。今日はパッションを呼び起こすような講義ができたでしょうか。これは自問自答です。
久しぶりの講義でちょっと気分が高まりました。
次回があるならば、もっと気持ちを込めたやり方をしようと思います。