北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

スマホにするには人生の時間が足りないかも

2016-07-15 23:45:45 | Weblog

 

 わが組織の上司と話をしていて話題はスマホのことになりました。

上司「私はまだガラケーで、それで話もできるしメールもできるからそれでいいかな、と思っているんだけど、周りがみんな『もうスマホにしてはどうですか』と勧めるんです。やっぱりもう変えたほうがいいかなあ」

私「いやあ、使ってみての感想ですができることが多すぎるということも逆に弊害だと思うようになりました」

上司「そうなの?だってそれがあれば出張の飛行機の予約がちゃっちゃっとできるんでしょ?」

私「飛行機の予約【が】じゃないんです。飛行機の予約【も】できるんです。つまり、あれ【も】それ【も】あんなこと【も】こんなこと【も】できる。あまりになんでもできるところから、自分で主体的に何はするけれど何はしない、という主体的な選択をしないと、どんどん時間を取られるようになってしまいます」

上司「そんなもんかねえ。まあ地下鉄に乗ったりしていると、まあ三割くらいの人はスマホを眺めているわね」

私「それがニュースを読んでいるならまだマシですが大抵はゲームですからね。あれはもうお金をかけない賭け事と同じで中毒と言うべきだと思います。あたら若い時分の時間をそんなことに費やしてしまって、読書や人と会ったりする時間を作れないというのは後々になって臍をかむと思いますがねえ」

上司「ふ~ん、無駄なことが多くなるのかねえ」

私「それに加えて、いろいろなアプリとの付き合い方や自分の情報をどこまで使ってよいかの承認を自己責任でやらないといけませんし、アプリの使い方一つでも悪意のあるいたずらや詐欺の被害にあう機会はガラケーよりも格段に増えます。しかしスマホを使う前に悪意や自己責任との付き合い方を教えてくれる学校もなければ講習の機会もありませんよね。皆『習うより慣れろ』という無手勝流で流れを泳いで、たまに失敗してそこで初めて知恵をつけることを繰り返しているんです」

上司「じゃあ60代後半の僕ならそれに慣れたり覚えたりするのが大変、というわけか。スマホにするには人生の時間が足りないかも」

私「絶対止めたほうが良い、とまではいいませんが、それによる時間消費やリスクの自己責任などをクリアして便利と効率を味わんだ、という強い意志がなければ大変な相手ですよ、とは申し上げておこうと思います」

    ◆

 この日の朝、エクセルで送ってあった予定表を埋めてもらってメールで返してくれたので「早かったですね」と言うと、「いやあうちの女子職員にちょいちょいとやってもらったんだけど、自分じゃできないしね」という返事。

 そこから上記のスマホ論議に話が発展していったのですが、社会の便利に付き合うにはある程度柔軟な脳と時間と危機管理力などがなければいけないんだな、と話しながら改めて感じた次第。

 スマホやパソコンがあるために、便利になった反面どれだけの時間を取られて消費しているかと思うと功罪ありますね。

 現代人はそれでもやらなきゃいけないのかなあ。

コメント
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