駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇月組『桜嵐記/Dream Chaser』

2021年08月16日 | 観劇記/タイトルあ行
 宝塚大劇場、2021年5月15日13時(初日)、16日11時、15時半、22日11時、6月8日18時(新公)、20日11時、15時半(前楽)、21日13時(千秋楽)。
 東京宝塚劇場、7月10日13時(初日)、14日18時半、27日18時半、8月13日13時半、14日15時半(前楽)。

 楠木正成(輝月ゆうま)は後醍醐天皇(一樹千尋)の呼びかけに応じて挙兵、鎌倉幕府を通して政権を将軍から天皇の手へ取り戻すことに成功した。しかし後醍醐天皇の政策に不満を抱いた全国の武士たちは、源氏の血を引く武将・足利尊氏(風間柚乃)のもとに集結して後醍醐天皇を京の都から追い落とし、再び武家政権を樹立。後醍醐天皇は落ち延びた奈良の吉野山を都とし、自らが正当な君主であると主張した。こうして北の京都を制圧した武家の北朝と、南の吉野山に立てこもる公家の南朝の政権を巡る戦いが始まったが、北朝の圧倒的な兵力を考えれば行く末は想像に難くなかった。後醍醐天皇は病に倒れ、南朝についていた者たちも多くが去った。しかし正茂は最期まで南朝のために戦い続け、その遺志は正行(珠城りょう)、正時(鳳月杏)、正儀(月城かなと)という三人の息子たちへと受け継がれた。貞和3年(1347年)、住吉・阿倍野の合戦において、正行たち兄弟は山名・細川率いる大軍勢を相手に少数の兵で善戦していたが…
 作・演出/上田久美子、作曲・編曲/青木朝子、高橋恵、振付/若央りさ、麻咲梨乃、殺陣/栗原直樹、装置/新宮有紀。月組トップコンビのサヨナラ公演となるロマン・トラジック。

 初日の感想はこちら、大劇場千秋楽日記はこちら
 珠城さんのことは『HAMLET!!』からこっちずっと見守ってきて大好きで、さくさくはちゃんと観られたのは『1789』新公だと思いますが主席だったしそれ以前から知っていてずっと気にしていました、私はずっとずっと好きでした。そんなたまさくコンビのまさしく集大成の作品となりました。
 大劇場初日は、私もやはり舞い上がっていてアレコレいろいろ観るのに必死で、それでトータルでなんとなく、「ふ、フツー…?」みたいな感想になっちゃったんだろうな、と今なら思います。2回目からは全然違って見えましたし、その後も前後して観ているのが『アウグストゥス』『シャーロック・ホームズ』『CITY HUNTER』なワケで、比較すればその差は一目瞭然でした。何かを上げるために何かを下げるのは本当は良くないことですが、この場合ホントそーなんだから仕方ないやろ!ってな出来の差なワケで、本当にこの一作で「サヨナラ公演に名作なし」という宝塚ことわざに関しては「ただし『桜嵐記』を除く」と、「ただしイケメンに限る」のノリで(正しい意味で)言えるようになったんだな…と感慨深いです。
 イヤ『神土地』も素敵な作品だったけど、アレはくーみんのせいじゃないけどやっぱトップ娘役不在ってのがやはり痛かったですよね。別に脚本の強度にはまったく関係ないんだけれど、やはり演者のアレコレを反映していてファンが観るもの、というのが宝塚歌劇の大前提、ことにサヨナラ公演に関しては特に…だと思うので(そして、なので宝塚歌劇は今まで良くも悪くも一般的な、あるいはちゃんとした、批評の土俵に上がってこなかった、あるいは上がらずにすませてこられたわけで)。そして『fff』は意外と好みが別れるというか、かなり観念的かつ実験的な作品であまり普遍性がないのではないかと個人的には思っているので…
 名作ならいずれ再演されてしかるべき、だと思うんですけれど、サヨナラ公演はどうしても演者のイメージが強いだけに難しいですよね。でもタカハナのサヨナラだった『ネバセイ』の再演が発表されたことでもあるし、死んで終わるとか別れて終わる物語とか自体はまったく珍しくもなんともないので、ちょいとほとぼりが冷めた頃に全然違う組で、むしろ新トップのプレお披露目とかでさくっと再演されると、また味わい深いものかもしれません。そんな『桜嵐記』もいずれまた観てみたい気もします。一度だけの上演なんてもったいないよ、このクオリティ…むしろ『fff』の方が再演のタイミングを選びそうでは? あれはやはりくーみんの音楽愛、ベートーヴェン愛がかなり強く出ていたのでは、とも思うし、くーみんのだいもん愛もあるし、そのだいもんがなんといっても歌の人だった、というのも大きいと思いますしね。それからするとくーみんと珠城さん、の関係性の方がまだ汎用性があるように思える、というか…ま、これまたあまり比較するのも良くないしせんないし、そもそもファンモードの見方にすぎるのかもしれませんが。でも「歌劇」の贈る言葉とか、キュンとしましたよね…このふたりを「破れ鍋に綴じ蓋」なんて当事者でないと絶対言えないイメージだと思うんですよ、でもそこにこそ真実があるんだろうな、という…頑固でテレ屋で不器用な、でも才能があり努力はもちろんできちゃうふたりの運命的な出会いだったのではあるまいか、とかいろいろぐるぐる考えたりしちゃいます。それが『月雲』『BADDY』そして『桜嵐記』に結実したのですねえ…そして生徒は卒業していくけれどくーみんは意外に長く劇団に残ってくれるはずだと私は勝手に考えているので、次のミューズとの良き出会いがあるといいなと思っています。
 …ちょっと、いろいろ脱線しましたが、要するに『桜嵐記』はトータルで、観れば観るほどしみる、緻密に計算された、よくできた美しい作品だと今、心底思う…ということが、言いたいのでした。

 やっと「ル・サンク」を買って脚本を読んで、改めていろいろ考えられました。以下、つらつらと語ります。
 冒頭は「第1場 劇場」と名付けられていたのですね。るうさんの正儀(老年)、しかしここではあえて正体は明かさない男が南北朝の解説をするくだりです。この正体がラストでわかる、という仕掛けはとても粋で、私は東京ではビギナーを何人か同伴したのですが、配役その他で知識として先に知ってしまう私たちファンと違って彼女たちは新鮮に驚き感動してくれたのかなーと思うと、うらやましく感じたものでした。
 大劇場最初の4日かそこらはこのくだりのラストに珠城さんの開演アナウンスがあったわけですが、後醍醐天皇、楠木正成、足利尊氏の登場とピンスポの演出に拍手が入ってしまうのをくーみんが嫌ったため、試行錯誤ののち、開演アナウンスはそもそもの、本当の開演前に入るように変更されたのでした。もちろん演出としては開演アナウンスは当初の位置にある方がお洒落だし意味があるし、三人のキャラクターへのライトの当て方もあくまでサスでスターの顔を見せるものではないので、拍手はせず流すのが普通な気もするところでもあり、拍手を入れるなとトップ会から通達があればそうなった…かもしれないけれどやはりファンの習性として思わず入れちゃうかもしれず(るうさんの台詞に「拍手するな」と加わっても入っちゃった回が数回あったのだから)、結局現行の形に落ちつかざるをえなかったわけですね。難しいものだなあ…でも逆に、正行がゆっくり階段を昇るあたりに流れる音楽がかえって印象的になって、ラストのなつこさん弁内侍(老年)の「ああ…ご覧なさいませ。この花…」の台詞とともに再度流れるときに「あああぁ…(ToT)」ってなる効果をより上げていると思うので、結果としてはよかったのかもしれません。てかこういう劇伴がホントいい仕事してますよね今回…
 ちなみに私は初日と新公、千秋楽以外はかたくなに珠城さんの名乗りには拍手せず、指揮者の会釈にのみ拍手していました。ちなみに宙組大劇場公演のすっしぃさんの口上前の開演アナウンスの名乗りにも拍手しませんでした。あれは拍手など入らないものと想定されて録音されているのがありありとわかる間尺でしたよね。最近の客がホントなんでもかんでも拍手するのは、ありがたみがなさすぎて私は浅薄で嫌いです。ロートルと言われようとオールドファン・マウントと言われようと、私はこのことは語り続けるつもりです。
 それはともかく、話を戻して、ここのるうさんの台詞で「正茂には誤算があったのです」というのがあって私はどうにも引っかかっていたのですが、勝算なら事前にあるとかないとかいうけれど、誤算は結果的に判明するものだから、「誤算だった」みたいな言い回しになることが多いからだな、と文字になったのを目で読んで初めて納得しました。あとここで「言問うても応へなく」となっているのは「応えなく」では…のちに歌詞ですが「応うものなく」って新かな表記になってるんだし。
 ところでここの腐敗した武士の代表を、のちに庶民代表のジンベエをやるからんちゃんがやっているところがすごいですよね。そういう当て方するんですよね、くーみんって…
 第2場のラスト、ちなっちゃん正時に「まだだ」と言われて答える正行の台詞は「ふむ。」だったのですね。ならわかる…ここ、珠城さんはだいぶ勢いよく言うので、報告を待っていてまだだと言われて応じる言葉にしては強すぎて変では…とずっと感じていたのでした。
 第3場に「おなぶりあそばすな」が二度出てくるのは何故なんですかね…特に意味がないのなら、普通は重複を避けるものなんですが。
 仲子が褒められて妬く名子の「まァ」ってのがいいですね、カタカナで1号小! そしてここの侍女四人が楠木三兄弟の子役と弁内侍の少女時代役なんだよね、怖いわくーみん…まあ若手娘役たちの起用の都合なのかもしれませんが。
 第4場、弁内侍のピンチに正行が現れるところ、これも初日付近は拍手が入っていましたよね。ヒーロー登場!ってベタなシーンなんだし、いいと思うんだけどなあ…これまた入れるなとお達しがあったようですね。最初に正行が銀橋に出るところとか弁内侍がソロのあと銀橋を引っ込むところとかでも、本当は入れたかったし入ってもいいタイミングだったと思います。むしろ『シャーロック・ホームズ』で初日にはなかったキキちゃんモリアーティの登場に、新公の日の本公演を観たら拍手が入るようになっていたことの方が私は気持ち悪かったよ…お話としてこのキャラが何者なのかまだわかっていない状態なのに、単にスターの登場だから入ってるのがいかにも作為的で、私はちょっとうんざりしたのでした。そーいうとこだよ、宝塚ファン…
 ここのさくさく弁内侍が「嬉しいわ」って言うの、ヘンなの…と思っていたら脚本では「嬉しや」だったんですね。でもちょっと変なニュアンスある発声になっていますよね…? ともあれさくさくはちょっとキンキンしがちなんだけど、東京後半はこのあたりもわりに落ちついて聞こえて、でもちゃんと怒っているとか焦っているとかの感情は伝わるので、それでよかったと思いました。
 ジンベエの「さっきに」は古語? 方言? のちに正儀も言いますが、ちょっとゆかしげでいいですよね。
 正行の「野盗に襲われ、犯されるが関の山」は弁内侍の足を止めるためにわざと露悪的に言っている言葉なんだけれど、強すぎてぎょっとしますよね。でももちろんリアルなんです。のちに弁内侍が「母がなぶり殺しにされる間」と語りますが、それは当然犯されて殺された、ということなのでしょうからね。恐ろしい時代です…
 第5場の正時が手にしているのは、私は初日に扇のようなもので仰いでいて…みたいに書きましたが実はヘラかハケで、味噌を猪に塗りつけていたのですね。なんにせよホント上手いくだりだと思います。そのまま渡辺橋の、これは史実だそうですが、河に逃げた敵の雑兵を助けてあげるくだりにつながるところも、そこでの弁内侍とのやりとりも、ホント上手すぎて憎い。
 ここのジンベエの台詞がだいぶ走りすぎていたときもありましたが、いい感じのときもちゃんとあったのがさすがでした。「田んぼさせたってください」がことにいい。「田んぼする」って、素敵な言い回しですよね。そしてこのあたりの正儀が正行を呼ぶのは「アニキ」で、後半は「兄貴」表記なんですね。
 盆が回って、楠木の歌だけがつながって赤坂村に転換するのも本当に上手い。
 みんな大好き第7場、峠の休憩場面。正儀の「公家のお姫サンのやわいおみ足」、この「サン」表記がたまりません。あと「兄貴の馬に乗せて差し上げたらー?」の「ー」! れいこちゃんがホントこのニュアンスで発声していますもんね。あと「馬の準備見てこよかな~」の「~」(笑)。
 第8場、おだちん尊氏の「女性(にょしょう)の脂は腹の毒ぞ」ね! もちろん意味が違うから、でもあるんだけれど、もう言い方がホント絶対「油」じゃないよね!ってのがよかったなあ。てかすごい台詞書くなあくーみん。ここでホント「ちろん」って描き文字が見えそうな視線の使い方する蘭世くんもいいんですよね、ケッって言いそうな羽音ちゃんも。でも蘭世くんは祝子と二役だから当の「脂」なのもまたおもしろい。
 第9場の吉野行宮、はーちゃん二条の「(ぶるると震える)」のところの「おおぉ」みたいなのが毎回大好きでした。ここのさち花もはーちゃんもホント上手い!
 この場面のBはいわゆる幻想というか回想というかで、最も舞台っぽい、演劇っぽいギミックのある場面ですよね。老年の正儀と弁内侍という外枠があることと、正茂と子役三兄弟の回想がちょいちょいまじるところ、最後に出陣式の場面(の回想)に戻って終わるところがこの作品の最高に演劇的で素晴らしい構造部分だと思うのだけれど、舞台を見慣れていない人だとこのあたりが上手く理解できないらしい、というのは寂しいことですね…まあ理解しなくても感じてくれればいいし、慣れの問題だとは思うのですが。あとはセンスかな、要するにダメな人はずっとダメだよね…(ヒドい)
 血の猿楽を花一揆メンツがやってるのとか、ホントあざとい。くーみん怖い。
 そしてCで再び、今度は正行と正儀の場面になります。ここで正儀に「忠義てなんや? 呪われたアホの言うことタダで聞くことか?」とズバリ言わせていることは重いですよね。てか当今をアホ呼ばわり、先帝を「後醍醐」と呼び捨てちゃう正儀に惚れざるををえないわー…生き残り南朝に引導を渡す役に次期トップスターを配する、あな心憎し。
 私は吉川英治の小説『太平記』をその昔に読んだことがあるのと、最近大河ドラマの再放送をしていたのを見ていたくらいで、皇国史観とかプロパガンダに利用されたとかの過去は知識としてしか知りませんでした。そのあたりにくわしい方は演目発表時にも、そして観劇してからも「これはやっぱり危険なのでは」と危惧しているようでしたが、私はどうもその感覚がわかりません。確かに、どこでしたっけ、楠公を奉っているような神社が観劇して感激し、「忠義サイコー! 尊氏サイテー!」みたいなことをつぶやいて、歴史学者につっこまれ、キレてブロックしたりしたのをタイムラインで見てはいたので、人はなんでも見たいようにしか見ないのだから、こうまではっきり「天皇への忠義立てで死ぬのは無駄」と言っていても伝わらないってことはあるのだな、とは思い知らされます。それでも、この作品を観て、「天皇のために死ねるなんて最高! 私もそうする!!」なんてなる人は皆無に等しいだろう、と私は思います。この作品の何がそう危険視されるのか、私には全然わからないのでした。
 実際の楠木正行の心情はわかりませんし、いくら物語といえど変えられない史実はあるので、南朝逆転劇なんてものは作れません。その中で、正行がほぼ負け戦が確定したようなものを何故引き受けたのか、という点については(どうもそこまで負け確定だと思っていなかったようだ、とする研究書もあるようですが)、この作品でも「日の本の流れ」みたいなややあいまいな、漠然とした回答になっている、という問題点はあります。この時代の人々にどの程度国とか日本とかの概念があったのか、という問題もある。でも私は「日の本」より「流れ」という言葉の方が大事で、それは舞台セットにたびたび河の絵が出ることもありましたし、「流れに飲まれ泣く民に会うた、恨みに飲まれ死なんとする娘に会うた」という台詞とともに舞台奥にサスの中たたずむ弁内侍の姿(見返り美人みたいなポーズなのに照明が当たっていなくて表情は見えない、というのが絶妙。でも単なるシルエットではない)、というのが結局のところ答えを象徴しているのだと感じました。要するにもっと別の言葉で言えば「僕は愛のために生き、働き、死にますね」ってことを言っているんだろうな、と私は解釈した、ということです。それは惚れた腫れたの狭い愛じゃなくて、イヤもちろんそれもあるだろうけれどそれをも含んだもっと大きな、エントロピーみたいなエネルギーとしての愛、ってことです。
 私はここでいつも、萩尾望都の『スター・レッド』とか『マージナル』を想起していました。いずれも主人公は宇宙というか世界というか地球のために命を落とし、別の形で帰ってくるというか復活するというか生きている…というような物語で、正行は別に復活はしないので(長生きした人々の心の中に今も生きているのだとしても)そこは違うんだけれど、そういう何か大いなるもののために、未来への礎として飲み込まれていく、ということは別に無為なことではない…というメッセージを、それらの作品からもこの作品からも感じ取るのでした。
 あとは、南朝の一方的な殺戮に至らずに事態を南北朝合一に軟着陸させるためにも、自分がここで南朝から逃げ出すわけにはいかない、というのもあったのでしょう。最大多数の最大幸福のために少数たる自分が犠牲になるのを厭わなかった、ということですね。自分は死んでもそれで生かされる人々の中に何かしらの形で残るのだから…まで言うと、ちょっと観念的すぎ、また宗教がかって聞こえちゃうかもしれませんが。それがまた天皇云々につながり易くなるのかもしれませんが。
 でも、ちょうどバースデー観劇があったこともありますが、「父と母からいただいたこの命…もっと大きいもんのために使う」という台詞がやはり私には刺さったんですね。誕生日というのは両親に感謝する日でもあるからです。そして私は、人は生まれたからには自分の幸せのために、幸せになるために生きていってかまわない、そう生きるものだ、とわりとあっけらかんと信じているのですが、この時代の武士がそれを言っちゃうと本当に家名とか忠義とか出世とか功名心みたいなものとイコールになってしまいそうで、けれど彼が言っているのはそうではなくてもっと大きなもののことだよな、となるとやっぱ宇宙を満たすエントロピーだよな、とか思っちゃったのでした。ま、実際には義理人情とかしがらみとかいろいろあって、選択する道は限られてきて本当に自分がやりたいようにだけなんてできなくなる、というのはあるのだけれど、自分で納得するためにも、神が命じているとは言いたくないにしてもより良き宇宙のため、未来のために仕方なく…という言い方はしてもいいのではないかと思うし、それがこの作品では「流れ」という言葉になっているのかな、と思うのでした。ま、実際には正行は流れが暴れる前に自分がなんとか抑える…みたいなことを言っているので、宇宙のエントロピー増大の法則とは真逆のようではあるのですが、抑えようとすることもまたアクションであり、そういうアクションが起こされることが、そうしたエネルギーが常に必要とされているのがこの宇宙、この世なので、やはり正解なんだと思うのです。
 ちなみにここの「しょうむない」がまたいいですよね、「しょうもない」ではないの。そしてここの「いない人々の姿」のクロスする動きが素晴らしいんですよね…ここもまた多分に演劇的な場面なのでした。
 前後しますが、回想としてまゆぽん正茂と子役による三兄弟の少年時代がちょいちょい出てくるのがまた憎いんですよね。そして父の教えが兄弟たちの血肉となっていることがよくわかる…
 それもまたある種の呪いと言えばもちろんそうなのですけれども、ね。ありちゃん後村上天皇が父の言葉に囚われ苛まれているように、正行もまた父の教えに縛られている面はあるのでした。それは最後の最後に兄の言葉に縛られる正儀にまで引き継がれていってしまう。でも仕方ないんですよ、生きるとは、人と関わるとは結局そういうことだと思うからです。人はひとりでは決して生きられない、とはそういうことだと思うのです。愛した誰かの言葉に囚われてしまう、でもそこからそれをどうするかがその人の生き様なのです。
 しかし後村上の弱さ、優しさは上に立つ者として、為政者としては罪です。その残酷さもまたうっすらとではありますがきちんと描かれています。ホントすごいよくーみん…
 それはそれとして、じゅりちゃんの中宮顕子と仲良さげなところがいいですよね。この人、戦勝報告とかではわりときょとんとしているので、ホントに温室育ちの高貴な姫君で世相のことなどよくわかっていないんだと思うのですが、その残酷さがまたせつない。しかもじゅりちゃんは冒頭では北朝の傀儡の天皇に扮しているんですよね、くーみんってホント…
 そして「失礼つかまつる」って言ってはいるけどホント失礼よ正行、天皇を前に勝手に立ち去るとかホントは許されないことなんでしょうね。でもそれは彼らが幼友達だから許されるのかもしれないし、南朝では本当に天皇の権威が失墜しているということでもあるのでしょう。そして正行さんは本当に無骨な人なのでした。のちの場面の内侍の「(無粋な返答に微笑み)」がたまりません。
 というわけで第12場、如意輪寺の庭のいわゆる今宵一夜前場面ですが、内侍が「今はあなたと知りたい」とかき口説くのがもう非常にセクシーでたまりません。平安時代ほどではないにせよ、この頃男女で「会う」の「知る」のと言えばそれは要するに「セックスする」ってことでしょう。でも大事。しなきゃダメ。無為とかなんとかゆーとる場合じゃない。ちなみにここで一発で身ごもって忘れ形見が…みたいな展開ありがちだけど、それはまた別だし基本いらんから。今回はなくてよかった、まあ史実としてそうなんでしょうが…ともあれくーみんがこういうくだりをちゃんと作ってくれる作家でよかったです。ここのキスシーンがまたいいよね、和物だからってのもあるけどホント淡くて上品で、さくさくの口がずっとニッコリしてて…
 からの緋色のカーテンが降りて一瞬にして四條畷の戦場に…という転換がもう本当にすごいです。東京初日は引っかかっちゃって半分しか降りず、なかなかハラハラさせられましたね。ここで再度、老年の正儀と弁内侍を出しておくのがまた上手い。
 正時の妻・百合、その父と弟は創作上の人物なのではないかと思うのだけれど(あるいは百合だけが創作で、寝返った父子というのは史実なのかな? どなたかのつぶやきで、正行と弁内侍の恋の方がお話のようで、正時と百合の悲劇の方はいかにもありそうなので史実のように思えるけど、実際は逆というのがすごい、というものがあって、なるほどなと思ったものでした)、これがまた本当に上手い。兄弟の刺し違いではない形で正時が死んでゆく、というのも上手い。このお話の流れで彼らが自決を選ぶわけがないんですもんね。
 それら含めてここからはもう本当に、何もかもが上手く、ズルく、泣けて、ヒドい。「お前がやれ!」そんなバトンタッチの台詞…! そして万感の「なんでや」「しゃあないのう」、そして「さらば」…
 そしてラストの聖尼庵。弁内侍は正行と結婚していたわけではないから未亡人になったわけでもないのだけれど、出家して尼になっています…せつない。
「ようやっとお伝えでけた」がものっそい好きです。「できた」じゃないところがイイ。そして「あの時、泣く顔を見たらよう伝えんでな」ってのもめっさわかるの! だってさくさく内侍ならボロ泣きに決まってるやん、あんなにいつもいつもちょいちょい泣いてたんだもん…って感じがね、もうたまらないのです。それで言えないでいる、内侍にはちょっと弱い正儀、ってのももう手に取るように見えます。それで四十年経ってしまった…
「弁内侍様」「古い名を」「(笑って)儂の好きな名や」のやりとりもたまりません。これまた四十年越しの告白なんですよね。なっちゃん内侍が懐かしさについ笑って応えるのもイイ…! そして老年も演じているからんちゃんジンベエが現れるのも、本当に憎い。
 出陣式のラストの弁内侍のト書きの、「まろび出る」が美しい。まさにそんな感じで出てきますよね。そしてあえて歌舞伎ふうにしたという、チョーン、弁内侍の手がハタッと落ちる、後村上の震える声での「戻れよ」、そしてコーラス…という、すべてのタイミングがこれしかないというほどのもので、決まっていて、素晴らしく美しい。なんかハリウッドの脚本だか演出だかのテクニックとして、脈拍とか呼吸に合わせてサスペンスや感動を盛り上げるみたいなのがあるそうですが、日本人にはこの間のタイミングってのが刷り込まれているのではないでしょうか。イヤこれは人種差別とかそういうことではなくて、単に文化としての話ですが。
 脚本のラストのト書きは「桜嵐の中、緞帳。」。素晴らしいですね…! 「緞帳が下りる。」とかじゃないの、「緞帳。」。はー、たまらん。くーみんホントありがとう…! でもショーもまた書いてね…!!

 スーパー・ファンタジー『ドリチェ』は作・演出/中村暁、まあ宙担にはほぼ『ビバフェス』でしたね。オーソドックスで、全体としては特になんてこたないショーだと思います。最初に大階段を出したことと、黒燕尾にオマケ付けたりいろいろ長い編成にしていることが特筆されるくらいかな。でも珠城さんはショーのフィナーレが群舞とデュエダンのコンボで出ずっぱりの長い出番になることが初期から多くていつも滝汗で、ホント体力勝負だったよね、と改めて思いました。完走おめでとうございます、やはりある程度若かったからこそ成し遂げられたことなのかもしれません。
 早い方がよかったユリちゃんとは明らかにタイプが違っていたのに、早くにトップ就任となり、でも周りの未整理のせいで結果的には相手役も二番手も変わったことがトップ在任期間の延長の原因となって、長く楽しませてくれることになったのがファンには本当に救いでした。バウ主演作も、トップ主演作も武蔵以外は、あと私は『鳳凰伝』を全然買っていないのでそれ以外は、本当に恵まれましたよね…それはサヨナラショーで痛感しましたし、武蔵ですらあの美しいデュエットソングを生んだのだから今は許そう、と思います。しかしこの作品で卒業したみやちゃんとみやちゃんファンのことを思うと、今から『柳生』がちゃんとしていますようにと祈らずにはいられません。出来が悪くて通うのにしんどい演目でやめられるのって、ファンにとっては本当にストレスなんですよね…ええ『華日々』も『白夜』もヒドかったですよね…!
 東京公演後半、さくさくが腰を痛めていて反ったり捻ったりする振りが変更になっていたのが、さすがに数観ているとわかるので痛々しくてつらかったです。娘役さんって腰を使ってしなやかさを表現していたんだなあ、と痛感しましたね。どうぞお大事に、ゆっくり休めてくださいね…
 スパニッシュはけっこうバックのおはねちゃんを観ていました。識別できるようになると好きで追っかけてしまう…続くミロンガのとっぱしは歌うありちゃんを無視してゆーゆガン見ですよ、どーいうことなのあのダイナマイトセクシーボディは…! ワンピの肩紐の白い裏地がチラチラ見えるのがホントやらしくてイイ…!(褒めてます)
 でももちろん紫スーツのミロンガの男Sの珠城さんが素晴らしい。てかどーなってるんだ体幹! ここのおはねちゃんも観たかったんだけど、珠城さんがいるとさすがに相手になるくらげちゃんとじゅりちゃんで手一杯でした。くうぅ…しかしホントいい場面でした。
 からの韓流、ホントこんなパターンばっかやなA、としか言えないし、ホントはれいこなんかこういう場面をやってる場合じゃもうないんだけど、今まで意外になかったものだからやらされていて、そして意外に(オイ)良くて驚きましたよね。すっかり楽しい場面になってしまいました。てか顔がイイ、最高! ずっとオペラだったなー。初日は色気が一星くんやるおりあに負けてるぞぱる!と思ったものでしたが、やはり新公後には垢抜けてきて一安心しました。カッコつけるの、自分に酔うの、そしてファンを酔わせるの、大事だよ!
 ドーンは要するにソーランな和風ロックってことなんですけど、ここのさくさくの髪型もキリリと素敵だったなあ。次期トップコンビのれいこくらげのくだりが短いけれどあったのも良かった。ラストの拍子がパブロチックだったのもおもしろかったです(笑)。
 続くライフは何を争っているのかやや漠然とした場面だったけれど、男役たちが不安や迷いみたいなものを象徴していて、娘役たちが希望や癒やしみたいなものを表していたのかな…で、最後は総踊りに。退団者ピックアップもあり、東西千秋楽ではここでとりどりのコサージュをつけていましたね。
 からのおだちんの昭和歌謡(笑)、良き。そしてさくさくが銀橋に出てきて、娘役群舞。ドレスのスカート部分が脚が透けて見えるのが大正解。さくくらげの絡みがあるのも大正解。ここもじゅりちゃんも良くて、おはねちゃんもキュートで、ホント目が足りなかったです。
 ロケットはもうずっと詩ちづるロックオンでした! てかこの髪型、基本的にはみんな可愛く見えるんだけど、やっぱり長さとか膨らませ方が顔に合っていないとただのおかっぱになっちゃうので、要研究の子も何人かいたなー。それはともかく詩ちづるは常に「ウフッ」「アハッ」「キャハッ」って言っているような、要するにいちいち表情がうるさい子なんですが、ロケットなんてそれくらい元気でぶりっ子でチャーム巻き散らかしててイイと思うんですよー! 口が開いたり閉じたり、笑い方も一瞬一瞬違っていて、小柄な身体をいっぱいに使って飛び跳ねているようで、もう目が離せませんでした。組替えしても応援するよ…!
 そして黒燕尾、からのデュエダン、さらにピックアップメンバーとのおかわり、最後のソロまで、珠城さん怒濤の出ずっぱりターンですが、素晴らしかったし大満足でした。さくさくのピンクのグラデのドレスのたおやかなことよ…ゆったりしたワルツの美しいことよ…! 『追憶』、いい映画だしね…! はーちゃん泉里ちゃんのカゲデュエットも素晴らしい。そしてプロローグと中詰めとパレードと、さらに黒燕尾ソロでもちゃんと使われる主題歌、というのが素晴らしい。そうなのよ何度も繰り返して使用してこそだと思うのですよ! スモークも、照明も、大階段に映る星の映像も、泣けました…
 大楽では指揮者とオケに拍手した珠城さん、ホントそういう気遣いする人だよね…! オケピットは蓋されているのでオケの方には見えなかったでしょうが、のちにラブ一郎先生が伝えてくれたそうです。愛のリレー…!
 エトワールはさくさく。まあ賛否両論あるでしょうが、そもそもさくさくは最初は歌の人っぽかったところはあると思うので、もっと若い頃にエトワールをやっていてしかるべきだったんですよね。次期トップ娘役就任が発表されていての『エリザ』エトワールだけじゃかわいそうだったんであって、私は今回はこれでよかったと思っています。おだちんの昭和歌謡の一節を歌うのもイイ。ここのドレスも本当にお似合いでした。
 そしてパレードの珠城さんのソロはライフの一節。これもイイ。
 最後の銀橋の会釈はちゃんとたまれいこのあとにたまさくで、これも良かったです。


 大劇場新公も観られました。
 ぱる、しっかりしていて、まっすぐな清らかさもあって、本当に正行にぴったりでした。
 おはねちゃんもなんせ声が良くて、素敵な公家の姫君っぷりでした。そしてさくさくよりちょっとウェットな持ち味なのもよかったです。
 ぺるしゃ…と言っても通じないかな、れいこちゃんの正儀をやった彩音くんがまた良くて、安心したなあ。これまたものっそい美形だと思うんですけど、成績が悪いのかな? 今まで新公であまり役付きが良くない気がしていたので…二番手役をきっちり務めたのは財産になるのではないでしょうか。本役よりさらにやんちゃで元気で、とにかく華がありました。
 ちなっちゃんの正時をやった一星くんも、ここまで大きいお役は初めてだったと思うんですけれど、しっかりしていましたね。いい人っぽかったのがことによかったです。
 百合は羽音ちゃん、これまたきっちり手堅かった。正茂の大楠くんや久子のききちゃんも手堅いですよね。
 ジンベエの柊木くん、後醍醐天皇の真弘くんがとても達者で、とても難しいお役なだけに舌を巻きました。後村上天皇の彩路くんも綺麗で儚げで、お役に合っていましたねえ。阿野廉子の桃歌雪ちゃんもよかった。
 老年の正儀に回ったおだちんがさすがの重みとおちつきで、老年の弁内侍のじゅりちゃんともどもさすが場数を感じさせました。るおりあの尊氏もよかったなあ。
 本当はラスト新公主演をさせてあげたかったかもしれない…という蘭くんが高師直をまたとても上手く演じていて、唸らされました。その湯殿ではさち花のところをゆーゆが、はーちゃんのところを蘭世くんがやっていて、蘭世くんの祝子は詩ちづる。逃ーげーてー!(笑)イヤよかったです、さすがでした。
 あとは正時の岳父・太田の空城くんなんかがよかった記憶があります。それこそ珠城さんからこちら月組新公はかなり観てきているんですけれど、「おお、この子はこういう子だったか」という発見が多く、着実に代替わりして下の世代がきちんと育ってきている印象がありました。頼もしかったです。


 東京大楽は自宅で配信で見ました。
 それで気づいたんですが、私は『桜嵐記』ではオペラグラスをあまり使っていなかったんだな、ということです。たとえば『風共』『ベルばら』のコンボがしんどかったとき、なんせ観るところがないのであっきーのふくらはぎばっか見てたなー、とかいう記憶があって、のちにきちんと贔屓認定したときにあのころくらいから好きだったんだなーとか思ったものでしたが、要するに脚本がつまらないとたとえ真ん中の人を好きでもそこで演じられる芝居、ドラマがつまらないわけだから(それどこか整合性がなかったり差別的だったりして目を背けたくなるときすらある)そこをただおとなしく観てなんかいられなくて、端っこに好みの娘役ちゃんとかがいればその顔を眺めるとか、そういうことしかすることがなくなっちゃっていたわけです。でも『桜嵐記』は、そんなことがみじんもなかった。私が真ん中の人のファンだということもあるけれど、彼らが登場していない場面でもすべて見応えがありました。いろいろ感じながら考えながら、集中して観ることができました。脚本が良くて、物語やドラマがしっかりしていたからです。それをきっちり務めてみせている月組子の芝居の良さ、というものももちろんありました。だからもちろん細部を追いたい気持ちもあるんだけれど、それで何か他を見逃すのが怖くて、結局オペラを使わずいつも全体をなるべくきちんと観ようと努めていたな、と思ったのでした。そして、舞台だから、演劇だから当然ですが、それで客席にちゃんと伝わる芝居を組子はしていました。
 映像で見るとき、私は、この舞台を生で観ていなくてこの映像で観るのが初めて、という人にこの作品の良さが、出来が伝わるのだろうか、ということばかりを心配して見る、立ち位置どこやねん、な人になっていました。でも、カメラが誰もいないところを無意味に写すとかのアクシデントもなく、寄りすぎて人物の立ち位置がわからないとか周りの状況がわからない、みたいなことがほぼない、とても良くできたカット割りで進行できていたかと思います。ラストの合戦、珠城さん正行のセリ上がりが、上手からのカメラで手前にいる正時と百佑のやりとりをまだ追っちゃってて、ちょっと被っちゃっていたところだけが痛恨だったかな。あと、ラストのラストは下手花道奥にカメラを置いて、引っ込んでくる珠城さん正行の表情を追いつつ、その奥の本舞台に袖振るありちゃん後村上と崩れ泣くさくさく弁内侍がたたずむ…という絵面を作りたかった気もしましたが、潔いまでに珠城さんの横顔を写し続けて完、でしたね。まあそれはもうそういう撮影コンセプトだったのでしょう。ともあれ本当にストレスのない良き配信だったと思いました。その上でアップで細かい表情の芝居まで楽しめて、私にも発見が多く、素晴らしかったです。
 コロナ禍がおちついてもこうした配信というシステムは残るといいですね。もちろん経費とかは大変なんでしょうが、上手く儲けが出るようにしてほしいですし、すぐには儲けが出なくても将来のファンを育成する効果があると思います。そしてやはりどうしても劇場に直接来られない人、というのは全国にたくさんいるものなのですから、ファンサービスとしてがんばっていただきたいところかと思いました。
 さて、それからするとショーの方が、どうしても生で観るときの自分が興味ある、好きな生徒を追ってオペラグラスでよく観ていて、そうでもない生徒はスルーする、ということをしがちだっただけに、映像で見ると「あっ、そこ写すんだ? ホントはそこを観るべきだったんですねすんません!」みたいなところがいくつかあったかな(笑)。でもそういうことも含めて、やはりおもしろかったです。とてもオーソドックスでスタンダードなスタイルのショーで、スタッフさんも撮影しやすかったのではないかしらん。
 サヨナラショーも、基本的にはシンプルでしたしね。でもやっぱり『月雲の皇子』の「花のうた」からペンラでよかったと思うよ…大劇場では黄色のシンプルな棒状のペンライトが本当に王蟲の触手のようで一面がナウシカの金色の野になったわけですが、東京のものはちょっとデザインされていて色も白と青が点いたようで、残念ながら色も振る方向もバラバラで、大劇場のときのような奇跡は起きていませんでした。でも、美しかったです…!
 セレモニーは、やはりブーケがみんなそれぞれ個性に合っていて、そして珠城さんとりさちゃんの退団で月組からは94期がいなくなってしまうので、同期からのお花渡しはりさちゃんにはゆっこちゃん、珠城さんにはわかばが来てくれました。ふたりとも黒のシックなお洋服で黒子に務め、でも変わらず綺麗で華がありましたね。珠城さんへの組からのお花はれいこからで、大劇場同様に何か言葉をかけていましたが、その後の退団記者会見で問われて今度は珠城さんは明かさなかったようです。大劇場の「宇宙一カッコいいです」を秒でバラしていたのもおもしろかったけれど、今度はふたりだけの秘密に留めることにしたのですね。良きですね。
 その後のカーテンコールも、大劇場ではだいぶたっぷりやっている印象でしたが、東京では手際良くコンパクトにまとめていたようで、まだまだ後ろもある生徒さんも多いだろうし、観客も疲れなくてよかったと思います。月組ジャンプがなかったのも、さくさく他身体を傷めていそうな生徒を気遣ったのかな、と思ったりしました。
 ノー打ち合わせでゆりちゃん、まゆぽんを呼んじゃうのもいかにも珠城さんっぽかったです。本当に下級生時代からの戦友、同志でしたもんね。サヨナラショーのとっぱし、『アーサー王』のマーリンの台詞から始めたりと、からんちゃんと、雪に組替えしていったあーさあたりとはホント苦楽をともにした仲間、といった感じだったのでしょう。
 そしてそこまで長いつきあいではなかったかもしれないけれど深いつきあいにはなった、れいこ。大劇場ではれいこしか呼ばなかったけれど東京ではくらげちゃんも呼んでくれて、ちゃんと(?)次期トップコンビを紹介してくれたのもよかったです。ライフでハグしたからコメントはいいか、と雑な扱いをするところがまたたまれいこっぽかったし、同じ表情で固まっていたれいこくらげがもう今から長年連れ添った老夫婦みたいになっていました。でもここもれいこファン、くらげファンからしたらもっとちゃんとしたコメントタイムがほしかったのかなあ…難しいものですね。珠城さん自身もまさおに呼ばれたときのオタオタした記憶は残っていたのかもしれません。
 でも、その上で、だからこそ…あなたの相手役たるさくさくにも、せめて一言、何かもっとわかりやすい、ねぎらいの言葉をかけてあげてほしかった…! 所詮ビジネスパートナーなんだから、作品での姿がすべて、というのはもちろんわかっています。でもさ、やっぱりさ…
 デレろとは言わない、そーいうニンじゃないのはみんなもうわかっています。中の人がテレやな中学生男子みたいなことも、優等生でIQ高そうなくせして意外とへっぽこで面倒だったろうさくさくにとてもとても手がかかったのだろうことも、みんなみんなわかっています。それでも、さくさくの方でも、かつて珠城さんにかけてもらった一言をきっかけに奮起して、退団すら考えていたのをもうひと踏んばりしてふたがんばりして、とはいえこんな場所は望んでいなかったのかもしれないけれどふたり目の相手役ということになっちゃって、またあわあわしながらもがんばってついてきて、就任したときから一緒にやめるのが夢と考えてきたというのをけっこう明かしてきていて、みんながもうそれを知っている、可愛い、けなげな、立派なトップ娘役さんなワケじゃないですか。相手役あってのトップスターですよ、さくさくが隣にいてくれたからこそ珠城さんがよりカッコよく見えたところが絶対にありましたよ、褒めるでも認めるでも礼を言うでも、なんかあってよかったとホント思うよ…部活みたいとか教師と生徒みたいとかいろいろフォローして好印象だったらしきツイートもたくさん観ましたけれど、はっきり言って私は悔しかったし、悲しかったです。「ありがとう、お互いお疲れさま」くらい言ってもよかったじゃん…それかなんかもっとギャルっぽくなって、ちゃかし気味でもいいから何かがもっとほしかったよ…「導いたのは組のみんなだよ」とかじゃなくて、先代の言葉じゃなくて主上の言葉をって自分で言ったじゃん…!
 そこまで行きつけなかったのは若さ、幼さ故かもしれないけれど、きりやんでもみりおでも誰か指導してくれたらよかったのにー! それこそ意外とウマが合って仲良しだったベニーの、あーちゃんへのデレっぷりのわずかな爪の垢でも飲んでほしかった…! そりゃキャラ違うけどさ、でもさ…ちゃぴは珠城さんだけの相手役じゃなかったじゃん、さくさくだけがあなただけの相手役、たまさくこそ「僕と僕の女の子」だったんじゃん…!
 さくさく渾身の告白にむしろ怯えてキョドって、テレてあわてて必死で流そうとした珠城さんがホントマジまんま珠城さん、って感じなのは微笑ましかったんですけれど、でも私はやっぱり寂しかったですよ…さくさくファンだってちょっとつらかったと思うなー。さくさくのファンで珠城さんのことは別に好きじゃない、って人だって絶対いるんだからさー。ラスト回収できたら、株が上げられたのになー。当のさくさくは気にしてないどころか、応えが特になかったことに関しては気づいてもいないくらいなんだろーな、とは思うんですけれどね。というか引っ込む袖を間違えて黒カーテンと格闘して負けて、最後ちょっと舞台に戻ってきて引っ込み直したんだね…そーゆーとこホントあんた…愛しいよ…(笑)
 まあでも、珠城さんのご卒業の挨拶にあったように、真ん中を嫌いでも組が好きで観てきたファンというものは一定数いるのだろうし、そういうことも含めて、「これ全部、自分が守って、愛してきたもの」と言ってのけたのがまさに真実で、そして新たなメンバーになった組が今、れいこちゃんに託されました。
 これからはれいこちゃん、頼んだよ。引き続き観に行くよ。そしてまずは博多座公演、さらに来年のお正月公演…今から楽しみにしています。

 私は『川霧の橋』は生には間に合っていなくて、昔スカステで見たくらいです。娘役さんの役が多い、いいお芝居だなあと思った記憶はあるので、きっと似合うでしょうしいいものに仕上がることでしょう。そして『ドリチェ』がどう変わるのかも楽しみです。珠城さんがくらげちゃんと、さくさくがちなっちゃん・ありちゃんと組んでいた場面があるという、要するにトップコンビだけが組む構成ではなかったので、どこをどう変えてくるのかなとか新場面はどこにどんな感じのを入れてくるのかな、というのに興味津々です。

 ところで…先日、来年のカレンダーの発表もありましたが、つまり新生月組の二番手はちなつなんですね? ありちゃんではなく…私はありちゃんにしてちなつは別格扱いにしていくのかなとずっと思っていたのですが、どうもそうではないようですよねこの感じだと。
 また上級生二番手を作るんですね、という言い方しか私はできないなあ…だって93期の愛ちゃんがどこも空かずにトップにならずにやめていくのに、92期のちなつにどこかが空くとかそこに入れてもらえるとか、ちょっと想像つきません。つまりちなっちゃんはれいこちゃんより先にどこかで卒業する、となるとまた二番手退団になるわけですよね…? それでもファンは大羽根背負う姿が見られるし、グッズも出るし「歌劇」の表紙にもなるしサヨナラショーもやってもらえるし、トップ確約でないとしても二番手につけるならその方が嬉しい…のだろうとは思うのですが、ううーむ…下級生時代の扱いを知っていると、雪のなぎしょーが別格扱いだっただけに正直解せません。でも人気あるからなー…実力のことは正直劇団はあまり見ていないと思うんですよね(^^;)。だから劇団はありちゃんを今までバカスカ上げてきたんだと思うんだけど。
 でもありちゃんの方を起用するつもりなら『ドリチェ』くらいからもう臭わせてきたと思うんですよね、プログラムでもパレードでもシンメで置くときの左右でもなんでも。でも今回は完全にちなっちゃんだったからなー…そりゃありちゃんとだと学年差あるからその流れの中なら当然に見えるんだけど、れいことならその二番手になったって全然問題ない学年なんですよね。この停滞はこれでいいのか? 上手くやらないと飽きられちゃうんですよね…
 珠城さんのこともそうだけれど、劇団としてはトップスター人事をもう少し早巻きにさせて、早く就任し早く退団させ、組子も全体にもっと若くさせたいと考えているんだろうな、と思うんですよ。若く安い労働力を望むのは組織の常です。女は若ければ若いほどいい、という考えにはもちろんノーを突きつけたいですが、それとは別に誰もが卒業後に第二の人生を歩み始めるのですから、セカンド・キャリアのスタートはそりゃ早い方がいいに決まっているわけで、私もこの流れには基本的には賛成なんですね(そりゃ何を始めるにしても遅すぎるということはない…と思うけれど、一方で女性の身体には妊娠・出産に関する期限が明らかに存在するので)。なのでここに98期の二番手スターをさっさと作ってもなんの問題もないと思うんですけれど、どうしてそうしないのかねえ…ひとこに遠慮しているのか? まさかね…
 新公主演はなるべくたくさんの生徒にチャンスを与えていいんじゃないかなとは思うんですけれど、バウ主演はもう少し高いハードルが必要だろうし、そのあたりで精査していって、三番手になったらあとは順番にトップになっていく…という路線を組むようにした方が、組織としては、またファンにとっても、いいんじゃないのかなあ、どうかなあ…
 まあ、そうレール敷いてもなかなかそう進まないものなのかもしれませんが…うーん、とにかく生徒もファンもみんながなるべくヘンに泣くことのないように、お願いしますとしか今は言えません…
 毎度勝手な私一個人の考えです。お気に障った方も多いでしょうが、申し訳ございません。こりずにまた読みに来ていただけたら嬉しいです。











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