駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇雪組『fff/シルクロード』

2021年03月19日 | 観劇記/タイトルは行
 宝塚大劇場、2021年1月5日11時、15時半、28日15時半。
 東京宝塚劇場、3月16日18時半。

 フランス革命後のヨーロッパは混沌としていた。19世紀初めのオーストリア帝国、首都ウィーンの劇場では、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(望海風斗)の指揮による新曲コンサートが行われていた。喝采が劇場中に響き渡り、コンサートは熱狂のうちに幕を下ろす。ルートヴィヒの楽屋にオーストリア皇帝たちが姿を見せ、最後に演奏された交響曲は世界の覇者を思わせたと讃える。周囲はその曲を皇帝に献呈するよう促すが、ルートヴィヒは、この交響曲の名は「英雄」で、ナポレオン(彩風咲奈)に捧げるものだと言い放つ。ルートヴィヒはナポレオンに心酔していたが、近隣諸国の王侯貴族にとってはその存在は大きな脅威となっていた。皇帝の側近メッテルニヒ(煌羽レオ)はルートヴィヒに厳しい目を向けるが…
 作・演出/上田久美子、作曲・編曲・録音音楽指揮/甲斐正人、振付/前田清実、AYAKO。失恋、孤独、失聴といったあらゆる不運に彩られながらも、音楽史に革命を起こし、不滅となった男・ベートーヴェンを描くミュージカル・シンフォニア。雪組トップコンビのサヨナラ公演。

 マイ初日雑感はこちら
 改めて、東京でも観ておけて、よかったな、と思いました。もういいか、と日和らないでよかった…
 どなたかのツイートで、「これは宝塚歌劇では珍しく、物語ではなく理念劇だ」というものを見たり、「ミュージカルというより演劇」と評しているものも見たりしました。どれもなるほど、です。初日雑感で私は「歴史絵巻みたい」で「思想的すぎる」みたいなことを書きましたが、そう、この舞台は物語というよりは思想劇、みたいでしたよね。そんな言葉があるのかは知りませんが。少なくとも私はそう感じました。それが、宝塚歌劇にはベタベタの男女のラブストーリー・ロマンを求めるタイプの私には当初は違和感となったし、それでもなお、今やこれは宝塚歌劇のひとつの極北となる作品なのではあるまいか、と感じさせることともなりました。芸劇とか世田パブとかでやる外部の舞台だったら感動して受け入れていたかも、と書きましたが、むしろ宝塚歌劇で、だいきほで、そのサヨナラ公演でやったからこそ受け入れられたのであって、外部でやられていたらむしろ退いたかもな…とすら思うようになりました。他人事のように言いますが、心境の変化っておもしろいものですね(^^;)。
 でもマジで外部で男優演じるベートーヴェンが女優演じる「人類の不幸」を抱きしめて歓喜を歌う、とか展開されたらかえってキレてたかもしれません私…たとえ女性作家の手による作品だろうと、不幸を女の姿にするんじゃねえ、とか暴れていたと思います。
 でも娘役は、中の人は女性ですけれど、だからこそ、というか、存在としては無性になれるんだと思うんですよね。やはり中の人が女性である男役が、もちろん男性ではなく、そして女性でもなく、やはり無性になるのと同様に。男役と娘役がともに女性によって扮されているからこそ、お互いとしては異性ではなく同性なので結果無性になる、みたいな(イヤこれは同性愛を否定する見解ではないつもりなのですけれど。位相の差異がないので、という意味です)。だから、女が不幸を背負わされて男がそれを解放してハッピー、みたいな「ケッ」ってものに見えない。ただただ、ルイが謎ちゃんに名前をつけて抱きしめて融合し歓喜を歌った、というだけのことに見える。だからこの作品が存在できている、そう感じたのです。
 物語がない、とまでは言いすぎかもしれませんが、あるとすればやはり半生を描いているので歴史絵巻っぽくなっているし、ルートヴィヒが立ち止まるたびに話が過去に飛んだり故郷に飛んだり幻想に飛んだりして進みますよね。そういうところがとても演劇的で、かつわかりやすく時間順に起承転結みたいに流れていくストーリーラインではないから、ということでやはり物語性は薄い作品なんだと思います。
 でも、とても良く考えられ工夫されていて、しかもエンタメになっていると思います。なんといってもそこがすごいですよね。変な言い方ですが、やはりくーみんってけっこう宝塚歌劇を愛しているんだなぁと思うなぁ。そんな簡単に外部に行っちゃう作家じゃないんじゃないかと思うんですよね。今はもうあまりそういう心配の声を聞きませんが、ひと頃かなり言われていましたよね。それでいうなら今回の作品の方がよっぽどアナーキーだと思うのだけれど、今回はあまりそうしたことがささやかれないのは何故なんでしょう…みんな少し慣れたのかしらん。
 だいきほだから当てた、そのサヨナラ公演だから当てた、という感じがとてもします。もっといえば、たとえば外部からの依頼とかで書くんじゃなくて宝塚歌劇の仕事として書いた作品だ、という感じがとてもするな、と思いました。もちろんだいきほファンの中にも、もっとベタベタなラブロマンスを観たかったという人だってわりとたくさんいるはずだと思うんですけれど、でもこれはちょっとよそにはできないな、という形でちょっと誇らしく思い、納得し満足する、というところはあるのではないかしらん。そんな、とても特異な作品に思えました。
 そしてなんとなく、ああ担でなくてよかった…とか思っちゃいましたよ。実は『金色の砂漠』のときにも思ったんですよね。贔屓が出ていたりして10回も20回も通うことになっていたら、考察もせざるをえないし(というか多分否応なくしちゃうし)、それってぶっちゃけすごく疲れたろうな、とか感じたんですよ。好みだけど、いいんだけど、そこまで掘りたくないハマりたくない、さらりと触っただけで去れてよかった…みたいな。『星逢』『神土地』はまたちょっとタイプの違う作品のように思うかな…そして『桜嵐記』は大丈夫なのかしら私…ま、まあ珠城さんのことは大好きだしたまさく愛してるしご存じのごとく俄然れいこがマイ注目株になっているのでアレですが、でも贔屓というのとは違うし10回も20回も通わないだろうから、セーフかな…イヤ、今通っている方々はホント、お疲れ様です…

 端から見るとかなり艱難辛苦の生き様だったルートヴィヒが、それでも心折れることなく、人間を愛し人生を愛し、人間の未来や可能性を信じ続け、それをより高めようと作曲し続けた、というのはとても驚異的なことだと思います。ある程度普通のおうちで普通の親に普通に慈しんで育てられればそういうことはある程度自明なものとして人の中に育ちますが、ルートヴィヒの生家はそんな環境じゃなかったわけじゃないですか。だから彼にそれを植え付けたのは、ブロイニング家での日々だったんですよね。夫人の愛情やロールヘンやゲルハルトとの友愛、そして執事が授けてくれた本から得た「ちっさな炎」、すなわち「勉強」すること…それが彼の核を作りました。でもそれはことさらに描かれないんですよね。くーみんは、この作品の観客はそこはすでに自明のものとしていると信頼して、話を進めているんだと思います。確かに観劇なんぞに来られている時点である程度裕福なことには間違いないし、エンタメを愛好する精神性があるのはある程度幸福に育っているからでしょう。そういう点も、外部でやるともっとアングラとか、古い言い方ですが根暗な方に引っ張られがちだと思うのです。そういうのが文学性、哲学性だという空気がまだまだあるんじゃないかと思う。私はスノップなので、そういうのも嫌いじゃないだけにわかるのです。でもくーみんはこの作品を宝塚歌劇でやった。そこがいいな、と思ったのでした。
 当初は、すごいオープンエンドだなとか、ややサイコだなと感じたラストの展開についても、サヨナラ公演の、芝居だけどフィナーレの明るいお祭りなわけで、納得しました。
 くーみんは『BADDY』で怒りのロケットを作りましたが、それってやはり中二っぽいですよね。そこから、歓喜を歌い上げるまでに成長したんだと思います。そして『BADDY』は破天荒なようでいてきちんとショーの形式を守った、意外に(笑)ちゃんとした作品だったわけですが、それからしたら今作の方がよっぽどアグレッシブだしチャレンジングだと思います。そういう意味でもくーみんは進化しているんだと思います。やっぱり楽しみな作家さんです。
 まだまだ引き出し、ありますよね? 長く温めてきたSFもベートーヴェンもやっちゃったけど、まだまだこんなもんじゃないはずですよね? ますます、楽しみにしています。

 そして適材適所でそれぞれ輝いていた生徒さんたち、みんなみんなよかったです。特にこれでご卒業のカリとひーこはいい仕事をしましたよね。あとゆめくんも。まちくんも。
 そしてお帰りなさい&これからさらによろしくね、のひらめちゃんが本当に素敵で、頼もしい限りでした。
 この作品のナポレオンはなかなか難しいポジションのキャラクターだと思うのだけれど、咲ちゃんはやはりさすがそれに耐えて見せました、という印象。さらにいえばゲーテのナギショも、ついにこの域に達したスターとなってのご卒業ですか…と感慨深かったです。


 レビュー・アラベスクの作・演出は生田大和。
 私は頭でっかちな人間なので、こういう、頭で作った感じのするショーはわかりやすくて、好みです。盗賊、宝石、砂漠といったコンセプトがあるのもとてもわかりやすい。
 砂時計のセットが、本当に下の部分が割れていて砂がこぼれ落ちて広がってショーが始まって…というのを布と照明が美しく表現していることにマイ楽でやっと気づいて、ものすごく感動しちゃいました。やはり後方席から全体を引いておちついて眺めるのって大事…! やはり大劇場で数回観るうちは好きな娘役さんチェックとかに忙しすぎたんだと反省しました(笑)。でもさー、きぃちゃん見たいしひらめは戻ってきたしみちるりさひまりそして夢白ちゃんって目が足りないんだよ! てか花とか月とかに誰か行ってもいいのではあの不毛の砂漠に…あわわわわ。
 亡国の男女、次期トップコンビの咲きわの愛らしいことよ。奴隷を侍らせる王があーさというハマりっぷりよ。「♪…というお話」と歌うシェヘラザードきぃちゃんの麗しさよ。中詰めの鮮やかな彩りよ、ベタベタな銀橋渡りよ。上海のナギショの上着はもっとわかりやすく青の方が良かったと思うけれど、ここでスミカのドレス着てラップを歌う真彩希帆の絶品ぶりよ! トップトリオがバリバリ踊るタンゴのスリリングさよ!
 そして赤い腕章が禍々しい争いの場面へ…抗争と死、そして再生というのはショーで何百万回と繰り返されるモチーフですが、私はこの場面にはいい生々しさ、ざらつきがあると感じました。タカラヅカっぽく綺麗な抗争、イメージとしての争いにしちゃっていない、現実の、直近の史実の争いを思わせるところが、きちんと告発になっていると感じました。あと、ここの軍服っぽいお衣装は別にカッコいいものとして着られていないと私は思う。そこもよかったなと思いました。芝居では主人公が聴覚を失い、この場面ではヒロインがもう何も見たくないと目隠しをしている…その符合。そしてどちらも、トップスターが相手役のトップ娘役を抱擁し、解放し、そしてともに行こうと歌う…泣くしかないですね。
 そしてフィナーレとっぱしのナギショの銀橋渡りから、さすがにうるうるしてしまいました。何かがものすごく上手いわけではなかったけれど、ここ2年ほどは本当に味のあるいいスターさんだったよね…とか。その去り際のチャーミングさがまたたまらんな…とか。そこからの黒燕尾、初舞台オマージュの青い薔薇、娘役と同じ振りを踊るトップスターの優雅さ、そこからの男役群舞、大階段の真ん中を降りてくる次期トップ、お花渡し…そしてスモーク、白いお衣装でのデュエダン…パレード……
 私はだいもんはことさらに好きとかいうことはなかったけれど、上手いことはずっとわかっていたし、まとぶん以降はまあまあ観ているのでずっと見守ってきたつもりです。そんなだいもんが熱烈な宝塚ファンだということを思うと、そしてものすごく抜擢が早かったとかとんとん拍子でスターになって…とかではなかったことを思うと、でもそれだけの年月をかけたからこそ達成できた境地が今あることを思うと…そして今、一刻一刻をとても惜しんで、そして楽しんで、慈しんで歌い踊っているのが本当によく伝わってきて、自分でも意外に思うほどボロ泣きしてしまいました。
 ご卒業、おめでとうございます。すぐエリザガラコンとは余韻も何もないかもしれないけれど、まずは大楽まで無事に進みますように。そしてその後の芸能活動も楽しみにしています。
 そしてきぃちゃんも、始動のニュースを今から心待ちにしています。サヨナラ特番がよかったなあ、これまたなかなかに特異な娘役さんだったということになるんだろうけれど、いいトップコンビになれてよかった…ご卒業、おめでとうございます。



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