60~90年代名作漫画(昭和漫画主体・ごくタマに新しい漫画)の紹介と感想。懐古・郷愁。自史。映画・小説・ポピュラー音楽。
Kenの漫画読み日記。
●漫画・・ 「みどりの魔王」..(9)
小学館の学習雑誌、「小学四年生」「小学三年生」が、2012年2月初頭日発売の3月号を持って休刊になることが決まったそうで、これで2010年3月号で休刊になってしまった「小学六年生」「小学五年生」に続いて、歴史ある小学館の学習雑誌は後残すは「小学二年生」と「小学一年生」のみになってしまいました。雑誌の“休刊”とはほとんどが事実上の廃刊です。 「小学三年生」は1924年に創刊し、73年に発行部数が最多の102万部を記録。「小学四年生」は23年創刊で、73年に82万部を記録した。だが、最近は両誌とも3万~5万部になっていた。発行元の小学館は、休刊の理由を「学年別で男女共通の雑誌という枠組みでは、成長と変化が著しい小学生のニーズに合わなくなってきたため」と説明している、そうです。しかし小学館の学習雑誌とはすごいですねえ。「小学四年生」は月刊誌でありながら往時には、最多102万部を記録しているんですねえ。1973年のことですか。この時代には他の学年誌も先ず、少なくとも70万部80万部以上の発行部数を誇っていたんでしょうねえ。学研の学習誌もこの時代には相当な売れ行きを上げていましたしね。70年代というのは小学生世代の、子供向け学年学習誌の黄金時代だったんですね。僕の小学生時代は60年代ですが、それでも当時もクラスメートなど同世代の子供たちは、みんなよく購読していたようです。当時の、比較的教育熱心な親御さんたちは、本を欲しがる子供たちに、同じ子供向け雑誌を買い与えるなら、他の漫画誌よりも小学館の学年誌にしよう、と考えたでしょうからね。当時の学年誌には漫画もけっこう豊富に掲載されていたし。そりゃあまあ、他の「少年画報」や「冒険王」などの子供漫画誌に比べれば、漫画量はかなり少なかったけれど。ちなみに2009年2010年相次いで休刊した学研の学習・科学には、漫画はせいぜい1本くらいしか載ってなかったけど。
日本漫画史に残る、昭和の偉大な漫画家の一人、故・横山光輝先生の、巨人ロボットバトル冒険コミックの傑作、「みどりの魔王」のオリジナル連載初出は1965年~66年の小学館の学年誌「小学四年生」~「小学五年生」の本誌です。ちなみに上記画像は「むてきごうりき」という漫画作品です。横山先生のこの巨人ロボットバトルアクション漫画「むてきごうりき」は、小学館の幼年誌「幼稚園」と「小学一年生」に併載された、1969年に半年間連載された作品です。他には、小学館の学年誌での横山作品には、1964年の「小学三年生」の海洋冒険コミック「シードラゴン」、1973年「小学一年生」に連載された「ピンキリちゃんのふしぎなぼうけん」などがあります。
上記画像は1961年の「小学四年生」です。これは表紙はまだ写真でなくて、描画みたいですね。だいたい1950年代の雑誌の表紙、特に児童誌は描画が多かったですからね。ここの記事のトップ画像は1964年の「小学四年生」。調度、東京オリンピックの年で、11月号とはだいたい10月1日発売でしたから、東京五輪記念特集号ですね。
ええと、前回までのおさらいとなりますが、まあ、ワシの恥の幼少年時代のさらし伝記なのでありますけど、よくもまあ、こんな恥ずかしいことをしゃあしゃあと、書き込むなストーリーですが、前回までに書いて来た内容はだいたいこうでしたね。
人見知りが強くて、なかなか人慣れしなくて集団の嫌いな僕は、保育園や幼稚園に行ってないのも手伝って、6歳になって絶対に行かなければならなくなった学校が大嫌いで、小学一年の一学期時は登校拒否児童でしたが、義務教育でもあり母親が毎日強制的に学校へ連れて行き、授業が全部終わるまで一日廊下で待って、母親と一緒に下校してました。これは一学期間だけで、というか多分、一学期も後半は母親は午前中だけとか途中で帰っていたと思います。二学期は母親が学校の門まで送るだけで帰ったり、代わりに家によく遊びに来てた親戚のお姉さんや、母の知り合いの娘さんなどが学校まで送ってくれてました。下校は多分、一学期も終わり頃にはもう、一人で帰っていたんだと思います。三学期になるとやっと一人で行って、教室から逃げ出さずに最後まで授業受けて帰ってた。まあ、それが当たり前なんですが。 ところで小学一年の多分、三学期のある日に、みんなでじゃれ合う中で僕が最初軽く腕を噛んで、その仕返しに、右腕を後ろまで振りかぶり、勢いを着け渾身のワンパンチを僕の顔面に入れて、僕をビエエエェェェ~ッと泣き叫ばせたM君、まあ、幼い僕は小心臆病、怖がり大袈裟で派手に泣き喚いたんですが、その顔面パンチを僕に喰らわせたM君。ウブな僕にエッチな下ネタいろいろ吹き込んで教えたくせに、それをやればみんなが喜ぶからと僕が、友達のいっぱい居る前で、廊下にチョークで大きくエッチな便所の落書きマークを描いて、それに訳も解らずに上に乗っかってうつ伏せで、フンフンフンッって腰を蠕動運動していた、小学三年生の僕を、たまたまやって来た担任の男の先生に大声で報告して、先生に僕を売ったM君。あの時はお蔭で有無を言わさず僕は男の先生に頭を殴られ、職員室まで連れて行かれ、まだまだ幼児域ともいえないこともない小学三年生の僕は、まあ、脳味噌は中学くらいまで幼児域でしたけど、職員室でみっちり搾られました。あの頃は、僕は訳も解らずに、友達みんなが笑ってウケるので、シモネタを吹聴して回ってました。そして、担任の男先生は「他にもあるだろう」と僕に、これまでに教室や廊下で友達のウケ狙いでくっちゃべってた、それはそれはハレンチな、エロな言葉の数々を一枚の紙に列記させて行ったのでした。ま、●ンポとか●メコとか、出来の悪い子供がよく言う、卑猥語ですね。そして、その僕の書き込んだエロ語列記の紙を他の先生にも見せて、再び怒るのでした。僕をそういう憂き目に合わせたのがM君ですね。だいたい、ウブで引き籠もり気味の僕は、元々、卑猥な言葉など知らず、こういうエッチなのを教えてくれてたのはM君だったんですよ。低脳馬鹿な僕は、このエッチな言葉を喋ったり真似したりしたら、友達ウケして人気者になれると、みんなの前でやってたんです。それが、小学校時代の六年間、ほとんど同じクラスだったM君。
そして、小学四年のときに、学校に小学館の学年誌「小学四年生」を持って来て、自分のフェバリット漫画、「みどりの魔王」を自分の気に入っている2、3人の友達には見せて、僕やコエクミ君のような悪ガキ連には決して見せようとはしなかったM君。で、僕は多分、小学五年生のときに、このM君に対して陰湿な仕返しをやったのでした。って、本人は陰湿とか、そういう意識は全然なかったんだけど。子供だし。 ・・・・・ (さて、その続きは…)。
ということで、前回までの僕の幼少年時恥伝記の、書き込み記事文のおさらいでした。これは、まあ、タイトルの「みどりの魔王」とはほとんど関係ないんですけど、ここまで書いたんだからこの先の続きまで書くつもりで、次回へと続きます。でもまあ、タイトルの「みどりの魔王」に関してはもう僕には書くことはないんですよね。でも続きます。「みどりの魔王」..(10)へと続く。
※(関連記事)「小学六年生」「小学五年生」休刊・・・みどりの魔王Ⅴ2010-2/26
◆漫画・・ 「みどりの魔王」..(1)-2009-10/30
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