60~90年代名作漫画(昭和漫画主体・ごくタマに新しい漫画)の紹介と感想。懐古・郷愁。自史。映画・小説・ポピュラー音楽。
Kenの漫画読み日記。
漫画・・ 「ターゲット」
園田光慶先生のアクション劇画、「ターゲット」。貸本出身の園田光慶氏は、貸本時代からその描写力に定評があり、特に貸本時代の代表作の一つ、「アイアンマッスル」シリーズでのアクション描写は、当時は革命的とまで言われた程でした。「ターゲット」は、小学館の週刊少年サンデー、1969年20号から連載が始まり、70年24号まで掲載され続けました。園田先生の週刊少年サンデー連載では、「ターゲット」以前に戦記漫画の「あかつき戦闘隊」があります。「あかつき戦闘隊」は相良俊輔氏の原作付きでしたが、「ターゲット」は園田光慶氏オリジナル作品です。アクション劇画は貸本時代からの得意分野で、「ターゲット」も、その派手なガンアクションの場面描写に迫力がありました。
平凡で平和なサラリーマン生活を送っていた主人公の男が、出張中に、両親と妻子という一家惨殺の報せを受ける。緊急に帰宅し、家族と家庭を奪われた事実を突き着けられ、男の精神は奈落の底へ突き落とされて、黒髪が真っ白に変わる。主人公は、自分の最愛の家族を奪った鬼畜の如き殺人魔に復讐を誓う。
本編の主人公、岩神六平の家族を惨殺した犯人が、実の弟だと知り、六平は、弟・徹二を捜索する。徹二のことを調べていると、アフリカの企業に勤める男の姿が浮かび上がり、六平は単身アフリカへと渡る。
アフリカで徹二の姿を見掛けたが、徹二を追う内に、六平は、当地の警察に殺人事件の容疑者にされて連行される。無実の罪を掛けられ、絶対に脱獄不可能と言われる監獄の島「終身島」へと送られることとなった。
終身島を支配する、地獄の看守長ヤコブに寄り、六平は拷問のような扱いを受け、ボロボロにされる。家族を惨殺されたことへの復讐に燃える六平は、一刻も早く、弟・徹二を探し出すために、監獄島からの脱獄を考え続ける。
獄中で知り合ったジャーナリストの男の協力を得て、死亡をよそおい、六平は、何とか監獄島からの脱獄に成功する。
ジャーナリストに誘われたニューヨークの組織で、負傷した身体の治療をして貰い、そのときに右手の拳の人差し指と中指の第一関節に、ダイヤモンドの塊を埋め込まれる。この組織で殺人マシーンとなった岩上六平は、終身島監獄の悪魔看守長でもあったヤコブと、六平の家族を惨殺した弟·徹二の所属する犯罪組織に敢然と挑むのであった。銃撃と格闘の舞台は、ニューヨーク-アフリカ-日本と繰り広げられて行く…。
というのが、だいたいの「ターゲット」のストーリーの流れです。「ターゲット」は劇画作家・園田光慶氏が貸本時代に得意とした、ハードボイルド拳銃・格闘アクション劇画ジャンルでの、大手人気雑誌での連載巨編です。
貸本時代は、ありかわ栄一名義で貸本劇画を描いていた園田光慶氏は、1963年の週刊少年キング誌上で久米みのる氏の原作付きで、「車大介」という柔道漫画で、ありかわ栄一名義のままメジャー雑誌デビュー。初の雑誌連載作品でした。ここからは貸本漫画の執筆と平行して、メジャー雑誌でも主に原作付きで連載漫画を描いて行く。
「車大介」の後、同じ週刊少年キング誌上で同じく久米みのる氏の原作付きで、1964年に「巨人ジャンロ」~「ホームラン探偵局」の二本の連載を描いてます。また、キングと同じ出版社発行の月刊誌、少年画報に1965年、「月影三四郎」という柔道漫画を四回連載しています。66年には、週刊少年キングで読み切り短編の「アイアンマッスル」と「ゴム人間」というアクション劇画を掲載しています。「ゴム人間」は66年の別冊少年キングにも、読み切り短編で発表しているようですね。同じく66年、講談社の月刊誌、ぼくらに「ガードマンセブン」を描いています。これは四回の連載かな。
67年の週刊少年キングに怪獣もののTV特撮ドラマのコミカライズ、「怪獣王子」を連載。これは67年いっぱいくらい連載で描いたのかな。67年11月頃から週刊少年サンデー誌上で、相良俊輔氏の原作付きで「あかつき戦闘隊」の連載を始め、この戦記漫画はサンデー69年の四月頃まで長期に連載が続きます。
そして「ターゲット」の週刊少年サンデー連載開始が69年五月頃で、この、オリジナル・アクション劇画の連載が70年五、六月頃まで続く。70年に入ると、梶原一騎原作で後にTVアニメ化されて大人気となるサッカー漫画、「赤き血のイレブン」を週刊少年キング誌上で71年五月頃まで長期連載をする。
この間に雑誌の作品執筆は、短編読み切りの漫画も数多く描いてますし、また、漫画家デビューの貸本劇画は、1958年のデビューから67年頃まで貸本の各出版社から長編·短編を精力的に描いていますし、特に短編作品は当時の貸本オムニバス誌、「街」や「影」から「刑事」「ゴリラマガジン」「ヤングビート」「青春」などにまで、相当な数の短編を掲載しています。
ペンネームをありかわ栄一から変えて、園田光慶の名前を使い始めたのは、1965年くらいからかな。園田光慶先生は、1960年代を通して精力的に漫画作品を描き、60年代十年間は大忙しだったでしょうね。
「ターゲット」の主人公、岩上六平が物語途中で世話になる組織の中で、六平の右手の拳、右手人差し指と中指の第一関節にダイヤを埋め込まれるところがありますが、雑誌連載リアルタイムで本編を読んでいた頃は、何だかこういうことに憧れてました。ゲンコツを鉄よりも硬いダイヤモンドにすることができるんですから。この部分のシーンは大人になっても印象的によく憶えてました。
小学生から中学生の時代、僕は漫画物語の中のヒーローたちに憧れ続けてました。SF 漫画のヒーロー、アクション劇画のヒーロー、学園漫画のヒーロー。とにかく「強くなりたい」という憧れ。勿論、喧嘩に強くなりたいという憧れも大きかった。僕は根は臆病な小心者で精神的に弱い子供でしたから、実際の喧嘩なんてほとんどしないですけどね。でも本心では「ああ喧嘩に強くなりたい」と妄想的に願っている僕は、学園漫画の中の喧嘩が超強い番長ヒーローに憧れました。
常々、「喧嘩に強くなりたい」と妄想的に願っている僕は、「ターゲット」の主人公、岩上六平みたく拳にダイヤモンドを埋め込んだら強くなれるんだろうなぁ、と馬鹿みたく憧れました。超単純な考えで拳が武器になる、と思ったものです。
大人になって解るのですが、拳に埋め込むダイヤモンドって、現実にはもの凄く大きなものですね。ダイヤモンドとしては超レアな塊で、宝石の値段としては10億じゃくだらないくらい高価なものになるんでしょうね。大人になってよく考えてみると、拳にダイヤなんか埋め込んでも関節の役目をしないから、指が動かなくなるし拳を強く握ることもできなくなる。当然武器になんてならないし、むしろ、スラム街みたいな危険区域に入ったら、強盗から、手首から切り落とされて拳ごと持って行かれるかも知れない。
現実的に考えるとダイヤの塊を埋め込むというよりは、ダイヤを平たく薄く削って、平面にしたものを拳の関節に貼り付けるのが良いかも知れない。でもこれも実際は難しいでしょうね。拳の関節を可動させないとならないから、90度以上を自由に動く関節に、超硬度なダイヤを薄皮状に貼り付けるのは技術的に相当難しそう。
拳に薄く削った一枚のダイヤを貼り付けるのが難しいなら、拳に小粒のダイヤを何個か埋めたらどうか、とも思うけど、そうすると殴ったときにその反動が拳に来て拳が痛くてたまらないだろうから、拳に通る神経を抜かなきゃならない。拳の神経を抜いてしまうとそれはそれで何か支障が来そうだし。
そうやって考えると結局、一番良いのはメリケンサックですね。何もダイヤでなくていい、鉄製のメリケンサックで充分。拳のダイヤもメリケンサックも用途は同じことですもんね。
漫画の中で復讐に燃える主人公の拳にダイヤの塊を埋め込んだのは、地球上の自然鉱石の中で一番硬いダイヤモンドを拳に埋め込む、というダイナミックな衝撃性を煽る、まぁ漫画演出の一つだったんでしょう。事実、僕みたいな低脳な少年は「おおっ凄えな」とか驚いて、「俺も拳にダイヤを埋めて喧嘩に強くなりてぇ」とか単純に馬鹿な憧れを持った訳ですからね。
「ターゲット」が週刊少年サンデーに連載されていた時代、僕は中学二年生ですね。僕が六歳から十五歳まで住んでいた、商店街の中ほどにあった、当時親父が勤めてた電力会社の社宅の家の、前面に隣接した会社の事務所(営業所)の、通りを挟んで斜め前にある屋敷の次男の、同級の幼馴染みのMM 君の誘いで中学の剣道部に入り、MM 君が中一・三学期終了と同時に転校して居なくなって、毎日部活動としてやっていたけど、あんまり剣道の練習に熱意を持たず、ただ惰性で仕方なく剣道をやっていて隙あらば部活動を辞めたがっていた、僕を剣道部に引き留めてくれていた友達が居なくなって、中二に上がって一学期までは何とか放課後の部活動に出ていたけど、毎日毎日、部活動が嫌だ嫌だと剣道を辞めたい気持ちが募るばかりで、その内、放課後は逃げるように下校するようになり、ついに中二·一学期中に剣道部を辞めてしまった。
だいたい、中学生時の僕は部活が嫌いでしたからね。トレーニングは独り黙々と身体を鍛えるのは大好きなんだけど、子供時分から集団で運動することが何か苦手であんまり好きでなかった。特に部活は上下関係もあるし、何か集団の中の規律みたいなものが嫌だった。上下関係の厳しい集団の中で、根性とか精神力を強調され、ムリムリにキツい練習を強要されて運動するのが嫌で嫌でたまらない僕は、本当に部活とかが嫌いでした。でも自分独りでトレーニングするのは好きなんですよね。自分がやりたくて一人でやる運動はけっこう長時間でもやれる。けど、集団の中でやらされる厳しい練習は嫌だった。
だから、当時、いつも僕を剣道の練習に誘ってくれて、僕が練習に行きたくないと言って部活を辞めたがるのを引き留めてくれた、MM 君が転校して居なくなると、タガが外れたように部活を辞めたい気持ちが噴き出して溢れ返り、毎日放課後逃げたい逃げたい気持ちが募り、実際、放課後直ぐに逃げるように帰宅し始めた。そしてめでたく中二の一学期中に剣道部を辞めた。正式に辞めたというよりはズルズル辞めて、中二の二学期から完全に部活に行かなくなった。勿論、中二の一学期は部活の先輩から殴られたりしてました。殴られると余計辞めたくなってた。
中二の夏休みからは、たっぷり時間ができて、おおいに僕の内面的少年時代を堪能しましたね。僕は妄想·空想の鬼のような少年でしたから。幼児時代から少年時代を通して、独り遊びが大好きで、大いに漫画を読んでモノマネになるけど自分オリジナルの漫画を描いて、空想の友達と会話して(要するに独り言だけど)遊んで、その他にもイロイロ独り遊びに熱中してました。
毎週の週刊少年サンデーで「ターゲット」を読んでいた中二の頃、僕はこういう少年時代を過ごしていました。僕は集団でやる部活は嫌いだったけど、一人でやるトレーニングは大好きだったんで、剣道部を辞めた後も家の庭で竹刀を振ってたし、家の中では毎日、腕立て伏せと腹筋とスクワットとブリッジをやって身体を鍛えていました。
園田光慶先生は、貸本時代は1965年頃まで、ありかわ栄一名義で作品を発表してましたが、65年頃の貸本時代の代表作「アイアンマッスル」シリーズは園田光慶名義で発表かな。貸本時代はだいたいハードボイルド·アクション劇画が多く、「挑戦資格」は貸本単行本で全8巻になる、貸本時代のもう一方の代表作。六歳から十一歳頃まで毎日通った貸本屋では、ありかわ栄一のアクション漫画はよく借りた漫画本だったな。さいとうたかを·南波健二·ありかわ栄一の漫画はだいたい似たような作風のアクション漫画で、新刊があれば「ラッキー!」と喜んで借りていた。この三人の貸本漫画家は絵柄も似てたし。
沢田竜治や旭丘光志のアクション漫画も好きでよく借りてたけど、この二人はまたちょっと作風が違ってた。都島京弥のアクション漫画は借りては来てたけどあんまり好きな画風じゃなかったな。川崎のぼるも貸本で描いていて、南波健二やありかわ栄一にタッチがよく似てたけど、貸本漫画での印象があんまりないな。川崎のぼる初期の印象は、少年ブックの西部劇漫画「大平原児」だな。
貸本時代の「アイアンマッスル」で、拳銃アクション·格闘アクションの場面描写で、さまざまな“線”を駆使して、当時の漫画描写としては革命的な場面描写を発明した、ありかわ栄一(園田光慶)氏ですが、実際、園田先生の漫画の絵はムラが多く、一枚の場面を精魂込めて緻密に書き込んだ絵もありますが、明らかに手を抜いたような場面も多い。こういう言い方は失礼になるのですが、やる気まんまんで情熱込めて燃えて描いてるときと、やる気がなくて惰性だったり、まぁイヤイヤみたいな気分だったりで描いてるときと、漫画執筆時の気持ちの落差が大きいようにも見られるところがあったみたいですね。
◆ターゲット(上) (マンガショップシリーズ (12)) コミック –
◆ターゲット(下) (マンガショップシリーズ (12)) コミック –
◆ターゲット (1) オンデマンド版 [コミック] オンデマンド –
◆怪獣王子〔園田光慶版〕【上】 (マンガショップシリーズ 376) コミック –
小·中学生の子供時代、僕は邦画はよく見たけど、洋画はほとんど見ていません。TV で放送される、洋画劇場みたいな番組でも、ドラキュラみたいな怪奇映画は見てたけど 、他のジャンルの洋画はほとんど見ていない。だからフランス映画の「ファントマ」のシリーズも見たことない。園田光慶氏の漫画は内容は全く覚えてないけど読んでることは間違いないですね。
当時、「ファントマ」と似たようなシリーズで「黄金の七人」という映画のシリーズがあったけど、あっちはイタリア映画ですね。主演女優のロッサナ·ポデスタが超セクシーな魅力的美女でした。「黄金の七人」の方は後に、作品のどれかをTV 放送で見てるかも知れない。
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今思うと、ターゲットは主人公の年齢が高い、妻子・両親まで揃っている、少年漫画の設定にしては不思議でした。 西村寿行だとか船戸与一みたいなお話。
暫くして発刊された青年誌の方があったなぁ、と思うことがありました。
少年漫画、青年漫画、劇画を夢中で読んでましたっけ。
だいぶ後年ですが、どなたかのアシスタントを務めてませんでしたか?
返事が大変遅くなりまして申し訳ありません。
私が「ターゲット」をサンデーで読んでたのはもう中学生になってたと思います。
園田光慶先生の漫画はどれもカッコ良くて、読んでてワクワクしてましたね。
ありかわ栄一~園田光慶先生の作品は貸本劇画時代からけっこう読んでましたが、私は園田光慶先生が誰かのアシスタントに着いてたとか誰がアシスタントだったかとか、その辺のことはよく知らないですね。
60年代末頃から青年コミック誌でもいっぱい作品を描かれているんでしょうが、正直なところ、私はあんまり青年雑誌での園田光慶先生の漫画を読んだことないですね。私は70年代後半からけっこう青年コミック誌を読んでたんですが、たまたま愛読してた雑誌に園田光慶先生の作品が載ってなかったのかな?70年代後半以降は園田光慶漫画をあんまり記憶してないですね。