河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2752- メシアン、幼子イエスに注ぐ20のまなざし、スティーヴン・オズボーン、2019.10.31

2019-10-31 23:13:52 | リサイタル
2019年10月31日(木) 7pm-9:20pm 小ホール、武蔵野市民文化会館

メシアン 幼子イエスに注ぐ20のまなざし 2時間12分

10-3-4-5-9- s31
11-3-4-3-9- s30
8-3-4-5-12- s32
3-6-6-11-13 s39


ピアノ、スティーヴン・オズボーン


約2年半経って同じピアノで同じ曲を聴けるとは思ってもいませんでした。僥倖です。
2345- メシアン、幼子イエスに注ぐ20のまなざし、スティーヴン・オズボーン、2017.5.18


この奇跡の様なまれなる作品。前回は一心不乱、テンション高めて集中するちからフル活動で根詰めて聴きました。今読み返すと感想も随分と長く書いてしまいました。そいうこともあってか、今日は楽な気持ちで聴くことが出来ました。良かったと思います。やっぱり一度熱く接していると2回目からはあちこちみる余裕が出てくる感じ。

前回は2時間5分。今回は2時間10分越え。この違いは細かなアゴーギクの多用といった事では無くて、各曲、ひとつのメローディーライン、そういったところの締めが大きくリタルダンドする。びっくりするぐらいですね。それから随所に響きを確かめるためのパウゼが大きく取られている。こういった事は演奏会場の違いなども作用しているのかもしれない。このホールは余韻まで楽しむには申し分ないホールなんだということだろう。

オズボーンの音の厚みは何階層もありそうだ。自由に響きの階層をコントロール。それに、打楽器的叩きの多用、これなど前回より明らかに強烈でしたね。叩くと、硬質で明るいメシアンサウンド・テクスチュアが、より一層浮き彫りになってくる。
暗い中とはいえ、手掛かりは各ピースについた副題だ。あらかじめ内容をかじっておけばこの副題をチラ見するだけでイメージがグッと湧いてくる。作品がグッと近寄ってくる。オズボーンの響きやプレイの方針など、悉くイメージに合致するもので、冴え冴えとした気持ちになってくる。手助けはあるに越した事は無い。
オズボーンの技巧は全て数値化できるのではないかと思えるほどの精緻の極み、そして、ピアノの音を長く保持するには静寂の取り込みと支配も要る。なんだか、二律背反的なことの両立可能性を示してくれているようでもある。人間の叡智を浴びる。オズボーンのメシアンへの共感はそのまま聴衆のものとなる。凄いもんだ。

20曲目終曲フィニッシュは、最も右側の鍵盤をタラッタタッと跳ね、一瞬の間を置き、最も左側の鍵盤をダダダッと押し込んで終わる。長い静寂と世界の包容。両翼まで包み込んだ幼子イエスを見るメシアン、世界の変容に和を成すこの音化力。メシアンの幾何学模様の思いの深度はオズボーンによって一つの解を得たように見えた。
今回も素晴らしい演奏でした。ありがとうございました。
おわり










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