2018年11月13日(火) 7:00pm サントリー
プロコフィエフ オラトリオ イワン雷帝 Op.116 (字幕付き) 67分
語り、ニコライ・ブロフ
バリトン、浅井隆仁
合唱、東京音楽大学合唱団
ニコライ・アレクセーエフ 指揮 サンクト・ペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団
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指揮は当初のテミルカーノフからアレクセーエフに変更。内容についても変更があり、カット予定の「3.大海原」が省略されずに演奏。
また、昨年2017年同時期にソヒエフ、N響で同じ演目の公演がありました。
2450- プロコフィエフ、イワン雷帝、トゥガン・ソヒエフ、N響、他、2017.11.17
この時の公演ではメッゾの出番がありましが、今回は無し。テミルカーノフに替わるアレクセーエフでも同じようにカットしているという話しになります。
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いやはやなんとも、一気通貫のやにっこさ。昨年のソヒエフでも同じような感触でしたけれども、あれをもう二回りスケールアップした演奏で、やにっこさも増す。プロコフィエフ特有の斜めに見た雰囲気はあまりなくてムーヴィー的なスペクタクルあり。とは言いつつも、合唱との掛け合いがものすごく印象的でこちらがメインといった気もする。合唱が素晴らしく美ニュアンスに溢れていて血が通っている。合唱と語り、それに管弦楽、それぞれの色模様が直列的になっているのでわかりやすいですね。
映画のストーリーは解説のほうに譲って、まずは、語りのブロフ。マイク付きで、おそらくマイク無しでも相当デカい声だと思われるが、それにマイクだからオーケストラの全奏すと同じぐらいデカい。これにはびっくりで、アンバランス感が漂う。ただ、自国の芝居物オーソリティの語りは圧倒的でグイグイと引き込まれる。ソヒエフのときの片岡も凄いものでしたがそれとはまったく別、ブロフの母国語での語りは圧巻の説得力。まるで歴史のその場にいるかのような原色カラー。まあ、けた外れの仰天パワーでした。
この語りと合唱の絡み合いがアンバランスにならず双方同じリキで受け応えする。語りが済むとブロフは後ろの合唱を見て促す。なんというか、いいコンタクトで、呼吸がよく合っていて音楽が非常によく流れていく。語りと音楽。音楽と音楽のようだ。
声が済むと今度は18型のオーケストラが唸りを上げ底馬力、センターバックの鳴り物、上手奥で炸裂するブラス・セクション、ぶ厚い弦のうねり。
上手に配したブラス・セクションは昔のレニングラード・フィルや他のソ連時代のオケを思い出しますね。ホルンが1列では無くて1,2と3,4の2列になるとほぼ昔通りの配置。あすこからかたまってトランペット、トロンボーン、ホルンが整然とした響き、一糸乱れぬアンサンブルというのはロシアらしいし、またあらためて秀逸、レヴェルの高さをまざまざと実感させてくれる。
とにもかくにも、もの凄い演奏に出くわしたものだ。腰が抜けました。
代振りのアレクセーエフは棒を持たず、しなやかな腕まわしでテミルカーノフ風味もあるかな。空気わしづかみ的なアクションは若い頃のロジェストヴェンスキーを思い出させる。全体に端正な振りで要所要所を締めているのだろう。語りと合唱の掛け合いの時はそちらを見たりしているオケメンも出番になるとアレクセーエフの腕のピクリにドドーンとものの見事に反応する。オーケストラは言わずと知れた高性能集団で、進むにつれて、その素晴らしいアンサンブルが合唱にも伝播、フルオケ、合唱がドドーン・ドドーンと見事に荒れ狂う。流れも実によくてめくるめく映画音楽の完成だ。
対向配置、18型、巨大編成のオーケストラ。女性奏者は十二三人でしょうか。この時代、随分と少ない男集団ですね。
イワン雷帝、満喫しました。
ありがとうございました。
おわり