河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2583- バッハ、管弦楽組曲第3番、マニフィカト、尾高惇忠、時の彼方へ、広上、日フィル、2018.7.7

2018-07-07 21:22:15 | コンサート

2018年7月7日(土) 4:00-5:20pm サントリー

バッハ 管弦楽組曲第3番ニ長調BWV1068  8-5-4-2-3

尾高惇忠 交響曲 時の彼方へ  16-9-11

Int

バッハ マニフィカトBWV243  29
(in order of vocal appearance)
1. 吉田和夏、ソプラノ
2. 鈴木玲奈、ソプラノ
3. 浅井隆仁、バリトン

4.中山茉莉、アルト
4.吉田浩之、テノール

合唱、東京音楽大学

広上淳一 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団

(encore)
バッハ アリア  2


16型でのバッハのあと、さらに鳴り物等を追加して尾高作品、後半は14型ベース7とした歌もの。大規模バッハ、試演ではなく定期公演。終演後のお話は良し悪しです。

1068は陳腐の正反対の演奏。素晴らしく研ぎ澄まされ切れ味よくて、けれんみ無し。それに大編成オケだからこそその質感を実感できる締まり具合。ギュッと引き締まっていて、ありがちな余韻は全部無駄なんだよとでも言いたげな凝縮された美演。音楽の香りとはなんだろう、少なくとも余韻では無いな、などと思う。
空気の入り具合がちょうど良い柔らかゴムチューブの弾みのような充実オケサウンド満喫。最初から最後までなにか新作でも聴いているようなフレッシュな気持ちとなる。
指揮者のコントロールがオーケストラによく効いてますね。指揮者の思い通りの演奏という気がする。やっぱり、多くのジャパニーズ指揮者の中にあって群を抜いてますね。あらためてこの実感。

後半のマニフィカト。
独唱も合唱も1068のオーケストラ同様、指揮者の意のままのコントロールが続く。
広上の指揮によるマニフィカトは以前どこかで聴いた記憶があるのだが思い出せない。あらためてじっくり聴く機会と、ひとつずつ噛みしめる。味わい深くていい演奏だ。
最近日本の古書に触れる機会を持つようになってから、西欧音楽のいわゆるモダン、ピリオドの時代変遷による演奏様式のリヴァイヴァルを絡めた根掘り葉掘り的比較には興味がなくなった。時代が近すぎるというのもあるし、一番は、その時代に思いを馳せるイメージりょく不足。何しろ直列回路の頭につきそこまで手が回らない。それにまずは自国のことだろうなという思いが強くなったのもある。
大型編成で聴かせるあとくされのないスパッとしたエンドフレーズ、それ一つとっても素晴らしい歌いくちと説得力。この音楽の様式も揺れ動く歴史の振り子の中に、いまだ、ある。
広上のマニフィカトは熟成している。たまに、やってほしいですね。繰り返し。


前半2曲目の尾高のシンフォニー。
一昨年2016年に同じ組み合わせでピアノ協奏曲の世界初演があって、彼の作品に接するのはそれ以来。
3楽章形式、時代的な音楽の安心感がある。初楽章はメシアンの弦の動きのような風味。中間楽章はしゃべっているようなモノローグ風味。終楽章の冒頭、弦による広がりはショスタコーヴィチ15番シンフォニーの終楽章が浮かぶ。そのあとは変奏曲のように続いていき、最後に初楽章の息の長いややリズミックなメシアン音形の弦の動きが再帰。
型は出来上がったもので、つかみやすい。副題がついているけれども、なにしろプログラムにあるご本人解説では各楽章の音の動きをそのまま説明しているだけであって、それが何を生み出す、どのようなイメージなのか、そう言ったことは書いていない。これはこれで潔くてわかりやすいものともいえる。副題は全体像ととらえることに。メシアン風味のタイトルではある。
おわり

 

 

 

 


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