河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2455- メシアン、アッシジの聖フランチェスコ、シルヴァン・カンブルラン、読響、新国立劇場合唱団、びわ湖ホール声楽アンサンブル、2017.11.26

2017-11-26 22:36:24 | オペラ

2017年11月26日(日) 2:00-7:50pm サントリー

メシアン アッシジの聖フランチェスコ (演奏会形式) jp  71-114-68′

キャスト(in order of voices’ appearance)
1.兄弟レオーネ、フィリップ・アディス(Br)
2.聖フランチェスコ、ヴァンサン・ル・テクシエ(Br)
3.兄弟ルフィーノ、畠山茂(Bs)
3.兄弟シルヴェストロ、ジョン・ハオ(Bs)
3.兄弟ベルナルド、妻屋秀和(Bs)

4.重い皮膚病を患う人、ペーター・ブロンダー(T)
5.天使、エメーケ・バラート(S)
6.兄弟マッセオ、エド・ライオン(T)
7.兄弟エリア、ジャン=ノエル・ブリアン(T)

合唱、新国立劇場合唱団、びわ湖ホール声楽アンサンブル
合唱指揮、冨平恭平

シルヴァン・カンブルラン 指揮 読売日本交響楽団


Overview
ActⅠ 22-18-31
ActⅡ 36-33-45
ActⅢ 27-41

Duration and casts in order of voices’ appearance
第1幕
第1景 十字架 22′
1.レオーネ
2.フランチェスコ
合唱

第2景 賛歌 18′
1.フランチェスコ
2.ルフィーノ
2.シルヴェストロ
2.ベルナルド
合唱

第3景 重い皮膚病患者への接吻 31′
1.患者
2.フランチェスコ
3.天使
合唱


第2幕
第4景 旅する天使 36′
1.レオーネ
2.マッセオ
3.天使
4.エリア
5.ベルナルド

第5景 音楽を奏でる天使 33′
1.フランチェスコ
2.天使
3.レオーネ
4.マッセオ
5.ベルナルド
合唱

第6景 鳥たちへの説教 45′
1.マッセオ
2.フランチェスコ


第3幕
第7景 聖痕 27′
1.フランチェスコ
合唱

第8景 死と新生 41′
1.フランチェスコ
2ベルナルド
3.マッセオ
4.レオーネ
5.シルヴェストロ
5.ルフィーノ
6.天使
7.患者(黙役)
合唱


11/19公演はこちら
2452- メシアン、アッシジの聖フランチェスコ、シルヴァン・カンブルラン、読響、新国立劇場合唱団、びわ湖ホール声楽アンサンブル、2017.11.19

このオペラで一番の長丁場、第6景、鳥たちへの説教。読響ブラスセクションの燦然と光り輝く強奏の美しさはいかばかりであろう!
メシアンサウンドが美しさの限りを超えてホールいっぱいに響き渡る。なんという充実度。聴く喜び。浴びる快感。オーケストラを聴く醍醐味、ここにあり。メシアン、堪能!

先週に続いて2回目のアッシジ。全体像はいまだ霧に包まれているものの、各シーンについてはだいぶ理解が進んできてよくわかるようになった。やっぱり回を重ねるほうがいい。

第1幕。第3景でドラマが動く。1,2景は下地作り。
3景でのストーリー展開、絡む音楽。擬音効果は次の2幕4景が圧倒的なのだが、既にこの3景でその予兆、前触れ、きざしを見て取れる。ここでのドラマチックな音楽の動きは見事なもので、わけても冒頭の患者、キャラクターテノールの風味で一気に音楽を動かす。エネルギーの噴出が凄い。2景での願いがフランチェスコの現実のものとなる。
この二人に続いて天使の示唆。この三人の絡み合い。そして雄弁さを増すオーケストラ。ストーリー展開と合致したメシアン筆の運びは冴えている。パーカス10人衆、ブラス、ウィンド、弦、メシアン響きが鳴り渡る。素晴らしい。
フランチェスコを後押しする天使の出現は、次の2幕4景の旅する天使の予兆。きっちりとテーリングするメシアンのストーリーさばき。鮮やかです。1幕が閉じ休憩が入るが、緊張感を全く切らさないカンブルランの目は先を見据えている。


第2幕。
音楽の感興、オペラティックな高まり。この2幕は圧倒的に素晴らしい。全てが圧巻。

4景の旅する天使。天使がドアを叩く擬音効果満載の強烈なオーケストラ咆哮はなにやら巨人の駆け抜ける足音のようでもあるがそれを越えている。強烈。兄弟たちとのやりとりはオスティナート風に進行の様相。積分するリピート。音楽は急激に立体的になる。ここに舞台が有れば動きと音楽が一体化した峻烈なシーンとなっていたに違いない。演奏会形式の精度の高さはそれを凌駕するものであったような気もするが、はてさて、どうだったろうか。
いずれにしても、オペラとしてのドラマ、音楽の高まり、見事な絡み具合でした。
旅人は天使だったのかも、と、次の5景に巧妙につないでいく。

その5景、音楽を奏でる天使。ここはヴィオール美弱音が静寂を支配する。天使によるフランチェスコの失神。オペラのツボというかへそというか、波打つ進行にあって山野の谷底の平野の広がりを感じさせてくれる。平面的な静寂が下に沈殿してくようなシーンだ。
音楽による瞑想の度合いが濃くてグイグイ引き寄せられてしまう。静けさやこれほど見事な天の声。

このオペラ作品、最後に作曲されたという第6景、鳥たちへの説教。エピソード的な色合いなれど、メシアンにとってはおいしいものを最後まで取っておいたのかどうか知らないが、結局、当オペラのシーン中、一番長い景となった。メシアンに言わせたら、まだまだ書き足りないといったところか。
ありとあらゆる鳥、総動員されたオーケストラの色彩感、なにもかもが圧倒的な輝きで眼前に迫ってくる。エピソードなどといった事はとうに忘れて音楽に没頭。何色あるだろうこの色模様。クラクラしてくる。この凄さ。
ブラスセクションを中心に時折安定調和の長いハーモニーが節目のように鮮やかな鳴り、ホールを覆う。読響の輝かしいサウンド。オーケストラを聴く快感が脳天をつく。あまりに鮮やかな演奏。あまりの絶演にこちらはとうに果てている。
カンブルランの棒は冴えまくる。限りない変則拍子の見事なタクトの動きには唖然茫然、左手による回数指示も峻烈を極める。両腕による、もはや、妙技を越えた絶技。いやいや、開いた口が塞がらない。一体全体、どうすればあのような棒が叶うのか。後光がさしている。
鳥も兄弟も指揮者もオケも、もはや俄然一体、第2幕第6景、壮絶な名演となりました。この場にいる幸せよ。一体全体、もう一度あるものかっ!、このような夢の世界が!


脳みその火照りを休憩で冷まし終幕へ。

7景、声キリストの合唱、インストゥルメントの響きとはまるで違う、スペースオデッセイに出てくるモノリスの塊のような合唱の声。キリストの声。強靭で正確、柔軟な響き、全てを飲み込んでしまいそうなブラックホールサウンド、圧巻のコーラス。
光さえ飲み込んでしまうダークな世界のキリスト合唱はフランチェスコの聖痕願望を叶えるに相応しい巨大さだった。

舞台転換音楽や間奏曲の無いオペラで、前奏曲も無い。前幕第6景鳥たちへの説教のようにプレリュード的な頭出しがあるところも垣間見えるが、だいたい、各景は単独で閉まり、始まる。

唯一、舞台の連続性で言うと、この3幕7景と8景はつながりを感じさせる。7景の聖痕描写シーンはそれ単独では解決していないからとも言える。
オペラのクライマックス8景は、2幕4,5,6景の巨大さを引き継ぐには十分な大きさとなっているか、支え切れているか。そういった思いはある。7景8景まとめて一緒にしても第2幕の筆さばきにはかなわないのではないか。
それは、8景40分にわたる死と新生、実は死のモノローグが大半を占めている。
フランチェスコが別れを告げ、天使、患者、そして最後のソロをレオーネが歌っても、いまだ音楽は解決していない。そして、合唱がハレルヤと歌っても、死のカオス、メシアン流の混濁したモコモコとした塊りは解けず混沌としている。新生に一気に解決の光を見るのは最後の最後の一音、十分に引き伸ばされたあの宇宙の帯のような響きただ一音のみ。ここで宇宙はもう一度新しくなる。
これが力不足とは言わない。新たなユニバース、新生の創造、新たな共鳴。オペラのバランスとしては、3幕はもう一段、力感が欲しい。ただ、ストーリーがあっての進行と巨大構築物でもあるし、フランチェスコの物語としては省略しているところもあり、それの妥当性というのは、もし妥当でないバランスを欠くところがあるというのなら、それは紛れもなく作曲家自身の特質によるところのものであって、それをどうこう言う弁は持ちようがないほどの巨大な作品に仕上がっているとしか言えない、言うなら全てを受け入れてからであろう。今、メシアンに従うしかない。全体像は今、霧に包まれているとはいうものの。

聴き終えて、ふ~、と、ため息。

このエポックメイキングな出来事、未曾有の世界の体験。

音楽が神と人間のやり取りを創造。本当にそういったものだったのだろうか。知性という存在同士のテレパシー会話を聴いたような気がする。

おわり