河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2442- シベリウス、クレルヴォ、ケイテル、プルシオ、ポリテク、リントゥ、都響、2017.11.8

2017-11-08 22:59:09 | コンサート

2017年11月8日(水) 7;00-8:40pm 東京文化会館

シベリウス クレルヴォ交響曲op.7  12-15-25-9-13
 メッゾ、ニーナ・ケイテル
 バリトン、トゥオマス・プルシオ

(予告アンコール)
シベリウス フィンランディア 8

合唱、ポリテク男声合唱団
ハンヌ・リントゥ 指揮 東京都交響楽団


心底、凄い演奏でした。
リントゥのあまりに鮮やかな棒、応えるオーケストラ、見事過ぎる合唱、もはや、開いた口が何個あってもふさがらない。ものすごい演奏。本当に素晴らしすぎる快演を聴いた時は感想も出て来ない。


リングの近親相姦物語と違うところは、この罪深いことの発端は兄弟の諍いで肉親たちが引き裂かれたことに起因するからそこにこそ根源の原因があったのだと恨みを晴らすところだと思うので、それに至る中心的な物語部分をシンフォニーの核に設定したシベリウスのインスピレーションというのは若作りの作とはいえ、各楽章に副題がついているものの、これはまさしくシンフォニー、ソナタシンフォニーの形式を踏襲していて、2楽章と3楽章の間に中心的物語部分を挟んで、1,2,4,5楽章の副題はむしろ、ソナタシンフォニーの型に沿った副題を付けたと見え、実に巧妙な設計と感じる。そういったフレームで聴くとこの長い作品も比較的すっと聴ける。
それから、悲劇の兄妹がソプラノとテノールではなく一段さげた、メッゾとバリトンというあたりも相応な味わいがある。

核心の第3楽章クッレルヴォと彼の妹、エネルギッシュなオーケストラが切迫感をエスカレートさせ、高密度の演奏を聴かせてくれる中、強靭でマスでモコっと迫ってくる男声合唱、そして、両ソリスト、分けてもまるでテノールのようななめし皮声で聴かせてくれるプルシオ、それやこれやを全部、神コントロールするリントゥの鮮やかな5拍子振り、シベリウス共感の棒、あまりに見事過ぎて、この楽章、唖然。
ここに字幕が有ったらと、画竜点睛を欠く、とは実にこのようなことをいうのだなという思いさえも打ち消してくれる、凄い演奏ではあったのだ。
合唱が情景やシチュエーションを歌い、兄妹は会話となるのでわかりやすいところもあるので薄暗くてもリブレットは多少なりとも追えるわかりやすさもあるにはある。


第1楽章の頭からオケの特に弦パートは実に素晴らしく力感がこもっている。いつもの都響サウンドが様変わりしていて、このシンフォニーに添い遂げるのではないかと思えるほどの圧倒的なパフォーマンス。ナチュラルなフレージングでの歌、ふくよかさ、波のようにうねる。リントゥが一発でオケの音を変えてしまった。こうなるともはや、魔術ですな。
加えて、指揮者によるゲネラル・パウゼが、最初はそこはかとなく、そして楽章が進むにつれて多用していき、圧倒的な緊張感の高まりを魅せる。ドラマチックな技はここではまだマグマの源流でしかないが、既に燃えるもの、熱いものをひたひたと感じさせてくれる。
弦の自然なストリーム、そしてウィンドアンサンブルが決まる。ホルンはウィンド化していて慎ましやかで大変に素晴らしいバランス、音圧の平衡感覚が完全に決まる。これはリントゥのものだろう。それに、ブラスは抑えていていつもの鉄板も奥まって聴こえてくるから不思議だわ。

第2楽章は最初、前楽章のモードを引き継いだような流れで始まるが、主題は色々と変化する。ウィンドを中心に歯切れ良く小刻みな音型が後期シベリウスの萌芽を感じさせる中間部。アダージョとそれをベースにしたままでの泡立ち感、青春という副題はうまい事つけたものだと。
ここまで半時間近く経過しているのだけれども時間の長さを感じない。中心的な次楽章のドラマまでにこれだけの長さが必要なのは当然ということですな。

核心的な第3楽章は最初に書いた通りでこれをはずすと次の楽章にちゃんとスケルツォが来ている。写実的と言えるが、トリオとスケルツォきっちり聴ける。エネルギッシュな演奏で戦いへの表現。3楽章で現れたマグマの源流はここで最高潮に達する。滑るような弦の圧倒的な力感と激流。リントゥは万歳エンドしたが、聴衆は誰一人ともコトリともしない。まだ終わっていないからなのだが、なんともはや、リントゥをはじめとする舞台の上のプレイヤー、コーラス、シンガーの集中力が乗り移ったかのような静けさや上野に沁みるオケの音。
息を殺すとはこういうことを言うのだろうね。こうなるとやるほうと観るほうがっぷりよつですな。

終楽章は第3楽章と同じく圧倒的な男声合唱。ポリテク、お初で聴くことになりましたがプログラム冊子の紹介欄を読む限りアマチュア合唱団のように見えますが、出てきた声のまとまり具合が良くてマスサウンドは圧倒的でした。黒光りというよりはもうすこしダークな感じに聴こえる。力強さと安定感。団となるとき最高の力を出し切れる集団なのかもしれない。このコーラスを一番奥にして前面のオーケストラ含めパースペクティヴがよく出ていて音色の深彫り感も圧倒的。横広の弦のうねりとオケ全体の奥行き感、そしてそれを破るコーラス。緊張の極に達したところで音楽は内面から盛り上がり、ゲネラル・パウゼがマグマの激流を止めるかのように多用され、死の悲劇がドラマチックに終わる。見事過ぎるリントゥ。圧巻の棒!
昔一度読んで忘れてしまったカレワラをもう一度読まなければならないのだろうか。

ゲルギエフのマリインスキ、最初の頃のキーロフ時代はもっと凄かった。ムラヴィンスキーのレニングラード・フィルなんかは極限の凄さで、演奏終了後のスタンディング、本当に指揮者が人差し指の第1関節をピクッと3ミリほど動かすだけで、ご指名にあずかったプレイヤーがシャキーンと立ったものだ。あれ見るだけでこの指揮者が自国でそのオケでどれだけのポジションにいるのか、いかにして登りつめたのか、その証明を見ているような絵模様でなるほどなるほどとうなずいたもの。今日のリントゥ、客席で聴いていた合唱指揮者をピクッと指すと彼女が一気にステージまで駆けてきたから、同じようなことを実感した。リントゥを聴くのは2度目になりますが、畏敬の念が増すばかりなり。

オーケストラを除けば全てシベリウス自国の方々による演奏、そのオケもリントゥの神様棒で鮮やかにクレルヴォ化していて、本場物をとことん聴いたような気持ちで大満足。感動で胸が震えました。凄い演奏聴かせてもらいました。予告アンコールともども、ありがとうございました。

シベリウスもロールオーヴァーなど微塵もせず、草葉の陰で蓋が開くぐらい喜んでいるに違いない。


リントゥを初めて聴いたのは2015年の、これ。
1741- リントゥ、ウィスペルウェイ、都響、2015.1.23


それから、クレルヴォを初めて聴いたのは、これ。
1759- クッレルヴォ、新田ユリ、アイノラ響、2015.3.3

おわり


2441- チャイコン、ギル・シャハム、ショスタコーヴィッチ11番、アンドリス・ネルソンス、ボストン響、2017.11.07

2017-11-07 23:22:51 | コンサート

2017年11月7日(火) 7:00-9:40pm サントリー

チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲ニ長調op.35  18-6+11
  ヴァイオリン、ギル・シャハム
(encore)
バッハ 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番ホ長調BWV1006より
第3曲 ガボット  3

Int

ショスタコーヴィッチ 交響曲第11番ト短調op103 1905年  17+20+13+14

(encore)
ショスタコーヴィチ モスクワのチェリョムーシカOp.105より ギャロップ  2

バーンスタイン 管弦楽のためのディヴェルティメントより第2楽章ワルツ  2

アンドリス・ネルソンス 指揮 ボストン交響楽団


ボストン響は久しぶりに聴きました。プリンシパルの有名どころも知らない状態。
いわゆるビッグファイブにあってしっとりとしたサウンドは健在でシックなものを湛えている。歴史的な土地柄でもあるし皇太子ご夫妻にスタンディングするオーケストラはこれまで見たことがあったかどうか記憶にないものであり、改めて思うところは大きい。
東京3公演のプログラムはヴァリエーションに富み良いもの。おそらくサブスクリプションでこなしているものと思われるが、その3公演のうちの初日にうかがいました。
曲目、ソリスト、申し分ないもの。期待通りの内容で充実した演奏会をたっぷりと味わうことが出来ました。

シャハムはまだ若いはずだが随分と印象が変わった。サラリーマンの部門長か事業部長はたまた執行役員という雰囲気で、見ただけで、絶対はずさないだろうな、堅く。みたいに始まる前は思ってしまったが、ところがどっこい。
そこかしこのフリーダムをすべて集めてきたような自由弾き。エンジョイ弾き、それが聴衆にストレートに伝わるものだから、聴いているほうもなんだか楽しくなる。見た目は堅くなったが、中身は自由度が高くなったということか。やっぱり、人は見かけによらない。
中身が凄い。現場を知り尽くした経験豊かな役員の裏付けは凄いもんですよね。

結構動いて弾く。弾かないときはオケをよく聴き反応を楽しんでいる、口を開けて笑顔が出る。それでいて、つややかでやや太めの響きは全く安定している。一見、自由に弾いている。自由弾き、実はあれが彼のコントロールなのだろう。リサイタルならどうなっちゃうんだろうと俄然その興味も出てきた。
磨かれた響きで奏でられるチャイコフスキー、変幻自在、色々と全てを内包しているだろう技巧の極みをごく自然に開陳しているんだろうね。まぁ、オケも含め、チャイコフスキーの西欧的なところが全て出たようなスタイリッシュなものだった。
伴奏がボストン響とはこれまた贅沢の極み、シャハムと同じスウィングでネルソンスが伸縮自在な棒で寄り添う。しなやかなサウンド、正確なアタック、メリハリがよく効いている。細かい動きが機敏、プリンシパル連は極太のフルート技をはじめとして浮き上がったり、アンサンブルの妙も楽しめる。充実の演奏。こよなく楽しめた。シャハムはオケに負けないぐらい強靭なところもありますね。やっぱりあらためて全てを持っていると感じる。
ソリストとオーケストラの息の合った掛け合い、エンジョイしました。

アンコールでバッハを弾いたシャハム。これがまたとんでもないプレイで、ホール全体に響く艶やかな鳴りにびっくり。やっぱり折あらば、リサイタル聴かねば。


プログラム後半はショスタコーヴィッチ11番。来日公演で聴ける代物ではないと思っていただけにネルソンスのやる気度が伝わってくる。

終楽章頭のブラスセクションによる決然としたスロー進行にちょっとびっくりしたものの、ここはメリハリだろう。
血の日曜日は第2楽章。聴き手にストレスを催させるような第1楽章のあとにすぐ来る。そもそも自国の歌の引用が全編に渡って有るもので、第3楽章のごく覚えやすいレクイエムをはじめとして、冒頭楽章から、歌、という観点で聴くと苦無く永遠に聴き続けることが出来る、重い第1楽章も含め。
ショスタコーヴィッチ・シンフォニーのいわゆる3楽章パターンに当てはまらない曲と見えるし、そこは絵模様を主要なテーマに据えたシンフォニー。そういう観点で聴く。

ロストロポーヴィッチの演奏のような深刻さは無く、それでもワンフレーズずつ入念に進められていくスタイルは、噛めば噛むほど味が出る具合で弦をはじめとしたダークな響きの充実度が満タンで、なにやら減ることの無いガソリンだ。
アンサンブルは綿密で高濃度。ひと弾きで空気が揺れる。ウィンドはしっくりザッツ。頭がはじけるような品のないザッツは拭い去られている。しっくりザッツでメリハリ効いた響きは落ち着きがあり聴いていてしっとりとしたものを感じますね。
ネルソンスの両腕は自然で雄弁。音楽がシームレスに流れていく。このオーケストラの機能美を背面に据えながら歌にニュアンスをこめていく。オーケストラのキャパが彼をさらに押し進めていく。
迫力ある2楽章も切迫感が前に出てくることはない。どろどろとしたものは無いの。洗練されたもののほうが前に出てきている。指揮者共々オーケストラの特質を感じさせてくれる。

上向きに固定された鐘と、そこから30センチほどしか離れていないところにあるドラ。ドラさんは終楽章で、第1楽章が再帰するあたりでおもむろに耳栓をはずし、それで叩くのかなと思いきや、最後の局面で耳栓しなおし、自分のドラ音とお隣の鐘の音の圧力に耐える。
鐘の音が終わらないうちに例によってアフォな客が、美術館の絵にペンキを塗るがごとく、きれいな余韻に雑音という色を塗る。フライング系のマリグナントチューマーを抱えていてもいなくてもこの地球から出て行ってくれ。もう来なくていい。
完全な鳴りだったにもかかわらず、せっかちな客のせいで、なんだか、不発だったような後印象となるのだから罪は深い。作品が終わる前だから余韻ではなくてただのぶち壊し屋。
「この作品は最後に特殊な鳴りとなりますので指揮者の両腕が下りるまで拍手や雄たけびはお控えください」と事前にアナウンスしてもいいかもしれない。

ということで、これ以外は概ねボストン技を満喫できました。ネルソンスの振りは素晴らしいもので、おそらくパルジファルでも棒の動きが余ってしまうなどといったことは努々ないものと思えました。
おわり


付録
ニューヨークタイムズに載ったビッグファイブの記事。2013年のものですが面白いものです。
The Big Five Orchestras No Longer Add Up








2440- カティア・ブリアティシヴィリ、ピアノ・リサイタル、2017.11.6

2017-11-06 23:22:49 | リサイタル

2017年11月6日(月) 7:00-9:20pm サントリー

ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調op.57 熱情  9-7+4
リスト ドン・ジョヴァンニの回想  15
Int
チャイコフスキー(プレトニョフ編曲) くるみ割り人形  17
ショパン バラード4番ヘ短調op.52  11
リスト スペイン狂詩曲S.254 R.90  11
リスト(ホロヴィッツ編曲) ハンガリー狂詩曲第2番嬰ハ短調S.244  5

(encore)
ドビュッシー 月の光  5
リスト メフィスト・ワルツ第1番  3
ヘンデル(ケンプ編曲) メヌエット  3
ショパン 前奏曲ホ短調op.28-4  2

ピアノ、カティア・ブリアティシヴィリ


前回カティアさんを聴いたのはこのとき。
2061- パーヴォ・ヤルヴィ、ブニアティシュヴィリ、N響、2016.2.17

髪がモップのように多かったが今日も多かった。
情熱的な部分をピックアップした記事が多いが、実際は繊細でデリカシーに富んだところが魅力的で、弱音系での鮮やかな弾き、多彩なニュアンスで細やかな表現が素敵、最初の一音でホールの空気を変えてしまう。
前回聴いたシューマンの協奏曲ではソロのところでガクッとテンポを落とすので多少違和感があったが、今日リサイタルで聴いてみると色々と納得するところが多い。まぁ、あれはリサイタル弾きだったんだろうと。

本編6作品と盛りだくさんの内容はいきなり熱情から始まりました。
振り子動機がまるで序奏のように山谷を作るがすぐに滑るような流れになる。頭から鮮やかで間髪入れずに引き込まれる。アウフタクトへのこだわりはあまり無くて弱音フレーズが殊の外美しい。運命動機を蹴り上げるようなことはせず、全般にドラマチックな弾きというよりも、シンフォニックな多彩なパレット、細やかに流れていく味わい深いフレーズ、引き出しの多さ、色々と感じる。肩は髪をかきあげる時しか動かない。何かに固定されているのではないかと思えるほどだが、その肩の力が抜けたプレイは、フォルテは押しよりも粒立ちの良さや水際立ったタッチを感じさせるもので弱音フレーズでの鳴らし具合とほとんど変わらない。ピュアで繊細なものが少しずつ積み重なっていくような熱情でナチュラルヒート。力むことの無い熱情、力感よりもデリカシーを得ました。良かったと思います。演奏スタイルから彼女の考えていることを殊更に詮索してもしょうがないとも思う。人はそれぞれ何を考えているのか外からは分からないものだ。赤いロングドレス、華があって美しい。本当に考えていることはいまだ霞がかっていて見えていなくてそれを彼女自身が一番よくわかっている、そんな気がしましたね。情熱的熱狂も冷静さの枠の中にあるのかもしれないと思ったのはある種の哀しさを感じたからかもしれない。

ドンジョ回想。
両腕が別の生き物のように飛び跳ねる。圧巻の連続離れ技に悶絶。軽やかといえる。全く重くない。別次元パラフレーズ!、とは言え、
真ん中のお手をどうぞパラが静かで美しさを湛えている。ここでもそういったところでの弱音系の流れに惹かれました。美しい響き、ストリーム。

ここまで前半、プレイヤーによっては精根尽きるかもしれない。彼女のタッチだとこの先フォーエヴァーにいけそう。後半は4曲。


後半は、プレトニョフが編曲したチャイコフスキーのナッツクラッカーからのスタート。これが熱情に次ぐ規模の大きさ。7曲もありますから。
いかにもプレトニョフ好みの編曲。彼の上品なデティールのデリカシーを心ゆくまで楽しめるピース集。佳作傑作。これはカティア好みなのだろうなとも思う。
チャイコフスキーの旋律の美しさを思う存分楽しめる編曲、真ん中に置いたインタルードさえ極め付きの主張と美しさの極み。彼女の真価はこういった曲にある、と、次第に次第に傾いていく。納得。

バラ4。散文、消えゆく形、弱音から熱へのカーヴ、自然で見事な作品。溶けるような演奏でした。味わい深過ぎて涙が出る。ため息も。
後半も同じドレスで登場したカティア。前半のドンジョ前に椅子の高さ調整を随分と長いことやっていた。後半はジャストフィットしたのかもしれない。ナッツクラッカーとバラ4、拍手にちょっと応えて間髪入れず次々と弾いていく。チャイコフスキーからショパンへの流れは彼女の演奏スタイルによく合う。
それに音が実にきれいだ。サントリーは半年に及ぶ改修を終えてこの9月1日から再開となったが、床の板も張り替えたという。ここでピアノのサウンドはたくさん聴いてきたが、以前の焦点が定まらないような響きは消え、締まった感じで粒立ちがよくなった。混濁はホールのせいだったかと脳裏を色々とかすめた。
今日は、リサイタルでは使わないひな壇のうち奥の二段を上にあげていてコロセウムの観客席のような具合でホール席9割がた埋まっている状況で、そこに客が座ってもいいぐらいでもったいない気もしたが、あの逆円錐形の半円が壁のようになったところもあるのかもしれない。いい響きでしたね。

一礼して次のスペイン狂詩曲。プログラム解説によると重要な演奏会で何度となく取り上げられていて十分に弾き込まれた十八番とある。フシ的にはちょっと渋いところも。つかむまでに少し時間がかかった。変幻自在、自由に動き回る。カティアの冴え技、堪能。お見事。

もう一礼して続けざまに今度はハンガリー狂詩曲の2番。これは馴染みのもの。ホロヴィッツの編曲はヴィルティオーゾスタイル完全満開であっという間の5分でフィニッシュ。本来だとスペイン狂詩曲と同じだけの長さがあるはずだが、離れ技のおいしいところだけを選りすぐって集めたような編曲。もはや、何もかも、圧倒的。

ピアノの事はよくわからないが、おそらく、難しい作品が沢山並んだのだろうと思う。今のプレイヤーは技術的なことはみんなクリアしていてその先をどう仕上げるかという余裕と意気込みがあるし、そういったところでも不要な心配は無用で安心して濃い演奏を楽しめる。現代聴衆のデフォな幸せというところもある。

アンコール4曲。多くの拍手になにやら思い立ってすぐ弾きはじめるようなところがあって、それは今した決断なのだと魅せてくれる。
空気をもう一段変えてくれた月の光、最後のショパンまで、ピアニシモの美しい演奏に聴き惚れました。


色々と発見するところもあり充実した内容で存分に楽しめたリサイタルでした。満足です。ありがとうございました。
おわり