河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2403- ツェルハ、夜、ボールチ、リーフ・ファブリック、ハース、VC2クックソン、夏夏の夜に於ける夢、ヴォルコフ、東響、2017.9.7

2017-09-07 22:48:47 | コンサート

2017年9月7日(木) 7:00-9:15pm サントリー

フリードリヒ・ツェルハ 夜 (2013)  jp  20′

ゲオルグ・フリードリヒ・ハース ヴァイオリン協奏曲第2番 (2017) wp  26+6′
  ヴァイオリン、ミランダ・クックソン

Int

キャサリン・ボールチ リーフ・ファブリック (2017)  wp  11+3′

ゲオルグ・フリードリヒ・ハース 夏の夜に於ける夢 (2009) jp  3+15+2′

イラン・ヴォルコフ 指揮 東京交響楽団


現存する作曲家3人による日本初演2本、世界初演2本、つまり国内では4曲ともに初物というプログラム。オーケストラのみ日本陣容という凄味のある配色。
この種の演奏会では盛況と言える入りでやるほうもきくほうも気合が入る。

結果的に最初のツェルハの夜。これが一番面白みがなかったという聴後感なんですが、プログラム冊子にある彼の一文には全く同感するので、どうも痛し痒しの気持ちにはなる。
昼は私は時間のもの、夜は時間は自分のもの、そう言うツェルハの夜。流星が帯状落下、カーテンのようになる。そのように見える一種の心象風景なのだろうか、そう思うとイメージは湧いてくる。雨を線で表現した歌川の絵が見えてくるようだ。面白みは無かったが、2013年作深みは増しているのかもしれない。
ヴォルコフの棒はほぼ3拍子振りの明確なもの。ワルツのようではなかったが。
ウィンドはオーボエが抜けた一列整列。しもてからフルート、クラ、バスーン。その後ろに同じく一列でトランペット、ホルン6、トロンボーン。ウィンドの前の弦は変則16-6-6-6。それに奥におびただしい数のパーカス類。
のっけからヴォルコフの現音オーソリティのクリアな棒が見事に冴える。

次の曲はこのフェスティバルのテーマ作曲家ハースの本年2017作のヴァイオリンコンチェルト2番、これは世界初演。
ハースがこの作品をデディケートしたヴァイオリニスト、ミランダ・クックソン自らのプレイ。タブレット譜面を見ながらの演奏。
9個のピースが連続演奏される。1プレリュード、2カデンツァ、3残響とフィードバック、4三声のインヴェンション、5ズグラッフィート、6ソット・ヴォーチェ、7インテルルデウム、8純性音程、9アリア。
副題が九つもあれば曲自体の副題は不要なのだろうね。バラバラの事を言っているようで何故かまとまりのある作品となっていて魅惑的。飽きさせない曲。解説をチラ見しながら聴く初物遭遇の醍醐味を満喫できました。
曲は途切れないがはっきりとモードが変わるので初物でも明確に追うことが出来る。最後のアリアが長い。安息の調性回帰的なモードが感じられる。
ヴォルコフ棒は最初から非常に速い4拍子主体。速いのだが、出てくる音はゆっくりとしている。別の二つの進行が感じられるものでユニークでした。おそらくあのように速く振らないと演奏のほうが成立しない曲なのだろう。細かい箇所での小さな動きが絶妙。東響の演奏が見事過ぎた。この表現力、指揮者のヴォルコフのみならず、コールされて登場した作曲家ハースも大満足の東響プレイであった。
という具合で、ヴァイオリン協奏曲とは言うもののオーケストラの魅力が非常に大きな作品でした。ソロヴァイオリンはやや太め、離れ業的パッセージ走行よりも終始高音で奏でられる微妙な音程でのプレイ、心的慎重さを伴うような表現がメイン。水銀の丸い膨らみがプルプルと動きながら静止。
全9ピースの解説は圧倒的にわかりやすかった。これ、日本人作曲家の自前解説では決して得ることのできないもの。冒頭のツェルハの一文にはここでも納得(笑)。

休憩を挟んで後半一曲目は1991年生まれ、コロンビア大学在学中のハースの弟子、キャサリンの本年2017年作品。世界初演作。インスパイアは、ヨーロッパアカマツが内部で水が循環するときに発するパチッ、ポンッといった微細な超音波音響。
作品は別な二つのものから成り立っているのが明らかにわかる。一つ目はアカマツサウンド。二つ目は派手なサウンド。維管束組織音響の描写とのこと。つまり両方とも野外録音をもとにしていながら、現実とイメージの世界をくっつけたような作品になっている。
奇抜な発想の曲で閃きを感じさせてくれる。閃きが他人に伝わる、これポイントです。
現音スペシャリスト・ヴォルコフの棒はますます冴えてくる。この作品も4拍子主体で、一見大振りでありながらポイントで要所をつく素晴らしく明快な棒、唖然とする見事さ。2008年に都響相手にトゥーランガリラを振った時とは見た目は少し変容しましたけれども、冴える棒はさらに深みを増した。細身で軽そうでよく動けるのもいいですね。
キャサリンさん登場しました。満足気です。世界初演ですからね。

最後の曲はハースに戻って、タイトルだけ見て、ははんとわかるもの。メンデルスゾーンへのオマージュ。
この作品もパーツが見事によくわかるもの。
ざわめき-真夏の夜の夢ov.-フィンガルの洞窟-真夏の夜の夢.メロドラマ-静かな海と楽しい航海-それらのシャッフル的カオス-ざわめき
わかりやすい。
ハースはメンデルスゾーンを音色旋律の使用、十二音技法的な旋律の使用の観点で当時の前衛作曲家との位置づけ。そのようなスタンスで作曲されたオマージュものなのだろうからそれを頭の片隅に置きつつ聴くと異様に面白かった。音色旋律はハースの味付けがかなり濃い。これだけの大編成オケにして初めて可能となったものと思いますね。何やら会場空気の位相がねじれていくような雰囲気となる。ディープでフレッシュ。十二音ももちろんそうなのだろうがこれは聴くほうは既に慣れていますしね。
冒頭のざわめき、ヴォルコフは棒を構える前にズボンの右ぽっけからスマホを取り出し、デカい譜面と一緒に指揮台に置く。指の指示回数は時間指定のものなのだろうかと眺めながら思う。ざわめきが終わったところでポッケにしまう。最後のざわめきでは活用されない。
最後のざわめき前のシャッフルカオスは前4主題の錯綜が圧倒的でした。こうゆう曲を聴くと現音を聴いているという気持ちの安定感のようなものを感じることが出来る。心地よい。

と、ハースのメンデルスゾーン賛美で即座に思い出したのがバレンボイムの弁。どこの一節だったのか今判然としないのだが、メンデルスゾーンはいてもいなくてもよかった、みたいな文脈がどこかにあったなぁ。
作曲家と演奏家の違いなのだろうか、多様なフィーリングの世界。

素晴らしい初演もの。満喫しました。ありがとうございました。
おわり


サントリー芸術財団 サマーフェスティバル2017
サントリーホール国際作曲委嘱シリーズ No.40(監修:細川俊夫)
テーマ作曲家<G. F. ハース> 管弦楽

 


2402- ヴァインベルクVC、クレメル、ショスタコーヴィッチ4番、カスプシク、読響、2017.9.6

2017-09-06 22:55:08 | コンサート

2017年9月6日(水) 7:00-9:20pm 東京芸術劇場

ヴァインベルク ヴァイオリン協奏曲ト短調 jp  10-10+8-7′
  ヴァイオリン、ギドン・クレメル

(encore)
ヴァインベルク 24のプレリュードから 4番21番  4′

Int

ショスタコーヴィッチ 交響曲第4番ハ短調  32-8-32′

ヤツェク・カスプシク 指揮 読売日本交響楽団

渋くて厳しい演奏、巨大な4番でした。いつぞやのラザレフの言でショスタコーヴィッチの3楽章パターンについての話を思い出すようなカスプシクの見事なバランスで表現された演奏。
非常に厳しい音作りで一切妥協を許さない、読響の音が何やら乾いたような干した藁のように見えてくる。フレージングが曲線ではなくて折れたように進む。ギクシャクとした音構成はたるみ排除の代償だ。そう思うとこれはギクシャクとしたものではなくてカスプシクの作り出しているものであって、作品への真摯な立ち振る舞いそのものに見えてくる。生真面目さ100パーセントといったところか。
最後の究極の音圧、そして15番の先取りエンディング。その爆発音圧の前は奇妙な3拍子が空虚な笑いのように進行している。こういったあたりで魅せるシリアスなカスプシクの表現というのは作曲家が望んでいたことなのかもしれない。全方位の演奏解釈ではないがゆえににじみ出る圧倒的な質感だ。読響の朴訥な演奏は多様性を感じさせてくれるもので、許容、吸収、表現、能力大きいオケですな。

明日をも知れぬ鉄板演奏。硬派な棒。締まった演奏。大規模な製鉄工場の現場でも見ているような質感、大きな演奏でした。カスプシク、お見事。
この作品の謎は続く。不思議な曲だ。

前半のヴァインベルクのコンチェルトは初めて聴いた。若い頃のクレメルはよく聴いていた。いろんな方面に手を出すようになってこちらの関心が追い切れなくてちょっと聴くのをやめてしまったところがある。シベリウスのコンチェルトなんか、最高でしたね。カミソリ演奏。
ということでヴァインベルク、規模の大きな作品。焦点がつかみづらい。鳴りは楽しめた。
アンコール2曲目はショスタコーヴィッチのチェロコンチェルトにしか聴こえなかったけど、そういう作品なんだろうね。
おわり






2401- ラフマニノフ、PC3、ハオチェン・チャン、シンフォニー3、大野和士、都響、2017.9.4

2017-09-04 23:46:59 | コンサート

2017年9月4日(月) 7:00pm 東京文化会館

ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番ニ短調  18-11+14′
  ピアノ、ハオチェン・チャン

(encore)
モーツァルト ピアノソナタ K.330 第2楽章  4′

Int

ラフマニノフ 交響曲第3番イ短調  16-12-12′

大野和士 指揮 東京都交響楽団


2009年クライバーンコンクールのチャンピオン。ダブル受賞の辻井のピアノは何度も聴いているが、チャンは今回お初で聴きます。プログラムは大好物のラフマニノフの3番尽くしでうれしい。

静けさから荒々しさまで、自然発火から猛烈な勢いの火花まで。まるで全てがカデンツァのようなプレイ。ブラスは1,2楽章ほぼ出番なしなのでチャンの妙技を思う存分聴くことが出来た。鍵盤を縦にビーンビーンと強烈な弾き。叩き付けるのではなく吸い上げるようなもので、都度、ピーンと張った音が鳴り響く。全体の印象は静けさが勝るけれども、伝家の宝刀をいつでも出せるよといった感じ。素晴らしくクリアな演奏で音色が素敵。人を静まり返らせる技に満ちている。魅了されました。
伴奏の大野は大人の対応といったおもむきのアイコンタクト。チャンもしっかりと見てよく合わせていましたね。指揮者とオケはピアニストの引き立て役だったが終楽章コーダ前、3発目のティンパニのくさびを打つような強打に続き、ここぞとばかりカミソリブラスの下降形3連符、後打ち、シンコペ、と強烈に駆り立て、ビシーと締めくくった。
何か型があったような演奏ではなかったがもう一度聴きたいと思わせる。リサイタルも聴きたいものです。

後半のシンフォニー。
先般の田園と同様、大野が振るとこのオケよく歌う。ウィンド4セクと五弦のスウィングがなかなかいい。ブラスは別方向を見ている感じでいつもながらしっくりこず、鉄板ザッツ。ホルンはもっと力感が欲しいといったところがあるが、このウィンド、弦の歌い口は硬質でゆらぐ美しさ、いける。ギラギラした3番、いい感じ。特に中間楽章の強靭な弦、敷き詰めたような鳴りが心地よい。
大野の求める域に達したいというオケの思いが演奏から感じられるのだが、どうもそれを阻害している要素もありそうな気配を感じるオケ。今に安住しているとは見えないが、何かに有頂天になっているようにも感じる。それが阻害要素なのかもしれない。
大野の全力投球に100パーセント申し分なく応えた演奏を聴きたい思いがある。
おわり


2400- 大澤壽人、コントラバス協、佐野央子、神風、福間洸太朗、交響曲第1番、ヤマカズ、日フィル、2017.9.3

2017-09-03 22:23:38 | コンサート

2017年9月3日(日) 3:00-5:20pm サントリー

オール・大澤壽人プログラム

コントラバス協奏曲(1934) wp  8-3-4-2+9′
  コントラバス、佐野央子  アルト・サックス、上野耕平

ピアノ協奏曲第3番変イ長調 神風協奏曲(1938)  10-8-7′
  ピアノ、福間洸太朗

Int

交響曲第1番(1934) wp  17-13-14

山田和樹 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団


名前の読み方が確定していないというあたり、これまで今ひとつうったえかけに弱かったのかもしれないなどと思うところはあれど、その名前は見かけても作品は聴いたことが無いという安穏とした無関心が正当化されるわけでも無し。

一人の日本人作曲家作品で埋め尽くされたオーケストラ演奏会。大規模な作品が三つ。うち二つが初演もの。指揮者、オケ、ソリスト、用意万端、これ以上望めないようなラインナップ。毎年恒例のサントリーのサマーフェスティバルならではの企画とはいえ大したもんだ。驚きの企画には快挙快挙の演奏で応える。エポックメイキングなコンサート。大変に充実した内容の演奏会でした。

そもそもコントラバスのコンチェルト、これまで聴いたことがあったのかどうか、あったとしてもたぶん1回2回。この日は作曲者1934年の作、世界初演を女性ソリストで聴く、この醍醐味。聴く前からスリリングでエキサイティング。1曲目からド派手なプログラミングですな。
5楽章3部形式で1楽章、2-3楽章、4-5楽章の三束。タイミングはおおよそ曲目欄に記した通り。クーセヴィツキにデディケートされたものとのこと。さもありなん。
3部形式とは言え明確に楽章毎にポーズが入る。終楽章への入りがアタッカ気味であったことを除けば。
両端楽章の規模がデカい。全楽章、型は良く決まっている。他の2作品でも同様ですね。
型にはまっている感じはないがそういった構造部分でのトリッキーなところはないので聴くほうとしてはプログラム冊子の解説は短いなりにかなりの手助けになる。
第1楽章冒頭から太いなめし皮のようなコントラバスサウンド、やや明るめで強靭。ビンビンくる。息つく間も無くその魅力のとりこになる。底の方から太く明るい音が湧き出てくる。
メロディーラインは探してもなかなか出て来ずなのだが、この演奏現場を観ているそのことの興奮がそういったことを打ち消す。コントラバスの深みのあるサウンドからチェロ、ヴァイオリン風な高音までしなやかな演奏。ピッチが正確で緩み無し。
総じて、ソロのときオーケストラは静まる。音楽は進む。作曲家というものは大したものだ。
低音で進行するソナタ形式は迫力ありますね。ドイツ音楽的な重さはまるで無い。伴奏の息も総じて短いライン。これは後続2作品も同様ですね。
第2,3楽章は短くてあっという間。モノローグとアリアとなっているものの何やら短いエピソードが軽く挟まれているといった感じ。ここだけでなく全般にわたりジャパニーズ風味は殊更感じない。他2作品も同様。むしろ忘れさせてくれる。
キュインキュインと四分音は自然に音楽として溶け込んでいて妙な違和感はない。佐野さんのプレイが光る。
3部第4楽章は終楽章への序奏のよう。後付けになるけれどもこの後の2作品、ソナタは序奏が付いていて、この4楽章もそのような位置づけと見える。この作品中、一番長い終楽章は形式の中に空白ができカデンツァ技を満喫できる。
佐野さんはこの楽器を自由自在に操る。まことに素晴らしい表現力。抱え込んで弾く高音、背を伸ばしビーンと鳴らす低域の幅、楽器が小さく見える。
世界初演、日本再発見、ふさわしい内容の作品と演奏でした。スバラシイ。

と、ここまで1曲だけなのだが、再発見、発掘という苦労はいかばかりかと思う。初めて演奏するという事は楽譜を探し出して揃えてチェック、検証して、整理して整える。ニッポニカさんがやっているように初演するという事は資料としてきっちり整えることであり、色々と大変な作業だと思う。そして、音として具体化する最大の仕事がある。
大澤作品が昔演奏されていた時代があり流行らなくなり今こうやってまた脚光を浴びつつあるのか、それとも文字通り発見したから、という出来事なのか、判然としないところがあるのだけれども、片山さんの言う、再発見‘戦前日本のモダニズム’は再ではなくどうも文字通り発見なのかもしれないという気もする。それから、固定観念を生みそうな戦前という形容詞を省いても良かった。戦争の出来事に左右されるところにいなかった、もしくはそのようなことを考えることをしなくてよかった大澤の作品の香り。1930年代中期の佳作。
私たちがあらためて認識したことを発見したのか、見つからなかったものを発見したのか。忘れられた作曲家とあるので、忘れられた事の意味を知る必要がある。

2曲目はピアノ協奏曲。ソリストは福間さん。タブレット譜面での演奏。こちらの作品は初演ではなくて割と取り上げられている作品の様ですね。初演ものでタブレットとかいったら聴くほうはちょっと心配、みたいなところもあるけれども著名ピアニスト、今更この手の問題はないのだろう。
2楽章のサックスソロは上野耕平さん。布陣は整いました。
副題は神風特攻隊とは関係がない、時代が前後していますし。飛行機のことを言っているようではあるが。

10列目付近のかぶりつきに近い席。ピアノ鍵盤側。第1楽章冒頭いきなり派手なグリサンドが何度も出てくる。プロペラ機の音なのか。もう、ランディングしてもいいような勢いだ。
この作品も型が決まっている。そのことを頭の隅に置きつつ演奏を楽しめばよい。
日本くささがない作品でドイツぽい重心の深さと刻み込みも無い。フランス風味と言えばそうかもしれない。第1楽章の目まぐるしく動くピアノ、伴奏は上澄みのようだ。
緩徐楽章の上野さんのサックスはラウンド・ミッドナイトな世界にはいっていくような雰囲気だが、ピアノはラヴェルの二つのピアノコンチェルトの緩徐楽章モード。洒落た世界で品と落ち着きがある。
終楽章のコーダに向けた力感に作為的なところは無くて、やはり型を作り、流れを作っていく。曲を通してあるモットー音型を前面に出しつつきっちりと音楽を整えていく。ヤマカズ&日フィルの几帳面な演奏が光る。ピアノとオケは激しさを増し爆発的に終わる。お見事。
福間さんの素晴らしいピアノ。サントリーは7か月にわたる改修が終わり、9月1日より再スタート。この日は1日に続き2度目のサントリー訪問でしたけれども、初ピアノ音を聴きました。以前のようなもやもやと焦点の定まらないバシャっとした感じが緩和されていたように思う。福間さんのピアノによるところがあるかもしれない。粒立ちが良い、それにひとつずつの音がクリアで明快に聴こえてくる。和音もきれい。そう快な演奏を後押し。

神風終楽章カデンツァでみんな耳をそばだてて聴いているところに、ジジイのバカでかいくしゃみひとつ。ヤマカズがびっくりして肩をすくめている。それをみたジジイが苦笑い。もう金輪際来るな。
静かさを、ぶち壊しにくる、あほジジイ(字あまり)

休憩を挟んで後半、世界初演の交響曲第1番。3楽章形式。大編成な曲。40分を要する大規模な作品。聴く前の気分としてはフルトヴェングラーの交響曲第1番の実演を聴いた時のような気持ちとなる。あれは80分の大技だったけれども、今回なにやら雲をつかむようなあたりに、似たアトモスフィアを感じた。気持ちの思い起こしかも知れない。

フルヴェンのドイツデモーニッシュなものとは真逆のポジションからの音楽の発露。沸点までのトリップはもはやアナザーワールドメジャーで測らなければならない。測らなくてもいいが、これまで色々と聴いてきた西洋風味のジャパニーズ作曲家作品とは一線を画する、聴いた感じでは。
といっても、端的にわかるのは音色や響きのこと。形式は決まっている。
明るい、息の短いフレーズ、独特な流れ、縦に押し込むような律動は無し、フランス風味の作曲家作品に似ていると言えばそうかもしれない、和風なものが回避されているわけではないとは思うものの殊更押しつけがましく入り込んでいない。
これがいわゆる彼の作風なのだろうか。少なくとも、こちら側のこれからの彼の作品の聴き方がわかった気分にはなる。

型が決まっていて独特な流れと響き、静かさと盛り上がり。
第1楽章序奏付きソナタ、主題はだいたい追える。独立したインストゥルメントの息は短い。それでいて全体としては流れていく。巨大編成の楽器バリエーションを最大に活用したものと感じる。音色が色々と変わっていき、それらが全体俯瞰としてはメロディーラインを構築している。やにっこいと言えばそうかもしれない。取りあえず身を浸す。
含みを持たせた静かエンドは品があり妙な気負い無し。洒落た風味。
中間楽章はアンダンテの変奏曲となっている。聴いた感じではテンポも変わるしリズミックな面白さがあって狂詩曲風な鮮やかさ。この楽章も味なエンディング。妙味。
フィナーレ楽章はこれまた序奏付き、ロンド・ソナタ。気張らない盛り上がりが印象的。
ABACABA-coda(C´)、Cはスケルツォモードの快活さ。Cを中心点にして前後にABA。プログラム解説があるので追える。主題連は明確に異なるので追うのは割と楽。
大編成の音の厚みはあるけれども各フレーズの長さがそれほどでもなくて、途切れ途切れの歌が続いていく。快活さが増しCを活用したクライマックスエンディング。
聴いているほうのエモーショナルもどことなく独特でそこはかとなくまだら模様な気分となる。
巨大なシンフォニーで、深刻で無いのが良い。オーケストラを聴く醍醐味めいっぱい満喫できました。

ヤマカズ&日フィルは見事な演奏。彼ら、まっさらのキャンバスを埋めていくのは好物だろう。初演は参考物件が無いし色々と大変だと思う。一旦音になると相応にイメージが出来上がりますしね。怖さのあるやりがいジョブだろう。ヤマカズお見事な共感の棒。日フィルの真摯な演奏、佳演。秀演。ビューティフルパフォーマンス。

多数の収録マイクがセッティングされていたので、直に音源の商用化発売があると期待。早めにホットな録音聴いてみたい。今後の演奏会での取り上げ、活性化には是非とも要ります。
これも片山さんの尽力に期待、よろしくお願いしたいところです。
素晴らしい演奏会ありがとうございました。
おわり


付記

サントリー、サマーフェスティバル2017より、
片山杜秀がひらく「日本再発見」、戦前日本のモダニズム

天才作曲家 大澤壽人 駆けめぐるボストン・パリ・日本 みすず書房


2399- バッハ、ブリテン、無伴奏チェロ組曲全曲演奏会、上森祥平、2017.9.2

2017-09-02 23:31:34 | リサイタル

2017年9月2日(土) 1:30-7:30pm 浜離宮朝日ホール

オール・無伴奏チェロ組曲演奏会

バッハ  第1番ト長調  19′
ブリテン 第1番     25′
バッハ  第4番変ホ長調 27′
Int
バッハ  第2番ニ短調  23′
ブリテン 第2番     21′
バッハ  第3番ハ長調  24′
Int
バッハ  第5番ハ短調  29′
ブリテン 第3番     21′
バッハ  第6番ニ長調  33′

チェロ、上森祥平

(encore)
ヘンデル オンブラマイフ  2′
チェロ、上森祥平、平井裕心、佐藤さくら、福富祥子


上森さんの演奏は、昨年2016年の東京春祭りの室内楽で初めて見ましてきっちりとした演奏に惹かれました。今年の春にはドヴォコンを聴いて、その時に今日のリサイタルのチラシを見つけ、早々とチケット確保。究極の9曲です。

なにやら毎年恒例のリサイタルのようでしたが、そういった事に関心がありませんので、潜入という事でもなくて淡々とかぶりつき席で。

午後の1時半から3曲ずつ、2回の休憩を挟み、終わったのが7時半頃。ロングなリサイタルでしたが最後、整理体操風なアンコールがありご本人も色々と楽しんでいるようで、余裕の演奏、余裕の体力ですね。驚きました。

バッハは端正な演奏。余計な膨らみとかそういったものが無くて実に心地よく聴いていられる。演奏に入る前に彼独特の‘構え’があって気持ちを集中してから演奏に入るのがよくわかる。バッハはそういったことにピッタリの作品ですね。ひとつの組曲6曲で規模が大きい。CDではたまに聴くことがあるのだが、その感触とこうやって生演奏で聴くのでは聴後感が全く違っていてその巨大さに唖然とする。上森さんは全てのピースに入念に構えの型を作り精神集中してプレイを始める。6曲ずつ全36曲、同じようなテンションで進められる演奏はほれぼれとする見事さだ。バッハ満喫。
一番ヘビーと思われる6番ではもはや突き抜けていくような壮快感があって高みに駆け上がり野原を軽くステップしているような趣き。

サンドウィッチされた3曲のブリテンはバッハに完全融合。サンドウィッチは成功のカギですね。それぞれ素晴らしい作品で特に3番には劇的なドラマを感じる。上森さんのうったえる力が凄かったですね。

聴くほうとしても一つ越えたような気持ちになる。そして何度でも聴きたくなる。巨大なバッハ、ブリテンにふさわしい演奏でした。全く素晴らしい。
上森さんのチェロ、これからも聴き続けていきたいものですね。ニヤケのない彼の表情も好感です。
おわり







2398- ロッシーニ、ミサ・ソレムニス、サッバティーニ、東響、2017.9.1

2017-09-01 23:46:56 | コンサート

2017年9月1日(金) 6:00-8:45pm サントリー

ガブリエーリ 第7旋法のカンツォーネ 第2番  4′
  金管十重奏、オルガン

バッハ/アレン・チェン編曲 協奏曲ニ長調BWV972  7′
  トランペット、オルガン

ヴィドール、オルガ交響曲第5番ヘ短調op.42-1 第1楽章  11′
  オルガン

デュリュフレ オルガンのための組曲Op.5よりトッカータ  8′
  オルガン

ヨハン・シュトラウスⅡ世 美しき青きドナウ  5′
      金管十重奏

以上、
オルガン、ダヴィデ・マリアーノ
TKWO祝祭アンサンブル トランペット・ソロ、本間千也

Int

ロッシーニ ミサ・ソレムニス 7-31-17-9+4+5-9′

ソプラノ、吉田珠代
コントラルト、ソニア・プリーナ
テノール、ジョン・健・ヌッツォ
バス、ルベン・アモレッティ

オルガン、ダヴィデ・マリアーノ
合唱、東京混声合唱団、サントリーホール・アカデミー
ジュゼッペ・サッバティーニ 指揮 東京交響楽団

(duration in each mvt.)
Ⅰ.キリエ  7′
Ⅱ.グロリア  31′
Ⅲ.クレド  17′
Ⅳ.宗教的前奏曲  9′
Ⅴ.サンクトゥス  4′
Ⅵ.オー・サルタリス  5′
Ⅶ.アニュス・デイ  9′


サントリーホールが約7か月の改修期間を経てこの日に再開。リニューアルの節目コンサート。
トイレが増えたりスロープが出来たりしているが、400円の不味いコーヒーはじめ特に目新しいところはない。あとは音がどうなっているのかといったあたりのことですね。

前半は金管十重奏やオルガンを主体にした華やかな演奏。コンソールはオンステージ中央。
1曲目は金管十重奏の佼成10名が本来のオルガン位置のレベルを陣取り吹奏。オルガン奏者はコンソールの舞台中央で。
2曲目のコンチェルトはトランペットの本間さんが同位置で。
最後の美しき青きドナウは10名がステージに戻り立ち演奏。チューバのみ椅子利用。

佼成には、うまいという言葉が陳腐にしか聞こえなくて、むしろ余りのきれいな音にうなるだけ。そこから選りすぐりの10名。とにかく音がきれいでべらぼうな美しさ。
2曲目のコンチェルト、本間さんのきれいな音、唖然とする演奏。ホールいっぱいに響き渡りました。スバラシイ。リオープニングにふさわしい演奏です。
美しき青きドナウのアンサンブルもほれぼれする美しさ。きれいな音で響き渡る。盛り上がってきました。

ヴィドールとデュリュフレの2曲を中心にオルガンを務めたマリナーノさん。手わざ足わざ切れ味鋭くビューティフルなプレイ。足も手のように自在に動く。大したもんだわ。

ここまでで50分ほど。良好なホールサウンドを満喫できました。

後半はロッシーニのミサ・ソレムニス。作曲家自身による小荘厳ミサ曲の管弦楽編曲版。初めて聴く。キリエ、グロリア、クレド、これら3部でほぼ1時間。宗教的前奏曲からアニュス・デイまで30分ほど。大きな作品ですね。
普段のロッシーニ作品とはまるで違う深刻なもので、荘厳。プログラム冊子のリブレットを見れる明るさでしたのでそれを読みながら聴く。声の出のところに声種、合唱の記載があるのでそれを目安に。
豪華キャストは皆さん素晴らしい歌、特にコントラルトのプリーナさんは圧倒的でした。
渋い曲でしたけれどもソリストが映えたいい内容でした。
合唱は東混に混ざったサントリーホール・オペラ・アカデミー、足を引っ張るとしたら彼らだったのかなというところです。今日の前半からのピュアな演奏が合唱で少し立ち止まってしまったところがありました。
指揮のサッバティーニは昔テノールの頃何度か聴きました。指揮のほうは初めて見ます。
強弱に非常にナーバスな振りで、極端に言うとそのことしかしていないように見えるほど。
拍を正確に作っていくというよりは歌の流れを作る歌棒のような感じなのですが、横に流れていくのではなくて縦にグサッグサッと振るので、音楽はそれほど流れない。オーケストラも少し戸惑っていたのではないか。それでも細かいことの積み重ね効用のようなものはあり自然過熱してきて指揮者の力量もベールを脱ぎかけたところで子羊となりました。
メモリアルなコンサートではありましたが、内容にそれほどのインパクトはなかった。

それと、やっぱり出るフライング。今日のところはフライング気味のブラボーと言っておこう。この種の声は毎度ながら2階奥から。しらけ演奏会も再開といったところか。
それから、ホール音響の変化は殊更にどうといったところはなかった。これから色々と聴きこむとまた違ったところが出てくるのかもしれない。
おわり

サントリーホール2017 リニューアル記念
Reオープニング・コンサート