河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2406- 尾高、草原、山田、大みたから、伊福部、コンチェルタンテ、諸井、交響曲第3番、下野竜也、東フィル、2017.9.10

2017-09-10 23:21:13 | コンサート

2017年9月10日(日) 3:00-5:45pm サントリー

尾高尚忠 交響的幻想曲 草原 (1943)  7-3-4-3-3′
山田一雄 おほむらたかみ(おおみたから)(1944)  8-5-4-1′

Int

伊福部昭 ピアノと管弦楽のための協奏風交響曲 (1941)  15-11-11′
  ピアノ、小山実稚恵
(encore)
伊福部昭 ピアノ組曲より 七夕  3′

Int

諸井三郎 交響曲第3番 (1944)  17-4+17′


下野竜也 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団


作品年代からモロに戦中のもので当時の現代音楽というよりも時代音楽。中身が本当にその当時の聴衆、空気、ムードの要請で作られたものなのか、はたまた。
4作品生演奏ではお初で聴くのかもしれないし、忘れているだけかもしれない。吹コンなどでも取り上げられているかもしれない。
諸井3番は2009年発売の1978年諸井三郎記念演奏会のものを聴ける。横への広がりはないが聴けるCDです。山田一雄指揮都響によるものですね。(このCD解説、片山さん21ページもの、ディープ)
1978年4月6日の上野、この二日前にブロムシュテット&ドレスデン歌劇場管弦楽団によるトリイゾ前奏曲と愛の死、若いブロムシュテットは休憩を置かずブルックナー5番へ突入。そのことはよく覚えているのだが、その二日後のことは記憶に定かではない。ただ山田一雄の棒は何度か見ているのでそのうちの一つだったかもしれない。

ということで、飛躍的に技術レベルが向上した今のオケでコアな4曲聴けるのはハッピー。サントリーのサマーフェスは演奏するグループの質の面で最良のものを前面に押し出しているので、作品同様この点でも拍手喝采。

尾高尚忠の草原。
静と動の繰り返し。静7-動3-静4-動3-コーダ3、といった具合の20分の曲。
静はモンゴルの草原、動は騎馬での移動。そのような描写音楽ととれる。構成に深みは無いが響きの面白さで聴かせる。映画の伴奏音楽のよう。


山田一雄の大みたから。
マーラー5番の第1楽章葬送行進曲そのものといった感じで、押し迫った1944年に葬送行進曲を書くのはまさに本人のみならず時代の通奏低音的要請のモードであったのだろう。作曲家のものすごいオブラート作品と思わずにはいられない。昨年のサマーフェスで演奏されたリンドベルイのピアノ協奏曲第2番と音楽的構想は同じだと思う。
形式はGM5-1mvtのようでもあるがむしろソナタ形式に聴こえてくる。
提示部8-展開部5-再現部4-コーダ1、計18分ほどの作品。マーラーをぼかし宇宙の動きを示す。スローな塊の様なものがゆっくりと移動していく。リゲティのアトモスフェールのモード。
当時世間でマーラーがよく知られていなかっただろうなというのがよくわかるシチュエーションでの作品だと思う。今、うったえる力が大きいですね。圧倒的な力を持った作品と演奏でした。下野&東フィル、共感の棒&演奏。お見事。


伊福部昭のシンフォニー・コンチェルタンテ。
鍵盤側で拝聴。3楽章もの。第1楽章15、第2楽章11、アタッカで第3楽章11。構成感、バランスが大変に良い曲。オケの音が終始デカい。オケと同時進行のピアノにとっては少し厳しい。ピアノの動きが、複雑なオケの鳴りの一部分を切り取ったような弾きで音が埋もれる個所が多かった。双方を同じような機械音楽の表現スタイルにしているように聴こえた。
ピアノは中間楽章で存分に味わえる。オタマとオタマに隙間が多いものでそこで味わうそこはかとなく湧いてくる情感。大きなタメを作りながら進行する小山さんの渾身のプレイ、曲の内面が照らし出される。今となってみれば、機械文明モダニズム表現の両端楽章よりも無意識に作られたような、ウエットな点、を感じさせてくれる中間楽章に大いに魅力がある。
望外のアンコールがあって同じく伊福部の作品。琴の音を模したものに聴こえた。
サントリーでのピアノ音、改修後、少しはよくなった気がする。音像がクリアに分離しているようだ。


諸井三郎のシンフォニー3番。
3楽章の作品。第1楽章17(7+10)、第2楽章4、第3楽章17(9+8)。
先に書いたようにCDでちょっとは耳になじみがあるのだが生ライブの感覚はまるで違った。誇らしげで幽玄な気持ちの高揚を喚起させる。構えが大きくちょっと頭でっかち。
第1楽章の序奏が7分ほど続く、長い。主部にはいるあたりからスクリャービンの3番シンフォニーがジワジワとフツフツと湧いてくる。こうなると、もう、スクのことで頭がいっぱいになる。スクが形を変えて出てくる。リンドベルイPC2、山田一雄の大みたから、それにこの曲。鉄板下敷きがよく見える。
下野の棒、第2楽章は1978年ヤマカズ収録CDとはまるで違う。鮮やかすぎる棒とオケ。そしてスク3の闘争主題だな、と。
終楽章は前半半分ほどの進行はようやくスク離れになったかと思う間もなく、スクのクライマックスに向かう姿が出てくる。エンディングのティンパニなんて、もう、同じ。
と。人生人それぞれ、聴き方も人それぞれ。スリルとサスペンスに富んだ作品。


ところで内容が濃い片山さんのプログラム解説。共感に溢れるもので素晴らしい。彼のエネルギッシュな活動はこれからも続いていくことだろう。

プログラム解説は演奏が始まる前に割とよく読むのですが、作品紹介の前に為人の人生経緯をたくさん書いてあってその後作品解説が通常、ある。人それぞれの自分は作品解説をまず読んで、そのあとに為人を読む。もしくは、読まない。演奏会が終わってから読む。ので、聴き方もスリルとサスペンスに富んでいる。

大変に素晴らしい企画ありがとうございました。
おわり


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