河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1189- ジョナサン・ノット ショスタコーヴィッチ 第15番  など2011.2.16

2011-02-17 22:07:00 | インポート

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2010-2011シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから。
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2011年2月16日(水)7:00pm
サントリーホール
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アルヴォ・ペルト ベンジャミン・ブリテンへの追悼歌
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アヴナー・ドルマン フローズン・イン・タイム(日本初演)
 パーカッション、マルティン・グルービンガー
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(アンコール)
マルティン・グルービンガー プラネット・レリメント
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ショスタコーヴィッチ 交響曲第15番
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ジョナサン・ノット 指揮
NHK交響楽団
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久しぶりに生聴きするショスタコーヴィッチの第15番。
第1楽章のテンポがあまりに速すぎです。ハイティンクとかザンデルリンクの倍速に近い速度ではないでしょうか。これだけ速いとさすがのN響も少し埃っぽい感じで雑ではないのですがフレーズの輪郭をすべて聴くのはちょっと困難な個所が発生。
でも妙なことに、この速度感というのは現代の古典を聴くような雰囲気があります。40年の時を経てようやくこのように普通に、もしくはいろいろな解釈を許容できるようになった、そんな感慨があります。じっくり聴かなければわからない時代を越えてきた。
ただ、最後の第4楽章のピアニシモにして巨大なパーカッションと予定調和的な弦の通奏、ショスタコーヴィッチ自身のエンディングに向けた収束とのバランスをどうとるのか難しいところではある。ザンテルリンク&クリーヴランド管のような見事なバランス感覚の演奏にはなかなかお耳にかかれない。むしろザンテルリンクとは別世界の音楽解釈といえるのかもしれない。
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第2楽章で少し落ち着きましたが、埃っぽさはひきずったままで大編成のもたもた感がでてきてしまいました。この楽章は第4楽章を先取りした暗示的な楽章なのですけれど、そのようなことが隠れてうずもれてしまいかねない。単なる第2楽章になってしまっていて面白み、深遠さに欠けた。
アタッカの第3楽章では第1楽章の速度感が舞い戻りましたが、スケルツォ的な第3楽章より第1楽章のほうがバタバタとせわしなく速いというのは、やっぱり速度設定に問題ありと言わざるをえません。ただしそれは飽くまでも古典的形式を前提にした場合の話ではありますけれど、それはそれでそんなに間違いではないと思いますよ。
第4楽章はいたってまとも。もっと彫れると思いますが、ノット自身の第1楽章からの解釈バランスではこのようになるのでしょう。彫って歌えればこの曲の別の面が見えると思いますけれど、そのためには第1楽章に戻ってやり直しをしなければならない。
ノットがこの曲をこれからも振っていくとすると、経験が静けさを求めるような形になっていくのではないでしょうか。是非振り続けてほしいと思います。
この日の演奏では、曲のユニークさが前面にでてこない演奏になっていたと思います。
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この日は前半の2曲が面白かった。ペルトの曲はどこかしら必ず期待を裏切らない部分があり、沈殿物のような沈み込みには割と納得させられた。後半のショスタコーヴィッチの曲と呼応するような雰囲気がある。ブリテンがどこに入っていたのかわからないけれど。
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2曲目のドルマンのフローズン・イン・タイムが面白かった。過激なパーカッション協奏曲みたいなもんで、プレイヤーのグルービンガーはほとんど曲芸師のよう。360度の広角に配置した打楽器群をすべて一人で奏するので、指揮者を背中に見ることもあるため、でかい鏡をセッティング。ユニークな超絶技巧で聴衆を魅了しました。
このプレイヤーは、打楽器自身の多彩な響きを全て引き出すとともに、楽想に潜む微妙なニュアンスまで細かく丁寧に彫りおこし表現している。大胆にして繊細、すばらしく説得力のある演奏でした。聴かせるパーカッション・コンチェルト。
それと、アンコールがありました。パーカッションのアンコールなんて聴いたことがありませんが、自作の刺激的なダイナミズムが聴衆を飲み込みました。曲芸技に近いけれどセンスの良さが音楽を品の良いものに押し上げている、本人の意思の具合にかかわらず。そんなハイセンスな演奏でした。満足しました。
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演奏とは関係ないかもしれませんが、前日のゲルギエフの公演では2割ほど空席がありましたが、この日の公演では曲の知名度などにもかかわらず満員。サントリーのN響定期はだいたいいつも満員なんですが、それでも聴衆の数と演奏内容、論じて比例するような具合でしたよ。
それと非常に気になったことなんですが、2階席LA最前列に座った若い女性がショスタコーヴィッチの前半1,2楽章ずっと、プログラムなんだか扇子なんだかわかりませんけど、あおぎっぱなし。この微妙な曲に頓着することない無知のやからといわれればそうなんですが、この角度は指揮者が一番頻繁に指示を出すために向く方向で、ノットも非常に振りにくかったと思います。単拍子の曲を振っているわけではないのですし、少しは聴衆も考えをめぐらしてほしいものです。隣のつがいごとくべてしまいたくなりました。
おわり

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