河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2008- ヨーロッパ・ツアー2015前の定期、大野和士、都響、2015.11.2

2015-11-03 17:36:55 | コンサート・オペラ

2015年11月2日(月) 7:00pm サントリー

ラヴェル スペイン狂詩曲  4-3-3-7

プロコフィエフ ヴァイオリン協奏曲第2番ト短調  11-10-5
  ヴァイオリン、ワディム・レーピン

Int

細川俊夫 嵐のあとに (世界初演)  23′
  ソプラノ、スザンヌ・エルマーク、イルゼ・エーレンス

ドビュッシー  海   8-7-8

大野和士 指揮 東京都交響楽団


1991年アメリカ・ツアー来のヨーロッパ・ツアーに出かける前の準備体操演奏会。
ヨーロッパ・ツアーは2015.11.13、16、17、19、21、23 の6公演。
この日の演目4曲にチャイコフスキーの4番を加え、計5曲を組み合わせてツアー演奏を行う。

やるまえからなんだが評がどうなることか、ハードでビッグでドライなサウンドが伝統のホールを席巻、正確な演奏はまさにジャパニーズの特質をあらわしている、といったところか。

スペイン狂詩曲はそのタイトルに相応しいのかわからないほど静止したもの。それに音がとにかくでかい。強弱の振幅度合が、極端に音がでかいわけでもない他オケの振幅度合と同じなのかどうかわかりませんけれど、あちらが強くなればこちらはもっとみたいな雰囲気がある、特にティンパニにその気がある。終曲祭りの後半部のサウンドサイズにはあらためてびっくり。
全体に静止している印象で、大小響きが際立っている。鋭角でkeenなもので、ウェットさやエモーショナルな波打つ演奏と言うわけではない。

レーピンはもう何度聴いたかわからない、山ほどというわけではないけれど、点的ではあるが聴くチャンスは多いほう。
深く強い弾きで柳のようにしなやか、切れない音でそれが音楽そのもののように強くしなやかにシームレスに流れていく。このオケのサウンドに負けることなく、まるでオケのサウンドに隙間があってその隙間さえ埋めてしまうように聴こえてくる。
この協奏曲ではオケの人数がぐっと減るが傾向は変わらない。ニヒルな風貌のレーピンが正確にプロコフィエフを弾き、オケは軽妙に伴奏していく。理想的です。
ヨーロッパ・ツアーではレーピンに評が多く集まる気配がありますが、それはオーケストラのことをないがしろにするという事ですから、必ずしもいいとは限りません。外国の評ではよくあることです。スポットライトを局所的に当ててあとはスルーといった具合。この協奏曲での緊密な伴奏のこともピックアップしてほしいものですね。

後半の1曲目、細川の新作はこのオーケストラ創立50年の委嘱作品で世界初演。音楽のセンチメンタルな自然賛美、3.11のあと、音楽そのものを考え直すようになった、といったことから作られた。その前の作品群とランドスライディング的な作風の変化があるのかどうか、そうでもないと思いましたが。
前半は嵐、この作曲家らしくないと思えるような太鼓でのポンポコ表現での嵐です。あえて日本的とさえ思えるもので彼のしなやかな音楽とはたしかにだいぶ違う。方向転換に暗中模索、そういった足あと風なところはあります。
23分中、最初の10分ほどこのような音楽が続き、そのあと二人のソプラノによるヘッセの「嵐のあとの花」の詩を歌う。二人のソプラノは巫女で、一本のソプラノを二人に歌わせ陰と陽、光と影を。嵐が去り光の世界を少しずつ取り戻す。
ソプラノがハーモニーを成すわけではなく、むしろ枝分かれしていくように詩を歌う。広がりを感じるというものでもない。少し不思議な世界。暗い嵐の世界のあと、少しずつ光がさしこみ、その光がやがて黄色い色調の世界を取り戻し静かに沁みていく。

最後のドビュッシーの海、このオーケストラにマッチした曲とは少し違うのではないのかという思いが率直なところあります。もっともっとウェットな響きが空間をびっしりと敷きつめていかなければならない、ややもすると埃っぽくなりがちな海でそれはタイトルと一番かけ離れたもののように思える。それにそれぞれの表題に対し演奏の焦点が今一つはっきりしない。オーケストラの響きは達者な腕前を示すものでうなるものですけれど。
杓子定規な演奏を海の波のように乗り越えて本来音楽が内包する律動を生きたものとして表現してほしい思い。

なにはともあれ、日常の演奏会が一番大切、日頃の腕前をヨーロッパで魅せてきてほしいところです。
おわり