河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2007- トゥーランガリラ、鈴木優人、東響、2015.11.1

2015-11-02 14:20:09 | コンサート・オペラ

2015年11月1日(日) 5:30 - 8:15pm 東京芸術劇場

小出雅子 玉虫ノスタルジア、ウィンド・アンサンブルのための
 (Br-Sax版 世界初演)  7′
鈴木優人 指揮 芸劇ウィンド・オーケストラ

ストラヴィンスキー 火の鳥(1919年版) 吹奏楽版全6曲  21′
鈴木優人 指揮 芸劇ウィンド・オーケストラ

Int

メシアン  トゥーランガリラ交響曲 7-9-5-12-7 12-4-12-4-7  79′
ピアノ、児玉桃、
オンド・マルトノ、原田節
鈴木優人 指揮 東京交響楽団


1980年代中盤、小澤征爾&ボストン響がニューヨーク定期でカーネギーホールにオネゲルの火刑台上のジャンヌ・ダルクを持ってきたことがある。ステージ後方半分をかなり高くしてもうひとつ舞台を作りそこで歌い手たちが動き歌う。セミステージ、ホールオペラ風。小澤は暗譜で、それを初めて見た時は神業かと思ったものでした。
無理に暗譜しなくてもいいじゃないかという思いはありましたけれど、プレイヤーたちには際どい安心感のようなものがある気がします。聴衆側も微妙な心地よさのような雰囲気がありました。それは、指揮者が曲を知り尽くしているのだろうといった思いが周りにうまく伝播しているからかもしれません。それに若かったですし、彼の出てくる催しは全てイベントの様なおもむきがありましたしね。空気を変えるカリスマの棒でした。

1967年にトロント響といれたトゥーランガリラもたぶん前後した同曲の演奏会の流れでセッション収録したものと推測されますが、演奏会のほうはこれまたたぶん暗譜だったんでしょうね。暗譜棒は彼が演奏会に立ち向かうスタンスの一つであるような文を何かで読んだことがあります。
トゥーランガリラは1962年に彼が日本初演した曲でありその後、短いトロント響との結びつきの中で作られた録音。
トロントより前さらにそれに並走する形でニューヨーク・フィルを124回(*河童カウント)振りつくし、1969-1970シーズンはオープニングも飾っている。ボストン、サンフランシスコの前に一時代を築きニューヨーク・フィルをも制覇していた。
カリスマ的才能全開時代。

この日、一見するとストイックな感じの鈴木さんの棒を見ながら真逆だなぁとふと思い出したことでした。
才能の開陳、いろいろなパターンがあるものだなぁという思いを感じました。


トゥーランガリラはイントロ含め、1曲の中に緩急が複数出現するものが多い。緩急、テンポ、リズム、小鳥が走りリスが這う瞬間、海中のクジラの遊泳、そんな感じの種々雑多な若き天才のひらめきの一筆書き。インスパイアされた愛はとりあえず横に置き、そのような響きを堪能できる曲。スリルとサスペンスに満ちた瞬間天才技が一気に書き上げたように見えるのは遠く離れた光源のようにさえ思える。
東にそれがあれば出かけ、要は東西南北その曲が演奏会に上がるときはなるべく追っかけしてきました。この日もその一つ。結果は芳しいものではありませんでしたが、指揮者はひとつ踏み台を駆け上がったと思います。

全般に緩急の緩フレーズ、メロディーラインがあまりにルバートが効きすぎていて急部分とのアンバランスが目立つ。後半の曲への伏線となるメロディー浮き出るがつながりを感じる前に散漫となってしまう。曲想変化の前のリタルダンドも強調が過ぎる。
オーケストラは健闘しましたが、棒のポイントとなる位置と音の出がバラバラでかなりプレイしにくそう。ウィンドパートの人が横の人を見たりする局面もあり、リハをたとえ重ねてもそれ以前に問題があると思います。好調な東響だからここまでブリッジできた。

中で、4の愛の歌2回目は長丁場ですが交錯するリズムテンポをきれいなハーモニーで歌わせなかなか良かったと思います。見通しがきいた全体のフレーム感覚が冴えたものでした。彼の棒は、強めのフレーズのエンディングを左手でさっと切り上げるところがあり、そのまとめあげは小気味のよいものですが、次のザッツはその息を買って出てこずさっき書いたようなまだら模様になってしまい結果、散漫なものとなってしまう。ここらあたりはご本人もわかっているのではないでしょうか。不安定さは自分に不安さをもたらし、そのような中で確実に棒を動かして音楽を作っていくことができるのは緩の部分であり、どっぷりとしたルバートなメロディーラインは、この曲に対する自信が今一つということの裏返しのようにも聴こえてしまうのです。4への理解は深いと思いましたのでこのような流れを全体に広げていけばよいと思いました。
9の3回目のトゥーランガリラはひとつのテンポだけの曲であり冴えた振りでした。黄金色の東響の響き、ブラス、パーカッション、見事だったと思います。

それから曲が並列的に陳列されているように聴こえました。束ね感覚を自分なりに感じたまま、2011年にプレヴィンがN響を振った時のブログに書いてあります。

1306- オリヴィエ・メシアン トゥーランガリラ交響曲、アンドレ・プレヴィン N響2011.10.21

1307- 二日目 メシアン トゥーランガリラ、プレヴィン N響2011.10.22



児玉桃、原田節はもはや定位置。
8では9が始まるまで鍵盤の上に頭を伏せてしまった児玉はまるで気絶したかのようでした。これまであまり見ないパフォーマンスでした。その児玉さん、演奏終わったら良くやった良くやったと指揮者をねぎらう姿が微笑ましい。

児玉さんの赤いドレス、原田さんの赤い靴下、妙に合う。
おわり

PS
この日の演奏会は、東京芸術劇場開館25周年記念コンサートのひとつです。