河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1692- パルジファル、千秋楽、ハリー・クプファー、飯守泰次郎、東フィル、新国立2014.10.14

2014-10-15 01:38:11 | コンサート・オペラ

2014年10月14日(火)4:06-9:50pm オペラパレス、初台

新国立劇場 プレゼンツ
ニュー・プロダクション

ワーグナー作曲
ハリー・クプファー、プロダクション

パルジファル  107′ 69′ 77′

キャスト(in order of appearance)
前奏曲での登場
1.僧侶3人
2.アムフォルタス、エギルス・シリンス
2.グルネマンツ、ジョン・トムリンソン
3.クリングゾル、ロバート・ボーク
3.クンドリ、エヴェリン・ヘルリツィウス
4.聖杯騎士2人+4人
5.アムフォルタスに水をやる子供

第1幕以降
1.グルネマンツ
2.クンドリ
3.僧侶3人
4.アムフォルタス
5.パルジファル、クリスティアン・フランツ
6.ティトレル、長谷川あきら


新国立劇場合唱団
二期会合唱団
飯守泰次郎 コンダクティング、
東京フィルハーモニー交響楽団

(タイミング)
前奏曲 13′
ACTⅠ
53′(パルジファル登場37′付近)
場面転換
41′

int 45′

ACTⅡ69′

int 35′

ACTⅢ
53′(聖金曜日38′付近)
場面転換
24′


この日はパルジファル5公演の最終日でした。
初日の感想
二日目の感想
三日目の感想
四日目の感想


初日のときの感想のあたまで、印象に残ったことを三つほど書いたうちの最初の二つについて不安定感として具体的なことを記すと、一つ目のグルネマンツによるアムフォルタスの放り投げは、立場や地位的な要素からいってありえない態度ではないかという話、二つ目の話は、第1,2幕でクリングゾルが伏せていた同じ位置に、第3幕ではパルジファルが伏せているところから始まっていて、なんだクリングゾルまだ生きていたじゃないかと思わせるようなところ、観ているほうとしては両方とも気持ちに引っかかりができて最後までひきずられてしまう。それで最後は光の道をパルジファル、グルネマンツ、クンドリ、そして聖騎士たちが、ぶらぶらと奥の僧侶のほうに歩いていくところで終わる、空中分解ではないが、クプファーは拡散状態にして終わらせる。彼が述べているところの、解は皆さんで探して、みたいな話に納得。最後まで宙ぶらりんのアクション演出、この一つ二つの要素としてあのような不安定感を演出しているのではないかと思ったわけです。
三つ目の印象としてあるグルネマンツによるアムフォルタス抱き抱えのシーンについては書いたとおりですので繰り返しませんが、12分ぐらいの前奏曲でタイトルロール以外全部出してくるあたり一種名状し難いクプファーの試みだと思いました。(ティトレルもでませんが)
思えば初めてパルジファルを観たメトのナザニエル・メリル演出では、レヴァインが猛遅速の約17分の前奏曲の間、ハウスは真っ暗闇でした。やっと幕が開いたかと思ったら森の色調を意識したモスグリーンの紗幕があり、舞台はやっぱり暗かった。舞台転換では通常の歩みで下手に移動するあたりこのハウスの巨大さに驚きました。
第2幕ではやや左奥に洞穴のようなものがありクリングゾルが槍を投げるとパルジファルはどのように受け取ったのか、聴衆のため息だけが耳に残ります。ただ、槍を投げるというのは、佐々木小次郎を思い出しましたね。手から放したあの瞬間に自ら負けを引き寄せた。
第3幕では上手奥からひどく重そうな鎧兜を纏ったパルジファルが手前の丘に登ってくる。今回のクプファー演出では坊さんの布きれで顔を隠しているだけですので、歌詞とのアンマッチがある。ここらあたりは昨今の過剰演出にありがちな違和感です。今となってみれば1980年代の演出も場所によっては古色蒼然たるものであったかもしれませんがこのような部分での違和感はないものです。
聖金曜日ではレヴァインがピットの中で両腕を振り上げての大震えとなる。実はあの棒だとスローなテンポの演奏が可能なんですね。バヤバヤと宙を漂っていて滞空時間が長い。いずれにしても長い演奏ではありました。
あと、この演出では舞台の上下移動は無かったと思います。このハウスの上下移動はゼッフィレルリ演出のトスカが見ものでしたが、ワーグナーものではエヴァーディンクの演出によるトリスタン、最後の愛の死のところでイゾルデが絶唱しているその位置周辺全部が上に持ち上げられていく。足元は暗くて鮮明ではないので不思議な浮遊感を観た記憶があります。
当時のメトではパルジファルの上演をシーズン初めの秋口と、〆の春先に集中的におこなっていた時代でした。字幕の無い時代ですからオペラを理解しながら観るのは大変。英語本の予習も時間がかかる。それで、東京書店や紀伊國屋で日本のオペラ解説書を取り寄せてストーリーを読んでいました。当時の日本の本の当地の相場は、レコ芸が1000円だとすると10ドル、3000円の本だと30ドル。今は1ドル100円時代ですから違和感ありませんけど、プラザ合意の頃の話ですから、1ドル200-250円時代。1000円のレコ芸は2000円から2500円相場。ぼろもうけだったのかどうかしりませんけど、給料がドルベースの生活だと円は関係ない中、唯一、円相場への直結を感じ取れるのが日本語本の購入だったわけです。


ところでパルジファルを理解するうえで割と読んでいる本はこれです。

ワーグナー パルジファル (名作オペラブックス)
音楽之友社

414ページ中、対訳リブレットは約100ページ、メインは解説ですからいろいろなことがよくわかります。特に前史や周辺事情の理解にはいいですね。オペラパルジファルはほんのエキス部分なのだというあたりのことがよくわかります。特にワーグナーのドキュメンテーション部分は必読ですね。


今回のパルジファルも上演回数と同じだけ観てしまいましたが、本当に人間技とは思えない作品。なにからなにまでワーグナーの創意によるものでとても人間が作ったものとは思えない。唯一存在した天才越えの宇宙人の作品のような気さえします。私はワグネリアンでもなんでもないのですが、単に偉大さにひれ伏すしかない、と思います。このような偉大な作品は知らない。
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それから演出の持つ力の大きさも感じました。2年前の二期会、クラウス・グート演出、そして今回のクプファー演出、対極のような演出でありながら双方とても面白いし、やっぱり演出は必要と。
これまでだとパルジファルを聴くに当たり舞台は自分のイメージを広げるための補助的な視覚で十分と思っていたのですが、やっぱり違う。舞台はあるに越したことはない。舞台をじーっと見ていると頭の中をいろいろなことが駆け巡る。思考が深まる気がする。あまり気張らなくても気持ちを自然に集中させていくと事が出来る。演出者の意図を読みながら観るのもとても楽しい。物事を斜めから見るのはあまりよくないというのも理解できます。うがちすぎはよくありません。まずはストレートに感じればいいと思いました。

今回の新国立のパルジファル上演、本当に良かったと思います。ありがとうございました。是非、リバイバル公演を。
おわり


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