河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1699- チャイコフスキー、弦セレ、ショスタコーヴィッチ4番、アレクサンドル・ラザレフ、日フィル2

2014-10-25 18:15:49 | コンサート・オペラ

1699- チャイコフスキー、弦セレ、ショスタコーヴィッチ4番、アレクサンドル・ラザレフ、日フィル2014.10.24

2014年10月24日(金)7:00pm サントリー

チャイコフスキー 弦楽セレナーデ 10′4′10′6′

ショスタコーヴィッチ 交響曲第4番 26′9′31′

アレクサンドル・ラザレフ 指揮
日本フィルハーモニー交響楽団

最後の空白のようなものを指揮する指揮者、初めて見ました。音が無くなっているのに振り続けている。両手の人差し指を動かしながら何かモノローグ風。相手であるべきオーケストラは固まってしまっていてラザレフの人差し指がモノローグしている。そして振り止んでその人差し指のついた両掌を頭に持っていき抱え込んだまま静止。どのくらい続いたのか、深刻の極みの曲は病んでいたようにも見えた。シリアスな演奏行為でした。
ラザレフは前半部分のほう高カロリーで草木もなぎ倒すような限界サウンドに高じているように見受けられましたが、その前半もよくよく聴くと非常に繊細極まる個所が続出。後半の最後に向かい音量レベルはトーンダウンしつつ、反転するようにナイーブで繊細な音楽が大きく表出。位相の入替のような錯覚に陥りました。12番13番あたりに位置していても違和感のないようなシンフォニーに思えてきました。特にエンディングは拍子こそ違え15番モード。神秘的な世界に入りつつあるような雰囲気。ラザレルの美的感覚の振幅の大きさ!
思うにこの4番、作曲者は言いたいことがたくさんあるけれども暗中模索、それに表現したいことの道具がまだうまく揃っていないもどかしさを本人が一番認識していながら作っている。それの究極の解は15番にあると最初から分かっていたわけではないけれど自分の作る曲の行きつく先はよく見えていたような気がする。極めて充実した演奏で、曲が大きくそびえ立つ、屹立という言葉こそふさわしい。
オーケストラも他の指揮者を圧する豹変ぶりで能力を引き出す指揮者のちから、再認識しました。
いい演奏で曲の真価を再認識。

規模の大きい曲だけに、都響のプリンシパルのホルンをはじめ混成ブラスで対応、収録マイク可視で18本、ライブ収録を商用にするんでしょうね。この日の響きがうまく収録されていることを願います。

前半のセレナーデ。この日はこの曲から始まったわけですが、16型60人の弦の芯の強さと透明感、それに横に広がったワイドな響きにいきなり圧倒されました。想定外と言っては失礼ですがこの美演、やればできるじゃないか、と。指揮者により惰演から美演まで能力の引き出しがなかなか開かなかったり、蝋を塗ってもいないのに滑るように開いたりと、忙しいオーケストラ。例えばN響は1プルトから最後尾まで同じ意識で演奏しているように見えます。この日の日フィルはそのように見えました。いつもと張りが全く違っている。N響との違いはその持続性の有無にあるわけで、スキルとプロ意識、両方のテンションをいつも最高度に保ち、プレイしていくのはプロオケでもいろいろまだら模様と考えさせられるわけです。

前半後半、曲の極限美と独白美、堪能できました。ありがとうございます。
おわり



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