河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

442- トリスタン 2007.10.11 DB/SKB

2007-10-16 22:27:00 | 音楽

今来日中のダニエル・バレンボイムとベルリン・シュターツカペレの公演から聴いたものを書いてます。

昨日のブログでは1012日のマーラーの9番のことを書きました。

今日はこれです。

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20071011()5:00pm

NHKホール

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ワーグナー/トリスタンとイゾルデ

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トリスタン/クリスティアン・フランツ

マルケ王/ルネ・パぺ

イゾルデ/ワルトラウト・マイヤー

クルヴェナル/ロマン・トレケル

メロート/ライナー・ゴールドベルク

ブランゲーネ/ミッシェル・デ・ヤング

牧童/フロリアン・ホフマン

舵手/アルットゥ・カターヤ

船乗り/パヴォル・ブレスリク

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演出/ハリー・クプファー

ダニエル・バレンボイム指揮

ベルリン・シュターツカペレ

ベルリン国立歌劇場合唱団

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豪華な配役。

バイロイトでもなかなかそろいそうもないキャストだ。

さすが日本だけのことはある。

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バレンボイムの指揮するトリスタンは今まで何度か観ているし、録音もバイロイトはじめかなり聴きこんでしまった。

自家薬籠中の物であるためいまさら、ことさら論評を加えてもあまり意味はない。

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3幕でトランペットの音に導かれてイゾルデが到着するするときトリスタンは少し元気を取り戻すのだが、本当はあすこのトランペットの時点で死んでいるのではないだろうか。と思う。

映画やドラマなどでストーリーが途中から方向転換し、気がついたら夢だったと、観客、聴衆をだます手法があるが、これ何と呼ばれているのか知らないがあんな感じがあるのだ。

例えば、未来世紀ブラジルの最終局面で、脳をいじられそうになった主人公の絶体絶命の瞬間、ロバート・デ・ニーロ扮するハリーと彼の集団が助けにきて、うまく逃げることが出来てハッピーエンドで終わるのだが、その瞬間、夢から覚めたようにうつろな目の主人公があらわれる。トリスタンの第3幕はそんな感じです。

つまり、イゾルデが今ようやく着いたときにトリスタンは既に死に、物語は終わっているような気がするのです。

もう一つの夢の物語は続くのですが、これはマルケ王が、惚れ薬のことを知った、彼らを許しに来た、などと言うため、-ここら辺は予定調和的ではあります- ではなく、そのようなことは道草みたいなもので、結局、イゾルデが愛の死を歌うための前段にすぎないのではないか、とさえ思えてくるのです。

もう一つの夢の中のストーリーが長々と続き、長々と続いても、続かなくてもトリスタンはあっけなく死んでしまうのですが、長々とストーリー展開をすることによって愛の死の局面が最高潮に盛り上がるのです。

それではどこで夢から覚めたのを聴衆は知らされたことになるのか。

それはこのオペラが終わってからのような気がします。

それは二重の意味でそうなのかも知れない。

つまりオペラの終わりの瞬間をもって、これはあすこのトランペットの前で終わっていたのかもしれないと思い夢からさめ、もう一つはこの素晴らしいオペラという全部が夢であったような世界から解放される。

自然さからいったらトリスタンは第2幕で死んでいてもいいわけだし。

まだ生きている第3幕は肥大化された夢物語のようなものだ。

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クプファーの舞台は、クプファーらしくないというか、かなりおとなしいもの。

朽ちた天使のような巨大なプロットが第1幕から終幕まで真ん中に置いてあるだけ。

たまにそれが右に回転したり左に回転したりするだけ。

実に端正なものだ。

ただ、この作りものは大変に丈夫なものであり、その羽根をたたいたり、乗っかたりしてもびくともしない代物。

見た目は昔風、中身は現代風といったところか。

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歌い手はこのキャストなら誰も文句はないだろう。

フランツのトリスタンであるが、個人的にはジークフリートのジークフリート役のイメージ、残像がかなり濃くあり、トリスタンもジークフリートも最後は悲劇的ではあるのだが、ジークフリートのジークフリートでは森の中でもう少し柔らかくて優しさをたたえた感傷的なところがありそちらの役の方が好ましいような気がする。

トリスタンは心の動きの表現という部分で少し重荷であるような気がしないでもない。

マルケ王のパぺは、既に王者の風格だ。

見た目も非常に個性的で歌ともどもいつも素晴らしい。

特に歌、演技ともに完全に余裕があり、それがある種の風格を感じさせる。

まわりの空気が変わるというか。。

空気が変わると言えば、それはイゾルデのマイヤー。

さすがに少しばかり歳とってしまったが、最後の愛の死の絶唱は、もう、ほとんど、リサイタル状態。

あすこのためだけにバレンボイムはオケで伴奏をつけている。そんな感じ。

マイヤーの声は録音ではあまりわからないが、でかい声。

このどうしようもないNHKホールを鳴らしてみせるあたりさすがとしか言いようがない。

ただ、ストーリー的には愛の死があまりにも素晴らしいため全体を俯瞰したときバランス、ウェイトのかかり具合が少し自然ではないのかもしれない。

それもこれも良すぎるためではあるのだが。

ブランゲーネのデ・ヤングは少しばかり重そうだが(声ではなく)、マイヤーと比べると明らかな若さ、良さがにじみ出ている。

配役的には少し明るすぎるかもしれないが歌ではマイヤーの上をいく人はいないわけで、その意味ではいくら頑張っても頑張りすぎることはない。良かったと思う。

クルヴェナールのトレケルはこうして聴けただけでラッキーと思う。

かなりの長身で誠実さが自然に体からにじみ出てくるような感じ。

丁寧な歌であり声も明瞭に聴こえてくる。

ライナー・ゴールドベルクはメロートなどのような役にとどまっている人間ではないはずだが、ちょっと心臓がノミ?

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バレンボイムの指揮はいまさら何も言うことはない。

今となってみれば四半世紀かけて当代随一の偉大なワーグナー解釈者になった。

自由自在に伸縮するテンポ、歌の呼吸は自然でなければならない、オーケストラの伴奏然り。

ある時は歌に寄り添い、忍び寄り、またある時は咆哮する、駆り立てられるオーケストラ。

見事に自由自在、極限まで表現の振幅を追求する、その圧倒的な音作りにいつも感服してしまう。

おわり

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441- マーラー9番 2007.10.12 DB/SKB

2007-10-15 22:26:00 | 音楽

今来日中のダニエル・バレンボイム、シュターツカペレ・ベルリンの公演のうち、日を追ってではなくバラバラと感想を書いていきます。

今日はオペラ公演ではなく、コンサートから。

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20071012()7:00pm

サントリーホール

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マーラー/交響曲第9

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ダニエル・バレンボイム指揮

シュターツカペレ・ベルリン

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この日はこの曲一曲だけ。

結論から言えば、演奏、オーケストラともに問題があった。

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バレンボイムのマーラーはどうなんでしょう。

彼はどんな思いでマーラーを振っているのでしょうか。

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まず、演奏に関して言うと、そのテンポの速さ。

速いことが問題ということではないが、やや性急過ぎた。

7:00pmの公演と言っても、一曲の場合は遅刻者のことも考えておそめに始まる。

当日も演奏開始は7:10pmで終演が8:25pm

楽章間のポーズを考慮すると正味70分という短い演奏であった。ワルキューレの第1幕とほぼ同じ。

その昔は、このようなテンポの演奏が多かったが、最近の流行か細部に耽溺する演奏が多い中、バレンボイムのテンポは異例であろう。

速いのが悪いのではない。ただ、バレンボイムのかなり大幅に揺れ動くテンポは、マーラーをドラマティックに表現するというよりも、駆り立てるテンポのフレーズに偏ったバイアスがかかるような感じだ。必要以上のバイアス。

例は違うが、塔レコとかHMVのフロアでかかっているバックミュージック。

あれはおそらく高音を異常に強くしていると思うのだが、バレンボイムの解釈はあのようなことを想起させる。

つまり自然ではないなにかに拡大解釈されていると感じてしまう。

ワーグナーのような自然でないもの、それは神とは限らない、そのような解釈のように聴こえてしまう。なにかワーグナーの続きを聴かされているような。

それはそれで歴史的には正しいのかもしれないが、マーラーの9番には、別のイメージを少なからずもっており、それはワーグナー的なものではなく、ウェットとかドライとかとは違うもっと物理的時間の経過の感覚なのかもしれない。

テンポの動きではなく、テンションの高さがハートの高まりを生むようなそのような解釈もあるのではないか。

また例が異なるが、フルトヴェングラーが指揮するとベートーヴェンもブルックナーもブラームスも全部フルトヴェングラー流になってしまうということがあるが、あれに少し似ている。

ベートーヴェンの5番は何が何でも許せるが、ブルックナーの8番のコーダにおける破たんした表現は意見の分かれるところであろう。

楽譜を超えた魂の揺れ動くさまなのか、はたまた狂気の表現なのか。

バレンボイムはそこまでエキセントリックではないが、そのようなことをまた想起させずにはおかない。

ただ、この日の対象となっているマーラーに関して言うならば、フルトヴェングラーと同様、もしかして肌に合わないのかもしれない。何とも言えない。

あるいは、これが発展途上の表現なのか今一つよくわからないが、じゃぁ、クレンペラーを目指せといっても、決してそのような形にはならないであろう。マーラーに関しては。。

クレンペラーは静止した音楽を作ることによって逆に、物理的時間を意識させるようなえたいのしれない解釈を提示してみせた。

バレンボイムはこのような表現に今後もなることはないと思われる。

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今日のもうひとつの問題点は、オーケストラのコンディション。

連日連夜のオペラ公演の合間のコンサートだけにだいぶ疲れているようだ。

前日はトリスタンをやっていることもあり、あまりいいコンディションとはいえなかった。

こんな日もあるだろう。

但し、プレイヤーのコンディションとバレンボイムの解釈とは関係ない。

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バレンボイムにはめずらしくフルスコアが置かれている。

かなり一生懸命見ていたようなのでこの曲、CDも出ているにもかかわらず彼自身、まだこなれていないのかもしれない。

やっぱりベートーヴェンとは違うのだろう。

ベートーヴェンの場合、交響曲も、弾き振りのピアノ協奏曲もバレンボイムはスコアは不要なのだが、マーラーではそうもいかないのかもしれない。

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しかし、だ。

このコンサートを聴いて三日四日たっているが、いまだに9番のふしを口ずさみ、ハミングしているのはなぜだろう。

1楽章冒頭の、人間の呼吸のような自然な二つの連続する降下音。最初から安らぎの音楽を表現するバレンボイム。それは遠い先を見据えたものなのかも知れない。第2主題の出も明確で自然だ。

2楽章のおどけた表現。大きく揺れ動くテンポは時に我にかえることを思い出させる。

3楽章の超高速は第2楽章とは明確な違いを感じさせるに十分すぎる。

そして終楽章における思い余ったような弦の切れ味、頂点に達するギリギリ限界からはちきれる弦の素晴らしさ、さらにコーダ前の最後の強大なオーケストラ全奏。

そして、コーダはまるで第5楽章のように響き渡る。

最後の響きが完全に鳴り終わり、ホールが静まりかえり、静かに始まる拍手。

今日の聴衆はマーラーの聴き方を知っていたようだ。

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いろいろと問題のある演奏ではあったが、最後はハッピーにしてくれた演奏でもあった。

ここらへんが音楽の難しいところなんだが、でも、オペラはだいたいいつもこうだろう。

良いところもあれば悪いところもある。

それらが混然となって一夜の公演の中に次々とあらわれるのがオペラ。

どのようなオペラでも必ず一つはいいところがあるものだ。

それを探しながらの聴衆なのである。

オーケストラ公演は、交響曲という贅肉の最も少ないものであるだけに、オペラなどよりももっと完璧なものをどうしても求めてしまうが、バレンボイムはあるいはオペラのように聴け、とでも言っているのかもしれない。

おわり

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440- ジョルダン スイス・ロマンド 1991-27

2007-10-14 22:25:00 | コンサート

スイス・ロマンドの1991年4度目の来日公演はこんな感じで行われました。

1991年11月
9日(土)サントリーホール●
10日(日)サントリーホール
11日(月)聖徳学園川並記念講堂
12日(火)ザ・シンフォニーホール
13日(水)広島国際会議場フェニックスホール
15日(金)神戸文化ホール
16日(土)白根桃源文化会館
17日(日)サントリーホール
18日(月)秋田アトリオン音楽ホール
19日(火)昭和女子大学人見記念講堂

●は河童潜入。

計10回公演でした。そのうち、初日に顔を出してみました。

1991年11月9日(土) 6:30pm サントリーホール

フランク・マルタン 7つの管楽器と弦楽合奏とティンパニのための協奏曲

ベートーヴェン ピアノ協奏曲第4番
 ピアノ、ラドゥ・ルプー

ストラヴィンスキー 春の祭典

アルミン・ジョルダン 指揮 スイス・ロマンド管弦楽団

スイス・ロマンドは1970年代80年代に、サヴァリッシュ、シュタインなどドイツの大物指揮者が常任になったときは少なからず違和感をもったものでした。
アンセルメは別にしても、次に長かったジョルダンは結構好みの指揮者でした。ほかの指揮者はあんまり印象がありません。
ジョルダンの棒によるCDはかなり出ているはずですが、最近はチープなプラケース、貧弱なライナーノートなどのものが出回っており、昨年亡くなった彼もあまりうかばれません。
マーラーの4番などいいと思うのですが、なにせあのチーププラケース。音はレギュラー盤と同じなのでしょうが、その前にお店に飾ってあるものを見ても食指が全く動かないのも事実です。粗末な品は買いたくない。特に好きな指揮者の場合は。


この日の曲は3曲とも聴きものです。マルタンの協奏曲はアペタイザーではありません。
マルタンの曲は最初、聴きづらいところがあるが、慣れればいいだけ。この協奏曲もそんな感じであり、オーケストラの独特のフェザータッチのサウンドが心地よく響いてくる。
ジョルダンは見た目、若いのか年がいっているのかよくわからない部分がありますが、比較的エネルギッシュに振ります。

次のベトコン4番はピアノそのものの曲ですから、スイス・ロマンドの音は味わえません。
それよりも当然のことながらルプーの音楽を聴かなければなりません。今日のベトコン4は成長の証が聴かれましたが、ジョルダンの棒ほど味わい深いものではなかったようです。
昔の技も曲がり角にきていたのでしょうか。ルプーの進むべき道はどれだったのか、今となってはよくわかりません。

最後のハルサイは聴きものです。スイス・ロマンドは上手いのか下手なのかよくわからなくなることがあるオーケストラです。
指揮者によるというよりも、オーケストラ自体、調子がいいとき悪いときがわりとはっきりしているし、また、選ぶ曲によっても良かったり悪かったり。アンセルメの棒によるベートーヴェン全集なんかどうでしょうか。味わい深いと言えば言えますが。

ジョルダンはいわゆるオペラたたきあげの指揮者です。
本人はワーグナーものが好きだと思われますが、今回の公演ではそのような曲は選ばず、フランスものロシアものを中心に協奏曲はベートーヴェンという感じで好ましいプログラム・ビルディングとなっております。そのロシアものですが、アンセルメ得意の空中分解ハルサイをジョルダンが振るとどうなるか。一言で言うとウェット。
スイス・ロマンドの聴きようによっては薄っぺらなサウンド、よく聴くとさざ波が自然に立つような短いフレーズをもっと短く弾いたり吹いたりするように聴こえるのですが、そう、尾をひかないサウンドなのですが、ジョルダンが振るとそれでもなんとなくウェットな響きが滴り落ちるような具合なんです。なんでこうなるのかわかりません。一音ずつ丁寧に演奏するよう練習で指示を与えているような気がします。
練習は見たことがありませんが、バルビローリのような感じなのかも。すぐとめる感じ。
本番で出てくる音楽は、フレーズがいつくしむように奏でられサラッとした響きのなかに手のひらにのせたくなるような光輝く石がある。こんな感じで、ハルサイは演奏されたのでした。
劇的要素の強い演奏ではありませんが、なんと味わい深い演奏であることか。ジョルダンのさりげなさは、一見何もしていないように思えるが、なにもしていないのは本番だけ。彼の意思は練習でしっかりと組み込まれ、本番では練習以上の事象は起こらないかもしれないが、それでも十分に満足できるし、逆に言えば見えないところに彼の力を感じる。そのようないい指揮者でした。
おわり


439- オーディオなしの秋のよなが 二十八日目

2007-10-13 22:47:00 | ?ムーヴィング日記

ムーヴィングしてからだいぶ経ちました。

荷物の整理は残すところ五分の二ほどになりましたが、オーディオの配線はまだです。

その気があればすぐに出来るのですが、その前にちょっと固めのラックを用意してからと思い、まずそちらを物色中です。

しばらく音を聴かないでいると悪い時もありますがいい時もあります。

音楽、映像は、体に物理的制約を加える。特に時間的制約ということを考えずにはいられない。

音楽をCDで聴いているうちは、耳が制約を受けるだけで済む。もちろん脳味噌も制約を受けてはいるのでしょうが、聴きながら、消音したテレビを見るとか、本を読むなどいろいろと出来ます。

映像、オペラや映画では目と耳の両方制約を受けてしまいます。

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というよりも、音楽や映像というのは、その速度で見聴きしなければならない。

つまりライブと同じ実速度なわけですから、パルジファルなら4時間半、映画なら2時間ぐらい拘束状態。

こんな感じで毎晩、CDDVDなどを見たり聴いたりしているとこれで時間がかなりなくなってしまう。

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だからといって、ライブの演奏会だけ見に行けばいいというものでもない。

いろいろと前提になる音を聴いておかなければならないこともあるし、自分の耳が渇きを感じた時はどうしてもオーディオの音でもいいから欲しくなることもある。

今は、たまたま芸術の秋ですから、オーディオが聴ける状態だったとしても、ほとんどコンサート通いが主体になってますので、CDを聴かなくてもわりとなんとも思わない状態。

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室内楽はもともとあまり聴く方ではないのですが、秋口になるとなんとなく聴きたくなることがあります。

秋の夜長はブラームスのチェンバー・ミュージックなんかいいんですが、そう思っても買うCDは弦楽合奏版とかオーケストラ版になってしまいます。これ、なんででしょうね。

室内楽はばかでかいコンサートホールで聴くよりも河童蔵で静かにこんもりとして聴くのが好みです。

こうゆうときもありますし、オーディオもやはりなくてはならないものです。

早めに音を出せるよう、整理整頓の努めます。

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が、

1020()はダニエル・バレンボイム、シュターツカペレ・ベルリンの千秋楽ですので、それに行かなければなりません。

シェーンベルクのモーゼとアロンです。

一体全体どんなプロダクションでどんな音が上野の森からでてくるのか楽しみです。

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が、

翌日の21()は、初台の新国立でタンホイザーが上演されますのでこれもはずせません。

キャストがいいですからね。

それに11月に来日するドレスデン歌劇場によるタンホイザーの耳準備になる、といっては失礼ですが、聴けるときに聴いておきましょう。

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ということで、

オーディオから音が出てくるのはまだ先のことかもしれないですね。

おわり

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438- トリスタンの前日は銀座ではしごを

2007-10-12 22:47:00 | 銀座にて

今、来日中のダニエル・バレンボイムとシュターツカペレ・ベルリンの追っかけの合間に、というか、平日のオペラ公演はスタートが早いので気持ちを整えなければいけないので、会社勤めの人は出来ればお休みとしたいところだ。

それで、お休みを取る場合、前日はどうしても心に余裕が出来すぎてしまい、ちょっと銀座あたりによってゆっくりしたくなったりするものだ。

ということで、まぁ、休みの前日は少し残業でもして、ややおそめに繰り出し、といっても銀座ですから8時頃からがちょうどいいですね。同伴族もいなくなる時間帯だし、邪念なくお酒が飲める。

それで、芸術の秋、食欲の秋、ですから、寿司ではない日本食がいいですね。

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一軒目は和久多です。

安からず高からずでいい感じです。

安物買いの銭失いということもありますし、ある程度の値の方が気持ちが落ち着くということもあります。

アラカルトでいきたいところですが、仕事で疲れている場合は、それに二軒目三軒目といきたい場合は、頭をからっぽにして、ここのお店はコース主体でもあることですし、そのコースにしました。真ん中のコースですね。

秋の食材は日本酒メインではなく、食材そのものをピュアに楽しみたいところですが、日本酒のラインナップが河童語では読めないようなものが多く、それもめんどうなので、メニューの一番上のお酒から、一番下のお酒まで一合ずつ順番に飲むという、なんだか昔そんな飲み方をしたことがあったなぁ、などと思いだしつつ、結局食材どころではなくなってしまいました。

このお店は金春通りですが、少し千鳥足モードで行った西五番街の二軒目はとりあえず割愛して、三軒目は電通通りを越えて数寄屋通りのBar Metroというお店で、本日の反省会を朝3時ぐらいまでおこなったわけです。

この数寄屋通りは、歯の抜けたくしのような量しかでてこない有名店のそば田中家などもあったりしてふところの深い通りでもあります。

それで、バーのほうですが、多品種大容量でせまるお店ではないのですが、そんな店は銀座では必要ないといっているようでもありますが、なんというか、作るウィスキー、カクテルが、パシッ、ときまっているんですね。

ゆるふんなお酒にならず、一つ筋が通ったようなお酒がでてくるんですね。味がきまっている。

銀座のバーはこうゆうお店がわりとあります。

味がきまっている、というのは変な表現ですが、一本信念がこめられているというか、飲む方もベロベロながら、お酒で目が覚める、みたいなキリリとしたものを感じるわけです。いいですね。

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それやこれやで朝3時ですから、もうその日になってしまっているわけですが、夕方5時からトリスタンとイゾルデの公演に間に合うか、間に合うかというのは時間ではなく、体調が戻るのが間に合うかということなんですが、今日はプレミエ公演でもありますし、2軒目のブランデーが体内に残ったまま気持ちだけ全身全霊をこめてNHKホールに行きました。

でも、バレンボイムの指揮するシュターツカペレ・ベルリンの第一音を聴くと即座にトリスタンの世界にはいっていくことができる。眠くもならない。これまたキリリとした世界がここにもあり、あっという間の5時間半でした。

おわり

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437- 今日もDB/SKB

2007-10-11 22:46:00 | 音楽

今日もダニエルを聴きに行ってきました。

ですので、ブログはちょっとかなり薄め。

バレンボイムの2007年来日公演のことはいつかまとめて書くことがあるかと思います。

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今日のバレンボイム/ベルリン・シュターツカペレはマーラーの9番でした。

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オーケストラが毎晩のオペラ公演のあいだのコンサートということで、疲れ気味ということもあるのですが、それよりも、バレンボイム自身のマラ9解釈が定まっていないような、発展途上のような、そんな演奏とあいなりました。

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正味70分の高速演奏ということもありますが、激しく動くテンポが速度の速い方に偏向しているような解釈でした。別にそれが悪いということではありませんが。

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あと、彼にしては珍しく、フルスコアを最初から最後までにらめっこ状態。

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といった具合で、さすがの彼でも、あたりはずれがあるのですね。

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また詳しく書きますね。

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436- やっぱりDB/SKB

2007-10-10 22:46:00 | 音楽

ブログなかなか書けません。

やっぱり

ダニエル・バレンボイム

シュターツカペレ・ベルリン

の公演追っかけでいそがしい為。

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ワルトラウト・マイヤーのイゾルデはすごがった。

わかってはいるものの、あらためて、すごいなぁと思いますよ。

愛の死の余裕の歌はなんだ。

ほぼ、リサイタル状態でしたね。

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この来日公演の模様は全部終わってから、少しずつ書き込みますね。

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435- 見よ。11月のサントリーホール

2007-10-09 23:30:00 | 音楽

この前ちょっと書きましたが、あらためて。

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サントリーホール200711月、来月ですね。ものすごいラインナップなんです。

ざっとこんな感じ。

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クリスティアン・ティーレマン/ミュンヘン・フィル

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ワレリー・ゲルギエフ/マリインスキー歌劇場管弦楽団

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準・メルクル/リヨン管弦楽団

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クリストフ・エッシェンバッハ/パリ管弦楽団

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ファビオ・ルイジ/ドレスデン国立歌劇場管弦楽団

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マリス・ヤンソンス/バイエルン国立歌劇場管弦楽団

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ズデネク・マーカル/チェコ・フィル

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こんなのありえない。

なんとか祭りとかなら、いざ知らず、普通の11月です。

それもサントリーホールだけですよ。

このラインナップ、世界中のどこを探しても絶対に、あり得ない。

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これ以外に、日本のオーケストラも当然あるわけだ。

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日フィル

東京フィル

東京交響楽団

東京都交響楽団

N

読響

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ほんとありえない。

暇があってお金もあれば、11月一ヶ月間は、全日空ホテルに滞在して、コンサート三昧としたい。

毎晩7時から9時ぐらいまでコンサート。

そのあと、その足で、坂をのぼり六本木に繰り出し、束の間のオアシスに浸り、夜中にホテルに戻り、翌日おそめのランチを食べ、そのあとひと汗流してから、また19時を待つ。

これの永久ではないがループを一ヶ月間繰り返す。そうすると自然に、耳に音楽ができる、というものだ。

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ところで、このトンデモ11月の公演で絶対はずせないものが二つ。

まず、

1114()

ワレリー・ゲルギエフ指揮

マリインスキー歌劇場管弦楽団

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チャイコフスキー/交響曲第2

プロコフィエフ/ピアノ協奏曲第3

 ピアノ、イェフィム・ブロンフマン

ショスタコーヴィッチ/交響曲第15

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これをはずすわけにはいきません。

もちろん、ゲルギエフによるタコ15の演奏がどんなものなのか、その一点なわけですが、ホント楽しみな公演です。

個人的にはビートのかたまりのチャイ2番小ロシアも好きですね。振らせてくれるなら振ってみたい。

タコ15はフルスコアをもってますが、表面上はなんかイージーに見えますけど、聴後感はいつも謎めいたものを聴いたなぁ、と思ってしまいます。これも振らせてくれるなら振ってみたい。でも、この曲、感動に揺すぶられるという曲ではないので振る方も聴く方もとっても難しい。

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もうひとつはずせない公演。それはこれ。

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1126()

ズデネク・マーカル

チェコ・フィル

合唱:

ガーデンプレイスクワイヤ

東京少年少女合唱隊

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マーラー/交響曲第3

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最近のチェコ・フィルの充実したサウンドを確かめるにはいい曲だ。それにマーカルの棒も興味が尽きない。

ただ、日本国内調達と思われる合唱が問題になるだろう。この曲の場合、合唱の問題が必ずと言っていいほど浮かび上がる。

オーケストラとのレベル差が大きければ、大幻滅となってしまう。おそらく11月にはいると練習を始めると思うのだが、レベル差が縮まるよう祈るだけだ。健闘も祈る。

おわり

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434- DB/SKBでいそがしい

2007-10-08 22:53:00 | 音楽

ブログおくれ気味。

というのも、

今来日中の、

ダニエル・バレンボイム

シュターツカペレ・ベルリン

の公演を聴きまくっている為。

この公演の模様は別の機会にゆずるとしてもだ。

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ブログを書いている時間が全くない、ということではない。

DB/SKBを生聴しした余韻をもったまま、

このブログに別の音楽のことはなかなか書けない、というか、別の音楽のイメージがわいてこないのだ。

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しばらくはこんな感じですね。

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433-  パリ管5 1991-26

2007-10-07 22:52:00 | 音楽

3

1991年のパリ管来日公演のことを書いてます。

過去ログの一覧から425-426-427-429-をご覧くださいませ。

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今日はこれ。

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1991115()7:00pm

サントリーホール

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ヴェルディ/運命の力、序曲

チャイコフスキー/セレナード、Op48

プーランク/牝鹿

ラヴェル/ボレロ

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セミヨン・ビシュコフ指揮

パリ管弦楽団

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1991年パリ管来日公演では、3本のプログラムをもってきた。今日のが3つ目。

これで全部聴いた。

ファウストの劫罰は2回聴いた。

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今日のプログラムは、なんだか前半2曲がビシュコフのもので、後半2曲はパリ管のもののような気がする。

一番印象的だったのは、ボレロでトロンボーン・ソロを吹いたトップが演奏終了後、まわりの連中とところかまわず握手をしていたこと。よっぽどよかったんだろう。

たしかに聴いている方も、パリ管の少しかためでチリチリする弦やウィンドの伴奏のもと、思いっきり吹くその姿が爽快にさえ見えた。

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パリ管のあまり腰の重くない演奏ではあるがボレロを一つの大曲のように聴かせてくれる。

出だしのピアニシモの微妙なサウンドから、やがて大きなうねりとなるフィナーレまで圧倒的サウンドだ。

指揮者は完全に振らされている。というか、いてもいなくてもあんまり関係ない。振りつけされたアクターみたいなもんだ。

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プーランクの曲はたぶん初めて聴くような気がする。

ブラスが音圧でせまってくるのではなく、めくるめく変わっていくきれいな響きの流れ。

パーカッションも同様に素晴らしい。

プーランクはどちらかというと室内楽的な響きの曲が多いが、ここでも同じだ。ブラスのプリズムのような響きが何とも言えずいいのだ。

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前半2曲はビシュコフのものだろう。といってもヴェルディの運命の力をパリ管で聴けるだけでも良しとしよう。

肉厚ではなく独特の響き、そして楽器によっては強烈なビブラートがかかったりしていて、やはり、異色。

パリ管によるヴェルディも味わいがあり良いものだ。

チャイコフスキーの弦による香り高き演奏も特筆もの。

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こうしてパリ管を6日間で4回も聴けるなんて、とっても幸せ。

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そして、200711月もうすぐ、パリ管がやってくる。それもクリストフ・エッシェンバッハと。。

あんまり行く気がしない。

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それにしても。だ。

今年の11月のサントリーホールのラインナップがものすごい。

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クリスティアン・ティーレマン/ミュンヘン・フィル

ワレリー・ゲルギエフ/マリインスキー歌劇場管弦楽団

準・メルクル/リヨン管弦楽団

クリストフ・エッシェンバッハ/パリ管弦楽団

ファビオ・ルイジ/ドレスデン国立歌劇場管弦楽団

マリス・ヤンソンス/バイエルン国立歌劇場管弦楽団

ズデネク・マーカル/チェコ・フィル

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これサントリーホールだけですよ。

これらのオケが複数回公演。もちろん在京のオケも合間にやっている。

このラインナップ、世界中のどこを探しても絶対に、あり得ない。

このうち何個聴けるかなぁ。

聴いたらここのブログでも報告しますね。

今は、バレンボイム/シュターツカペレ・ベルリンを追っかけてますので、これはこれで大変。

おわり

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432- The Long Goodbye

2007-10-06 22:51:00 | 本と雑誌

Longgoodbye

久しぶりに本の紹介です。音楽関係ではありませんが。

たまに音楽の話も出たりしますが、カクテルの味わいの比ではありません。

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ロング・グッドバイ

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著者:レイモンド・チャンドラー

翻訳:村上春樹

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早川書房

\1,905

初版2007310

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本文533ページ

村上春樹によるあとがき:46ページ

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村上さんによる新訳です。

清水俊二訳の、長いお別れ、と同じものですが、村上さんのあとがきを読むとその熱さにやられる。

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はじめて読む人は、533ページというボリューム感に圧倒されるが、それよりもチャンドラーの精緻さにやられることだろう。

あとがきには思いのたけを書いているようだ。

内容については買ってのお楽しみ。

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訳について一つだけ気になることがある。それは、

「というか」

という訳。

例えば、

「もう一枚の紙はごみ箱に捨てられていました。というか、ごみ箱の端にひっかかって、中には落ちていなかったのですが。」

というくだりがある。どうもこの「というか」接続詞みたいなものが気に障る。

今風の訳というよりも、今のはやり言葉をそのまま使っているようで、このチャンドラーの小説にそんなもの不要だろう。

オリジナルでは、おそらく何か単語がそこにあるのだろうが、日本語ではこの際、思いきって割愛、つまり削除してもよいのではないか。気にならない人もいると思うが、どうも不自然で唐突な言葉だ。

本文533ページ中、10回程度しか出てこない単語だが、角のとれた訳がその単語の箇所にくると冷水を浴びせられたように我に返りしらける。

別の時代であれば気にならなかった言葉かも知れないが、今の若者言葉であるだけに気になってしょうがない。

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431- やっぱりだめだった理系頭をレストランへの旅路

2007-10-05 22:51:00 | 銀座にて

会社の人間、男だけ6人でイタリアン・レストランへいった。

仕事がらみんな頭的には理系。

こんなのが6人そろってイタリアン・レストランなんかいっても絶対だめだろうな、こいつら、とは思っていたのだが、案の定そのとおりとなった。

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片肘をテーブルにつけて食べる50がらみのおやじとか、食いものよりたばこ優先のアホとか、白ワインと赤ワインの飲み方の違いをマコトシヤカにきくこれまた50がらみの人間とか、君ら今までどのような人生を歩んできたの。

そこそこ給料があり、もう少し知っていてもよさそうなものだが、片肘をテーブルにつけて飯を食らう人間は、息子はきっと猫まんまズルズルでもなにも言わないのかもしれない。おそろしいね。。

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それはそれとして、もっと一番どうしようもないこと、それは、食っているものをあじわうことをしない理系人間脳。

お店のマスターがせっかく料理のことを説明してくれてそのつもりで味わいながら、今の秋なら、その季節感を感じながら食べて、これはおいしい、ちょっと、どうだこうだ、とか言いながら食えばいいものを、出てきたアペタイザーを、全員揃うのをまつことなく、ハシでがつがつ食い始める。

6人目の人間(河童=御招待者)へお皿がついたころにはあらかた食い終わり、歯をシーシーやっている。

食ったことがないとかそういう問題ではない。

もう少し礼儀作法があってもよさそうなものだが、日本人の非常に悪い悪癖文化とでもいおうか、よく特急など指定席ものにすわると、突然家の延長、家族団欒の延長となってしまうのを見かける。

あれは外国ではありえないし、コンパートメントでももう少しましだと思うのだが、レストランにいってもあんな感じ、家で飯を食らう姿そのままが、なんの抵抗もなく公の場に展開される。

自分の金を出すところは自分のスペースであり、何をしたって自由だと思っているんだ。きゃつらは。

それは自由ではなく、勝手、と言う。

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公共スペースでの振舞い方をしらない人間が最近特に多すぎる。

まぁ、外食をまともなマナーで食えない連中に何を言っても無駄だと思うのだが、まわりにはそのような理系頭が多いのでやたらときになる。

それにしても、5人ともハシで食らうイタリアンは見ものだった。

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昔、小料理屋へ別の完全完璧理系頭を連れていったことがあるが、キスのお造りを頼んだら、唇で濡らしたハシを、キスの頭からしっぽにかけて一気に全部すくいあげて一口で食った。

頭を切り裂いて脳みそを分解してあげようかと思ったが、こっちはこっちで頭にきているので、もう一回同じものを頼んだら、また全部すくいあげて食われた。

そしてその限界人間の一言が奮っていた。

「どうして、早く食べないの。早く食べないとなくなるよ。」

これが50過ぎの人間が言うセリフか。

このような理系脳は別の人類というか、最初からつきあったりしたらいけなかったんだ。

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もちろん、絶交して、その後会うこともなければ消息も知らない。

おわり

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430- 侵入おばさん 二十七目

2007-10-04 22:50:00 | ?ムーヴィング日記

また、ムーヴィングの話なんですが、やっぱりかたづきません。

CDはほぼ整理がついたのですが、本とか書類関係が全然いま一つです。

かたづかないまま、芸術の秋に突入してしまいました。

週末はコンサート、オペラに忙しく、未開封の段ボールを整理する時間がありません。

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演奏会の模様は、あとでまとめてアップします。いまはダニエル・バレンボイム、シュターツカペレ・ベルリンが真っ盛りでやってますからね。

すごいのもありましたし、普通のもありました。

まだ中日にもなっていないので、内容はあとのお楽しみということで。

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かたづかないままのところに、清掃業者が排水口の掃除にきました。

まめ過ぎてハタ迷惑な管理人のおばちゃんが、勝手にかぎを使い業者をいれているのでしょう。そもそもこのおばさん、この建物を自分のものと錯覚してるんですね。

窓を外から開けたり、いろんなことを勝手にやるんですね。

ドアを開けたとたんに部屋にはいりこんで中のものを目をせわしなく動かしながら確認してるんですね。

この前は40型のテレビを目でチェックしてました。

もしかして河童が不在の時に、侵入してテレビを見てるかもしれません。

昔の人なので、セキュリティとか、プライバシーとか、といったことの概念がないんですね。

それはそれでしかたがないとは思うのですが、また、近所づきあいは大事なもの、などと言ったりしますが、それでも限度ありです。

世話焼きとも違うんですね、やってほしいことをだまっていてもやってくれるならまだいいのですが、ただたんに、注意、ケチをつけているだけで、本当にハタ迷惑。

それに新たに入った人間が、そこかしこ部屋の具合が悪く、あすこがああだこうだ、と言ってあげても、そのおばさんの回答は「なんで、もっと早く言ってくれなかったの?」ってなことになる。

そうではないだろうおばちゃん。新居人間に最初から不良品を押し付けていることの瑕疵をまず反省すべきでしょう。ちゃんとまともな塩梅にしておくのが先だろうが。

全くどうしようもないけど、この管理人おばさん、ビルごと自分のものだと思っているようなので、そっとしておこう。自分のものはそれ相応の扱いをするだろうからね。

こまったもんだ。本当に。

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429-  パリ管4 1991-25

2007-10-03 22:49:00 | 音楽

3

1991年のパリ管来日公演のことを書いてます。

425-426-427-をご覧くださいませ。

特別プロのファイストの劫罰のことを書きました。

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今日はAプロのこれ。

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1991113()7:00pm

サントリーホール

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ベートーヴェン/交響曲第5番 運命

ショスタコーヴィッチ/交響曲第5番 革命

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セミヨン・ビシュコフ指揮

パリ管弦楽団

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なんだかトンデモなプログラム・ビルディングですね。

両方とも休憩後に置くような曲ではありませんか。変な感じだ。

ベートーヴェンの方が編成が小さいので、華々しいショスタコを後半にしただけ?

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コンサートの第一音が運命というのはオケもいまひとつノリが悪いのではないか、などと始まる前は思ったりした。

でも、パリ管の横滑りするようなややメタリックなサウンドが艶やかにきらめくとき、なるほどドイツとは明らかに違うヨーロッパがある、などと感じたりした。ビシュコフの解釈というよりパリ管の音楽なんだなぁ。これが。

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決して踏みはずすことはなく、むしろオーソドックスでさえある。

音圧バランスは重心が重いものではなく、各セクション群が並列なバランスで響く。

だから、というか、むしろ、音色バランス、ハーモニーが、楽器そのものの音の強弱があるため、かなり異色の響きになっているのは否めない。

でもこのスタイリッシュな演奏、忘れらないね。

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ショスタコはどうだったのか。当時ビシュコフ、売りの曲だったはずだが、実際現場で聴いてみると、いたって普通の演奏。

無理に肉厚にしようとしているようにたまに感じるのだが、パリ管にあんまりそのへん無理させない方がいいんだ。きっと。

スタイリッシュなパリ管に無理なハーモニー協調型演奏を強いても、良いものがでてくるというわけではない。

パリ管の素晴らしさは、やらせておいた方が、もっとよく出る。

ロシアとは違った強烈なビブラートがやたらと美しい。ソロ楽器が出てくる箇所は特にすばらしく、個人技を心おきなく堪能できる。

ヘビーなタコ5が、美しく空中分解されて再創造されて清らかによみがえり、興奮はクライマックスをむかえる。

(続く)

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428- 本人は悪気はないけれど

2007-10-02 22:48:00 | 音楽

さあ、コンサートが始まる。

河童の右には、破けたジーパンにぼろのTシャツ。スニーカーに超ロンゲ。顔中無精ひげだらけ。わりと若そうで、高い席に座っているいるからフリーターでもないだろう。コギタなくて薄汚れているけれど、全部許そう。みんな正面のステージだけ見てればいいのだから、視界から外せばいい。

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しかし、だ。

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臭いんだ。とても。死ぬほどに。

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2週間ぐらい風呂にはいっていないような臭さだ。

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それに、だ。

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吐く息がタバコ臭くて四方八方ハタ迷惑極まりない。

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でも、本人は、いたって大真面目だ。

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たまらん。

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さて、河童の左には夫婦ではない、単なる知り合いのようなやせおじさんとやせおばさんがすわっている。こちらは一見まともそうだ。臭いもしない。

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ところが、だ。

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この二匹。もとい、二人。

そろって手で素振りをする。最初から最後まで。

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君らアホか。

棒振りはオーケストラに一番近い壇上にいるんだ。君らが振る必要ないんだよ。

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思うに、手足、頭、体、で音楽に合わせて拍子をとる連中というのは、全部文系ではないか。

例えばソナタ形式の音楽だと、素ぶりをしてる連中は構造への関心が全くないのではないか。と思える。

あんなに体ごと始終拍子とりまくりで音楽の構造など理解できるはずがないと思う。

なのに、音楽が高揚してくると素振りをやめるんだな。これがいま一つ理解に苦しむが、早い話、君ら、何を聴いているの。

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ところで、理系の人間というのは、ソナタ形式という構造、枠組みの理解の中で音楽を聴くことができる。

だから、リズミックな箇所もヒクヒクいわずに平然と聴いていられる。

右の席のコギタウスヨゴジーパンの若者は異常な臭さだが、おそらく理系頭だ。全く動かない。

もちろん、河童は化石みたいなもんだし。

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それで、と。

いくら正面を見ていても、左側のこの二匹の素ぶりが目障りだ。

たまにギロッと睨みつけても、ヒキツキはとまらない。かれらも悪気はないんだろう。

でもあんまり目障りだからプログラムで動かしっぱなしの手を叩いてあげた。

そして、一言。君たちねぇ、指揮者があすこにいるんだから、君らが振る必要はないんだよ。少しおとなしくしていたまえ。と、慰めてあげたわけさ。

でも少しするとまたヒクヒク始めるんだよね。

病気だ。この文系頭。

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ということで、このような不幸は一気にくるもので、右も左もアウトだったわけだが、じゃ、右の臭い若者と素振りの左側とどっちに退場してもらいたいか。

河童は即断できる。左の素ぶりだ。

こいつら、ユー・ゴー・ホーム。家に帰って棒振れ。

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そのあとちょっと思ったんだが、右の臭い若者。腕とかの擦り傷などをみると、日中たぶん体力のいるしんどい仕事をしてるのかもしれない。汗かきっぱなしで、すきな音楽を聴きにシャワーを浴びる時間もなくそのままコンサート会場に来たのかもしれない。彼の楽しみをこの河童ごときが奪ってはいけない。

左側の二匹は絶対に許すことはできないけど。

おわり

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