さあ、コンサートが始まる。
河童の右には、破けたジーパンにぼろのTシャツ。スニーカーに超ロンゲ。顔中無精ひげだらけ。わりと若そうで、高い席に座っているいるからフリーターでもないだろう。コギタなくて薄汚れているけれど、全部許そう。みんな正面のステージだけ見てればいいのだから、視界から外せばいい。
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しかし、だ。
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臭いんだ。とても。死ぬほどに。
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2週間ぐらい風呂にはいっていないような臭さだ。
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それに、だ。
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吐く息がタバコ臭くて四方八方ハタ迷惑極まりない。
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でも、本人は、いたって大真面目だ。
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たまらん。
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さて、河童の左には夫婦ではない、単なる知り合いのようなやせおじさんとやせおばさんがすわっている。こちらは一見まともそうだ。臭いもしない。
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ところが、だ。
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この二匹。もとい、二人。
そろって手で素振りをする。最初から最後まで。
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君らアホか。
棒振りはオーケストラに一番近い壇上にいるんだ。君らが振る必要ないんだよ。
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思うに、手足、頭、体、で音楽に合わせて拍子をとる連中というのは、全部文系ではないか。
例えばソナタ形式の音楽だと、素ぶりをしてる連中は構造への関心が全くないのではないか。と思える。
あんなに体ごと始終拍子とりまくりで音楽の構造など理解できるはずがないと思う。
なのに、音楽が高揚してくると素振りをやめるんだな。これがいま一つ理解に苦しむが、早い話、君ら、何を聴いているの。
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ところで、理系の人間というのは、ソナタ形式という構造、枠組みの理解の中で音楽を聴くことができる。
だから、リズミックな箇所もヒクヒクいわずに平然と聴いていられる。
右の席のコギタウスヨゴジーパンの若者は異常な臭さだが、おそらく理系頭だ。全く動かない。
もちろん、河童は化石みたいなもんだし。
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それで、と。
いくら正面を見ていても、左側のこの二匹の素ぶりが目障りだ。
たまにギロッと睨みつけても、ヒキツキはとまらない。かれらも悪気はないんだろう。
でもあんまり目障りだからプログラムで動かしっぱなしの手を叩いてあげた。
そして、一言。君たちねぇ、指揮者があすこにいるんだから、君らが振る必要はないんだよ。少しおとなしくしていたまえ。と、慰めてあげたわけさ。
でも少しするとまたヒクヒク始めるんだよね。
病気だ。この文系頭。
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ということで、このような不幸は一気にくるもので、右も左もアウトだったわけだが、じゃ、右の臭い若者と素振りの左側とどっちに退場してもらいたいか。
河童は即断できる。左の素ぶりだ。
こいつら、ユー・ゴー・ホーム。家に帰って棒振れ。
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そのあとちょっと思ったんだが、右の臭い若者。腕とかの擦り傷などをみると、日中たぶん体力のいるしんどい仕事をしてるのかもしれない。汗かきっぱなしで、すきな音楽を聴きにシャワーを浴びる時間もなくそのままコンサート会場に来たのかもしれない。彼の楽しみをこの河童ごときが奪ってはいけない。
左側の二匹は絶対に許すことはできないけど。
おわり
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