河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

ドン・ジョバンニ バイエルン1988 -5-

2006-10-16 00:01:00 | 音楽

最初に訂正です。

記憶が飛んでいて、080 サヴァリッシュ バイエルン国立歌劇場1988 -1-に指揮はサヴァリッシュが一人で振った、と書いたが、テノールのペーター・シュライヤーが振った日もあった。ドン・ジョバンニはシュライヤーとサヴァリッシュが振り分けた。

この日はシュライヤー。

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1988125()18:00上野

モーツァルト作曲ドン・ジョバンニ

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ギュンター・レンネルト、プロダクション

ドン・ジョバンニ/トマス・アレン

騎士長/アルトゥール・コーン

ドンナ・アンナ/アンナ・トモワ=シントウ

ドン・オッターヴィオ/クラース・アーカン・アーシェ

ドンナ・エルヴィラ/マリーナ・ニコレスコ

レポレロ/ヤン=ヘンドリック・ロータリング

ツェルリーナ/アンジェラ・マリア・ブラッシ

マゼット/クリスチャン・ベッシュ

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ペーター・シュライヤー指揮

バイエルン国立歌劇場

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ドン・ジョバンニは観ながら聴くと劇的でエキサイトするオペラだが、音だけだとそれほどでもない。激情の空回りに聴こえたりする。フルトヴェングラーは音だけでも十分聴かせてくれるが、もともとウェイトがそっちにある。

シュライヤーの指揮はさておき、バイエルンの少しぎらついた重い音もこのモーツァルトには割とフィットする。コジの世界とは明確に異なることをサウンドで教えてくれる。

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数多あるドン・ジョバンニの音源。今一つすっきりこないものがあるが、お勧めとお勧めしない境界線にあるのがこれ。

ヨゼフ・クリップス指揮ウィーン・フィル。

あの粗雑ではあったが響きの良かったゾッフェンザールでの録音ながら1955年録音ということもあり、ステレオではあるが鈍重な響きで録音的にはお勧めではない。またウィーン・フィルもいま一つ粗末。しかし、歌い手たちの正確で丁寧な唱法にはうなるものがある。当時の歌がわかるとともに、仕事に立ち向かう姿勢も共感できる。

シエピ、ベーメ、ダンコ、カーザ、デルモータ、コレナ、ギューデン、ベリー。

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0085 コシ・ファン・トゥッテ バイエルン1988 -4-

2006-10-15 00:27:04 | オペラ



 

12月になってますます音に磨きがかかり、指揮者ともどもオペラの連中は腰を落ち着けて仕事をするのが本当に好きだ。あまり動き回らないでこのまま東京に居ついてしまったらどうか。
ということで、この日はこんな感じ。

1988年12月4日(日) 13:30  東京文化会館

モーツァルト 作曲 コシ・ファン・トゥッテ

ジャン・カルロ・メノッテ、プロダクション

フィオルディリージ/ユリア・ヴァラディ
ドラベラ/トゥルデリーゼ・シュミット
デスピーナ/ジュリー・カウフマン
フェランド/ペーター・シュライヤー
グリエルモ/アラン・タイトス
ドン・アルフォンソ/テオ・アダム

ヴォルフガンク・サヴァリッシュ 指揮 バイエルン国立歌劇場

序曲が終わりそのまま第1幕に入るとフィガロのおもむきそのままの感じで進行する。心地よい音楽だ。
オケのメンバーは絞っていると思われるが、サヴァリッシュの棒はやはり重い。というか、低弦を土台にした正三角形の響きは相も変わらずだ。本当にオーソドックス。この音楽づくりだから聴くほうも安心していられるし、舞台への一体感も生まれるというものだ。
音楽の機転に対する配慮はあまりうまくなく、というよりもそのようなことは好まない、とでもいうように、サヴァリッシュは飽くまでも正面突破。彼のモーツァルトは大衆好みではないのかもしれない。
配役は典型的な西洋美学的対称形。そして舞台も意識された左右対称形。このバランスはサヴァリッシュの意識構造とは合うかもしれないが、左右対称のバランスがときたま崩れる美意識の強調のような感覚は、合わないのだろうと思われる。
若い時からの震える左手は、何を求めていたのだろうか。
歌い手は、左右対称・年齢対称とまではいかないが、全く危なげない響きであり、これで演技にもっとウィットがあればさらに良かったかもしれない。テオ・アダムは圧倒的な存在感で、やはりいるだけで黙らせる歌い手はいるものだ。黙らせるのは過去の実績の重さ。そしてそのことをよく知っている日本の聴衆。こんなところにも日本人の文化レベルの高さがあらわれる。

コジの音源は数多あれど、どれか一つ選べ、といわれたらどれを選ぶか。
バレンボイム指揮ベルリン・フィルというのはどうだろうか。
1989年スタジオ録音。
ベルリン・フィルの解像度の良さには唖然とする。透明すぎて裏まで見えそうな音はオペラのオケにはなかなか出せない。ベルリンのイエス・キリスト教会での腰の据わった録音で聴きごたえがある。ライブとは異なるリピートしたくなる音楽が響き渡る。
クベルリ、バルトリ、シュトライト、フルラネット、ロジャース、トムリンソン。
一部モーツァルト的でない人もいるようだが、対の妙、配役はこの音源CDを買えば確かめられる。
あと怖いもの見たさのクレンペラーもあるが、このクレンペラーのCDとバレンボイムのCD、隣り合わせに棚に置いておくと妙にマッチする。しっくりするものがある。
おわり


ローマの雨 続報

2006-10-13 00:51:17 | 音楽

はからずもローマ歌劇場公演のリアリティを教えてくれた週刊新潮の先週号

そしたら、主催者の朝日新聞がお返しとばかり、週刊新潮今週号の宣伝広告を載せることを拒否したらしい。

そしたら、待ってましたとばかり、今週号の週刊新潮。この記事。

週刊新潮1019日号320円、また3ページの特集記事が載った。

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「詐欺オペラ」主催の朝日新聞が

「自分も被害者」だって()

特集

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ということで、記事によると朝日は「我々も騙された。むしろ被害者だ。」と言ったらしい。これが事実なら、学校の学芸会未満の企画しか出来なかった、と自ら認めたことになるのではないか。

なれない企画会社がやったようだが、ソリストのスケジュール把握、ダブルブッキング時のウェイト付け、キャンセルタイミングによる対応方法の事前コンチ、たぶん何もしていなかったのだろうと思う。¥55,000チケットの危機管理が出来ていないばかりか、勝手にキャンセルする場合があります、という謳い文句に自ら100%酔ってしまったのではないか。

この例もそうだが、最近変な値付けの演奏会が多い。ノイマンの項に書いたアバド/ルツェルンもそうだ。ルツェルンの場合キャンセルということはあまり考えられないが、ヤフオクを見ても定価では売れないようだ。あまりにもクレイジーな価格である。小金持ちでも躊躇する価格であり、このローマともどもあの金額なら二晩遊べると思う人のほうが多いのではないか。

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ただ、今週号の週刊新潮は反論の反論の切れ味が良くなく、間延びした3ページとなっているのも否めない事実。先週号程の面白さはない。

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アラベラ バイエルン1988 -3-

2006-10-12 00:01:00 | 音楽

アラベラは初めて観る。当時、同組み合わせで放送等なじみはあったような気がする。この日はこんな感じ。

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19881124()18:00上野

シュトラウス作曲 アラベラ

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ペーター・ボヴェ、プロダクション

アラベラ、アンナ・トモワ=シントウ

ズデンカ、ジュリー・カウフマン

アデライーデ、ゲルトルーデ・ヤーン

マンドリカ、トマス・アレン

マッテオ、ペーター・ザイフェルト

ヴァルトナー伯爵、アルフレート・クーン

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ヴォルフガンク・サヴァリッシュ指揮

バイエルン国立歌劇場

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初めてのオペラ。よくわからなかったが雰囲気は、ばらの騎士、に似ているかもしれない。またウィットは、ヨハン・シュトラウスの、こうもり、に似てなくもない。

印象としては、こじんまりとしていて形式感を強く感じるオペラである。形式感というのは、ばらの騎士が自分の中で前提にありそれをある基準にした上での形式感なのか、それとももっと単純にシンフォニックな形式感なのか、一度見ただけでは今一つ分からない。

ばらの騎士やこうもりの2番煎じとは思わないが、あまり目立たないオペラではある。

オペラは一度観ただけでもずっとあとまで深い印象を残すもの。一度目はあまり深く考えなかったが続けざまに2回観ることによって輪郭が明確になるもの。などさまざまだと思う。また、自分のコンディションや思い入れの深さなども種々なものであり、このアラベラもその時は大層素晴らしいと感じたものの、そのあと、がなかった。

この時期、サヴァリッシュ/バイエルン国立歌劇場の組み合わせで、地元でシュトラウスのオペラを全部上演するという快挙を成し遂げたか、成し遂げつつあったか、たしかそんな記憶がある。このような一大イヴェントがあれば熱を上げていたかもしれない。日本での上演はあるのかどうか今一つ詳しくない。

シントウ扮するアラベラが出てきたとき即座に、ばらの騎士の侯爵夫人がオーヴァーラップした。

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マイスタージンガー バイエルン1988 -2-

2006-10-11 00:01:00 | 音楽

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19882度目の来日公演初日はマイスタージンガーである。

ニュルンベルクはコンパクトな街でいろいろな名所旧跡が歩いていける距離のところにありお城に登ると美しい街なみが絵のようにひろがる。

あるとき、駅の近くの職人広場で、本を買った。本ではない、本のあるページを破いてそのページだけ買ったのである。欲しかったのは24ページのうち表側の絵のページ。100年前の本から2枚むしりとるのも勇気がいると思うが、売るほうにしてみれば別のページはまた売ることができるので、そのほうが利益が大きいのかもしれない。

大勢の従者を従えた人物。今から行く歌比べ、コンペッティションの審査員のうちの一人だろうか。たいそうな行列の絵である。もし審査員なら、あとで時代遅れ、と言われるのを覚悟しなければならない。時代の流れに取り残されないよう覚悟してゆけ。そうやって、バイエルン初日公演のニュルンベルクのマイスタージンガーのあの最初の響きがホール全体に鳴り響いたのである。休憩を含め5時間半の長丁場だ。

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19881113()15:00NHKホール

ワーグナー作曲

ニュルンベルクのマイスタージンガー

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アウグスト・エヴァーディンク、プロダクション

ザックス、ベルント・ヴァイクル

ポーグナー、クルト・モル

ワルター、ルネ・コロ

ダーヴィット、ペーター・シュライヤー

エヴァ、ルチア・ポップ

マクダレーネ、コルネリア・ウルコップ

ベックメッサー、ヘルマン・プライ

コートナー、アルフレート・クーン

フォーゲルゲザング、ケネス・ガリソン

夜警、ヤン=ヘンドリック・ロータリング

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ヴォルフガン・サヴァリッシュ指揮

バイエルン国立歌劇場

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いきなり脈打つ波。押し寄せる怒涛のような音。NHKホールがまるで馬蹄形のオペラハウスに乗り替わったのではないかと錯覚するような本場の音がそこにあった。オペラハウスに根づいている独特の呼吸というものがあって、常に全体の流れを見すえた見通しの良さがある。一こま一切れずつが全体の中の一瞬であり、ありとあらゆることに意味がある。全てがストーリーに絡み、意味のないことはない。流れのなかにある今。一瞬とも目耳を離してはいけない。音楽に没頭、馬蹄形に埋没、するしかない。そうさせてくれる音楽の運びであった。陳腐だが、やはり本場物は違う、と思った。

それに歌い手だがよくぞこんなメンバーがそろったものだ。作りたての切れのいい酒とはいかないが、地元はおろかバイロイトでさえこのような歌い手を一度に集めるのは難しいのではないか。日本だから実現したと考えていい。まず間違いのない人揃えである。

ルネ・コロはもう10年前であれば、どんなに輝かしいヘルデン・テノールであったことか。ルチア・ポップといちゃついても中年どうしの垢にまみれた火遊びのようにみえてしまい、舞台中の本気度が見えてこないもどかしさはあるものの、贅沢は言うまい。

モル、ヴァイクル、シュライヤー、プライをはじめとする周りをとりまく惑星がみな太陽のような存在に見えてしまい誰に何に注目すればよいのかわからなくなる。各幕とも味わいがありすぎて秋冬の食べ物のおいしいこの時期ともども限りをつくしたのであった。

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ニュルンベルクは河童がドイツのなかで一番好きなところであり、ことあるごとに行った。アルト・シュタットをただ歩くだけでいいのである。適当なところで皿を休め、ワインで皿を濡らし、そしてマイスタージンガー・サウンドに思いを馳せる。音楽はミュンヘンまでいけばいい。ここは皿休めの街だ。あのアドルフの街であったことも忘れ。。

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このときマイスタージンガーはもう一回見た。

19881123()15:00NHKホール

ザックス、ベルント・ヴァイクル

ポーグナー、クルト・モル

ワルター、ルネ・コロ

ダーヴィット、ペーター・シュライヤー

エヴァ、ルチア・ポップ

マクダレーネ、コルネリア・ウルコップ

ベックメッサー、ハンス・ギュンター・ネッカー

コートナー、アルフレート・クーン

フォーゲルゲザング、ケネス・ガリソン

夜警、ヘルマン・サペル

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長いが何回みてもいい。

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サヴァリッシュ バイエルン国立歌劇場 1988 -1-

2006-10-10 00:01:00 | 音楽

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バイエルン国立歌劇場は1974年に続き、この年1988年に2度目の来日を果たした。恐ろしいスケジュールである、指揮者にとっても。

1113日から1213日までの一か月公演。

マイスタージンガー4

アラベラ4

コシ・ファン・トゥッテ5

ドン・ジョバンニ5

ガラ・コンサート1

ミサ・ソレムニス2回

第九 6

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当時65才とまだまだ元気だったサヴァリッシュが全27回一人で振った。劇場の確立されたシステム、移動公演の緻密な企画・計画、などがいかに整ったものであったかよくわかる。プレイヤーは自分のことだけに専念すればよい、といった下地が完成している。

バブル期のプログラムの値段はあいかわらずであるが、お客への配慮はだんだんとよくなってきた。このあたりからわがままな客が増えたせいかもしれない。

たとえば当時オペラのその日のキャスト表はなかった。全体のプログラムに来日キャストが載っているだけ。当日演奏会場で切符をきってもらって中に入るとその日のキャスト表が成績評みたいに貼り出してある。これは今でもそうであるが、今はそれとは別に、A4ほどの一枚紙にその日のフルキャストを書いたものを配ってくれる。これは便利だ。この当時は貼り出してある成績表をみながら鉛筆でプログラムに今日の配役を書き込んでいたものだ。

また最近は、ダブルキャストなどの場合は今日は誰が歌うかあらかじめわかるのでこれも便利。日によって値段が違ったりするので出演者に失礼なときもあるが。混む夏冬のシーズンに高くなるホテル代みたいに、出演者の実力にも四季があるようだ。来日演奏家で成り立っている日本の不思議な慣行だ。日本だけではないので人間界の特性かもしれない。

それから、パンフレットやフライヤー、これはクラシック・コンサート特有の枚数の多さ。多いときは厚さ3センチにもなる。ほぼ全てカラーのパンフレットである。あれを欲しい人一人ずつに毎回配る。ものすごい情報量である。莫大な金額になると思うが、宣伝投資無くして顧客無し、である。人材が唯一の資源だと言いながら、人材に教育投資しないで儲けだけに走って、結果斜めになっているような会社に爪の垢でも煎じて飲ませてあげたくなるような、立派なパンフレット活用行為である。

あのパンフレットも昔は、ビニール袋もなく、そのまま手渡しで何枚かずつ配っていたものをもらっていた。そのうちだんだん量がおおくなりビニール袋にはいるようになり、そうなると配るほうも、完全にシステム化されてきて、プログラムを山積みにした大きな運搬荷台を入口の所に開場前に用意して、開場と同時に入場者に配るようになった。そして、それでも飽き足らず、最近では持ち運びがしやすいようにそのビニール袋に取っ手というか手にとってそのまま持ち帰ることができるというスーパー並みの重宝さを備えるようになった。捨てる人は袋ごと捨てて必要なものだけ持ち帰る。全部必要な人はそのまま持ち帰る。日本人の贅沢なパンフレット現象。

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バイエルン国立歌劇場のこの公演は30,000-9,000円である。今考えるとバブル期のオペラは安かったと思わざるをえない。ミュンヘンの市電が走ってあったカーブした市街道のところに大きくそびえる気高きオペラの殿堂、ワーグナーもの初演を連発したあのオペラハウスがこの価格ならわざわざ行く必要もないかもしれない。

この公演のプログラムに別紙で同劇場の紹介が載っている。人員数がオケ、歌い手、スタッフいれて906人。同内ナショナルシアターでの1988-1989公演数が307回。収入が42百万マルク。同州補助がほぼ同額。

この別紙は興味深い。総16ページであるが、何もここまで客に紹介しなくてもいいのではないかというぐらい詳細な説明だ。情報公開のはしりか。

さて、いよいよ始まるか。河童は皿があるだけに正装コンサートのガラ・コンサートははずして、それ以外は少なくとも一回はいかなければならない。こちらも勝負の一か月だ。体調万全で禁酒してオペラに臨むことにするか。

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ノイマン チェコ 1988

2006-10-09 14:30:56 | 音楽

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河童はずーっとあとになってノイマンをずいぶんと過小評価していたと反省するに至る。またチェコ・フィル自体についても同じだった。

1988年の頃は、いまだ健在な姿にいつでもどこでもこれから見ていくことができるから、特に深い関心はなかった。世のマーラー熱に釣られて浮かされていて、このときもそうだったのだろう。

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19881024()19:00

サントリー・ホール

サントリーホール2周年記念コンサート

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パヴェルカ/ヒエロニムス・ボッシュを讃えて

マーラー/交響曲第9

ヴァツラフ・ノイマン指揮チェコ・フィル

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1988年の来日時は22回公演。多い。昔からロシア・東欧の来日公演時の演奏回数はかなり多く大変だろうなあと思う反面、自国のふところもあたたまるだろうなぁ、とも感じたものだ。河童の胸算用。

当時平均1万円の入場料として2,500人収容のホールで、12,500万円興行。22回で55千万円興行。自国外諸経費がよくわからないが3割だとして38,500万円がはいる。

それを自国の物価に照らし合わせて、10倍とはいかないかもしれないが5倍ぐらいにはなるかもしれない。そうすると192500万円。ほかに放送料などがはいる。

オペラ公演などは3-6万円が相場だから、サッカーとかゴルフなどとは比べ物にならないぐらいペイするのではないか。動員聴衆の少なさを考えたら効率の良さは抜群ではないかと思う。文化使節的赤字の許容などといいながら東欧・ロシア系の演奏団体は昔からかなりの収益を上げていたのではないか。と思う。このへん河童は人間界のしくみにはあまり詳しくない。

それにしても今週から日本公演が始まるクラウディオ・アバド指揮ルツェルン祝祭管弦楽団の値付けはあまりにもクレイジーで常軌を逸している。サントリーホールのおごりとしか思えない。45,000-16,000円の幅である。16,000円というのはオケの真後ろの席である。

夏にスイスで古くから行われている音楽祭であるが、寄せ集めに近いオーケストラを秋口に日本に連れてきてマーラーの6番をやるからといって、オペラでもない、いたって普通の来日コンサートの値付けがこれだから常識からかけ離れている。夏だけ集まる著名演奏家を10月のこの時期、ヨーロッパの自国の秋冬シーズンが本格化する前に再度集めて演奏させて、ルツェルン・フェスティヴァル2006と冠をつける意味などないのではないか。夏のお祭りオケである。

河童はいままで幾度となく見ている。前の席がホワイトホールのように空席で、後ろの席が満員。そして休憩後の後半、前の席にシフトした客のせいで、休憩前とちょうど逆の現象がおこるのである。

高い席は空いているのに今日のチケットは売り切れ完売です。と言い張る売り子に好感を感じたりしたこともある。高い席なら空いてます、という問答の後のような答えをこれみよがしに責任者のほうにきこえるように謝っていた姿を思い出す。決して安くしては売らないのだ。クレイジーな値段に二の足を踏む人はたくさんおり、逆に音楽のことをとりたててどうのこうのいう人でなくても金満家であれば躊躇なくいく場合もある。その意味ではサントリーホールの値付けは全国に先駆けた悪しき例になっているし、文化的不毛化のパイロットでもある。今度のルツェルン、しめしめいまくいった、となるか、やはり勘違いでした、となるか。いつも終わってしまえば後の祭りであるため外部の観客からはどうでもよくなってしまう傾向にあるが、誰かトレースしてくださると実情がわかってこれからの値付けに役に立つと思うのだが。

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さて、1988年のノイマンとチェコ・フィルであるが、この組み合わせにも河童のトラウマがある。1970年代に同組み合わせで来日した折、新世界を聴いた。オケがうまくなかった。例によって来日時の公演回数の多さにへたっていたのか、弦が薄くこころもとなく、釣られるようにブラスのか細さも輪をかけてひどくミス連発であった。これだと我ら河童高校のブラバンのほうが格段に上だな。などとそのときは思ったりした。悪いコンディションが重なっていたのだろう。

しかし、ひとつだけ絶対に忘れられない印象。それは新世界第4楽章コーダのブラスによる最後の音。フォルテッシモからピアニッシモに収束し終わるあのユニゾンのピッチの素晴らしさ!!!!あれだけは絶対に忘れることができない。今でもありありと思い出すことができる。

その印象をひきづったままの1988年公演であったが、マーラーの9番は素晴らしかった。慟哭でもなければ深刻でもない、また変にうねらない。ただ淡々と進んでいくのである。音楽のあるがままに。チェコ・フィルの茶色の急須のようなやや透明なブラウンがかった色合いがステンドグラス風に心地よく響き、細めの線を保ったアンサンブルがインストゥルメント毎に同じ音色で、それぞれのウィンド、ブラスに絡まる。素晴らしい音楽のフラットな表現。弦楽合奏のそれぞれのストリング一つずつが丁寧に聴こえてくるようなそんな演奏であった。

ノイマンの指揮は素朴なものである。両肘を外側に張って前に押し出す一昔前のような風情である。カラヤンなどもそうであった。カラヤンは垂直に振る動作のとき棒に激しさを増すがノイマンはそんなこともなく飽くまでも自分を見つめた棒である。メータがテニスひじでノイマンが代役ででたときも真摯な棒が印象的であったが、マンハッタンの聴衆には今一つ印象が薄かったようだ。

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ノイマンはプラハの春からビロード革命までチェコ・フィルとともにあった。なんという運命の皮肉かと思う。結果的にこうなったのか、内に秘めた闘争心がそうさせたのか、それとも本意だったのか、人間選べるものは一つしかなかった。一番大事なことを選んだのかもしれない。彼がチェコ・フィルと作り出したサウンドと歴史は忘れられない事実となったことにかわりはない。自由化されてから自国でわが祖国を振ったクーべリックとは明確に異なる事実のみ残った。誰がいいわるいということではない。それぞれの歴史があったということだ。

その後、ノイマンはチェコ・フィルと関係は続き、Canyonにいれた数々の名録音による美しいサウンド、特に再録されたマーラー全集は惜しくも全集にはならなかったが、両者の長かった時代の良いところを余すことなく全てとらえている。

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シノポリ フィルハーモニア 千人 1988

2006-10-08 18:06:19 | コンサート





5年前にアイーダを振っているさなか、オケピットのなかでゴロンと転がってしまったシノポリはそのままラダメスとアイーダをみとることもなく、逝ってしまった。専門の精神医学でもわからない予期せぬ出来事に違いなかった。個人的には、自作のルー・サロメが好きだった。
そのシノポリの脂がのっていた頃の1988年、大曲を携えて来日した。マーラー8番を含む4プログラム。15公演。
この日はこんな感じ。

1988年9月30日(金)19:00 NHKホール

マーラー 交響曲第8番“千人の交響曲”

第1ソプラノ、ガブリエラ・ベニャチコヴァ
第2ソプラノ、ジュリア・コンウェル
第3ソプラノ、バーバラ・カーター
第1アルト、片桐仁美
第2アルト、永井和子
テノール、ウィリアム・ペル
バリトン、アンドレアス・シュミット
バス、オスカー・ヒレブラント

桐朋学園オーケストラ
桐朋学園大学合唱団
桐朋学園大学付属音楽教室合唱団

ジュゼッペ・シノポリ 指揮 フィルハーモニア・オーケストラ


大曲といってもイギリスのオケとソリスト以外は日本国内調達。アンドレアス・シュミットもいたのかと、河童は一番見晴らしの良い席に座りながらどこを見ていたのだろうか。
マーラーは交響曲を書くうちにイメージがどんどん膨らんでいき、あるときは3番の方向、あるときは7番の方向と、さまよい続け、究極のイメージの膨らみが、果ては千人も舞台に上げなければイメージの実現を実感することができなかったのであろうか。
ときはバブル絶頂期。それに合わせるような超極端な大曲の祭り事イヴェント。聴衆も心なしか浮足立っている。このような曲はリアル舞台を見なければ何も言ってはいけない。
日本のアマ軍団は年一回といったイヴェントに照準を合わせるのがうまく、器用であるのでそつなく、それなりの成果を発揮した。合唱は素晴らしいものであった。
しかし、8人のプロ・ソリストたちにかなうはずもなく、迫力的には負け越し。8対150人(ぐらい)でも150人の負けだな。
第1部のこれでもかこれでもか、と圧倒的音圧で迫ってくるマス・サウンド。当時のフィルハーモニアの実力はどのあたりに位置していたのいであろうか。昨今の埋没気味な雰囲気ではなくビッグ・イヴェントにふさわしいポジションにあったはずだ。それ以前にラファエル・フリューベック・デ・ブルゴスとの来日でも感じていた「なんとなくイギリス・サウンド」が健在だったように思う。いかにもエルガーとか、マックスウェル・デイヴィスとかにフィットしそうな音。横幅があるのに透明で少し埃っぽいサウンド。
このサウンドに乗って、華やかな合唱が縁どりを明確にし、シノポリは精力的に振りまくり休むことない25分。
第2部1時間はこの人数に合わないぐらいのピアニシモのピッチカートから始まり、割と控え目な音楽である、前半は。
曲が進むうちに全体のフレームが明確化し、遂には大爆発の大団円をむかえるわけである。シノポリにはあまりふさわしくない音楽かもしれない。

1985年頃から10年余り時折振っていたニューヨーク・フィルとの相性は良かった。チャイ5とかブラ4とか生の味わいがよかった。また素晴らしいCDも残しているが、人間世界はあまり見向きもしないようだ。フィルハーモニアの比ではない肩の力が抜けた余裕の音楽となっている。


マーラーの8番は生で、といいながら忘れられないテープもたまにはある。

1975年9月19日 フィルハーモニー

マーラー 交響曲第8番

小沢征爾 指揮 ベルリン・フィル

(1976.05.01 NHK-FM)

おわり


ローマの雨

2006-10-07 00:01:00 | 音楽

週刊新潮1012日号320円を買って読んでいたら、こんな記事が目に飛び込んできた。

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「詐欺!悪徳商法!」

ファンを激怒させた

「朝日新聞主催」

ローマ歌劇場公演

特集

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3ページの特集記事である。

出演者のキャンセルが相次ぎ、中には、健康上の理由、といいながら、ほかの場所で頑張っていた。これは詐欺ではないか。というもの。

事の真偽はよくわからないが、出演しなかったのは事実であるから、少なくとも50%は合っているというわけだ。

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来日公演の宣伝が始まったときに最初に思ったのは、なんでこの歌劇場公演が最高席¥55,000なんだ、ということ。

河童はこの組み合わせの公演には最初から全く食指・食皿が動かなかった。キャンセルがどうのこうのという前から。

冠企業が大企業だから値がはっている、としか思えなかった。最高度の実力劇場なら、この時代、普段からもっとネームヴァリューがあるはずだし、と不思議に思ったものだ。

来日以外にこの劇場の名前を耳にする機会は少なくとも河童の場合、無い。

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この劇場のことをかろうじて知っているのは、録音で、である。

それももう35年ぐらい前だと思うが、当時はやっていた廉価レコード。

ヘリオドール・レーベルから、トゥリオ・セラフィン指揮ローマ歌劇場O.の組み合わせで、ロッシーニの序曲集がでたことがあり、それまでの数々の‘あたりのレコード’につられて買った。

なぜおぼえているかというとオケがあまりうまくなかったのだ。特にホルンは聴いてられないぐらいひどかった。よくレコードになったと当時思ったものだが、ひとえに高名な指揮者のおかげだと思う。

だから、今回も行く気がおこらなかった。というのはいくらなんでもショートしすぎだが、でも通奏低音のように下地はあったようだ。自分なりに。

いずれにしても1600人のキャパしかない、(だから一流ではないとはいわないが)、普段メディアにもあまりのらない劇場が身の丈を越えたキャストで、日本の冠大企業にのせられて、やってしまったのではないか。

ドタキャンの払い戻しはしない、やむをえず代役となる場合がある、などカスタマー・サティスファクションなど眼中にない日本の企画会社の横柄な言葉を無条件に受けれているのが現在の実情。水ものだけにある程度はしかたがない側面もあると思う。

しかし、フランチャイズ的に自分の安住の地にオペラハウスがあるオペラゴアーズにとっては、こんなことよくある。たまにある。ことかもしれないが、来日公演というのは、船などで舞台装置を運び、歌い手を結集させる一大イヴェントなわけであるから、日常の公演とは異なる。企画段取りが非常に重要なのである。今回は慣れていない会社がやったようだが、なぜそうなったのかは冠企業しかわからないことでもあるのだろうか。

河童はバックステージ・ストーリーは好きではないが、今回のように週刊誌にデカデカとあのような記事がのるとついお皿が過剰反応してしまう。

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ヴェルレク ミラノ スカラ座1988 -6-

2006-10-06 00:01:00 | 音楽

6_2

ムーティはオペラの合間にヴェルレクを振った。

ほとんどオペラのような大曲はムーティにはよくあっている。

その日はこんな感じ。

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1988911()19:00

昭和女子大学人見記念講堂

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ヴェルディ/レクイエム

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ソプラノ、ダニエラ・デッシー

メッゾ、アグネス・バルツァ

テノール、山路芳久

バリトン、ポール・プリシュカ

指揮リッカルド・ムーティ

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いくらバブル期とはいえ、日曜日の夜にこのような場所まで出てくるのはつらい。いろいろと都合があったのだろうが、日曜の夜ぐらいゆっくりさせてほしい。

でも出てきた甲斐があった。

オンステージのスカラ座のサウンドを聴いたわけであるが、鋭い分解音というよりもマス・サウンドでせまる。馬力のある合唱とともに一体感あるアンサンブルが出来上がっているのは当然と言えば当然。

ムーティは少し方向性が異なるような気がした。

引き締まった表情で鋭い突っ込みをいれ、颯爽と進む。あまり暗い感じはない。

ユニゾンの迫力がオケ・合唱ともに素晴らしく、音楽の純粋な喜びを思い出させる。

長大な怒りの日は完全に緊張感が継続しており、この曲の中心であるということがよくわかる。最後のリベラ・ミの最後の部分出で、怒りの日の大音響が伽藍のように響くわけであるが、ムーティは息をもつかせぬ超高速。その後のブラスによる静かなエンディングとの見事な対比。

日曜の夜といえども、安息の日々を送ってはいけないときもあるわけだ。

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トゥーランドット ミラノ スカラ座1988 -5-

2006-10-05 00:01:00 | 音楽

5

ゼッフィレルリ・プロダクション。

氷のようなトゥーランドットが第1幕終結部で歌うことはないが、舞台がせりあがり一瞬凍てつく氷の美しさを魅せまた沈みこむ。メトでならこのようなことが可能。

華麗な舞台は日本では望むべくもない。奥行きのないNHKホールではいかにもスケールの小さな幻滅する舞台であった。

オケピットにはいったマゼールも舞台との角度の問題があったのか、上半身ほとんど上にはみ出ており目ざわり。

この日はこんな感じ。

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1988924()18:30NHK HALL

プッチーニ/トゥーランドット

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トゥーランドット、ゲーナ・ディミトローヴァ

カラフ、ニコラ・マルティヌッチ

リュー、ダニエラ・デッシー

ティムール、ポール・プリシュカ

指揮、ロリン・マゼール

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ホールのスケール感がなく、これでは華麗を極めるゼッフィレルリ・プロダクションも効果半減。興を殺がれたまま舞台は進行する。イメージが全てメトとの比較になってしまうため、はっきりいってつまらない。なにもかもがサイズ半分といった感じである。

マゼールも苦労することもなく、高いポーディアムで狭い舞台を眺めながら交通整理をしている感じ。

日本でトゥーランドットを舞台にのせようと思ったら、逆に何もない舞台のほうが大きく見せることができるのではないか。華麗さはゼロになるけれど、日本人は何も舞台にないワーグナー風には耐えられる。(昔から)

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それでも舞台は進行する。

ディミトローヴァは、氷のような美しさというよりは、威厳のある鬼嫁風にカラフに質問を浴びせていく。怖い。でも答えるカラフ。

マルティヌッチは本場テノールの声。パヴァロッティやドミンゴの脂が乗っていた頃というのは、テノールの声はこんなに細くていいのか、と思った。細い芯が遠くまでとどくようなサウンド。ソプラノのカヴァリエも同じ。あのような芯があって細いピアニシモなんて聴いたことがない。

マルティヌッチのテノール声もそのような想いを思い起こさせる。

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マゼールは追補前後あたりから得意のけり上げる足と棒がうまく正比例しはじめ、熱いエンディングをむかえることができた。さすがマゼールだ。

リューは世間が言うほど大きい役とは思えない。生の舞台の印象というのは、彼女は影の薄い存在に思える。デッシーがこの役を歌っていたとは今昔。

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0074 ラ・ボエーム ミラノ スカラ座1988 -4-

2006-10-04 00:01:00 | 音楽




カルロス・クライバーの場合、ロドルフォが何故、ペーター・ドヴォルスキーなのか。といったことが割と普通に話題になった記憶がある。
あの流麗な指揮とはあまり相容れない硬くて気張った歌い方であるのに何故、彼なんだ。と素直にそう思ったりもした。クライバーにしかわからない美的感覚のようなものがあるのだろう。
ラ・ボエームは人気演目だけに6回公演。
この日はこんな感じ。

1988年9月27日(火)18:30上野
プッチーニ/ラ・ボエーム

ロドルフォ、ペーター・ドヴォルスキー
ミミ、ミレイラ・フレーニ
マルチェルロ、ジョナサン・サマーズ
ムゼッタ、バーバラ・ダニエル

指揮カルロス・クライバー
フランコ・ゼッフィレルリ、プロダクション

とにかく早い。いつものように。
速度を上げることによる“よく歌う楽器”の最高のフレージングを聴くことができる。美しすぎてばい菌が欲しくなる。
このオペラは2回の休憩を除くと正味2時間ぐらいなのだが、クライバーのフレージングだと2時間をかなり割る。コスト・パフォーマンス的にはどうだろう。列車みたいなものだ。おそいほうが安く、速いほうが高くつく。クライバーの場合、速くやったほうが絶対に美しくなると思っているわけだから、速かったのがたまたま高かっただけ。
とにかく、美しくあるためには呼吸さえ美的でなければならず、その前後近辺でさえ、繊細にくまなく微妙に変化する音の強弱・速度・厚みなど、一度聴いたら麻薬みたいなものだ。プレイヤーにとってもそうかもしれない。
河童の大好物のオペラだけに、第1幕の後半20分だけあれば生きてゆける。
チェ・ジェリダ・マニーナ。
ミ・チアマーノ・ミミ。
オ・ソアヴ・ファンシウラ。
これこそイタオペの真髄。クリスマス・イヴにミミは20分で落ちた。でも彼女がそうさせた。火がない、鍵を落とした、といろいろと小細工して、ロドルフォが彼女の手に触るのを誘った。そして、チェ・ジェリダ・マニーナ。何と冷たい手。。。。。
舞台はそのまま第2幕になだれこむ。ムゼッタのワルツのエンディングで引き延ばされたテーブル転げ、そして一気にピアニッシモにかわる音楽の妙。第2幕導入部の行進曲か再度流れ音楽は見事な対をなして終わる。
そして、第3幕のムゼッタとマルチェルロのやるせない音楽。それにからむミミとロドルフォ。音楽の弧はさらに大きくなり、異常な美しさを保ちながら、これまた対をなす二つの打撃音で締めくくられる。
そして第4幕は、今度は第1幕と対をなす音楽から始まる。プッチーニの音楽は擬音化されている部分が多いが、このようなシンフォニックな構成も見事というほかない。
この第4幕は後半にいたって暗く沈みこみ、くもりガラスのカーテンを閉じるロドルフォ。そして、コラージョ。
ストーリー熟知派さえ毎度泣かせてしまうこのオペラはすごい。
クライバーは輪をかけてすごかった。彼が存在しないことによって、あのような音はもう出なくなってしまった。そこまで神がかり的な棒であったのだろう。
フレーニは過去の残像を背負う運命。あの頃がぎりぎり。

ゼッフィレルリのプロダクションはメトのものであるが、あれを日本にもってきて同じようにやろうとしても無理難題。舞台のサイズ・仕掛けが不可能。おそらく引っ越し公演用の道具を使っていることと思われる。
メトにおけるこのプロダクションでは、可能な限り人・動物を舞台の上に載せることがテーマ。多いことは感動だ、というのが見ればよくわかる。ゼッフィレルリもそれを意図していたに違いない。第1幕冒頭でボヘミアンのみすぼらしい屋根裏から始まり、アタッカで第2幕巨大人数を舞台に上げる。あの対比はド迫力。
メトとかコヴェントガーデンを見に行ったことのあるオペラゴアーズでない人たちは、たまにこんなことをいう。「あんな陳腐な舞台を何故このような都市でやっているのか。」
このせりふはメトのような巨大観光都市では実験工房のようなオペラはできない、ということを知らない。みんな一度は観てみたいものを観光がてら見にきているのである。またはそれに近い人が多い。実験工房をしても誰も人はこない。オペラはエンターテインメントなのである。
ただ、上演回数の多さが聴衆の深い理解には必要ともいえる。これは日本ではかなわない。聴くほうがどうしても一発勝負になってしまい、思い入れ、イメージ、などが極度に先行してしまい、感動しないと損、といった少し変な方向にいってしまう。これはある程度仕方の無いことでもあるが。

ということで、このプロダクションは日本にはあわず、音楽の中身で感動、といった感じでそのまま帰路についたかどうかはいま一つ思い出せず。
おわり

 

 


カプレティとモンテッキ ミラノ スカラ座1988 -3-

2006-10-03 00:01:00 | 音楽

ベリーニのロメオとジュリエット。これは4回公演。ベリーニのあふれ出るメロディーの美しさに気をとられ、雰囲気の陰影を忘れかけてしまいそう。この日はこんな感じ。

198895() 18:30 上野

ベリーニ     カプレティとモンテッキ

ロメオ、アグネス・バルツァ
ジュリエッタ、レッラ・クベルリ
カッペリオ、ポール・プリシュカ
ティバルド、ヴィンセンツォ・ラ・スコーラ
ロレンツォ、ジョルジョ・スルヤン

指揮リッカルド・ムーティ

配役は完全なダブルキャスト。他日のジュリエッタはルチア・アリベルティも歌っている。

ベリーニのオペラの場合、悲劇の陰影もさることながら、あふれ出るメロディーの数々に耳を奪われがちである。薄くなりがちな音であるが、そんななかにも音の光と影が交差してよい響きを醸し出していた。

ズボン役となったバルツァは、暗くて平面的幾何学的な舞台には、あまりマッチしなかったような気がする。

このオペラはストーリーがわかっているだけに油断大敵。結局このイヴェントのあとになってよく聴くようになった。このような現象はたまにある。同じくベリーニのイ・プリターニもそうだった。サザーランドの生をみてからはまってしまった。

007 ベリーニ イ・プリターニ 日本初演


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ナブッコ ミラノ スカラ座1988 -2-

2006-10-02 00:01:00 | 音楽

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エルナーニは観たことあるけどナブッコは初めて。

ストーリーが大きく、拡散傾向である。シモン・ボッカネグラではないがヴェルディはこのような話は苦手ではないのであろう。

バビロンの空中庭園がどのように舞台化されていたか、記憶にない。ただ、非常に色彩豊か、美しいステージであったことは記憶している。

序曲は非常に魅力的。わりと長い曲だが幕の曲をうまく表現している。また序曲だけではないが、ヴェルディ特有の、ダ・ッダダ、という音型がこの初期の曲から武骨にしかし魅力的な推進性となってあらわれ効果的である。

この舞台は4回。うち1回はこんな感じ。

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1988910()18:30NHK HALL

ヴェルディ/ナブッコ

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ナブッコ、レナート・ブルソン

イズマエーレ、エッチオ・ディ・チーザレ

ザッカリア、パータ・プルチュラーデ

アビガイルレ、ゲーナ・ディミトローヴァ

指揮リッカルド・ムーティ

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壮大すぎてバブル時代にはあっていたのかもしれない。強く印象に残っていたのはあの歌である。

「ゆけ、わが思いよ、金色の翼に乗って」

イタリアの第2国歌、と大げさに言われることもあるぐらい超有名合唱が第3部にでてくる。ラ・スカラの合唱団のベラボーなうまさも手伝って、この曲を歌い終えてからものすごい拍手が始まりそれはやむことがなかった。

いつかやんだはずであるが、河童の感覚では10分ぐらい続いたような気がした。拍手がウェーヴのようになり、一度小ぶりな拍手になり、やむかと思われたが、聴衆が余韻に浸っていたいのか、また拍手がぶり返すのである。拍手が終わる時、曲は進むわけであり、その時点で感動も過去のものとなってしまう。それを惜しむかのように海に押し寄せる波のように弱くなり強くなり果てしもなく続いた。

この場合、日本人の悪癖フライング・ブラボーでもないわけだし、素直に許せる部分がある。どこに音楽の共感が潜んでいるのかわからないものだ。

アビガイルレのディミトローヴァ。ナブッコのブルソン。と役者はそろった。あとはその日のコンディションまかせ。これがイタオペの醍醐味。いい日もあれば悪い日もある。双方とも良いときもあるし、片方のみのときもある。

ブルソンの少しななめにずれた音程が、進むうちに矯正されてきて丸みを帯びてきた。だんだんよくなってくるのだろうか。いつものことか。

ディミトローヴァは今回、どこに焦点をあててコンディションを整えてきたのか。トゥーランドットかそれとも今晩か。でも彼女の馬力は無尽蔵。我々が余計な心配をすることもない。女の底力は恐ろしい。圧倒的、タイトルロールは彼女の役のほうに変えたほうがいいのではないか。

その彼女も馬力を使いすぎたか、まだ逝く年でもないのにpass awayしてしまった。

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