バイエルン国立歌劇場は1974年に続き、この年1988年に2度目の来日を果たした。恐ろしいスケジュールである、指揮者にとっても。
11月13日から12月13日までの一か月公演。
マイスタージンガー4回
アラベラ4回
コシ・ファン・トゥッテ5回
ドン・ジョバンニ5回
ガラ・コンサート1回
ミサ・ソレムニス2回
第九 6回
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当時65才とまだまだ元気だったサヴァリッシュが全27回一人で振った。劇場の確立されたシステム、移動公演の緻密な企画・計画、などがいかに整ったものであったかよくわかる。プレイヤーは自分のことだけに専念すればよい、といった下地が完成している。
バブル期のプログラムの値段はあいかわらずであるが、お客への配慮はだんだんとよくなってきた。このあたりからわがままな客が増えたせいかもしれない。
たとえば当時オペラのその日のキャスト表はなかった。全体のプログラムに来日キャストが載っているだけ。当日演奏会場で切符をきってもらって中に入るとその日のキャスト表が成績評みたいに貼り出してある。これは今でもそうであるが、今はそれとは別に、A4ほどの一枚紙にその日のフルキャストを書いたものを配ってくれる。これは便利だ。この当時は貼り出してある成績表をみながら鉛筆でプログラムに今日の配役を書き込んでいたものだ。
また最近は、ダブルキャストなどの場合は今日は誰が歌うかあらかじめわかるのでこれも便利。日によって値段が違ったりするので出演者に失礼なときもあるが。混む夏冬のシーズンに高くなるホテル代みたいに、出演者の実力にも四季があるようだ。来日演奏家で成り立っている日本の不思議な慣行だ。日本だけではないので人間界の特性かもしれない。
それから、パンフレットやフライヤー、これはクラシック・コンサート特有の枚数の多さ。多いときは厚さ3センチにもなる。ほぼ全てカラーのパンフレットである。あれを欲しい人一人ずつに毎回配る。ものすごい情報量である。莫大な金額になると思うが、宣伝投資無くして顧客無し、である。人材が唯一の資源だと言いながら、人材に教育投資しないで儲けだけに走って、結果斜めになっているような会社に爪の垢でも煎じて飲ませてあげたくなるような、立派なパンフレット活用行為である。
あのパンフレットも昔は、ビニール袋もなく、そのまま手渡しで何枚かずつ配っていたものをもらっていた。そのうちだんだん量がおおくなりビニール袋にはいるようになり、そうなると配るほうも、完全にシステム化されてきて、プログラムを山積みにした大きな運搬荷台を入口の所に開場前に用意して、開場と同時に入場者に配るようになった。そして、それでも飽き足らず、最近では持ち運びがしやすいようにそのビニール袋に取っ手というか手にとってそのまま持ち帰ることができるというスーパー並みの重宝さを備えるようになった。捨てる人は袋ごと捨てて必要なものだけ持ち帰る。全部必要な人はそのまま持ち帰る。日本人の贅沢なパンフレット現象。
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バイエルン国立歌劇場のこの公演は30,000-9,000円である。今考えるとバブル期のオペラは安かったと思わざるをえない。ミュンヘンの市電が走ってあったカーブした市街道のところに大きくそびえる気高きオペラの殿堂、ワーグナーもの初演を連発したあのオペラハウスがこの価格ならわざわざ行く必要もないかもしれない。
この公演のプログラムに別紙で同劇場の紹介が載っている。人員数がオケ、歌い手、スタッフいれて906人。同内ナショナルシアターでの1988-1989公演数が307回。収入が42百万マルク。同州補助がほぼ同額。
この別紙は興味深い。総16ページであるが、何もここまで客に紹介しなくてもいいのではないかというぐらい詳細な説明だ。情報公開のはしりか。
さて、いよいよ始まるか。河童は皿があるだけに正装コンサートのガラ・コンサートははずして、それ以外は少なくとも一回はいかなければならない。こちらも勝負の一か月だ。体調万全で禁酒してオペラに臨むことにするか。
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