1988年2度目の来日公演初日はマイスタージンガーである。
ニュルンベルクはコンパクトな街でいろいろな名所旧跡が歩いていける距離のところにありお城に登ると美しい街なみが絵のようにひろがる。
あるとき、駅の近くの職人広場で、本を買った。本ではない、本のあるページを破いてそのページだけ買ったのである。欲しかったのは2枚4ページのうち表側の絵のページ。100年前の本から2枚むしりとるのも勇気がいると思うが、売るほうにしてみれば別のページはまた売ることができるので、そのほうが利益が大きいのかもしれない。
大勢の従者を従えた人物。今から行く歌比べ、コンペッティションの審査員のうちの一人だろうか。たいそうな行列の絵である。もし審査員なら、あとで時代遅れ、と言われるのを覚悟しなければならない。時代の流れに取り残されないよう覚悟してゆけ。そうやって、バイエルン初日公演のニュルンベルクのマイスタージンガーのあの最初の響きがホール全体に鳴り響いたのである。休憩を含め5時間半の長丁場だ。
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1988年11月13日(日)15:00NHKホール
ワーグナー作曲
ニュルンベルクのマイスタージンガー
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アウグスト・エヴァーディンク、プロダクション
ザックス、ベルント・ヴァイクル
ポーグナー、クルト・モル
ワルター、ルネ・コロ
ダーヴィット、ペーター・シュライヤー
エヴァ、ルチア・ポップ
マクダレーネ、コルネリア・ウルコップ
ベックメッサー、ヘルマン・プライ
コートナー、アルフレート・クーン
フォーゲルゲザング、ケネス・ガリソン
他
夜警、ヤン=ヘンドリック・ロータリング
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ヴォルフガン・サヴァリッシュ指揮
バイエルン国立歌劇場
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いきなり脈打つ波。押し寄せる怒涛のような音。NHKホールがまるで馬蹄形のオペラハウスに乗り替わったのではないかと錯覚するような本場の音がそこにあった。オペラハウスに根づいている独特の呼吸というものがあって、常に全体の流れを見すえた見通しの良さがある。一こま一切れずつが全体の中の一瞬であり、ありとあらゆることに意味がある。全てがストーリーに絡み、意味のないことはない。流れのなかにある今。一瞬とも目耳を離してはいけない。音楽に没頭、馬蹄形に埋没、するしかない。そうさせてくれる音楽の運びであった。陳腐だが、やはり本場物は違う、と思った。
それに歌い手だがよくぞこんなメンバーがそろったものだ。作りたての切れのいい酒とはいかないが、地元はおろかバイロイトでさえこのような歌い手を一度に集めるのは難しいのではないか。日本だから実現したと考えていい。まず間違いのない人揃えである。
ルネ・コロはもう10年前であれば、どんなに輝かしいヘルデン・テノールであったことか。ルチア・ポップといちゃついても中年どうしの垢にまみれた火遊びのようにみえてしまい、舞台中の本気度が見えてこないもどかしさはあるものの、贅沢は言うまい。
モル、ヴァイクル、シュライヤー、プライをはじめとする周りをとりまく惑星がみな太陽のような存在に見えてしまい誰に何に注目すればよいのかわからなくなる。各幕とも味わいがありすぎて秋冬の食べ物のおいしいこの時期ともども限りをつくしたのであった。
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ニュルンベルクは河童がドイツのなかで一番好きなところであり、ことあるごとに行った。アルト・シュタットをただ歩くだけでいいのである。適当なところで皿を休め、ワインで皿を濡らし、そしてマイスタージンガー・サウンドに思いを馳せる。音楽はミュンヘンまでいけばいい。ここは皿休めの街だ。あのアドルフの街であったことも忘れ。。
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このときマイスタージンガーはもう一回見た。
1988年11月23日(水)15:00NHKホール
ザックス、ベルント・ヴァイクル
ポーグナー、クルト・モル
ワルター、ルネ・コロ
ダーヴィット、ペーター・シュライヤー
エヴァ、ルチア・ポップ
マクダレーネ、コルネリア・ウルコップ
ベックメッサー、ハンス・ギュンター・ネッカー
コートナー、アルフレート・クーン
フォーゲルゲザング、ケネス・ガリソン
他
夜警、ヘルマン・サペル
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長いが何回みてもいい。
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