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河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1621- シュトラウス、祝典前奏曲、紀元2600年祝典曲、ヨセフの伝説、ネーメ・ヤルヴィ、N響2014.4.23

2014-04-24 01:53:57 | インポート

2014.4.23
2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2014年4月23日(水)7:00pm サントリー
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オール・リヒャルト・シュトラウス・プログラム
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祝典前奏曲 11′
紀元2600年祝典曲 15′
ヨセフの伝説 57′
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オルガン、小林英之
ネーメ・ヤルヴィ 指揮 NHK交響楽団
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久しぶりに見るヤルヴィですけれど、プログラムがシュトラウスのあまり演奏されない曲ばかり。
前半2曲は音がでかいだけの駄作ではないのか。N響も気張った演奏でギクシャクしている。
祝典前奏曲はのっけからオルガンの派手な響き。空騒ぎとでもいうのでしょうか。
P席後列の通路のところにバンダが並びました。演奏後、ヤルヴィがスタンディング指示をだしていましたが、そもそも立っているので背伸びしていたバンダさんもおりましたね。
2曲目の祝典曲も併せ、今日のN響は収録マイクの掃除を兼ねた演奏会ということかしら。
ヤルヴィも気持ちよさそうなんですね。
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後半のヨセフの伝説、これはCDなどでもたぶん聴いたことが無くて、とにかく初めて。
前半2曲の混迷曲の尾をひいた伝説ではありましたが、弾まない、流れない、は徐々に解決していきました。
オルガン日和な3曲。よくわからず、翌日リトライ!
おわり


1620- シェーンベルク、弦楽のためのワルツ、リスト、ピアノ協1、デミジェンコ、マーラー4番、エイ

2014-04-18 00:52:03 | インポート

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2013-2014シーズン
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2014年4月17日(木)7:00pm サントリー
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シェーンベルク 弦楽のためのワルツ  14′
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リスト ピアノ協奏曲第1番  15′
   ピアノ、ニコライ・デミジェンコ
(encore) メトネル おとぎ話  4′
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マーラー 交響曲第4番  16′10′19′9′
  ソプラノ、ローラ・エイキン
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シルヴァン・カンブルラン 指揮
読売日本交響楽団
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カンブルランは今回は同一プログラム2回だけという短い滞在だが、シーズンの振る回数が少ない名ばかり音楽監督が多い中、彼は結構まめに顔を出しているほうだと思う。そして毎度のことながらプログラムが良い。コンサートではレアなシェーンベルクの小品、そしてソリストが別曲に二人という演目。これだけ見ても素晴らしいですね、聴く前から。
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冒頭のシェーンベルクの弦楽のためのワルツ。初期の作品で、ショートピース11曲の束、うち未完の一曲を除く10曲の演奏。
わかりやすく魅惑的な曲と演奏。カンブルランが自ら楽しんでもいいような気もするが、彼は飽くまでも聴衆にこの音楽を聴かせようとするスタンス。自分が楽しむのではなく、聴衆が楽しみ理解してくれればと、その姿勢が好ましいし、現代音楽のオーソリティにとってそのようなアクティヴなモチベーションというのをどのような音楽においても常に心がけているのだろう。前向きで誠実な指揮者だと思う。
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2曲目のリストの協奏曲は、オーケストラが非常に引き締まっている。妙に埃っぽくなったりするリストの管弦楽だが、ここは協奏曲とはいえ主役のように動き回らせ、練習回数のきいた引締め度。ピアノが出てくる前から気持ちが良い。そのピアノは見た目の風体とは少し異なり、思いのほかソフトタッチ。オーケストラが引き締めてピアノが歌う。ドライでウェットなハイブリッド感の耳触りがいい。
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二人目のソリストはローラ・エイキン、なんとも豪華な一夜ではありますね。
カンブルランのマーラーは、日本人の指揮者でたまにいる無意味で作為的なフレーズ変態延ばし演奏解釈とは、当然のことながらまるで異なる。
テンポ感はオーソドックスなもの、個別のソロ旋律やアンサンブルのハーモニーをくっきりと際立たせたもので、クリアで明快。それぞれ分解されたように聴こえてくるフレーズは四方八方を向くことなく、マーラーの音楽という小宇宙の空間の内面を撫でていく。ドライ、ウェットという言葉の範疇とは別のもの、スペースステーションの骨組みを遠くから見るような感じ。作曲から一世紀以上経った曲が、現代的な表現で見事に蘇生された演奏と言えよう。
第2楽章の一見グロテスクな音楽が小舟のワルツに変わるところで、冒頭のシェーンベルクのワルツと繋がった。これまた見事な大団円の表現と言えよう。最後で完結する必要もない、いたるところで思い起こしや気づきをさせてくれるカンブルランのプログラム・ビルディングの妙でしょう。
終楽章はその発想が、シェーンベルクの弦楽四重奏曲第2番へのつながりを感じさせる、これは聴きながら感じるというものではなくそのような歴史的な作品ではあるのですが、やはり気づきをさせてくれる。今でも十分に斬新な発想です。
ローラはこの曲に馴染んでいく歌い口で自然。シェーンベルクを歌ったら、また別の面が出てくるような気がしました。
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プログラム、ソリスト、指揮者、オーケストラ、一体となった、しっとりしなやか芯のある、いい一夜でした。ありがとうございました。
おわり


1619- キリストの昇天、バービ・ヤール、エギルス・シリンス、アンドリス・ポーガ、新日フィル2014.4.13

2014-04-13 17:27:15 | インポート

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2013-2014シーズン
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2014年4月13日(日)2:00pm サントリー
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メシアン キリストの昇天 5′5′6′5′
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ショスタコーヴィッチ 交響曲第13番 バービ・ヤール
   バス、エギルス・シリンス
   男声合唱、栗友会合唱団
           16′8′12′12′13′
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アンドリス・ポーガ 指揮
新日本フィルハーモニー交響楽団
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お初で観る指揮者です。見た目、大きくてゴツゴツしている。
何かに特に強いインパクトがあるといった感じではありませんでしたが、なるほどこういうとらえかたもあるのか、そういった気づきをさせてくれるような面がある。充実の演奏会だったと思います。
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プログラム前半のキリストの昇天は、全楽器の中でもブラスは気を緩めたら絶対ダメな曲。弦は居眠りしたくなるところもありますが、しっかりとブラスの響きをとらえたいものです。
メシアン独特の澱んでいながら透明、青い沈殿物と清らかな流れ、そして光の放射、最初から魅了されるいいバランスの響き。やつすことなくしっかり譜を伸ばし切るのでなんだかウェットさも加味された柔らかな光と影。
プログラムにある予想タイミングはデューレーションとしてなら間違ってなくも無い。曲全体で35分かかればいいなぁ、と欲張りな気持ちになりました。メシアン初期の傑作。
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後半は大作バービ・ヤール。少し前にコボス&都響の演奏がありましたね(2013.11.28)、あれも素晴らしい演奏でした。
この日の新日フィルも濃い演奏で。自席がオーケストラに近いので全部見渡すことができないのですが、かなりの大編成で迫力あるサウンド。男声合唱の人数も相当な規模のよう。バス独唱はこの前(2014.4.5)のラインの黄金でヴォータンを歌ったエギルス・シリンス、非常に明瞭な歌。ポーガはじめ、割と明るく乗っていけるような感じのバービ・ヤール。妙な話かもしれないけれども。
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この日の公演では字幕スーパー無し、ブックレットの対訳もなく日本語のみ。ただ、詳細な訳注があり、本来の意味合いや誤りを訂正しつつ掲載。これは結構ためになった。理解が一段深まった感じです。
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第1楽章、バービ・ヤール
ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺の地、今の今現在、混乱のウクライナ。その国にある地名。暗い歴史の地。それぞれの時代にナツィだけでなくロシア人たちもユダヤ人を迫害したじゃないかと、虐殺・迫害に対する反体制的なモチーフがベースとなっているのだが、音楽が妙に明るい。明るいというより分厚く動き回る。何度か聴くたびに書いているのだが、ほぼムソルグスキー状態の音楽ではないだろうか。ショスタコーヴィッチの姿は見えこそすれムソルグスキーワールドの響きの陰にある。そういう意味では時代を遡ってしまった音楽のように聴こえる。分厚い響きの快活さなのだが、日本おける曲の紹介のされ方が副題ストーリーに引きずられすぎなのではないかといつも思う。思うほど暗い音楽にはなっていない。ボリスの旅籠屋シーンさえ思い浮かべるのだが。
だから、
第2楽章、ユーモア
にも、全く違和感なく入っていける。第1楽章に増してさらに動き回る音楽。ようやくここでショスタコーヴィッチの音楽がひらけてくる。
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ここでちょっと、
この交響曲の副題のバービ・ヤールというの、第1楽章についた副題を言っているのであって、全楽章をバービ・ヤール的なナチスによる虐待のストーリーとして聴いてしまうと自分で自分を印象操作してしまいかねない。一方、反体制的な内容という意味合いではこのシンフォニー全体を貫く通奏低音としては正解だと思うので、そのような串刺しで聴くのがいいかと思うのです。
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ここまでの2楽章、とにかくよく動き弾む音楽で、これまで生で聴いた中でこんなにスッキリ明るいのも珍しい。ムソルグスキーとユーモアの勝利か。
それにしてもオーケストラのサウンドと男声合唱がズシンとくる。独唱は席が近いせいもあってクリアだなぁ、きれいな清唱です。シリンスはそうとうに力がこもっており、説得力がある。オペラ風な歌唱はしておらずそれでいて気持ちの込めかたが、あたりまえの歌詞連動なのだろうが、圧巻。
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続く第3,4,5楽章は切れ目が無いが、一見ばらばらの副題のイメージなので明らかにムードが違ってくるのですぐにわかる。第4楽章の恐怖というのはそれほどでもない恐怖のようだが、音楽はチューバを織り交ぜた非常に深刻なもの。
第3楽章、商店で
第4楽章、恐怖
第5楽章、出世
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最後の出世もまた面白い内容、最後の最後でショスタコーヴィッチ最後のシンフォニーの一番最後の最後、その響きがかすかに聴こえながら終わる。
この連続した3,4,5楽章の緊張感はまことに素晴らしく、ポーガの棒がさえていたと思います。オーケストラ、男声合唱、バス独唱、一体化した演奏の運びは、ショスタコーヴィッチの何が本意だったのか、あらためて考えさせてくれるような演奏でした。屈折の思いへの気づき、気づきはこちらの話ではあるのですが、考えさせられる内容だったと思います。ありがとうございました。
おわり


1618- ブルックナー5番、マレク・ヤノフスキ、N響2014.4.12

2014-04-12 21:50:52 | インポート

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2013-2014シーズン
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2014年4月12日(土)6:00pm NHKホール
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ブルックナー 交響曲第5番(ノヴァーク版)
       19′17′12′22′
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マレク・ヤノフスキ 指揮 NHK交響楽団
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ヤノフスキの棒は、この前(2014.4.5)、東京春音楽祭でコンサートスタイルの「ラインの黄金」を同じN響で聴いた。
一週間後のこの日はブルックナーの5番ということでしたが、ラインの黄金の延長戦みたいな感じでした。
うねりのない、いたってオーソドックスなもので、ゴツゴツ感も滑らかさもない平板な演奏で全体的に小振り。一言で言うと呼吸が無いということになるかと思います。
プレイヤーとうまくインターフェースが取れていないのかギスギスしていてやりにくそう。彼らの普段の演奏スタイルとかなり違うのかもしれない。(音の出すタイミングといった呼吸関連が)
ただ、ラインの黄金をそれなりに演奏しているので、ワーグナーは合うけどブルックナーは今一つというだけなのかもしれない。もしそうだとするとブルックナーに期待するのはどうかという話になる、
N響連中のコンディションもよくなさそう。毎度のミスみたいなものもあるが、それはそれとしてもノリがない。いいとは言えない演奏でした。
あと、音が引っ込み思案風な趣だったのは、ホールの座席、最前列一列がいつもより前にとってつけたように並んでいて、その分だけステージが引っ込んだと思われます。いつも通りグイと前にセットアップされればもっといい鳴りだったはずです。最近は昔と違ってステージを前方に出しているのに、この日は椅子一列分とその後ろの横通路スペース分(奇妙なセッティング)だけステージが奥まってしまった、誰のどのような意思によるものなのかわかりませんが、失敗ですね。
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全体的に音量が不足気味でブルックナーの幽玄の響きを楽しめない。コントラバスは正三角形の底辺になることを嫌ったような音で、音量が足りなく乾いている。なんでこうなるのか。
第1楽章ソナタのゆっくり目の第2主題と息つく間もないせかせかした第3主題のぎこちない連関は、自分の持っているブルックナーのイメージとはだいぶ異なり、別の力学なんだろうとは思ったが、その割にはブルックナー力量指揮者という噂が飛んできているわけでもなく、前提を取り払って聴く分にはいいが答えは同じだ。
あまり書いてもしょうがないので、今回は不発だったということで。
おわり


1617- ヴィラ=ロボス、モモプリコシ、ジャン・ルイ・ストイアマン、ラフマニノフ、交響曲第1番、ロ

2014-04-08 23:28:39 | インポート

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2013-2014シーズン
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2014年4月8日(火)7:00pm 東京文化会館
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ストラヴィンスキー 小管弦楽のための組曲第1番 4′
ヴィラ=ロボス ピアノと管弦楽のための幻想曲モモプリコシ
        ~「ブラジルの子どもの謝肉祭」による 23′
  ピアノ、ジャン・ルイ・ストアマン
(encore)
ヴィラ=ロボス ブラジル風バッハ第4番よりコラール 3′
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ラフマニノフ 交響曲第1番 13′8′9′11′
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ロベルト・ミンチュク 指揮 東京都交響楽団
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また、3曲仕立て。ストラヴィンスキーは短い曲。
ヴィラ=ロボスのモモプリコシは全く知らない曲、ピアニストもお初。
ウィットに飛んでいる、奇抜さが面白い、といったところがない。ピアニストの硬くてドライな響きのもと、というか、必要以上に鍵盤の押しが強いのではないか。2メートルぐらいの至近距離で観ましたのでよくわかります。
曲のサウンド心地もあまりいいとは言えない。別の曲を聴きたかったというのが本音。
アンコールの曲も、指の押しが一様でないためか響きが都度まだら模様。
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後半はメインのラフマニノフ。
1995年に聴いたシモノフ&N響以来。荒々しく激しい曲という印象がある。
この日の都響の演奏は言うならば、高性能オケで分かるその真価、そして指揮者も。
演奏は大変に素晴らしく引き締まっており、収録して発売したら買うかもしれない。以前のN響の演奏より遥かに締まっていて気持ち良い響きの連発。
チャイコフスキー4番5番6番しか知らなかった頃に初めて聴く2番の新鮮さ、この感覚に近い。長さはこれぐらいがちょうどいいと思う。荒削りで妙に新鮮なラフマニノフでした。
一応形式を踏まえているのでシンプルな感覚で楽しめます。
指揮者は、引っ張っているというより引っ張られているのかな。まぁ、たしかに、主旋律しか振らない指揮者ではありますね。
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曲の面白さという点ではシモノフの棒のほうが迫力あるノコギリサウンドでギザギザ感を楽しめたことを思い出しました。
おわり


1616- ラインの黄金、マレク・ヤノフスキ、N響2014.4.5

2014-04-05 21:14:48 | インポート

2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
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2014年4月5日(土)3:00pm 東京文化会館
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ワーグナー ラインの黄金 (コンサートスタイル)
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第1場   20′
場面転換   4′
第2場   37′
場面転換   3′
第3場   21′
場面転換   4′
第4場   46′
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ヴォータン、エギルス・シリンス
ドンナー、ボアズ・ダニエル
フロー、マリウス・ヴラド
ローゲ、アーノルド・ベズイエン
アルベリヒ、トマス・コニエチュニー
ミーメ、ヴォルフガング・アブリンガー=シュペルハッケ
ファーゾルト、フランク・ヴァン・ホーヴ
ファフナー、シム・インスン
フリッカ、クラウディア・マーンケ
フライア、藤谷佳奈枝
エルダ、エリーザベト・クールマン
ヴォークリンデ、小川里美
ヴェルグンデ、秋本悠希
フロースヒルデ、金子美香
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予告なしゲスト・コンサートマスター、ライナー・キュッヘル
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マレク・ヤノフスキ 指揮 
NHK交響楽団+鉄床多数(20個ぐらい)
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10周年を迎えた東京春音楽祭、今年から4年がかりでリングを公演する。舞台はなくコンサートスタイル。振るヤノフスキは持論でこのようなスタイルの長所を述べているが、個人的には舞台がなければ今一つ燃えない。パルジファルとかになるとイメージの世界が補完的にあれば相応に楽しめますが、この日の公演のようにバックにあまりぱっとしないイメージを映すだけでは、いやはやなんとも。
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出演者は乙女三人衆とフライアが日本人キャスト。彼女たち4人以外は外国勢。日本の男連中が歌えないわけでもないと思いますが、指揮者の意向があるのですかね。そこらへんはわかりません。
わき役をかためるケースの日本人の歌唱は、ほんと、いつもだいたい素晴らしい。この日の乙女もよく声も出ていてきれいなハーモニーから始まりました。それに比して、この第1場のアルベリヒはあまりぱっとしません。声が出る前段階の状態。
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第2場のファーゾルトは代役のホーヴ、きゃしゃな紳士という感じですが、なぜか髪が見た目、左サイド方向に飛んでいる。(演出か寝ぐせか)
声はしっかり出ていたと思いますが、この兄弟のポジションがオーケストラの右奥。オンステージのオーケストラなので声に被る。ワーグナーのオタマジャクシは入念ではありますが。馬蹄形な場合、このようなスタイルの公演だと上の席に陣取ったほうが声が通っていくのかもしれませんね。
ヴォータンは舞台映え必須ですが、今回はあまり関係ありません。見た目があっての威厳の声、それでいてちょっとヤワな感じ、なかなかうまく雰囲気が出ません。
半神半人間の火の神が出てきたところでようやく締まりました。性格俳優風に迫るならこちらがアルベリヒでもいいかもしれません。この日のモードは生真面目アルベリヒ、狡猾ローゲの構図ですね。
この第2場ではこのローゲの見事な歌唱が光りました。存在感のあるベズイエンでした。一方、引きずられるヴォータンといった趣が強い。
フライアが巨人兄弟に連れ去られ、ローゲとヴォータンはニーベルハイムに黄金を奪いに行く。
一斉に鉄床が鳴ります。オーケストラ最後尾、左から右まで約20人が一列に並んで叩く。見た目は圧巻、音はそれほどでもない。ヤノフスキの舞台的な主張はここに焦点を絞った感があります。場面転換の意味合いとしてというよりも、長い2場の空気感を変えるような感じ、とはいっても地下の暗い世界に降りていくわけですけれども。
ちょっと話がそれますが、キース・ウォーナーのトーキョー・リングでは、この第2場のフライア・リンゴの場面、神さんたちが若返りのリンゴがなくなって力なくスローモーションになっていく。あの舞台は印象的でしたね。肥大化された細部の演出がずっと頭の中に残っている。これはこれで全体を思い出すときの良い手掛かりにはなります。
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第3場は面白いほど短かくて、内容的にはあまり面白くなかった。
スケルツォ、トリオ的な場だと理解すればこんな感じでいいのかもしれません。それに予定調和的にアルベリヒは捕まってしまうのですから。他場面でのヤノフスキの締め具合は見事ですが、ここはちょっと締め上げすぎかな。整理整頓されすぎているのかも。
わき役的傍観者ヴォータンのもと、次第に調子を上げてきたアルベリヒと最初から調子のよかったローゲの絡み、ちょっと速すぎるヤノフスキの棒のもとコンサートスタイルにおけるコンディションはやはりいいものだと歌い手たちもふと思っても不思議はありません。
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そして見た目は壮大な鉄床音とともに第2場と同じところに戻る第4場。ようやく音楽が少し緩くなる。いい雰囲気だ。
カエルのアルベリヒは財宝、頭巾、指環を、早い話ヴォータンに身ぐるみはがされて解放。
そこにフライアを連れた巨人の兄弟が、その財宝、頭巾、指環を身ぐるみはがしフライアを解放。ただし、指環を奪われる前に、カミタソ序幕で語り部となるノルンたちの母エルダが、東京文化会館右2階席に突然現れ、指環のアドバイスをする。アルベリヒが身ぐるみはがされたとき彼は指環に呪いをかけたので、それを持っているとろくなことにならない、と。
エルダを歌ったリズ・クールマン、太く安定感あり威厳のエルダ。ぴったりとストーリーにはまりました。良かったと思います。2階席からの歌唱、いいサウンドでした。
ここらあたりで先々のカミタソまで話は少しつながったわけですけれど、カミタソは2017年のことになるわけですね。それはそれとして、
指環を手に入れた巨人は兄弟喧嘩をはじめ、さっそく代役ファーゾルトはお陀仏。巨人の喧嘩は舞台だと面白いもので、そのあとの、このうっとうしい空気を変えよう、というあたりの雰囲気は良く出るのですが、この日は右奥の巨人兄弟が退散するのみ。
ところで、この空気変えたい雰囲気、うっとうしいこれまでの音楽、ホント、うっとうしかったと思ったのはもしかして作曲者ワーグナー自身ではなかったのかと思うぐらい見事に音楽で空気を変えてしまいます。凄い音楽です。
ドンナーの雷起こしハンマー、フローの虹、そして神々の入城にいたるもう一つの場面転換とでもいいたくなる生理的にも気持ちの良い音楽がワーグナーファンのアドレナリンを沸騰させ、そのカタルシスな世界にはまっていくところで音楽は終わる。ヤノフスキの棒はどろどろしたところが無く、文字通り浄化の世界を聴かせて音楽は終わる。
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ヤノフスキの棒は理知的なコントロールが基本だが、第1拍目でバーンとフォルテシモで叩きつける盛り上げの箇所の前のアウフタクトは過剰なぐらいタメを作る。この叩きつけのあとの音の移動に伸縮が見られる(オーケストラが合わない)、それはそれでいいかと思います。音の解放、このような箇所だけ聴けば古風と言えるかもしれない。
しなやかさもあるがそんなに重視していない、リズミックに音の粒立ちよくテンポ良く進む。この2時間越えのワルツ、聴くほうも大変なのでリズミカルな進行のラインゴールドも悪くはない。オーケストラの響きがあまり重く感じなかったのはそのせいもあるかもしれない。
プライドの高そうなヤノフスキの演後の立振舞いを見ていると、びっくり参加だったのかコンマスのライナー・キュッヒルはじめ歌い手たちも少し戸惑っているところもありました。
N響はこのような指揮者に従い、おりこうさんと褒めてもらうとますます気持ち良くなっていい演奏をしたものだなぁと、昔のDNAが復元したのかもしれないと脳裏をかすめた公演でもありました。
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4月12,13日はN響定期でブルックナーの5番を同じ組み合わせでやるわけですが、アウフタクトのタメ造りのブル5が成功するのかどうか、それとも構造に目を光らせた異次元の解釈となるのか聴きものではあります。
おわり


1615- ウェーベルン、パッサカリア、バルトーク、VnCon1、エステル・ハフナー、ブラームス1番

2014-04-03 23:25:45 | インポート

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2013-2014シーズン
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2014年4月3日(木)7:00pm サントリー
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ウェーベルン パッサカリア 11′
バルトーク ヴァイオリン協奏曲第1番 8′+12′
 ヴァイオリン、エステル・ハフナー
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ブラームス 交響曲第1番 12′8′4′18′
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ロベルト・ミンチュク 指揮 東京都交響楽団
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この指揮者はお初です。
無理やりの3曲構成のようにも見えますけれどそれなりに楽しめます。
ウェーベルンはウェットで滑らかな曲、それをことさら強調するわけではなく自然と円弧がつくあたりはオーケストラの技量なのかもしれない。
2曲目のバルトーク、前に聴いた2番(2013.12.192013.12.20)よりはわかるが、どうも水中から地面に出てきたナマズが乾いてしまったようなサウンドは苦手。かすかに弦チェレがエコーするような気もするが管弦楽曲の魅力の前にヴァイオリンの協奏曲1,2番ともに心やすまらない。
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後半のブラ1は、オケ、指揮者ともにレパートリーでしょうから、しり上がりに良く鳴ってきましたが、どうも今一つこなれていない。また、
ティンパニの音が引き締まっておらず、かつ、他の楽器と同じタイミング、もしくは少し遅れたりして、水先案内になっていない。この曲はティンパニがもっと積極的に果敢に攻めてほしいと思います。
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指揮者は突き詰めるとユーティリティー・コンダクターの雰囲気です。若い時はニューヨーク・フィルの副指揮者をつとめたことも。その前は天才ホルニストだったそうです。
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1984.4.4、11:00am エイヴリ・フィッシャー・ホール
ニューヨーク・フィルハーモニック
ヤング・ピープルズ・コンサート
フレンチ・ホルン、ロベルトミンチュク
モーツァルト ホルン協奏曲第2番 第2,3楽章
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おわり


1614- ベートーヴェン1番、ブルックナー1番(リンツ稿)、小泉和裕、都響2014.3.24

2014-03-24 22:31:06 | インポート

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2013-2014シーズン
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2014年3月24日(月)7:00pm 東京文化会館
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ベートーヴェン 交響曲第1番
        10′5′4′6′
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ブルックナー 交響曲第1番(ノヴァーク:1866年リンツ稿)
        12′15′9′14′
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小泉和裕 指揮 東京都交響楽団
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ブルックナーの初期作を改編前の初期のオリジナル稿でやるという意欲的なプログラム、1番を二個並べ、ビルディングとしてはコンパクトな感じもする。
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ブルックナーは第1,4楽章のソナタでは第3主題が少し不明瞭な曲ではあるのだがそれなりにわかる。小泉の棒は、その第2主題のテンポをかなり速めにとり引き締める。反面、1,2,3主題ともに同じような速度感で曲としてのスケールがあまり出てこない。
アダージョ楽章の深い沈み込みが印象的。
荒い曲ではありますが、全体フレームは曲サイズからはみ出さない折り目正しい演奏で、同曲を知るにはいい演奏だったと思います。
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前半のベートーヴェンは、これも引き締まった佳演。楽章追うごとにテンポアップ。スッキリと終わる。
両曲ともに新鮮な演奏でよかったと思います。ブルックナーのほうは指揮者がしたいこと沢山ありそうでした。
おわり


1613- マーラー7番、リッカルド・シャイー、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管2014.3.23

2014-03-23 21:21:56 | インポート

2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2014年3月23日(日)6:00pm サントリー
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マーラー 交響曲第7番 夜の歌
    22′15′9′10′18′
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リッカルド・シャイー 指揮
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
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この日は朝、東京春音楽祭の第1部を聴いて、一旦帰宅し夕方再出動。
シャイーはせんだって聴きました(2014.3.18)ので、この日は2回目となります。印象としてはだいたい同じ。
シャイーは世間一般のやりつくされたマーラー演奏などに興味はないと思う。演奏する当事者だし、そもそも音楽シーンを作り出すほうですから。むしろここにいる日本人聴衆のほうがこの7番含めシャイーの振っている棒の回数よりも聴いている回数のほうが多いかもしれない。
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シャイーは変形は求めていないと思う。欲しいのはシングルトーンやハーモニーの美しさ、バランス。変形を求めないように構造美にもとりたてて深入りはしていない。まして、「イタリアオペラのように~」といったムードはさらさら無い。特徴を探し出して定義したくなるのがファンの深層心理で自ら尺度を作って、だから自分はこうなのだ、という話であるが、それはいったん横に置き、曲を聴けばいいと思うのです。
今のマーラーまみれの時代にあって、中庸を得た普通の演奏で、そうであればこそ、曲の凄さがひしひしと自然に伝わってくる。何度も何度もマーラー演奏を重ねた棒でなければならないということもない。
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アバドなら第5楽章展開部のストリングによるしゃくりあげは強烈で、これでもかというぐらい掘り込み、しゃっくりのような表現になるあたり、シャイーはそのまま通過。だいたい、個別のディテールの強調といったことはしない。読みが浅いとか深いとか、演奏回数が多いとか少ないといったことは関係ないと思う。
向かって左にホルンとともに陣取ったテナーホルンと、右サイドの3番トロンボーンの距離は15メートルぐらいあるのではないか。第1楽章の両インストゥルメントの合わせは難しいと思う。でも彼の全体感覚からしたら、それはちょっとした出来事なのかもしれない。
感覚が日常的な状態以上に先鋭化されているのはマーラーばっか、生聴きしている一部聴衆連中のほうで、ここは普通に楽しめばいいように思う。そのようなものをシャーは置いていった。
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40年前にこのオーケストラがこれほど巧みにマーラー演奏をできていたとは思えない。演奏会で織り上げていたのかどうかも分からない。ベートーヴェンの第九、その他の少ない現場体験しかないがオーケストラ能力はまるで違っていると思う。進化によって失ってしまったものもあるかもしれないが、観た雰囲気ではオーケストラのセットアップ段取りや終演後の動きを見ていると、ルールというか、やっぱり歴史の流れをうまく受け継いできているのだろうと思う。伝統という言葉は陳腐かもしれないが。
ショスタコーヴィッチやマーラーの演奏を来日公演でやって、現代的で機能的なオーケストラになったなどという言葉は、それこそ時代感覚がずれているとしか思えない。不思議な日本の現象。
おわり


1612- リヒャルト・シュトラウスの生涯、東京春音楽祭マラソン・コンサート、第1部2014.3.23

2014-03-23 14:36:56 | インポート

2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらか
2013-2014シーズン
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2014年3月23日(日)11:00am 東京文化会館小ホール
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オール・リヒャルト・シュトラウス・プログラム
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仕立屋のポルカ 2′
 ピアノ、三輪郁
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ノクターンOp.7 5′
 ホルン、日橋辰朗 ピアノ、三輪郁
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ホルン協奏曲第1番Op.11  17′
 ホルン、日橋辰朗 ピアノ、三輪郁
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オーボエ協奏曲  25′
 オーボエ、広田智之 ピアノ、三輪郁
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(encore)万霊節 Op10-8  3′
 オーボエ、広田智之
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*ホルン松崎裕、キャンセル
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140323_120201
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東京春音楽祭の一環、シュトラウスのマラソンコンサート、この日5個あるうちの1個目。
松崎さんが出演するというので、色紙、ペン、CDを持参しました。が、
キャンセルとのこと。残念。
とはいえ、HPなどであらかじめわかっていたら日曜日の午前わざわざ来ることもなかったわけで、前向きにとらえ、代奏の若いホルニストの演奏を聴くことにしました。
ノクターンとコンツェルトの1番、
コンツェルトは20分かからない曲なのですが、こうやってあらためて生で聴くとかなり長く感じる。大変だろうなぁ。
この曲を音源として初めて聴いたのは、マイロン・ブルームでした。(ジョージ・セル指揮クリーヴランド管のアナログディスク)
高度な技巧が余っている感じで、もっとハイな曲はないの?といった吹きっぷり。
私のブログのフィリップ・マイヤーズの紹介文の中に、マイロン・ブルームのことをリンクしておりますのでご参照。大変に興味深いインタビュー内容です。おもしろい。
フィリップ・マイヤーズに聞いてみました
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ところで代奏の日橋さん、若くて滑らかで、作為的なところがない。音色も均一で素晴らしいホルニスト。ちょっとぐらい前のめりになってもいいような気がしますが、まずは正確性ですよね。
次回はピアノ伴奏ではなくオーケストラの伴奏で聴いてみたい。
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オーボエ協奏曲のほうは25分、これもあらためて長い!ここまで言うことがそんなにあるのかしら?そんな疑問さえ浮かんできそうな長さ。味わいの限界に挑戦するような曲ですね。こちらのお方は広田さん、都響のプリンシパルで場馴れしている感じ。
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この日はシュトラウス5公演、マラソンコンサートと銘打っている割にはオープニング・セレモニーがあるわけでもなくあっさりしたもの。クラッシックの演奏会はだいたいこんな感じが多い。
11時、13時、15時、17時、19時、それぞれスタートで11時公演は1時間ほど。
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東京春音楽祭の240ページのプログラムいただいて帰りました。10年もやっているみたいで、この座り心地のあまりよくないネイミングのイベント、今更名前変えられないよね。英語もちょっとね。
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(今) 東京・春・音楽祭 Spring Festival in Tokyo

(案) 上野音楽祭 Ueno Music Festival in Tokyo
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Music Summer Festival にならったのかな、でもSpring Festival だと春に関する祭りだな。Mahler Festivalと同じ感触。
それにMusicが無い。
案のように上野つけると抵抗感ある人いるのかもね、なかに。
おわり


1611- シューマン、ピアノ協奏曲、小菅優、ブラームス、交響曲第2番、アレクサンドル・ラザレフ、日

2014-03-23 00:34:08 | インポート

2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2014年3月22日(土)6:00pm 横浜みなとみらいホール
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シューマン ピアノ協奏曲 16′5′11′
   ピアノ、小菅優
(encore)シューマン(リスト編曲) 献呈 3′
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ブラームス 交響曲第2番  16′8′5′10′
(encore)エルガー 愛のあいさつ 3′
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アレクサンドル・ラザレフ 指揮
日本フィルハーモニー交響楽団
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いやぁ、ラザレフのでかい演奏でした。こんな巨大なブラ2聴いた記憶が無い。
第1楽章の垂直的な深い切り込み、第2楽章の幅広さ、第3楽章の遊び、第4楽章の骨太な前進。各楽章の主要主題の自然で大きな膨らみ、厚く広がり音が生き生きと動き回っている。厚く、広く。それぞれが味わい深い。第2楽章などあまりに力が入りすぎたのか、指揮台から降りてヴァイオリンのほうに突っ込んできました。
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オーケストラの反応も抜群で、ほとんど思い描いているイメージ通りだったのではないか。
先だって(2014.3.15)のショスタコーヴィッチのレニングラードから見据えていた先はもしかしてこのブラームスだったのではないかと思えるような手応え。作品の時系列といった話ではなく、ロシアものからドイツものへの深い理解。圧倒的な演奏でしばらく興奮冷めやらぬ余韻がありました。見事な演奏でした。
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ラザレフは第2楽章途中でポーディアムから降りて、ヴァイオリンの方向で振りつくしていましたが、いつ我に返ったのか、はたまた返らなかったのか。
コントロールと開放、棒の凄さと演奏の凄まじさが見事に一致した演奏でした。このようにスケールの大きな演奏は聴いたことがない。
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前半の協奏曲がこれまた素晴らしかった。
小菅の自由で散文的で波打つシューマンは生き物のような動き。オーケストラの鳴りもよく、ピアノをうまくフォローしたラザレフとの息の合った素晴らしい演奏。
小菅は昨年2013.7.17にドイツ文化会館におけるヘンツェの夕べでの演奏、トークが印象的でした。自由で独創的でトークもわりとあっさりめでした。
ラザレフとのシューマンはクリアなオーケストラ伴奏のもと、自由な動きで進む。シューマンの刻みが右に揺れ左に揺れながら気持ちよく進む。シューマンのモヤモヤしたものが不思議と感じられない。すっきりとしていて波打っていて前に進む。魅力的な曲と演奏ありがとうございました。
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この日のラザレフ→バンザイフィニッシュ
ありがとうございました。


1610- プリッツカー、クラウド・アトラス、コルンゴルド、Vn協、パク・ヘユン、ブラームス/シェー

2014-03-23 00:19:38 | インポート

2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2014年3月22日(土)2:00pm 東京芸術劇場
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プリッツカー クラウド・アトラス交響曲から、
       第4、5、6、楽章 5′6′6′
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コルンゴルド ヴァイオリン協奏曲 10′8′7′
  ヴァイオリン、パク・ヘユン
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ブラームス/シェーンベルク編 ピアノ四重奏曲第1番
                14′8′11′9′
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クリスチャン・ヤルヴィ 指揮 読売日本交響楽団
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いい曲が並びます。
この指揮者は2度目ですが、一度目(2013.10.16)は、最初の曲で出ばなをくじかれた感があり、曲ともども凡庸感が漂っていた。この日はだいぶ違った。もっとも聴く前は曲目当てだけだったのですけれど。
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最初のプリッツカー、作曲者の名前も曲名も初めて。プログラムノートにはミニマル風といった言葉がありましたが、いざ鳴ってみると、探してもミニマルはない。聴き込みが足りないのかもしれないのですが、刻み波打ち微妙にずれていくような感覚はどこにもありません。起伏の激しい映画音楽、その割には決して鳴りがいい曲とは言えない。空振りみたいなところもある。ひらめきのある曲とは思えない。
ひらめきの曲というのは、例えばメシアンのトゥーランがリラのように、長大な曲でありながらまた、作曲にかかった年月の長さも大変なのに、いざ出来上がったものを聴いてみるとあまりの凄さに、神様が一瞬で創造したように感じる、それこそ天才のひらめきの技。最初のインクを紙に置く前に既に最後の音符の位置が見えている。だから何年もかかるような曲も結果的には一瞬のひらめき。一瞬のなかにすべてが詰まっていて、それをエクスプロージョンしていくだけ。なんとも凄いことです。
最近何度か聴いたブーレーズのノーテーション(ノタシオン)もそんなところがあるなぁと思ったりしました。それとか、ハルサイなんか完全に神々の作としか思えない。
プリッツカーの曲はそういうものではないということです。
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コルンゴルドのヴァイオリン協奏曲は、ノセダ&N響の爆な演奏(2005.2.24)に縛られてきたわけですけれども、今回も含めてあれを凌駕するような演奏にはしばらく会えないと思います。
パク・ヘユンのヴァイオリンは激しく自己主張するわけではありませんが、内に秘めた闘志みたいなものがあり、それが良くもあり、またすべてが表に出てこないところでのもどかしさみたいなものもある。それが情感込めたあたりのフレーズでも同様にみられる。表現したいこととその表現の方法のベクトルがまだうまく一致していないのだと思います。ただ、コルンゴルドのナイーブな側面を割と感じることができました。
ヤルヴィの伴奏棒はソロと微妙にずれたりするところがあり、呼吸が今一つ合わなかった。合わせの回数が少なかったのでしょう。強引に引っ張っていく棒のようにも見えませんし。
ただ、鳴りは良かったと思います。
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後半のブラームス&シェーンベルク、
これは良かったですね。室内楽でやれば4本の楽器で同じようなフレーズを手を変え品を変えというのは難しいわけですけれども、シェーンベルクの編曲のあやで、まるで音色旋律風に進行していく。あちらのウィンドが奏でたかと思うと同じような節をストリングで、ブラスで、と、入れ代わり立ち代わりのトーンの変化の見事さ、ウィンドのクリアなハーモニーは特筆すべきもので生理的快感。全体に自然に流れていく音楽が心地よい。終楽章の肩にあまり力のかからない演奏もお見事。
これに余裕の膨らみがでてくれば言うことなしだろう。
楽しめました。ありがとうございました。
おわり


1609- フィガロ序曲、メンコン、諏訪内晶子、マーラー1番、ヴァシリー・ペトレンコ、オスロ・フィル

2014-03-21 21:51:07 | インポート

2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
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2014年3月21日(金)3:00pm ミューザ川崎
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モーツァルト フィガロの結婚、序曲4′
メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲13′8′6′
  ヴァイオリン、諏訪内晶子
(encore)
バッハ 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ
第3番より、ルーレ 4′
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マーラー 交響曲第1番 14′8′10′18′
(encore)ブラームス ハンガリー舞曲第6番 5′
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ヴァシリー・ペトレンコ 指揮
オスロ・フィルハーモニー
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この日の諏訪内のメンコンは、三日前のゲヴァントハウスと共演したMidoriと同じ曲。
音量、太さ、艶、ニュアンスの幅、前進性、どれ一つとっても圧倒的な演奏となりました。ノースリーブの腕は筋骨隆々(失礼)、あの腕からこの音が出るのだな、納得の安定感。
この余裕の弾きっぷりとホールに響き渡る太くて艶のあるサウンドが聴衆をひきつける。あらためて彼女の素晴らしさを再認識。どれをとっても見事の一語なんですが、今回特に感じたのは音楽をどんどんグイグイと先に進めていく前進性。音楽は流れていくもので、このような旋律の流れは自然であり共感する。メンデルスゾーンの音楽を感じる。
とりたててヴァイオリンに愛着があるわけではないのだが、彼女のソロ曲のCDを非常に聴きたくなった。説き伏せる技を聴いてみたい。今の音楽シーンに乗っているのは誰か、明白だ。
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一曲目はペトレンコの作り出すスピーディーで軽快な流れが気持ちいいフィガロで、幕のストーリーまで感じさせ、なんだか4幕まで全部見たくなってしまった。プログラムを読んでみると、そこかしこにこのオーケストラはインターナショナルになった、一流になったという文字が並んでいるがそんなもの、並べば並ぶほど技術的な部分に耳が行きやっぱりそこそこだったのね、となってしまう、自ら一流になった発言は諸刃の刃。見苦しいプログラムノート。
フィガロを聴いただけで、余計なスキルベースの言葉は不要ということがそれなりにわかりましたから。
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後半のGM1、たくさん聴いているわけですけれども、しばらくぶりに停滞し漂うことのない演奏を満喫しました。なによりも指揮者のコントロールがオーケストラによく浸透しているのが手に取るようにわかる。彼らも「インターナショナル」への道を今まさに歩んでいるという自覚認識があるのだと思う、やる気度がやっぱりだいぶいい。
指揮者の指示に対する反応が素早く的確、良好なコンビなんだろう。はつらつとして生きた演奏、わだちをジャンプし、ストレートに進んでいくさまは爽快。最後のコーダのところなど息つく暇なく、あのブルーノ・ワルターの倍速モード。そして隙間がない。この圧倒的な気持ちよさ。マーラーの若い時の曲ということをあらためて実感。2番以降の曲がりくねるオタマジャクシはいったん横において、深みとかコクとかも横において、まだあまり曲がっていないこの1番のストレート解釈演奏に久しぶりに浸る。
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このペトレンコ、GM2以降はどんな演奏をするのだろう、この1番のようにストレートな表現だけだと少し厳しいところもあるが、でも彼の場合、今まさに自分の音楽の形を作り上げつつあるわけですから、あまり邪推するのは良くない。これからの楽しみのほうが先です。
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ところで昨今の「インターナショナル」なオーケストラのプログラム代は1000円以下が相場なのですが、このオスロ・フィルは1500円でした。この日の最安席は5000円、それでこのプログラム代、こういった感触は疑問の湧くもので違和感がある。千円札2枚出すしらけ度、インターナショナルになるには今一つ音楽シーンに乗れていないと思いました。主催者のリサーチ不足でしょうね。我欲というか。
まして、東芝の冠コンサートだというのに情けない。ビッグ企業の名が泣く。冠になるときは徹底的に冠にならなければならない、たかだか一つのけち臭いことで、せっかくの宣伝費が逆効果にならないとも限らない。百も承知だとは思うのですけれど。
でも、わかっていない。
おわり


1608- ルイ・ブラス、メンコン、五嶋みどり、ショスタコーヴィッチ5番、リッカルド・シャイー、ライ

2014-03-19 01:30:57 | インポート

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2013-2014シーズン
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2014年3月18日(火)7:00pm ミューザ川崎シンフォニーホール
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メンデルスゾーン 序曲「ルイ・ブラス」 7′
メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲 13′7′7′
 ヴァイオリン、五嶋みどり
(encore)
バッハ 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ
第3番 BWV.1006 より 「プレリュード」 4′
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ショスタコーヴィッチ 交響曲第5番 17′5′15′12′
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リッカルド・シャイー 指揮
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
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ゲヴァントハウスの音は久しぶりに聴いた。すっかり「文化の平板化」の波をかぶっている。文化の平板化、都会の自宅で普段使っているウォシュレットのトイレや、ホールにあるカップのホットコーヒーの自動販売機が、登頂したエベレストのてっぺんにもあってしかるべきだという話。ゲヴァントハウスもインターナショナルと言えば聞こえがいいが、どこに行っても、どこの団体が来ようとも、それらはみんなクリスタルサウンドでなければならない、それを満たさないのは「これ聴いたことない音」みたいな話になって、ようはそんな世界があたりまえになってしまった、まさに平板化された文化の使節でしかなくなる、そのような危惧はなにもゲヴァントハウスだけではなく、総体的にだいたいみんなそうなりつつある。もう既になっていて、どこのだれになにを求めればいいのか、受け手自身も感覚が麻痺し始めているのではないか。
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しばらくぶりに聴いたMidori、私の席は1階席中央なのにメンコンの音が小さくて聴こえない、音が小さくなったのを内向きになったと簡単に言ってしまっていいのか迷うところだが、そのような判断さえできるかどうかのギリギリぐらいに小さいものだった。音量が出てこない。楽章が進むにつれてそれなりに出てきたと思えたのは、聴き手の耳が徐々に先鋭化したのもあるかもしれない。
後半プロのタコ5で聴かせてくれたコンマスのソロが何事も上を行っていたのは、良いことだったのか。
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一曲目のルイ・ブラスは生ではあまり聴けない曲で新鮮味もあり、まぁ、滑らかに滑っていくような演奏とは言えませんが、メンデルスゾーンのメロディーラインはそれなりに。
ゲヴァントハウスの音はオーケストラとしては骨太というより肉太になった感じで、それにつれてファジーな部分の許容範囲が広がり、もやもやっとしたところもある。
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後半のショスタコーヴィッチの5番、
とりたてて機能美を追わない、張り切ってはいるが日常的な演奏会のルーチンワーク的なものであり、そのルーチンワークのレベルの高さを見せつける内容でもあったと思います。
トランペットとトロンボーンがギリギリ右奥に配置、手前のウィンドとの間にかなりの空きスペースがある。左側にホルン、弦は対向でベースも左、音響空間としては左右拮抗でうまくバランスしているのかもしれない。
演奏は滑って快適に進む感じは無く、前のめり、後ろのめり、ちょっとぎこちないかな。やりつくしているわけではなさそうなので、その分張りつめたところはある。ショスタコーヴィッチの音響に浸ることにします。と、
その音響ですが、このホール、1階席だと、バスドラやティンパニの音が叩いているスポットから地続きでお尻を振動させる。音というより太い糸電話みたいな感じで直接響いてくる。あまりよくありません。上の階のほうが音楽的な響きとしては良いと思います。
おわり


1607- マーラー、9番、エリアフ・インバル、都響2014.3.17

2014-03-18 00:26:01 | インポート

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2013-2014シーズン
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2014年3月17日(月)7:00pm サントリー
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マーラー 交響曲第9番 27′15′13′26′
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エリアフ・インバル指揮 東京都交響楽団
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このオーケストラの監督としての最後の公演なのだろうが、個人的には思い入れは全くない。国内オケに関しては好みのオケというのは無くて、曲目が第一義的。好きな曲を聴きたいというのが一番なのだが、それとは別に原体験のようなものがある。一つは国内オケは昔はかなり下手だった。1980年代初めの頃まではあまりに下手で聴いていられないということもありました。当時は来日オーケストラとは明白な差があって、2流の団体でも国内オケの5倍ぐらいのありがたみがあったと思います。ですから個別の演奏団体に入れ込むということはありませんでした。曲がメインの原体験です。(昨今、世に出ている昔の音源は演奏がうまくいったもの、というファクター抜きにはありえません)
もう一つは、音楽監督、常任指揮者などと名前は立派だがその人がシーズン通してどれだけそのオーケストラを振るかというとだいたいスズメの涙程度、あまりに少ない。何年間やったとか言っても横の流れは分断されており、名ばかりではないか。この指揮者のもとで成長した、色が変わったみたいな話は失礼ながら笑えるケースもある。つまり実態が伴っていない場合が多く、このての話も興ざめ。
逆に言うと自分はあちこちのオーケストラを聴いて歩く渡り鳥みたいになってしまって、昨今のように国内オーケストラの性能がアナログ的な向上を越えたスーパーデジタルモードでスキルアップしても自分の動きは昔の原体験のままという癖が治らない。
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この日のような演奏会でも外的な要因に左右されることなく、というよりもほとんど無関心で、いつも通り聴いているのはそんなことがあるからだ。早い話、どうでもいい。(ちょっと言い過ぎかもしれんが)
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この期に及んでまたインバルを理解したのかなと我ながら思ってしまった。
インテンポという言葉はちょっと舌足らずで、微妙に動く律動は意識されたインテンポによって確実にコントロールされている。それがインバルの棒だ。
大きく動かさず、緩めず、確実なテンポで、マーラーのカオスに突き進む、正面突破攻撃、分散したアンサンブルがそれぞれの束で強弱濃淡のパレットになって迫る。音色の分解リズムの進行が程よくバランスしている。その思いをいかに100%に近く表現できる演奏団体がいるかどうかがポイントになる。フランクフルトはクリアで独特の音色と高性能スキルで表現できていた。そのあとのN響との一連のマーラーはちょっと正三角形過ぎた。都響は高性能でデジタル録音向きのサウンドになった分、インバルの解釈との相性はいいと思う。オーケストラ自身の解像度の高さがあるため、それ以外のことに集中すればいいのだ。意識してコントロールされたマーラーの演奏は簡単ではないかもしれない。それができるのがこの指揮者としての才覚の所以という話だろう。アメリカでは名前がほとんど出てこない指揮者だが、いたるところにある高性能オケを目の前にしてインバルの思うような演奏解釈がより可能になると思うのだが。時すでに遅しということか。
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ということで、第1楽章展開部のあたり弦がモヤモヤと曖昧模糊となりわけのわからない鳴りになってしまう演奏も多いが、この日のインバル&都響はマーラーが作り上げたカオスを見事な縁取りで明確なフレームを構築しながら正面突破。ここの分解度の高さはそれこそ100%に近いものであったと思う。この第1楽章が頂点でした。
全4楽章の速度バランスが奇をてらうところがまるで無く、バランスの良い演奏となりました。最後のコーダは気持ちを込めるあまりそこだけで第5楽章を成すといった演奏もあるなか、インバルは冷静沈着に比較的あっさりとよどみなくジ・エンド。見事な平衡感覚の演奏でした。もし足りないものを一つ探すとすれば、それは有機的なつながりの強調ということになるかと思います。
おわり