2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2014年5月28日(水)7:00pm サントリー
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シューベルト 交響曲第5番7′11′5′6′
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マーラー 交響曲第4番 17′10′22′9′
ソプラノ、ローザ・フェオラ
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広上淳一 指揮 NHK交響楽団
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前半のシューベルトから棒ウォッチング。ウォッチング位置は定席2階席から背中を見る形になります。
とにかく棒のさばきがよく変わる。4拍子になったり2拍子になったり1拍子になったり、壁を塗るようなジェスチャーだったりと。
指揮者ですからよく見ると一つ先を行っているわけですが、猫の目のようにこれだけ棒捌きが変化していくと、曲想を出そうとしているのではなく、曲想に合わせているように見えてくる。曲想に合わせて踊っているような錯覚に陥る。とにかく不自然極まりない。なぜこのような棒捌きなのかはわかりませんが、出てくる音楽は例えば静かな第2楽章は接木状態のようになる、練習してあわせているので相応な音楽が奏でられますが、余計なことをしないで普通に振ればもっとシームレスでしなやかな演奏となっていると思います。昔はこんなに極端ではなかったと思うのです。
妙なアクション棒にクギ付けなのか、周りからは含み笑いが漏れてくる、空気は冷たい。散発的な拍手で、しらけ気味な感じさえありました。プレイヤーも同じことを思っているのではないかとさえ見える。以前はオーラを感じたようなこともありましたけれど、いまはどうかな。
席の位置とか周りの聴衆層といったあたりで雰囲気が違うのかもしれません、それと自分の持っている彼に対するマイナスのイメージですね。アクションをウォッチングしただけの話としてもマイナス的な発言になっているところもあるかもしれませんし。ただ、なんでもかんでも、今日の演奏は今まで聴いたことが無いような素晴らしい演奏だった」的なのもどうかと思います。ブログの副タイトルにありますように、極度の美化は滅亡を招く。自覚症状のない視野狭窄化は喜びの芸術の少人数化による排除と先鋭を招き、気が付いたときには滅亡している。もちろん聴衆の表面反応に耳目を凝らしているだけの芸術家がいるとすればという話ではありますが。いずれにしても方向感が限界に近づいているような気がします、行き詰まり感です、なにをしたいのかわからない、残念ながら。
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後半のマーラー、昨今流行りの細部耽溺型の宇宙遊泳でもしているかのような演奏にならないのはこの指揮者の見識だと思います。以前聴いた上岡の4番は何をしているのかわからないものでしたが、広上のコントロールは作為的ではなく、だけど意識されたものでマーラーを変態音楽にしていない。カンブルランの4番とも方向感は異なるが志としては似ているかもしれない。大きな腕の振りでインテンポを比較的通す。耽溺ズブズブ型とは明らかに異なる、正しいマーラーとさえ言いたくなる。あまりウェットにならずややドライな美しい響きが醸し出された。今の広岡の棒ならシューベルトより、もともと曲想が変化に富んでいてかつその細やかな指示までスコアに書かれているマーラーのほうが、正統性があるというかアリバイにはなる。
若いソプラノのフェォラは、これからさらに濃い表情づけになっていく歌い手のように見えました。
おわり
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2013-2014シーズン
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2014年5月27日(火)7:00pm サントリー
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メンデルスゾーン ピアノ協奏曲第1番7′5′7′
ピアノ、サリーム・アブード・アシュカール
(encore)シューマン トロイメライ3′
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コルンゴルト 交響曲14′10′15′10′
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マルク・アルブレヒト 指揮
東京都交響楽団
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コルンゴルトのシンフォニーを聴くのは初めてかもしれない。指揮者もピアニストも初めてかもしれない。
この交響曲、形式的には判で押したようなソナタ形式でした。第1楽章の展開部は絡み合いではなく1,2主題の羅列で限界ありと感じる。また第2主題はバランス足りない。再現部の第2主題のあと短めのコーダ(と思われる)によりピアニシモエンド。第2楽章にスケルツォ、トリオを持ってきている。これも判で押したような小型ブルックナー的様式そのまま、最後はベートーヴェンの第7交響曲のスケルツォ楽章のように終わる。ホルンに導かれ全奏エンド。そっくりです。
あとのアダージョ楽章、終楽章も同様の形式音楽。
形をつかんでしまえば、理解は楽で50分の曲もすぐに終わりをむかえるのだが、終楽章のバランスが少し弱いと感じた。構造的にもう少し展開させてもいいのではないか。ブルックナーの7番的な弱さを持っていると思いました。
この時代の音楽においても形式が理解を助けるだけなら、ほかの魅力はなんだろうと言う話で、調性のタガが取れたような音楽の魅力と言えば、音響。サウンドの響き。
今は昔、今となってみればその昔の初耳には新鮮な響きであったと思う。その後、音楽が多様化しバリエーションも複雑化してくる中、当初の魅力は薄れていくもの。歴史を越える普遍的なものが存在していたのか?忘れ去られて、ある時時代の流れの空白スポットを再度埋めることはあるかもしれない、一時的にでも。
かたや、高性能オケだから最後まで聴かせてくれたというところもあるかと思いました。
指揮者の動きは目障りではなく道理をわきまえたものであったと思います。
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前半のピアノ協奏曲、メンデルスゾーン独特の刻みを、音を横に流しながら、やつしていく。オーケストラ伴奏パートが埃っぽい音楽なので、ほぼ、かみ合わない。この曲のピアノは非常に難しいと思います。オケ伴と同じように埃っぽくやるほうが一つの方針としてはあるかもしれません。いずれにしましても、しまりっけのない、あまりいい曲ではないな。
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この日はカメラが入っていて、マイクも結構目立っていたので収録があったのでしょう。ライブ収録CD販売はあまり欲しいとは思わないが、このような曲ではいたしかたありませんね。セッション録音で縦の線を揃えなおし、カドを滑らかにし、全体的にウォーミーなサウンドにお化粧すればいいかもしれませんけど。それにしてもこのオケに、ミルキーと言った単語は当てはまらないな。たしかな硬質さで。
おわり
2013-2014シーズン観たオペラ聴いたコンサートはこちらから
2013-2014シーズン
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ジルベール・デフロ、プレゼンツ
マスカーニ作曲
レオンカヴァッロ作曲
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美術・衣装、ウィリアム・オルランディ
照明、ロベルト・ヴェントゥーリ
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ニュー・プロダクション
カヴァレリア・ルスティカーナ
パリアッチ
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2014年5月24日(土)2:00-5:00pm 新国立劇場、初台
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マスカーニ カヴァレリア・ルスティカーナ
シーン:53′ 間奏:5′ シーン:15′
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キャスト(in order of appearance)
サントゥッツァ、ルクレシア・ガルシア
トゥリッドゥ、ヴァルテル・フラッカーロ
ルチア、森山京子
アルフィオ、成田博之
ローラ、谷口睦美
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Intermission 25′
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レオンカヴァッロ パリアッチ
前口上7′ シーン42′ 間奏4′ シーン21′
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キャスト(in order of appearance)
トニオ(タッデオ)、ヴィットリオ・ヴィテッリ
カニオ(パリアッチョ)、グスターヴォ・ポルタ
ネッダ(コロンビーナ)、ラケーレ・スターニシ
ペッペ(アルレッキーノ)、吉田浩之
シルヴィオ、与那城敬
村人、岩本識 塩入功司
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以上
レナート・パルンボ 指揮
東京フィルハーモニー交響楽団
新国立劇場合唱団
TOKYO FM少年合唱団
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初日2014.5.14に続き2回目の観劇です。
初日の公演は、ここ
やっぱりヴェリズモはリアリスティックで生々しい。
パルンボの指揮がいいと思います。
前半のカヴァレリアと後半のパリアッチをきっちり振り分けていますね。
情緒的でウェットな表現のカヴァレリア、ドラマチックでドライ系なパリアッチ。表現の対比の妙が光ります。また舞台美術も同じ感覚の動きや色彩感。ストーリーにマッチした納得の表現は高く評価するべきものと思う。(評論家ではないが)
これらオペラ独特の組み合わせの妙をうまく表現できていたと思います。リアリスティックでありながら、さざ波のような静かな感動が押し寄せてきました。前後半別々のキャストですので、歌い手たちも普段の半分だけ歌えばよく、思いっきり歌えて演技も全開で体当たり。テンションあげたまま突き進める程度のデューレーションです。
美術も含めるとパリアッチかなとも思いますが、個人的にはカヴァレリアのウェットなしとしと感が気に入りました。初めの合唱はこれ以上ないぐらいスローなもので、そのようにしてまで表現したかったものはなにか、という話ですね。インストゥルメントと同じようにスローな中に緊張感が保持され総じてしなやかな表現となっておりました。ソロパートの楽器はもっとビブラートをかけて美しさの極みを表現してほしかったというのはあります、あまりの美しさはこれらストーリーのように破滅に向かうから抑制したのではなく、ここは表現能力を持っているかどうかということでしょう、オーケストラが技術的伝統的なものをどのように保持熟成してきているか。そこらあたりが本場ものとの違いと言えば言えるかもしれない。パルンボもそれはわかっているからそこまで要求はしない。聴いているほうとしては概ね満足ではありましたが。
トリッドゥとアルフィオ、自分のイメージではアルフィオのほうが決闘うんぬんは別にしても、力強さが上という印象があったのですが、このキャストの公演では、見た目、アルフィオのほうが少しよわよわしい。歌う困難さとキャスト配置の一致はなかなか簡単にはいかないとは思いますが。
愛と憎しみはおもてとうら、しとやかさのなかに秘められた残酷な美しさをこの指揮者は表現したかったと思います。
トリッドゥのフラッカーロは最初のアリアであぶない個所ありましたが、うまく持ちこたえてあとは思いっきり。それからサントゥッツァのガルシアは若い馬力で、なによりも気持ちがこもっている。劇ストーリーへの理解があり、聴いているほうにも説得力ありました。
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後半のパリアッチは粒ぞろいでバランスがとれており、なによりも役どころがきっちり見える。モヤモヤ感がない。それは劇中劇のシーンでも同じ。クリアなキャスティングは観るほうとしてはありがたいですね。
カニオのポルタはちょっといいのかそうでないのか部分的にわからないところがありますが、前回の初日公演よりは深みに達していた。全力投球の歌です。
ヴィテッリのトニオ、冒頭の前口上はものすごく安定感がある。最初と最後を締めるトニオ、適役です。
ツン系ネッダは地で行くような雰囲気。これも役どころがきまっている。かなりキンキン言いますが違和感ありません。男に嫉妬を抱かせる女の典型ですか、ね。
パルンボはカヴァレリアとうって変わって、迫力あるサウンド、ドラマチックで、メリハリよくバンバン鳴らす。明確に違う表現。それに、クリアで見ようによっては少しどぎつい美術が印象的。原色モードのドライな色彩と激しい演奏がマッチしている。これも残酷なエンディングをむかえるわけですが、カヴァレリアでは殺し合いの場面は見えない、パリアッチでは舞台中央で敢行しますね。この違いです。
おわり
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2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラの合間に新聞記事からの拙訳です。
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オリジナル記事はこちら
自力訳をするひとはこちらからコピーを
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ポイントとしては、
・結構な数の引退、退職者。
・予算。
・これからオケをどうやって変えていくか。
・ホールの改修。
といったあたりのことです。
以下、拙訳です。
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NYT2014年5月15日
雇用問題に直面している大オーケストラ、ニューヨーク・フィル
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フィルハーモニックの変容。団員のことからミッションのことまで
2014年5月14日マイケル・クーパー 記
最近のニューヨーク・フィルは第2次世界大戦来行ってきている、演奏者、首席奏者やセクション・リーダーの入替といったことよりも、引退や予期せぬ退職での椅子取りゲームをしている。
ニューヨーク・フィルは5人の新たな首席のオーディション、雇用、突発事項への対応を始めたところです。この5人の中には30年以上に渡りオーケストラのサウンドに磨きをかけてきたグレン・ディクテロウ引退に伴う替りのコンマスも含まれます。
お隣のメトからコントラバスのティモシー・コッブ、クラリネットのアンソニー・マックギルの二人の首席を奪い取ってニューヨーク・フィルに入れることから始めるでよ、と音楽監督のアラン・ギルバートは最近のインタビューで答えた。
マックギルはオバマ大統領の就任式で演奏した昇り竜で、国内いたるところのコンサート・ホールでソリストとして活躍。今年の秋からニューヨーク・フィル初のアフリカン・アメリカンの首席奏者になる予定。
アメリカで最古のオーケストラであるニューヨーク・フィル、ここの奏者入替の登録リストは、おそらく現在進行中の変容のなかでは一番可視的でわかりやすいものだ。
今日、定期コンサートの予約チケットの売れゆきが芳しくない中、一つのコンサートでどうやってホールを満員にしようかといろいろ考えている。上海とカリフォルニアで教育的な役割のパートナーシップ拡充、今月末には2年に1度、新たなクラシック音楽をギルバートのもと紹介していく、今年はその初年。そして静かに進行中なのがリンカン・センターにあるエイヴリー・フィッシャー・ホールの遅れに遅れている改修のこと。
今、アメリカ国中のオーケストラが金銭面と文化面で運営がうまくいくような取り組みをしている。ロサンジェルス・フィルは魅力的な若い音楽監督グスターヴォ・ドゥダメルと新たなコンサート・ホールで成功をおさめている。クリーヴランド管弦楽団はマイアミ、ウィーン、ニューヨーク、スイスでレジデンスのシリーズ(K注:居座りじっくり型コンサートですね)をスタートさせた。デトロイト交響楽団はウェブで無料のライブコンサートを流すという大きな計画に乗り出した。シカゴ交響楽団はリッカルド・ムーティ大御所のもとでうまくいっている。一方でフィラデルフィア管弦楽団は2011年の自己破産のあと、財務健全化をめざし、精力的な若い指揮者ヤニック・ネゼ・セガンをかついだ。今年、音楽業界の目はミネソタ管弦楽団に注がれた、今、16か月におよぶロックアウトを経て再生中だ。
ニューヨーク・フィルは、両親がこのオーケストラの団員だったアラン・ギルバート47歳、ネイティヴ・ニューヨーカーが変わりつつある周りの環境を乗り切ろうとしている。エイヴリー・フィッシャー・ホールにある彼のステューディオでインタビューに答えた。「雇用は私の最大の責任事項です、伝統を維持しながらも、アンサンブルを活力あるものにするプレイヤーを探し続けているのですよ。」また、数十年遡るディミトリ・ミトロプーロスやレナード・バーンスタインの時代、彼ら音楽監督がこのオーケストラをリードしてきて以来、オーケストラはマーラー演奏の影響を受け続けていることについても話した。
ギルバートは続ける、「その時代にそこにいたプレイヤーは今はほとんどおりませんぜ。でも、それは昔からある禅問答みたいなもんかもね。ナイフを持つなら、刃を壊して刃を取り換えよ、そして柄を壊して柄を取り換えよ、それは同じナイフと言えるのか?、たとえ全てが新しくなったとしてもナイフというものの特性が変わらずにそこにあるのだよ、それはまさしくオーケストラと同じなのさ。」
ギルバートは、改修されるであろうコンサート・ホールがどのようになるのかヒントをくれた。ロサンジェルスのウォルト・ディズニー・コンサート・ホールやベルリンのフィルハーモニーのようにオーケストラを聴衆が取り囲むようなデザインは好きではない。昔からあるシューボックス型のほうがいい。そのほうが音響的な利点があり、我々のオーケストラにとって、映画、プロジェクション、舞台芸術、パペット、踊りなどを含めてマルチメディア・イヴェントを提供できるようにもなるし。
新たなホールは現在の2700席よりもくつろげるようにするべきとギルバートは言っている。「私がもっとも失いたくないものは、聴衆との真のつながりの感覚なのです。かなり遠いイースト・サイドにいるほうが心地よいと感じる席があるんだよね。(K注:エイヴリー・フィッシャー・ホールはウェスト側にあります、でも何を言いたいのかよくわからない)」
改修の話が10年以上だらだら続いているが、最近ではホールを良くしようよという努力もほとんどない。音楽的にホールの音響にずっと不満がある一方で、もっと差し迫った問題というのが妖しげな赤字なのかもしれない。茶色のカーペットと四角っぽい見た目は音楽の殿堂というより学校のばかでかい講堂のように感じる時もある、このホールが徹底的に改修されれば、1回券のチケットで来るような聴衆にも心地よく、オーケストラの財政にとっても良いこと。聴衆はちょっとだけ増えましたが、昨シーズンの定期会員は40パーセントぐらいで、一昔前の57パーセントから大幅ダウン。
ただ、リンカンセンターで計画されている改修はオーケストラにとってどのくらいお金のかかるものなのかそれが深刻な問題。ニューヨーク・フィルはここ10年は毎年赤字で、先シーズンは最大の赤字。7千100万ドルの予算に対して610万ドルの赤字。昨年末時点での寄付は1億8700万ドル相当(K注:それにしてもデカイ、要確認か)。いまだ景気後退前の姿に戻っているわけではない、また、長年支えてきた努力というものが、改修のための一時的な援助募金のために終わりになってしまいかねない。
それから、改修の期間、オーケストラはどうやって過ごすのかという問題、ニューヨーク市のどこかほかのところで演奏会をやるのかとか、この1回の改修期間、ギルバートは継続的に舵取りとして残るのかどうか、といったあたり。正式には改修がいつから始まるか言ってませんし。また、ギルバートは現在、音楽監督5シーズン目で、契約は2016-2017シーズンまである。「もし、この改修が私のいる間に行われるのであれば、それは大変に誇らしいことだよな。」
エグゼクティヴ・ディレクターのマシュー・ヴァンビザンは、新しいホールが新たな世紀に相応しく、再び興隆するようなものであれば「大いに重要」であるといっている。
それから他の企画として、アンサンブルのメンバーが9月に上海に飛んで、上海オーケストラ・アカデミーで第1級クラスで教える予定、これは上海音楽学院と上海交響楽団との4年におよぶ共同教育の一環。まず来年、ニューヨーク・フィルは8日間にわたるコンサートと教育を上海で行う予定。
それから先月、カリフォルニアのサンタ・バーバラにある西地区音楽学校との協力関係を発表した。そこで教育と演奏の両方を行う。「変化のときです、しかしリニューアルのときです。」とヴァンビザン。
短期間ながら、ホールの問題に加えて最も緊急な課題はオーケストラを再構築することなのです。次のシーズンまでに、ギルバート氏は106人のメンバーに17個のアポを取る予定。
今年オーケストラを去るメンバーのほとんどが何十年も務め上げた後の引退によるものです。ディクテロウは34年間務め上げました。首席トランペットのフィリップ・スミスは36年、第2ヴァイオリンのマーク・ギンズバーグは44年間です。
でも、ビックリするような退職が2,3ありました。
昨年、シカゴ響から呼んだクラリネットの新首席スティーヴン・ウィリアムソンは、シカゴに戻るよ~ん、だって。これはここのところのニューヨーク・フィルにとって、このポスト絡みで2回目のペケだったのです、長年クラリネットの首席を務め上げたスタンリー・ドラッカーが2009年に引退、フィラデルフィア管弦楽団からプレイヤーを雇ったのですが、家庭の問題で契約違反でいなくなった後だったのね。
ベルリン・フィルとミネソタ管でつましく暮らしていて2012年にニューヨーク・フィルの首席となったFora Baltacigilも、コントラバス・セクションにすき間を露呈させながら、この冬去った。最近になって、Baltacigilはこんなイーメールを送ってきた。自分が以前いたオーケストラで見つけた「ハーモニーとピース」をニューヨーク・フィルで見つけることが出来なかったので吾は去ったのよ、だと。
このような退職についてギルバートは「や、や、うまくいかなかったなや」と。さらに付け加えてメトから採用者に関しては、より満足の出来るものではなかったんだが、と。
そのメトからのコッブは今月コントラバスの首席になる、マックギルのほうは新たなレパートリーを演奏できる機会ができて興奮しているとインタビューに答えていた。彼らは最初の年はメトから「休暇扱い」みなし処理ですね、オーケストラにおける採用の常識的な話ではあるのですが。
最も重要な事項は新たなコンサートマスター選びです。コンマスはオーケストラの音を作り上げ、キーとなるヴァイオリン・ソロを演奏し、指揮者の意図を奏者たちに伝える役割を持つ。ミネソタ管弦楽団のエリン・キーフは今シーズン、2週間のトライアルをしました。ギルバートが言うに、彼女は「アブソリュートリー・グレイト」だった、でも、首席ということに関して、もっと多くの奏者のトライアウトが済むまで誰ともアポはとりたくないと。ニューヨーク・フィルにとってふさわしい奏者を見分けることを楽しんでいると。オーディションからオーケストラメンバーで構成される委員会との議論まで、楽しんでいると。
「まぁ、その基準となるものは明白なのね、」「メイビーというのはノーということさ。」
おわり
2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2014年5月18日(日)3:00pm オーチャードホール
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シューベルト 交響曲第3番
ロッシーニ(シャリーノ編) ジャンヌ・ダルク 日本初演
メッゾ、テレーザ・イエルヴォリーノ
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マリピエロ 交響曲第2番 悲歌
ロッシーニ ウィリアム・テル、
パ・ド・シス、兵士の踊り
ロッシーニ セミラーミデ序曲
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アルベルト・ゼッダ 指揮
東京フィルハーモニー交響楽団
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前々日と同じ内容の演奏会です。場所が異なります。サントリーからオーチャードへ。
そのせいなのかどうかまるでわからないのですが、マリピエロの交響曲第2番、大納得の演奏で素晴らしい曲だということをあらためて認識しました。
オーチャードは舞台の天井が高くそれが響きにどう影響しているのか知る由もありませんが、例えば第2,3楽章のコントラバスのホールをゆらゆら揺らがすようなあまりに魅力的な響き。このような魅惑的な曲でしたのね。
全4楽章に渡りペイヴメントのようにびっしりと敷き詰められた弦、雨の石畳のような艶。全く素晴らしいとしか言いようがない!
悲歌という副題は無用で、かえって妙なイメージが膨らんでしまう。純音楽的な響きの饗宴を楽しめればいいと思いました。実に素晴らしい。
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イエルヴォリーノさんのメゾによるジャンヌ・ダルクもよく声が通り、この曲の良さを認識、佳作です。彼女も満足した2日間だったのではないでしょうか。自国でゼッダの指揮で歌えるチャンスがあるとは限らないし、いい経験。いい内容。
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セミラーミデはロッシーニのクレシェンドが出てきました。弾むリズム、前進するホップ・ステップ・ジャンプ、なによりも息の長いフレーズでの見事なクレシェンド、これらこそがゼッダの元気、活力のもと。
いい演奏会でした。ありがとうございます。
おわり
2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2014年5月17日(土)3:00pm NHKホール
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クリストバル・アルフテル
第1旋法によるティエントと皇帝の戦い(1986) 11′
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ラロ チェロ協奏曲 14′6′8′
チェロ、ヨハネス・モーザー
(encore)
バッハ 無伴奏チェロ組曲第1番、サラバンド4′
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ファリャ 三角帽子38′
メゾ、林美智子
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ヘスス・ロペス・コボス 指揮
NHK交響楽団
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コボスは今回N響初登場ということのようですが、これまでの百戦錬磨のことを知っていればこのオケも、もう、問題なくついていくしかないのだろうとは思う。ベルリンのドイツ・オペラは言わずもがなだが、個人的にはシンシナティ響での活躍が印象的。定期をかなりこなしているはずだし、テラークのCDも最高。
コボスは自国の作曲家の音楽であってもズブズブにならない、決して駆り立てない、表面的な熱狂もない。極めて冷静な指揮者ですね。一見すると淡白に見えるところもありますが、音楽がきっちり作られているところを見るとオーケストラへの説得力も並ではないのでしょう。
プログラム最後のファリャなど、ともすると駆り立て続けるのが正解みたいな演奏が多いと思いますが、コボスの演奏というのはバランスが良く取れており乱れない。なんだか、インテンポの行進みたいなところがある。このペース、いつかは答えが出るのさ、と踏んでいるようなおもむきで。過度な盛り上がりを排したいい演奏でした。また、ファリャの色彩感覚のようなものを無理に押しつけていないようにも感じられました。極めてオーソドックスな演奏です。譜面はありませんでした。
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前半のアルフテル、1970年代の表記はハルフテルでした。当時ネオクラシックっぽい曲だなと何曲か聴いていた記憶がありますね。
この日の曲も素晴らしく効果満点な曲で聴衆にタイトルごと、うったえてくるものがありました。長さもちょうどいい。
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ラロというと自分がイメージする色は乾いたグレーでちょっと艶もある。そんな感じなのですが、このチェロ協奏曲もシックで味わいのある響き、いい曲ですね。モーザーのチェロは湿っぽいところが無く、かと言ってドライというわけでもない。グレーな灰に水がかかり始めた瞬間の水玉状態のような感じ。水滴が破ける前のあの形ね、散らばってしまうと元に戻らない、元に戻らないことを十分わかっていて、そうはならない。ドライなものの上にウェットなものが割れずに置かれている。
このホールはこのような曲にはふさわしくないホールですが、モーザーは相応の大きな響きで納得させてくれました。
アンコールのサラバンドではさらに静寂の世界へ、お見事だと思いました。
いい演奏会でした、ありがとうございました。
おわり
2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2014年5月16日(金)7:00pm サントリー
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シューベルト 交響曲第3番 9′4′3′6′
ロッシーニ(シャリーノ編) ジャンヌ・ダルク 15′日本初演
メッゾ、テレーザ・イエルヴォリーノ
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マリピエロ 交響曲第2番 悲歌 7′5′3′9′
ロッシーニ ウィリアム・テル、
パ・ド・シス5′、兵士の踊り5′
ロッシーニ セミラーミデ序曲12′
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アルベルト・ゼッダ 指揮
東京フィルハーモニー交響楽団
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この指揮者はお初で観るような気もしますが、ロッシーニ専門家ということで日本に以前から来ているようですので、もしかしてオペラ棒を聴いたことがあるかもしれません。
まず、このユニークなプログラムに惹かれて聴きに来たわけですけれど、結果的には、
ゼッダの手にかかるとシューベルトもロッシーニになる。そんなところですね。シューベルトの3番はシューベルトらしくないというか、イタリア風味があるのか、冒頭に置いて、見た目違和感あり、結果的には納得。
ロッシーニのジャンヌ・ダルク、曲が日本初演なのか、それともシャリーノの管弦楽編曲版が日本初演なのか不明確。カンタータのジャンルのようで、オペラセリア風に流れていきますが結構重苦しい。題材的に当然と言えば当然ながら、リブレットを読むと割と勇ましい部分のあたりで、シャリーノの編曲がどうなのかといったところもありますが、そんなこと言ったって原曲を聴いたことが無いので、突っ込めない。
25歳メゾのテレーザさんは気持ちがこもって内容に共感していて、ドラマチックに歌い上げた。安定感あります。聴衆の熱い反応にびっくりしたところがあり、ゼッダにうながされてLA,RA,P席のほうにもご挨拶。知られていない曲、ご自身で納得の手ごたえのあった歌に聴衆が喝采。うれしい驚きだったのだと思う。
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後半のマリピエロ、これも初めて聴く。ゼッダの語っているところでは全くのイタリアものなわけですが、それは後で知ったことで、真っ白な自分のパレットに描かれたのはむしろ、アメリカンコンポーザー、それもアイヴスあたり、そのような響きが充満しているように聴こえた。ただ、真似のようには聴こえない。影響を受けたのか、結果的に似ているだけなのか、気のせいなのか、わかりませんが、いずれにしても佳作だと思います。
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最後のセミラーミデ序曲はこんなに規模のデカイ曲だったのかと再認識。また響きがこれまでなじんできた演奏と随分とバランスが異なるところがあった。新鮮な驚きでした。ロッシーニ・クレシェンドが波打つにはもう一息だと思いましたけれど、86歳のゼッダがアクション大きく振るロッシーニは、この音楽こそが彼の活力の源泉なのだということがよくわかりました。
おわり
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2013-2014シーズン観たオペラ聴いたコンサートはこちらから
2013-2014シーズン
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ジルベール・デフロ、プレゼンツ
マスカーニ作曲
レオンカヴァッロ作曲
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美術・衣装、ウィリアム・オルランディ
照明、ロベルト・ヴェントゥーリ
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ニュー・プロダクション、プレミエ・ナイト
カヴァレリア・ルスティカーナ
パリアッチ
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2014年5月14日(水)7:00-10:00pm 新国立劇場、初台
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マスカーニ カヴァレリア・ルスティカーナ
シーン:53′ 間奏:5′ シーン:15′
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キャスト(in order of appearance)
サントゥッツァ、ルクレシア・ガルシア
トゥリッドゥ、ヴァルテル・フラッカーロ
ルチア、森山京子
アルフィオ、成田博之
ローラ、谷口睦美
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Intermission 25′
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レオンカヴァッロ パリアッチ
前口上7′ シーン42′ 間奏3′ シーン20′
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キャスト(in order of appearance)
トニオ(タッデオ)、ヴィットリオ・ヴィテッリ
カニオ(パリアッチョ)、グスターヴォ・ポルタ
ネッダ(コロンビーナ)、ラケーレ・スターニシ
ペッペ(アルレッキーノ)、吉田浩之
シルヴィオ、与那城敬
村人、岩本識 塩入功司
TOKYO FM少年合唱団
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以上
レナート・パルンボ 指揮
東京フィルハーモニー交響楽団
新国立劇場合唱団
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ヴェリズモ2本立て、久しぶりに観ましたので、ニュープロダクションと言われても言われなくてもあんまり関係ない。
両方の舞台はセッティングが同じ。パリアッチ(Pag)では、カヴァレリア・ルスティカーナ(Cav)の廃墟のコロシアム風な広場前に旅の一座の大きな馬車か車両のような木車が右左に1台ずつある。劇中劇が始まるときは消え、代わりに劇中舞台の上にネオン風なイルミネーション。いかにも出し物を始める雰囲気。
全般的に演出よりも美術、照明の妙が際立ったもの。
Cavでは大きなキリスト像、そして舞台を覆う均質な薄暗さ、間奏前の情景の動きや小道具は、そういうストーリーではあるのですが、宗教色がかなり濃い。Pagでは一日の時間推移が良くわかるもので、また劇中劇では衣装やイルミネーションそして個別の配役に当てたスポットライト的な照明が絶妙。鮮やかな色彩の舞台でした。ともするとケバクなったりするものですが、全くチープさを感じさせない引き込まれる美術と照明だったと思います。
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Cavの印象としては、なんだかとにかく演奏がスロー。こんなにゆっくりしたものだっけ。合計のデューレーションとしてはそんなに時間のかかるものではなかったと思いますが、最初の合唱のスローさはリズムを排しオルガン風なハーモニーでゆっくりと。これ以上遅くすると息が続くのかしら、隙間風のほうが問題になるのではないかというぐらい際どかったと思います。このような雰囲気が全情景に漂っていて、アルフィオの登場などと言っても角の取れた軟らかいもの。全てが情緒的なおもむきで最初から悲劇的な要素が濃く出ている。
それから、オーケストラに対しては思いの外、弱音重視になるところがあり、そういったあたりは結構デリカシーに富む。
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ソリストたちにはどうなのかな、息が切れない程度に思いっきり歌えるような感じかな。最初のトゥリッドゥの歌は舞台奥から、正面手前、聴衆から見て後ろ向きのサントゥッツァに向かって投げかけるもので、既に全力投球。余計な評論は野暮です。
サントゥッツァのルクレシア・ガルシアは写真で見るよりかなり若い。耐久力ありそうです。少しドライな声質で思いっきり押して歌う。タイトルロール的な体当たりの出来る歌唱も大丈夫そう。アラファオは印象がちょっと薄くなってしまいました。
おしなべてデコボコのないバランスのとれた布陣でよかったと思います。
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パルンボという指揮者はこの新国立で何度か振っているようですので、もしかすればこれまで聴いたことがあるかもしれませんが、積極的に確認したことはなかった。
このCavは最初からぐっと抑えた演奏で、最後の劇的な幕切れまでよく緊張が持続したと思います。部分的にこれ以上のスローなテンポになると別ワールドに入っていくような気がするところがあり、少し異なる角度からこのオペラに光を当てた演奏と感じました。終わりにたどり着くまであっという間だったような時間がかかったような、いろいろと思わせてくれる演奏でしたね。
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後半のPag、
オーケストラがCavよりかなり派手に鳴る。ストーリーが明瞭で、役どころのキャラクターも明確。歌い手たちも自分の持ち分を思いっきり歌っている。ドラマチックで聴かせどころ満載。
前口上自体が思わせぶりなオペラですけれど、トニオのヴィットリオ・ヴィテッリはあまりくどくなく、やにっこさもなく気張らずに道化師の悲哀を歌う。この冒頭、肩の力が抜けていて安定したいい歌唱でしたね。
幕が開きその後の「美術、照明」の鮮やかさが印象的な舞台で、トニオ、カニオの衣装はフィットしている。カニオ座長のグスターヴォ・ポルタはちょっとのっぺりとなる部分があり、うまいのかちょっと違うのかわからなくなるところがありましたけれど、ご本人は自信満々で確信的に歌っているので、どうのこうの言えなくなってしまう。
カニオ、トニオ、この二人よりクリアな歌いだったのがネッダのラケーレ・スターニシ、情景によってはネッダ中心に歌っているようなところもあり、結構な頑張りでした。このお三方、これ以上むきになって頑張ると舞台がどろどろになってしまうかもしれない。ちょっと華奢で品のあるシルヴィオ役の与那城敬がうまく食い止めていたとみるか皮相的とみるか分かれるところではある。
劇中劇の始まりにトランペットと太鼓が舞台の上でファンファーレする。つまり二人だけ、劇は4人、観客となる合唱団あわせ、この物語に本当にジャストフィットな規模だったと思います。小さい規模のほうが効果的な演出、正解。
明るい劇中劇と暗いコロシアム、合わせた衣装、スポットライトを適切に動かす照明。
ダイナミックがものすごいオーケストラの演奏、ドラマチックの二重構造は劇中劇という輪だけではなく、心理の構造までよく表現出来ていて秀逸。
それにしてもペッペ、誘うほうも誘うほうだが、それに乗って居酒屋に行ってしまうカニオ座長、酒が事の起こりか。旅の一座、まだ劇の前だというのにね。
通奏低音的に、もてすぎな女はどうかという問題点も内在しているわけですが、それは酒によって顕在化してしまった、という、酒は災いのもと。おいしくもあり苦しくもある。
充実した一夜でした、ありがとうございます。
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追:
イタオペ定番の割り込み拍手、これ自体気になるものではなく積極参加するのですけれど、この日は微妙にフライング気味の知ったかぶり拍手が気になりました。誘発されたかのように周りも違和感のある拍手、バラバラです。盛り上がりがずれるような拍手。
みんな舞台に熱中していて拍手どころではない感じで、様子をさぐっているようなところがあるなか、二三人ほどだと思いますが、知ったかぶり拍手が場と聴衆の心理状態を壊しにかかっていたようで残念でした。
無理に真っ先になってフライングする必要はありません。知ったかぶりが曲を知っている以上に世間を一番知らないのですよ。やめましょうね。
おわり
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2013-2014シーズン
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2014年5月12日(月)7:00pm 東京文化会館
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ラヴェル 道化師の朝の歌 8′
ラヴェル クープランの墓 3′6′4′4′
トゥリーナ セビーリャ交響曲 8′7′7′
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レスピーギ ローマの祭 25′
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ユージン・ツィガーン 指揮
東京都交響楽団
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お初で観る指揮者です。
若くてフレッシュ。2日前のデスピノーサを見たあとからか、棒が板についていて、いい捌き具合、それだけでもう、なみなみとした安心感。
見た目、軽く振っている感じは、例えばドゥダメルとかソヒエフのような趣きがあります。ポイントを外すことはありませんが、こうゆう振りの若い指揮者たちもいいですね、若い時のアバドとかジュリーニなんかの映像と比べると、真逆。
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プログラムは明白なものですけれど、セビーリャ交響曲というのは初めて聴いた。独特な色彩感がありますね。ラヴェルのような乾いた響きとは少し異なる。ただ、曲でドラマを作ろうとする意識が強すぎるわりには答えを性急に求めるといったところもあるかと思いました。あまり劇的にならないほうがいい曲ではないのかな。額の中に風景があるといった具合もいいもんですよ。
ラヴェル、トゥリーナともにクリアで明快、ツィガーンのフレッシュ・シャキシャキ・サラダ棒、オーケストラの透明感が曲に相応しく、上野のやや硬めのホールトーンとともに分解された響きが美しい。
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プログラム配置は頭でっかちでアンバランス、後半はローマの祭り、だけ。もう少し配慮が欲しい。もう一曲ぐらい楽しみたいな。
ツィガーンはイケメン・ハーフ、でもやっぱりやるんですね。振り向きフィニッシュ・イケメンさらし。
おわり
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2013-2014シーズン
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2014年5月10日(土)6:00pm NHKホール
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フランク 交響曲ニ短調18′11′10′
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(ワーグナー選集)
さまよえるオランダ人、モノローグ「期限は過ぎた」11′
バリトン、マティアス・ゲルネ
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トリスタンとイゾルデ、前奏曲9′
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ワルキューレ、ヴォータンの別れと魔の炎の音楽17′
バリトン、マティアス・ゲルネ
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神々の黄昏、ジークフリートの葬送行進曲7′
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ガエタノ・デスピノーサ指揮
NHK交響楽団
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この日のメインは、聴きに行く前から後半ワーグナープロ、ゲルネの歌う2曲のみ。結果も同じ。
この指揮者はお初でお目にかかりますが、指揮者経験が浅いからかどうか、危なっかしいというか、棒が板についていないというか、演奏行為が曲そのものまで楽しめなくしている。これはエンタメでは致命的です。
もっともっと経験あるのみなんでしょうが、その経験のプロセスまで見たいとは思わない。普通若い指揮者にはそれなりの魅力があるものなんですが。
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ゲルネの1曲目、オランダ人、第一声を出す前の一呼吸、吸いブレスでホールの空気を全部吸い取った感じで、黒光りする魅力的な声で、ホールが振動するような大きな声、安定感と芯のある響きでホールを充満させた。いきなりバリトンの魅力全開。オランダ人の役どころにあった声でこれならゼンタも。
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ゲルネの魅力的な声の歌唱は細かいニュアンスも概ね自然で滑らか。やや作為的に感じる個所もあったが、ドラマチックなオペラではありがちなことかもしれない。
今回はシューベルトの3大歌曲をこの13,14,15と三日連続で歌うようだが、絶妙なニュアンスの夕べを満喫できることでしょうね。
(5/13美しき車小屋の娘、5/14冬の旅、5/15白鳥の歌、他)
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ゲルネの2曲目、ワルキューレの幕切れのところ。これも息の長い、感情を込めた素晴らしい歌でした。ワルキューレがこのような込め具合で全曲続くのかといったあたりのことを推測するのは野暮な話で、何を楽しみに今これをこうやって聴いているの?と言いたくなる。
ブリュンヒルデ、ローゲのファイヤー、そして末尾のピアニシモ。この最後の演奏のみの部分はお粗末なものであったが、その前のヴォータンの歌唱は威厳が誠に素晴らしく、声の圧力とときとして魅せる優しさのようなもの、どちらかというと威厳のほうに傾斜している雰囲気はありましたが、全力投球の2曲ですから。
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ソリストと指揮者の器量がだいぶ異なってしまった夕べではありました。
終わり
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2013-2014シーズン
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2014年5月2日(金)7:15pm サントリー
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ブラームス 交響曲第2番
ブラームス 交響曲第3番
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ダニエル・ハーディング 指揮
新日本フィルハーモニー交響楽団
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ハーディングが2か月ほどの間にこのオーケストラとブラームスのシンフォニーサイクルを行う、その第一弾。4曲だけなので一気呵成にやってほしいところもあるが、商売上の都合やスケジュールのこともあるのだろう。組み合わせでヴァイオリン協奏曲と第1番のピアノ協奏曲も演奏されるようだが、この日はシンフォニー2曲。
2番3番の順序で演奏されました。自分の定期席がステージに比較的近く、埃っぽいサウンドのときが多いのですけれどこの日も同じような感じ。音の切れ味がいまひとつで、これは指揮者が変わったら良くなる悪くなるといったものでもなくて。
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曲の良さは良くわかりますが、演奏の味わいという点ではこれといってなかったように思いました。自分のスケジュールを変えてまで聴くようなものではなかった。生演奏というのはこうゆうものだとわかってはいるつもり。
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第2番、第3番、それぞれの第4楽章の冒頭の雰囲気はよく似ていますね。
おわり
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2013-2014シーズン
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2014年4月27日(日)2:00-4:45pm 東京文化会館
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プッチーニ作曲
栗山昌良プロダクション
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蝶々夫人
第1幕48′
Int.25′
第2幕47′
第3幕31′
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キャスト (in order of appearance)
ピンカートン 樋口達哉
スズキ 小林由佳
シャープレス 泉良平
ちょうちょうさん 木下美穂子
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ゴロー 栗原剛
ヤマドリ 鹿野由之
ボンゾ 佐藤泰弘
神官 渥美史生
子ども 今野后梨
ケート 谷原めぐみ
他
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二期会合唱団
ダニエーレ・ルスティオーニ指揮
東京都交響楽団
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セットもさることながら、人物の動きがきわめて美しい舞台であったように思う。特にスズキ役の小林の微に入り細に入りの至れり尽くせりの動きのしぐさの自然な美しさは特筆に値しよう!
同じくちょうちょうさん役の木下の、こちらはストップモーションというか静止した時の決まり具合の美しさが素晴らしい。ハミングコーラスにおける舞台の奥から光が照射された逆シルエットはそのアイデアとともに静止した美であり、それだけで涙ものだ!ハミングコーラスで我々はそれまでの物語のことを思い起こし、そして先の悲劇まで感じる、入れ込むほどに年甲斐もなく緩む涙腺!
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石の上にも三年ではないが、結果的には全く報われることのなかったその三年ではあるが、毎日毎日、来る船来る船、見続けるちょうちょう。その意味では彼女が自分で作り出した悲劇という側面もあるわけだが、でも、自ら退路を断つことの不安と自覚と覚悟、だけれども夢見る少女。
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第1幕ではルスティオーニのプッチーニ節は半開なれど、この幕前半のどちらかというと屈辱の日本女性という現代からは少しかけ離れた違和感が、徐々にストーリーにグイグイと引き込まれるにつれて霧散していく。人と人、ハートとハートのプッチーニワールドに引き込まれていく。
やや声太な主役二人、ピンカートンは個人的にはもう少し細い声が好みなのだが、ちょうちょうさんの抜群の安定感のもと、二人ともよく通る声だ。澄み切るには指揮者とオーケストラのさらなる頑張りが必要な第1幕。先にはプッチーニが待っている。
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昨今、幕をつないで長丁場にしてしまう舞台が多いがこの演出も第2,3幕をつないでしまったが、ハミングコーラスから間髪入れず一気3幕にはいったのは正解だった。緊張感が保持されたまま悲劇に向かう、聴衆の緊張感も継続されたままのほうが理にかなっている。
その第2幕で、愛くるしい愛の結晶が舞台に駆けてくる。ここで、ルスティオーニは音を爆発させた!ここから俄然鳴らし始め圧倒的な劇的表現を最後まで貫いた。彼のプッチーニ節はこのようなものだった。舞台と同じぐらいドラマチックな鳴りはど迫力で、上野がこんなに鳴っていいのかというところもあったが、まずは彼の解釈、思いの表現に耳を傾けるべきであろう。オーケストラが音を出すわけだがこの劇的な表現のあたりから良い鳴りとなってきた。指揮、オーケストラが一体になり、その上に歌が美しく弧を描く。これぞまさしくオペラハウスのオペラをほうふつとさせるオペラの醍醐味。あぁ、鼓膜がはがれる気持ちよさ。
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ハミングコーラスでは泣く。だいたいいつもこのざまだ。劇が自分に振りかけた気丈と哀れのないまぜ。自分の遠い昔を見ているようなデジャブ感。
ルスティオーニの棒は縁取りが明確だ。ピアニシモサウンドだけが悲哀を表現できるわけでもないんだよと言いたげだ。誠に迫力ある哀しみの表現がツボにはまった。
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第3幕のちょうちょうさん白熱の歌と演技が光る、それとスズキの好演技もみものだ。
ちょうちょうさんの自刀シーンは全てを越えて美しい舞台。このように雄弁な静止、1000の動きをもってしても替えることはできない。日本が舞台のプッチーニを日本人が演技するとこうなる。白熱のラストシーンであった。
おわり
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2013-2014シーズン
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2014年4月26日(土)2:00pm サントリー
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ストラヴィンスキー 火の鳥、全曲版 46′
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ニールセン 交響曲第4番 12′15′10′
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山田和樹 指揮
日本フィルハーモニー交響楽団
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前日に続き日参。前日はたまたま手に入れたチケットで、この日が本来の定期の席。二日続けて聴くとかなり見通しがきくようになる。前の日行っておいてよかったと言えよう。
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前半の火の鳥全曲は、前晩よりテンポよく跳ねるおもむき、前半から滑らかに後半に推移しクライマックスへ。尤も、前晩より良い」という表現は自分の状態のことを言っている感が強いかもしれない。ただ、場面、情景シーンなどをほうふつとさせるにはまだ遠い。
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不滅は交響曲という範疇に入れてしまうと弱い構成ですが、このコンビはその弱さを忘れさせてくれる濃度の演奏。主題と形式が軟弱すぎる曲だけれども、日フィルはインストゥルメントのもつオリジナルなサウンドが妙に魅力的で、本来あるべき姿を呼び起こしたような演奏になっていた。これは演奏の成功例ということになるかと思います。
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この週は、バレエ音楽週間のようになりました。
水:ヨセフの伝説
木:ヨセフの伝説
金:火の鳥
土:火の鳥
おわり
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2013-2014シーズン
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2014年4月25日(金)7:00pm サントリー
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ストラヴィンスキー 火の鳥、全曲版 48′
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ニールセン 交響曲第4番 12′16′9′
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山田和樹 指揮
日本フィルハーモニー交響楽団
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両曲ともに演奏会ではあまり聴く機会が無い。
火の鳥の全曲は伴奏音楽の色彩が濃く、ハルサイみたいな緊張感を音だけで味わうには少し厳しいものがある。特に前半はかなり力を入れて聴かないと眠りにつく、実際のところ落ちた。
不滅もネームヴァリューの割には、諸作曲家の数ある名作に比べ、バックバー3段目といった感じ。不透明感漂う曲で、交響曲という枠組みにはめたいのか、はめたくないのか、最後までわからない曲、始終しゃくりをしているような曲想も気になる。
山田も一度は振らなければならない曲たちなんだろうが。
おわり
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2013-2014シーズン
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2014年4月24日(木)7:00pm サントリー
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オール・リヒャルト・シュトラウス・プログラム
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祝典前奏曲 13′
紀元2600年祝典曲 14′
ヨセフの伝説 59′
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オルガン、小林英之
ネーメ・ヤルヴィ 指揮 NHK交響楽団
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前の晩は、ほぼわからず、ストレスのたまる演奏会でしたが、この日は、ガラッ、と変わって非常に素晴らしいものでした。いくら音楽という抽象的なものを相手にしているとはいえ、自分の気分の違いだけでこうも変わるもんでもない。と思うのです。
N響は前の晩とだいぶ異なり、気張ってなくて肩から力が抜けた軟らかい演奏、だいぶ、こなれてきた。一晩でこうも違うものなのか。ヤルヴィもそうだな、この日の最終アクションは満面の笑み、満足した出来だったのだろう。
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最初の祝典前奏曲でまずびっくりしました。前晩と「まるで」異なるしなやかな表現でビックリ。演奏解釈が変わったというよりもプイレイヤーたちが二晩目で肩の力が取れたリラックスした表現で演奏できたことが大きいと思います。ヤルヴィも一晩で大きくなったのかフレーズに余裕あり。結局この10分の曲が、前晩より2分も長くなるという昔の大巨匠時代の解釈を思わせる変貌ぶり。精緻で滑らかでうるさくない。本当にいい演奏だったと思います。シュトラウスの中にあってはマイナーな曲も演奏次第でこうも変わるものなのかと、感心感激。
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次の祝典曲。鐘の音アクションは前日のほうが見た目、迫力ありましたけれど、この日は全体的に音楽が整理整頓、コントロールされており、はみ出ていない。この曲も派手なものではありますが四方八方飛び散るサウンドではなく、滑らかなアンサンブルが心地よい。そちらのほうに耳が奪われる。
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クライマックスは後半の大曲バレエ音楽。この日の前半と同じく自然で滑らか。音が飛び跳ねたり盛り上がったり、浮き沈みを繰り返す。音が生き生きと生きている。全く弛緩しない。このバレエ曲のクライマックスはどこなんだろう。たぶんスコアの特定のバーの位置のところじゃないんだ。音楽が進むにつれてうねっていき燃焼する。そういうチリチリ感がこの曲の盛り上がりクライマックスなのかと思ってしまう。美しく燃えた1時間でした。
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結局、ヤルヴィやり尽くしのワンナイト。前半の曲もさることながら、ヨセフ伝説はヤルヴィ快心の大満足な演奏で、聴衆も、ふ~、と大満足。
ナチュラルなブラボーがそのことをよく証明しておりました。
ありがとうございました。
おわり