河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1606- スクリャービンPC、浜野与志男、レニングラード、ラザレフ、日フィル2014.3.15

2014-03-15 23:03:55 | インポート

2014年3月15日(土)2:00pm サントリー

スクリャービン ピアノ協奏曲 8′9′10′
 ピアノ、浜野与志男

ショスタコーヴィッチ 交響曲第7番レニングラード 27′11′17′15′

アレクサンドル・ラザレフ 指揮
日本フィルハーモニー交響楽団


この日のお目当ては前半のスクリャービン、
このピアニストはお初で聴くと思います。
ショパンのほうに傾斜していくような演奏ではなく、デジタル風な刻みのスクリャービンで、エスカレータの階段のようだ。音が情に流されない。角(かど)があるところではきっちり引っ掛かる。
曲はとっても若くてこのピアニストの年齢(1989年生まれ)と同じころの作、演奏は繊細さとか骨太と言ったあたりのニュアンスよりも自由に弾いていてそれがどちらかというとデジタル風味に聴こえているだけなのかもしれない。日本ロシアのハーフなら母のロシア的なものを感じるけれども、この日の演奏はこの作曲家の生まれを特別意識することもないかと思います。むしろ、現代的な響きでよみがえらせた、すごく新鮮に感じた。
余計な泣き節もなく、見た目は端正でストイックなロボコップ風、日本人のどっかの棒振りたちみたいな気持ちの悪いニヤケは一切なし、音楽に真摯に向かっている、その端正さとは結構違うダイナミックで正確なリズムの運動、そのようなものに惹かれました。良かったと思います。また、この曲のこのような側面を魅せられて、改めて聴きなおしたくなりました。ありがとうございます。
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後半はレニングラード、自分にとってはメインディッシュが二つあるような満足感を味わえそう。
ラザレフは愛すべき人物なのだが、その外面(そとづら)だけをいつまでも見ているべきではないと、このレニングラードを聴いて思いました。一言で言いますと、
爆発イリュージョンはラザレフにとって実は済んでしまっていて、この7番の演奏、既に後期の交響曲のほうを見ているのではないか、ということです。
演奏は非常な弱音重視、かなり極端な抑えの解釈です、明白に意識されたピアニシモの連続。遠い先の曲が聴こえてきます。静かさとテヌートの強調、レアな解釈だった。派手部分に耳を寄せる一方で、この物静かな表現にこそ今のラザレフの神髄がある。このように落ち着いたレニングラードはめったに聴くことができません。
弱音強調表現で交響曲のフレームを見事に浮き彫りにする。構造が透明化されたそちらのほうに耳を奪われた。オーケストラもいつになくと言っては失礼だが、前に音が出てきている。微弱な音響演奏がオケ自身の耳を先鋭化し、爆発フレーズでも見事にピッチがあった、息の合った演奏を可能にした。素晴らしい演奏。まさしくラザレフ効果。
そしてこの日のラザレフ、左振り向きフィニッシュ・ドヤ顔さらし・バンザイエンド。やはり愛すべき人物ではある。
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このようにオーケストラの反応が素晴らしい演奏だったのに、
ラザレフのプレイヤーご指名スタンディングの「指示」に、まるっきり、反応しない。極端に言うと素晴らしかった演奏をぶち壊すぐらい立とうとしない、このオケはいったいなんなんだと。照れとか恥ずかしさとかはにかみといった日本人的奥ゆかしさをはるかに越えた非常に見苦しい場面が続く。一人ラザレフが手を差し伸べ、振り回し、近くに寄り、ようやくスタンディング、不思議なオーケストラだ。席が近いのでよく見えるのだが、弦パートには苦虫100匹同時に噛んだような顔のおじさんもおりました。ラザレフのオーケストラの統率力の素晴らしさは、演奏中のその行為だけだったのかと勘ぐってしまう。リハーサルで双方の理解が深まっていき、意思疎通、解釈の浸透と表現、一致したからこそこのような素晴らしい演奏ができたのではなかったのか。演奏が素晴らしかったのはご本人たちもわかっているはずで、その気持ちを素直に表現すればいい。
横にそれた例になるかもしれないが、ここの団員は一度演奏会を休んでゲルギエフ&マリインスキー管の演奏会に行き、彼らの意思疎通ぶりや反応をよく見てみるのも勉強になるはずだ。いまでこそ長い年月が経ってしまったけれども、まだキーロフ管と呼んでいたころのゲルギエフの動きに反応するプレイヤーの素晴らしさは圧倒的だった。演奏のみならず、スタンディング指示、ゲルギエフの指が3ミリ動くと、ソロパートが間髪いれずズバーッと立ち上がったものだ、あの昇り竜の時代、彼のもとで演奏し、素晴らしい演奏をすればするほど自分たちの生活が豊かになり、自由を勝ち取れる、そのようなことがありありと動作や目に見てとれたものだ。例としてはあまりに条件が違いすぎるのでよくないかもしれないが。
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この日は自分の、日フィル定期会員初日でした。
座席に定期会員になったお礼メッセージおいてありました、お気遣いありがとうございます。
おわり


1605- シューマン、ファウスト序曲、シェーンベルク、浄夜、ベートーヴェン7番、準・メルクル、新日

2014-03-15 01:02:19 | インポート

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2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2014年3月14日(金)7:15pm トリフォニー
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シューマン ゲーテのファウストからの情景、序曲 8′
シェーンベルク 浄夜(弦楽合奏版) 31′
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ベートーヴェン 交響曲第7番 14′8′9′8′
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準・メルクル 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団
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素晴らしいプログラム。
シューマンとベートーヴェンはオーケストラを思いっきり奥に配置し、前方はかなりの空きスペース。シェーンベルクは弦楽だけのためかステージから落ちそうなぐらいギリギリ手前に配置。そのため、シューマンとシェーンベルクのメンバーの席移動、セットアップに5分ほど時間がかかった。メルクルの明白な意図と思われますが、どのような効果を狙ったのか、それともトリフォニーの音響が自分のイメージと少し違っていて矯正しようとしたのかもしれない。
私の席はかなり前ですので、シューマン、ベートーヴェンでは奥に引っ込んだ分、全体が良く見渡せるようになりました。
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一曲目のシューマンは厚ぼったい割には鳴らないというこの作曲家のオーケストラルピースで、どこか良いところあるはずだという姿勢で聴かなければならない分、聴き苦労する。毎度だけれども。
二曲目の浄夜については、このオーケストラの弱点は浄夜をやっている楽器全部と言うことが分かったわけだから弦をどうやって練り上げて魅力的な音にするかということだけこれから考えていけばよいのではないか、今は浄夜の蒼い音がでているとは言い難い、
とは言うもの、メルクルの、浄夜の解釈自体は素晴らしかった。かなり速めのテンポ感だと思ったのだが、終わってみたらあっという間の30分越え、滑らかさは機能的に難しいと思ったが反応は良かった。
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後半のベートーヴェン、ドライブするというよりメリハリのつけ方が極上で、あの棒だから以前のワーグナーのトーキョーリングが素晴らしかったのも納得、オケのメンバーのやる気度もアップしているように見えた。
メルクルは指揮に全精力使い果たすようななぎ倒し棒で、オケとぴったりシンクロした時の圧倒的な音の奔流は生き生きとしていて、今ここに音楽が再創造されているという現象を容易に理解できる。この日の7番はそこまではいかなかったが、この新しい組み合わせに期待したいと思います。
おわり