河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1608- ルイ・ブラス、メンコン、五嶋みどり、ショスタコーヴィッチ5番、リッカルド・シャイー、ライ

2014-03-19 01:30:57 | インポート

2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2014年3月18日(火)7:00pm ミューザ川崎シンフォニーホール
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メンデルスゾーン 序曲「ルイ・ブラス」 7′
メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲 13′7′7′
 ヴァイオリン、五嶋みどり
(encore)
バッハ 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ
第3番 BWV.1006 より 「プレリュード」 4′
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ショスタコーヴィッチ 交響曲第5番 17′5′15′12′
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リッカルド・シャイー 指揮
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
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ゲヴァントハウスの音は久しぶりに聴いた。すっかり「文化の平板化」の波をかぶっている。文化の平板化、都会の自宅で普段使っているウォシュレットのトイレや、ホールにあるカップのホットコーヒーの自動販売機が、登頂したエベレストのてっぺんにもあってしかるべきだという話。ゲヴァントハウスもインターナショナルと言えば聞こえがいいが、どこに行っても、どこの団体が来ようとも、それらはみんなクリスタルサウンドでなければならない、それを満たさないのは「これ聴いたことない音」みたいな話になって、ようはそんな世界があたりまえになってしまった、まさに平板化された文化の使節でしかなくなる、そのような危惧はなにもゲヴァントハウスだけではなく、総体的にだいたいみんなそうなりつつある。もう既になっていて、どこのだれになにを求めればいいのか、受け手自身も感覚が麻痺し始めているのではないか。
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しばらくぶりに聴いたMidori、私の席は1階席中央なのにメンコンの音が小さくて聴こえない、音が小さくなったのを内向きになったと簡単に言ってしまっていいのか迷うところだが、そのような判断さえできるかどうかのギリギリぐらいに小さいものだった。音量が出てこない。楽章が進むにつれてそれなりに出てきたと思えたのは、聴き手の耳が徐々に先鋭化したのもあるかもしれない。
後半プロのタコ5で聴かせてくれたコンマスのソロが何事も上を行っていたのは、良いことだったのか。
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一曲目のルイ・ブラスは生ではあまり聴けない曲で新鮮味もあり、まぁ、滑らかに滑っていくような演奏とは言えませんが、メンデルスゾーンのメロディーラインはそれなりに。
ゲヴァントハウスの音はオーケストラとしては骨太というより肉太になった感じで、それにつれてファジーな部分の許容範囲が広がり、もやもやっとしたところもある。
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後半のショスタコーヴィッチの5番、
とりたてて機能美を追わない、張り切ってはいるが日常的な演奏会のルーチンワーク的なものであり、そのルーチンワークのレベルの高さを見せつける内容でもあったと思います。
トランペットとトロンボーンがギリギリ右奥に配置、手前のウィンドとの間にかなりの空きスペースがある。左側にホルン、弦は対向でベースも左、音響空間としては左右拮抗でうまくバランスしているのかもしれない。
演奏は滑って快適に進む感じは無く、前のめり、後ろのめり、ちょっとぎこちないかな。やりつくしているわけではなさそうなので、その分張りつめたところはある。ショスタコーヴィッチの音響に浸ることにします。と、
その音響ですが、このホール、1階席だと、バスドラやティンパニの音が叩いているスポットから地続きでお尻を振動させる。音というより太い糸電話みたいな感じで直接響いてくる。あまりよくありません。上の階のほうが音楽的な響きとしては良いと思います。
おわり