2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2014年3月22日(土)2:00pm 東京芸術劇場
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プリッツカー クラウド・アトラス交響曲から、
第4、5、6、楽章 5′6′6′
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コルンゴルド ヴァイオリン協奏曲 10′8′7′
ヴァイオリン、パク・ヘユン
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ブラームス/シェーンベルク編 ピアノ四重奏曲第1番
14′8′11′9′
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クリスチャン・ヤルヴィ 指揮 読売日本交響楽団
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いい曲が並びます。
この指揮者は2度目ですが、一度目(2013.10.16)は、最初の曲で出ばなをくじかれた感があり、曲ともども凡庸感が漂っていた。この日はだいぶ違った。もっとも聴く前は曲目当てだけだったのですけれど。
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最初のプリッツカー、作曲者の名前も曲名も初めて。プログラムノートにはミニマル風といった言葉がありましたが、いざ鳴ってみると、探してもミニマルはない。聴き込みが足りないのかもしれないのですが、刻み波打ち微妙にずれていくような感覚はどこにもありません。起伏の激しい映画音楽、その割には決して鳴りがいい曲とは言えない。空振りみたいなところもある。ひらめきのある曲とは思えない。
ひらめきの曲というのは、例えばメシアンのトゥーランがリラのように、長大な曲でありながらまた、作曲にかかった年月の長さも大変なのに、いざ出来上がったものを聴いてみるとあまりの凄さに、神様が一瞬で創造したように感じる、それこそ天才のひらめきの技。最初のインクを紙に置く前に既に最後の音符の位置が見えている。だから何年もかかるような曲も結果的には一瞬のひらめき。一瞬のなかにすべてが詰まっていて、それをエクスプロージョンしていくだけ。なんとも凄いことです。
最近何度か聴いたブーレーズのノーテーション(ノタシオン)もそんなところがあるなぁと思ったりしました。それとか、ハルサイなんか完全に神々の作としか思えない。
プリッツカーの曲はそういうものではないということです。
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コルンゴルドのヴァイオリン協奏曲は、ノセダ&N響の爆な演奏(2005.2.24)に縛られてきたわけですけれども、今回も含めてあれを凌駕するような演奏にはしばらく会えないと思います。
パク・ヘユンのヴァイオリンは激しく自己主張するわけではありませんが、内に秘めた闘志みたいなものがあり、それが良くもあり、またすべてが表に出てこないところでのもどかしさみたいなものもある。それが情感込めたあたりのフレーズでも同様にみられる。表現したいこととその表現の方法のベクトルがまだうまく一致していないのだと思います。ただ、コルンゴルドのナイーブな側面を割と感じることができました。
ヤルヴィの伴奏棒はソロと微妙にずれたりするところがあり、呼吸が今一つ合わなかった。合わせの回数が少なかったのでしょう。強引に引っ張っていく棒のようにも見えませんし。
ただ、鳴りは良かったと思います。
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後半のブラームス&シェーンベルク、
これは良かったですね。室内楽でやれば4本の楽器で同じようなフレーズを手を変え品を変えというのは難しいわけですけれども、シェーンベルクの編曲のあやで、まるで音色旋律風に進行していく。あちらのウィンドが奏でたかと思うと同じような節をストリングで、ブラスで、と、入れ代わり立ち代わりのトーンの変化の見事さ、ウィンドのクリアなハーモニーは特筆すべきもので生理的快感。全体に自然に流れていく音楽が心地よい。終楽章の肩にあまり力のかからない演奏もお見事。
これに余裕の膨らみがでてくれば言うことなしだろう。
楽しめました。ありがとうございました。
おわり