書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

桑田佳祐/ユースケ・サンタマリア出演 『「桑田佳祐の音楽寅さん~MUSIC TIGER~」あいなめBOX【通常版】』

2011年01月04日 | 音楽
 今年は年末も年始もなく仕事漬けの自分へのご褒美に、とうとう買っちまったぜい!
 仕事のヤマも越えて、ようやく終着点も見えてきたし間に合いそうだ。今夜から観る!!! 桑田さん万歳(ワンスェイ)!

(アミューズソフトエンタテインメント 2010年3月)

「Coptic language’s last survivors」 を読んで

2011年01月04日 | 思考の断片
▲「Daily News Egypt」first published: December 10, 2005, by Joseph Mayton.(部分)
 〈http://www.dailystaregypt.com/article.aspx?ArticleID=106

  CAIRO: Considered an extinct language, the Coptic language is believed to exist only in the liturgical language of the Coptic Church in Egypt. The ancient language that lost in prominence thanks largely to the Arab incursion into Egypt over 1300 years ago remains the spoken language of the church and only two families in Egypt.

 コプト語はまだ生きて使われているそうだ。もはや2家庭に限られているそうだが。コプト語は古代エジプト語の子孫である。「コプト・エジプト語」ともいうらしい。
 しかもこの記事によると、アラム語(イエス・キリストのしゃべっていた言語の子孫)も、トルコやシリアのあちこちで生き残っているという。胸がときめく。

「<新春特集・意外!中国人観光客が好む日本のおみやげBEST10-8>中国のと全然違う!湯呑み」 から

2011年01月04日 | 抜き書き
▲「レコードチャイナ」2011-01-04 11:18:27、編集/愛玉。(部分)
 〈http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=48167

 ともにお茶を愛飲する日中両国の人々だが、茶器のデザインにはかなりの違いがある。中国のものは飯椀に近い形の薄手のものが使われ、日本の家庭に多くあるような縦長の円柱形のものはとてもエキゾチックに映るに違いない。

 中国の茶杯(チャーペイ)は茶の微妙な味わいを感じるのに便利で、日本の湯飲みは保温によい。中国の緑茶を日本の湯飲みで飲んだら味があまりしない。日本の緑茶(日常の)を中国の茶杯で飲んだら、熱くて飲めない、いやそもそも手でもてない。

「旧ソ連時代から『裏金』 生活水準上がりエスカレート」 から

2011年01月04日 | 抜き書き
▲「asahi.com」2011年1月4日6時0分。(部分)
 〈http://www.asahi.com/national/update/0104/TKY201101030298.html

 ロシアの排他的経済水域(EEZ)内でスケトウダラ漁をする北海道と東北の漁業会社4社がロシア国境警備局の係官に現金や物品を提供したとされる問題で、こうしたやり取りが、少なくとも約30年前、旧ソ連時代から行われていたことが、複数の漁業関係者の証言でわかった。
 拿捕(だほ)され船体が没収されると億単位の損失につながりかねず、それを避けるための「経費」でもあったと関係者は口をそろえる。係官側から要求することも多かったといい、「裏金」のやり取りが常態化していた状況が浮き彫りになった。


 この記事にはそのほか、「北海道の水産関係者」の話として、この種の金品の授受は1970年代の旧ソ連時代にもあった現象だという証言を載せてある。1980年代のはじめ、私が外大でロシア語を学んでいた時にも似たような話を日ソ貿易に携わる商社マンから聞いたことがある。話をした人が当事者ではないので、あくまで噂として受け取っていたが。また、ロシア語科の先生の中には学生時代漁船にロシア語通訳として乗り込んだことのある人がおられて、苦労話を伺ったことがあるが、これに類するような生臭い話は具体的には出なかった。ただ、「大変だったですよ。二度とやりたくない」というひと言に、すべては含まれていたかもしれない。

明けましておめでとうございます

2011年01月04日 | 思考の断片
 近来、季節の移り変わりに敏感になった。季節ごとに変わる挨拶、さまざまな行事など、先人の感覚の濃やかさに感心することが、ちかごろ多い。これを歳を重ねたゆえの日本回帰現象というのかどうか。西瓜は夏、柿は秋、蜜柑は冬こそなどといいながら、口にするもの自体のレパートリーは若い頃よりもさらにはげしく海外化しているというところもあって、よくわからない。
 いい年にしたいと思う。