書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

「何となくエラキ人」で思い出したが坂本龍馬は梅毒であったという説についてかねてよりの疑問

2011年01月13日 | 思考の断片
 この説の出所は、幸徳秋水が書いた中江兆民の伝記『兆民先生』中、秋水が師の兆民から聞いたという談話である。

 先生かつて坂本君の状を述べて曰く、豪傑は自ら人をして崇拝の念を生ぜしむ、予は当時少年なりしも、彼を見て何となくエラキ人なりと信ぜるが故に、彼が純然たる土佐訛りの方言もて、「中江のニイさん煙草を買ふてきてオーセ」などと命ぜらるれば、快然として使いせしこと屡々なりき。彼の眼は細くして其額は梅毒の為め抜上がり居たりきと。 

 このくだりである。というか、このくだりだけである。ただの若はげだったらどうするのか。
 言うまでもないことだが兆民は当時もそののちも医者ではない。素人の言をどうして鵜呑みにするのであろう。これが野口英世や秦佐八郎あたりの専門家の見立てならまだしもである。私には分からぬ。

章学誠著 葉瑛校注 『文史通義校注』 上下

2011年01月13日 | 人文科学
 『校讐通義』も収録。
 内藤湖南の「章學誠の史學」を読んでから、中江兆民ではないが「何となくエラキ人」と敬しはしたが、「六経は皆史なり」と言われてもそれは当たり前ではないか、「やはり当時は先覚者だったのかもしれないが、いまでは過去の人なんだろう」と思って、遠ざけてきた。しかしやはり清代中国の、しかも18世紀末の乾隆・嘉慶の御代にこの言は尋常ではないと近頃あらためて思うようになって、読んでみた。
 「六経皆史也」という言葉は『文史通義』冒頭の一句である。

 六経は皆史なり。古人は書を著さず、古人は未だ嘗て事を離れて理を言わず。六経は皆先王の政典なり。 (「巻一 内篇一 易教上」)

 見ようによっては、書籍というものは何らかのかたちで過去のことがらを記したものであるから、すべて史書(歴史書)だと言ってもかまわない。私が当たり前ではないかと思ったのはこの故にである。しかしながら、よく考えてみれば、経書というのは儒教の教えを説いた経典であって、その教え(道)は時間も空間も超越した、唯一絶対の真理であるはずだから、それを過去の事実として相対化してしまうのは、当時の中国ではもの凄い異端思想であったはずである。湖南は、章学誠は「道」までを否定したのではない、「道」のいにしえにおける顕れかた(器)としての六経を事実をしめす史書として見なしたのだというが、ちょっと疑問がある。原著を読んでいると、それは迫害を避けるための擬態ではなかったかという気がしないでもない。
 湖南は、章学誠の思想のいまひとつの独特な点として、「言公」に見える議論を挙げている。

 章學誠が言ふには、「古人の言は公の爲めにして、私に據つて己れが有と爲さず」と言つて居つて、古人が言を立てる、即ち著述をするといふやうなことは公の爲めにするものであつて、一個の私有物とする爲めに、之が自分のものだといふ爲めに立てるのではない。元來は道を明かにするが爲めに、言で以てその目的を明かにし、それから言を十分にする爲めに文といふものを用ひる、その文によつて目的が達せられれば、必ずしもそれが自分の説であると言つて、私有しなくてはならぬといふことはない。 (「章學誠の史學」)

 しかしこれは、簡単にいえば著作権否定の思想であって、ただいまからすれば取り立てて斬新といえるものでもない。というか、これは顧炎武について考えたときにも言ったことだが、当時の中国でも著作権(知的所有権)などという発想は殆どなかった。章は当たり前のことを言っているのである。湖南が章の独特の思想として言う、“一人の立言者があつた時に、その道を傳へた後の人は、その立言者の著述の後に直ぐ又附け加へて書いても、前の立言を推し弘める爲めであれば少しも差支ない。後の立言者は前の立言者と一體になつて、さうして之を又後世に傳へて差支ない”という章学誠の考え方は、当時ではごく普通の通念であったはずだ。このあたり、湖南の言うこと解しがたい。
 それに、問題の箇所を読んでみると(「言公上」の冒頭部)、「古人の言は、公を為す所以なり。未だ嘗て文事に矜(ほこ)り私拠して己が有に為すにあらざるなり」とある。この「公」は明らかに「君主」のことであって、目新しいことはなにもない。章学誠は浙東学派の系譜に立つとされる人物だが、「公」のとらえ方については、学祖である黄宗羲の公私観よりもむしろ退行している。
 ただ、湖南の高評価については、湖南があとから注釈するように、“然るに後世の學者は、それらの古代の著述を見た時に、これが最初の立言者の眞の著述であつて、その附け加へたものは皆後人の僞作だといふ風に判斷をするが、その判斷は當つて居らぬ。つまり前の立言者に對して後の繼續者が擴充して書いたまでであるから、眞僞の議論をその間に加ふべきものではない”と、議論の範囲を考証学の方法論に限ってのこととするのであれば、解らぬでもない。
 しかし、天命を論じて、伍子胥以来の“人衆ければ天に勝ち、天定まりてまたよく人を破る”(『史記』)と書かず、文章作法でも常識のうえでも定石を破って、「それでも人は勝つのだ」(“天定まりて人に勝ち、人定まりてまた天に能く勝つ”)(「巻三 内篇三 天喩」)と、まるで何かに叩きつけるように書きしるした章学誠という人は、湖南の言うのとはまた違った意味で面白い。もっと知りたくなる。

(中華書局 北京 1985年5月)

「高さ9.5mの孔子像が完成、国家博物館の広場に―北京市」 を目にして

2011年01月13日 | 思考の断片
▲「レコードチャイナ」2011-01-13 11:32:07、翻訳・編集/岡田。(部分)
 〈http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=48521

 2011年1月12日、シンガポール華字紙・聯合早報によると、高さ9.5mの孔子のブロンズ立像が中国国家博物館前の広場に完成した。中国芸術研究院美術研究所の呉為山(ウー・ウェイシャン)所長によるデザインで、題字は「国学大師」と称される中国研究の泰斗・饒宗頤(ラオ・ゾンイー)氏によるもの。〔略〕銅像は北京市のメーンストリートである東長安街に面して建てられており、落成記念セレモニーの席で呂章申(リュー・ジャンシェン)館長は、ブロンズ像について「中国の悠久の歴史と文化を代表するにふさわしい」とコメントした。


 エジプトに来てピラミッドや神殿やオベリスクを見た紀元前5世紀のギリシア人も、たぶん、今の私と同じような気分を味わっただろう。ウザいと。

「Kaczynski air crash: Russia blames Polish pilot error」 から

2011年01月13日 | 抜き書き
▲「BBC NEWS」12 January 2011 Last updated at 22:13 GMT. (部分)
 〈http://www.bbc.co.uk/news/world-europe-12170021
 
 前項より続く。
 フライトレコーダーはすくなくとも部分的には公開されているらしい。

  The jet's flight recorder caught one of the crew saying "He'll get mad", in an apparent reference to the Polish president's determination not to alter his schedule.

  Investigators found that a top Polish foreign ministry official, Mariusz Kazana, had also entered the flight deck at one point. /At the news conference in Moscow, they played back the flight recorder tape of the pilots' final minutes, including conversations with Russian air traffic controllers.

「Crash report angers Kaczynski twin」 を読んで

2011年01月13日 | 思考の断片
▲「Aljazeera.net」Last Modified: 12 Jan 2011 17:53 GMT. (部分)
 〈http://english.aljazeera.net/news/europe/2011/01/201111215423448490.html

  He 〔Jaroslaw Kaczynski〕said on Wednesday that the report was a "mockery of Poland" that unfairly puts all the blame on Poles without offering convincing evidence.

 この問題、なんでこんなに揉めるのか。ロシアの陰謀で飛行機ごと大統領一行を爆殺したというのなら別だけれど。この部分のフライトレコーダーは公開されていないのか?

山脇東洋 『臓志』

2011年01月13日 | 自然科学
 2010年11月29日「石田秀実 『中国医学思想史 もう一つの医学』」より続き。
 三枝博音編『日本科学古典全書』第8巻(朝日新聞社 1948年5月)所収のテキスト。原文旧漢字、旧かなづかい。 
 「屠者をして之を解かしむ」と、はっきり書いてある。自分で腑分けしたのではない。「余をして就いて観せしむ」(どちらも本書154頁)。